一体、クノッヘンはどれだけのストレスをヤーに与えたというのだろうか。いや、このストレスなどどこ吹く風のヤーに、これだけのストレスを与えれらるクノッヘンこそ、褒めるべきなのだろうか……
 何にせよ、最後にそのダメージを受け止めるヤーのすい臓にはたまらないだろう。普段から使役され、こういう時はさらに酷使される。
 ちなみに純粋な砂糖は、甲国では同じ重さの銀に匹敵する価値を有する。甲国の甘味料と言えば、相変わらず蜂蜜が主体だった。
 チャプン、チャプン……
 13個の銀色の砂糖が沈み切った時の黒色の海は、もはや液体というよりスライムと形容すべきだろう。
 糖質限界突破。完全なる偏食。ノッキング・オン・ザ・ランゲルハンス島。
 そのよく分からないモノを、ヤーはすするようにして飲み干す。
「はぁ~、やっぱり、疲れたときは暖かい飲み物が一番だね……」
 しみじみとヤーが言うのを、メイドもアルステーデも呆然と見つめることしかできなかった。
「あ、そうだ。せっかく甲国へ行ってきたから、帰りにお土産を買ってきたんだ」
 一体何を買って来たのだろう。ヤーが箱を取り出して、開けた。
 開けた瞬間、メイドが悲鳴を上げて逃げ出した。
 アルステーデも逃げ出したかったが、それは何とか耐えた。
 テーブルの上には、芋虫とバッタが山盛りになっていた。
「アルステーデは、骨大陸の歴史に興味があると言っていたからね」
 それとこれとが、一体何の関係があるというのだろう……アルステーデの疑問を感じ取ったのか、勝手にヤーは続けて話す。
「歴史を勉強するというのは、知識だけじゃダメだと思うんだ。その国の文化を理解し、歴史を肌で感じることが、重要だと僕は思う」
 アルステーデはもうすでに十分感じていた。寒気を。
「食文化と言うのは全ての文化の基本だよね。歴史家ならこれくらいの試練は乗り越えられるよね?」
 ズイ、と芋虫とバッタの山を、こちらに向けて押し出すヤーの顔は、今までに見たこともない笑顔で彩られていた。
 アルステーデは、ヤーを殴り倒してから海に落として、そのまま本国へ帰ろうかと本気で30秒ほど考えていたが、エルフ族特有の理性の方がこの時はかろうじて勝ったのは、将来のSHWから見ても、ヤーとアルステーデ両方にとっても、有益であったことは間違いない。SHWの将来が、まさかこのような文化の違いによって悲劇的結果を迎えることになろうとは、仮に10000年生きたエルフがいても予想も想像もできなかったであろう。
「……ところで」とアルステーデが呆れながらたずねた。
「肝心の“土産”の方は結局どうなってるんですかね……?」
「ああ、そうそう。そうだったね」
 アルステーデはヤーの補佐のために同行したのだが、同時にジャフからは監視するようにもそれとなく言われている。監視、と言っても、ヤーを四六時中見張って、思い通りに動かす、というものではない。ただ、普通に接して、その言動をそれとなく観察する。ヤーの思考方法、思想、行動原理、そういったものが分かれば良い、という程度のものだ。
……それを命じるジャフの思惑もよく分からない。一体、その情報をどう利用するのだろう。ヤーと敵対するため? それともヤーを支えるため? 今のところ、敵でも味方でもなく、静観しながら自らの財力と発言力を高めるために策謀を練っている、というのが、一番ありそうな可能性だが……
「と、聞いてるのかな……? アルステーデ」
 他の考えが頭の中を占領している間、ヤーの話を聞きそびれてしまったようだ。
「あ、いえ、虫があまりに気味悪いもんで、ちょっと話に集中できなくて……」
 咄嗟の言い訳だが、一面の真実ではある。
「分かったよ」
 ヤーは置き土産を名残惜しそうに片づけると、話を続けた。
「――というわけで、甲国との中立条約、いや、密約かな、は無事に締結された。あとは甲国が勝ってくれることを祈るだけだね」
 アルステーデも、ヤーの話を聞いてホッとした。とりあえず、軍事国家・甲皇国との安全が確保されたこと、そして、ヤーがこれくらいの外交を成し遂げる力を示したことに。
 とはいえ、今回の中立は甲国も望んでいたことである。ヤーの本当の力量が試されるとしたら、どれだけ高い値段で甲国の望む中立条約を売ることができたか、この一点が、ヤーの力量を測る目安になろう。
 アルステーデがそんなことを考えているとも知らずに、貧乏学生みたいな副社長は、おもむろにもう一つの箱を取り出して、中身をムシャムシャと食べ始めた。
「え? 何ですか、その香ばしく美味しそうなお菓子にしか見えないものは……」
「いやぁ、なんかね、これは南部の有名な老舗が作ったチョコ菓子なんだよね。SHWには売ってないから、思わず買っちゃった」
「え、私もそれ欲しいです」虫ケラより断然。
「いや、残念だけど、これ、僕の、自分用の、お土産だから。外交的勝利をもたらした英雄の、束の間の休息だから」
 といいつつ、口の中のチョコをコーヒー(砂糖13個入り)で流し込む……
「あぁ~~~、やっぱうめぇわ……何て言うか、チョコの苦みと甘み、コーヒーの苦みと甘みがそれぞれ絡み合って最高にスイーツ! っていうかね、なんかこう……」
「それはもう分かりました」
 何一つ分からなかったが、お菓子自慢を聞いていると、海に叩き落としたくなりそうなので、無理やりにでも打ち切るのが得策だ。
「それより、クノッヘンのおじいちゃんから何か有利な条件でも引き出せたんですか。まさか、そのお菓子が最大のお土産、なんてことはないでしょうね」
「まあ、ちょっとした条件を付けてみたんだ」
 “みたんだ”ってなんだよ、とアルステーデは突っ込みたかったが、それは我慢した。
「変に中立を結んだことを公表すれば、南部も警戒して戦争準備を進めるだろうし、亜国の機嫌も損ねかねない。そこで、この中立は直前まで、できれば伏せておいて、波風を立たないようにしたい。この間に亜国とも中立条約を結べばいい」
 ヤーは真面目にやる時はやる、というのは、先の会議の時でも実証済みだった。アルステーデはかなり期待して、この将来の大社長の言葉に耳を傾けた。
「それでまあ、少し話は変わるんだけど、甲国の開発した空中戦艦ってあるじゃん?」
「まあ、ありますね」
「その空中戦艦って、海上で組み立てているらしいんだよね。強力な軍事兵器で、当然大切なものだから、名将の誉れ高いペリソン提督率いる艦隊を、護衛につけている」
「まあ、そうするでしょうね~~」
 空中戦艦、というのも、実は頭の痛い問題ではある。空中から一方的に攻撃できるという、圧倒的利点。SHWは、未だ旧式の飛行船くらいしか、空軍力は持たない。それも軍事力としてはいかにも貧弱だ。空中戦艦は、その名の通り、表面が金属で覆われており、耐久力が旧来の飛空船に比べて桁違いに高い。さらに、圧倒的なのはその収容力だった。中に軍隊が機動一個大隊(車両や戦車込みで)丸々スッポリ入ってしまう。これを利用すれば、単なる空中戦力というだけでなく、戦場を自由に動き回れる移動要塞としても脅威をもたらすであろう。甲国の圧倒的空軍力を制する力は、世界のどこにも存在しない。これが甲国に変な野心を抱かせなければいいのだが……
「たとえば、その誉れ高いペリソン艦隊の隙間をぬって、僕が指揮するSHW艦隊が奇襲を仕掛ける。そこで甲国の作りかけの空中戦艦を撃滅する、となればどうだろうか」
「まあ、できるわけないんじゃないでしょうか。逆に返り討ちにあう未来しか想像できないですけど」
「まあ、普通はそうなるよね」
「な~る~ほ~ど~~」
 つまり、そこは普通でない策を、すでに打っている、というわけなのだろう。
「そう、いわゆる狂言試合だね。これで二、三隻ほどの空中戦艦を完全破壊する。新聞では5隻くらいに水増しして発表しようかな。甲国は真実の数字を発表するだろうけど、負けた側は損害を少なくして発表したがるし、勝った方は功績を過大にして発表したがるし、案外リアリティでるかもね」
 適当なノリで言っているが、完全に否定できないのが、なぜかアルステーデにはちょっと悔しかった。
「なるほど、軍事的功績は、古来、誰もが褒めてくれますもんね」
 ヤーはチョコ菓子をもう一つ口の中に放り込んで言った。
「甲国なんて、その軍事的功績を立てた、いいや、立てようとして死んだ英雄かな、を軍神として祀って宗教まで作っているんだから、なおさらそうだろうね。僕は国内においては“若年ながらもペリソン相手に良く戦った、商才だけでなく艦隊指揮の才能もある社長”として、一気に価値が上がる。国外においても、“あのペリソンを相手に上手く戦った、小僧ながら何をするか侮れないヤツ”として、警戒されることになるだろう」
 ヤーに利用されるペリソン提督こそ、いい面の皮だろう。
「しかし、そこまでうまくいきますかね? クノッヘンが誰かに絶対言うと思いますよ。ヤー副社長のことだから、きっと秘密にすることを条件にしていると思いますけど、どこかから情報は漏れていくんじゃないですか」
 確かに、狂言試合といえども、準備にある程度の人員も使うわけである。クノッヘンだって、そんな約束は裏でコッソリ破る可能性も高い。
「いや、あのおじいちゃん、きっと約束破るだろうなぁ。人相悪そうだし。一年中悪巧みしてますって顔ですし」
 ヤーは二杯目のコーヒーに砂糖を13個入れながら言った。
「別に、それはそれでいいよ。だって、空中戦艦は数に違いがあれ、本当に壊しているんだから。“ヤーと甲国のあれは、狂言試合だ”なんて噂が後から流れても、虚像のヤーに対する警戒心は、そう簡単には無くならないだろう……と踏んでいるんだけど、どう思う?」
 ヤーの旺盛な食欲は、すでに箱の半分ほどのお菓子を平らげていた。他人には虫けらしか買ってこなかったくせに……
「……その前に、甲国のメリットってなんなんでしょう? 高い空中戦艦を、作りかけとはいえ壊されて、ペリソン提督の軍歴にも傷がついて……損しかしてないじゃないですか」
「まず、甲国はヤーという、甲国にとって少なくとも敵意のない人間をトップに後押しできる。僕だって恩を感じているわけだし、今後甲国に敵意のない人間が、SHWのトップに立ち続けることは、甲国にとってそれだけで大きな利益だろう。しかも、僕の年齢はまだまだ若い。これから先、長い間、この中立を保っていてくれる。それだけの恩を、甲国は売ったからね」
 “これから先、長い間”とヤーは言ったが、本当に長い間持つのかどうか、スライム状に固まったコーヒーを眺めながら、漠然と不安に思うアルステーデ……
「それと、甲国はこの中立を秘密にできる。まさか、大事な軍事兵器を壊されたんだ。普通は甲国とSHWは、仲が悪くなったとみる。当然、そうなれば甲国は四方を敵に囲まれて、戦争しようにもできない、周囲にはそう映るだろう……そんな中、実は甲国とSHWは裏でひっそり握手していて、着々と準備を進めた甲国は、後顧の憂いなく、好きな時期に南部に攻め込める……と、これはちょっと都合がよすぎかな。南部も、そこまで油断はしないだろうし。この前の戦いでも、エントヴァイエン皇子の軍団が南部に侵入して手痛い反撃を喰らったらしいしね」
「う~~ん……」
 アルステーデは唸った。甲国からすれば、対価に比して報酬が釣り合わないように感じる。まだ、天秤は均衡を示していない。
「甲国からすれば、もう一声ってところですかね~……」
「そう、そこをクノッヘンも言っていたんだけど」
 そこでクノッヘンは好々爺から超悪徳クレーマーに変化した。
「貿易権の話になってね」
 SHWにとって大事であるのは言うまでもないが、特に交易業を営むアルステーデにとってはさらに大事なことだった。
 言うまでもなく、SHWは戦後の貿易利権を独占し、価格決定権を掌握、好きな値段(といってもあまり反感を買われないよう、ある程度の慎みをもって)をつけて、利益をむさぼりたい。要するに、ボッタクリたい。
 これは、アルステーデにとっても実は人生の問題だった。アルステーデは趣味で歴史学をやっている。それは本格的なもので、本当に歴史学者になりたいと思っている。しかし、家業の貿易業者を継がなくてはならない。
 そこで、アルステーデは両親と相談し、ある条件を取り付けた。それは、アズール社を大きくすることに成功すれば、歴史学者の夢を追うことを認めてやってもいい、というものだった。
 アズール社の社運は、ヤーが今から話すことにかかっていると言っても過言ではない――のに、そこから出てきた話はとんでもないモノだった。
「うん、まずは貿易における価格決定権を放棄すること」
「ハァァァァァアア!?」
 思わず、自分でも気が付かないうち、アルステーデは椅子から立ち上がっていた。背の高いエルフ族で、女とは言え身長はヤーより数センチほど高い。今までは椅子に座っている姿しか見てないせいか、立ち上がると実際より大きく見えた。
「私の歴史家の夢はどうなるんですか?!」
 思わず机に乗り出して言ってしまった。
「まあまあ、落ち着いて。まだ慌てるような段階じゃない」
「いやいや、十分慌てるような段階でしょうが! 大体、私の事情はあなたも知っているハズでしょう!?」
「まあまあ、大丈夫だって。価格決定権を放棄すると言っても、実際はSHWの言い値を受け入れるしかないだろうよ」
 だが、よく考えてみればおかしな話だ。価格決定権を放棄すると言っても、具体的にどうするのだろうか。まさか、SHWの会社の中に甲国の役人かなんかを監視で入れるとか、そういう話ではないだろうか……アルステーデには嫌な予感しかしなかった。
 実際、ヤーのやったことはSHWへの背信行為ともとられかねない。自らの軍事的功績を買って、SHWの貴重な利益を売ったのだから……
「実際、クノッヘンのそれを主張してきた」
「まさか……」受け入れたわけじゃないだろうか……と言いかけて、恐怖のあまり言えなかった。
「まさか、受け入れるわけがない。というか、社内に甲国の人間を監視につける、なんてこと、もはや内政干渉レベルだよ。さすがに、そこまでは譲れない」
「はぁ~~~………」
 と大きなため息をつくと、アルステーデは力なく愛用の椅子に倒れ込んだ。失望と焦燥感と不安感が交互に押し寄せながら、このまま椅子に包まれて眠ってしまいたい衝動にかられた。
「そこで」とヤーは続ける。
「穀物会議、というのを両国の間で開き、そこにて穀物(麦、米、トウモロコシなど主食となる穀物類)と主要な食料品(乳製品、肉類、そしてヤンの大好きな砂糖など)の価格を、話し合いの末で決定する、というところで妥協したよ」
「結局、ほとんど向こうのいいようにされてるじゃないですか……」
「いいや、そんなことはないだろう」
「じゃあ、どんな方法があるって言うんですか……」
 価格が決められてしまえば、何もできないではないか。
「別に、“全て”を決定した価格で売る、とは誰も言ってないんじゃないかな」
 アルステーデはまたしても寒気がした。ヤーには約束を守る、ということには徹底しているが、その約束には必ず抜け穴を作ってある。いつか、その同じ手をヤー自身が喰らわなければいいのだが……
「公定価格で流す分はちょっとにしといて、残りは裏で高く売っちゃう、というわけですか」
「そう。君も、歴史家になりたいなら、ただ単に約束を守るだけじゃない。その裏手を取る。それくらいの手腕は発揮してもらわないと」
 ヤーはすでにどうあれ社長の座を継がなくてはならない。もはや父親の余命も幾ばくもない状況なのだから。その重圧から、ヤーは逃げることはできない。
 それに代わって、自分は条件付きとはいえ、好きな道を選び取ることができる可能性はあるのだから、まだヤーより状況はマシと言える。しかし……
「う~ん……なんか納得できないですね」
「まあ、頑張ってくれたまえ」
「じゃあ、そのお菓子一個ください。そしたら納得します」
「……仕方ないな」
 名残惜しそうに箱を差し出した隙を、アルステーデは見逃さなかった。
 素早く残りのお菓子全て――といっても3つだけしか残ってなかったのだが――を奪うと、ヤーが驚愕する前に口の中に放り込んだ。
 幸せの味が口の中で広がった。
「……最後に気に入ったやつだけ残しておいたのに……」
 やれやれ、と首を振るヤー。
「しかし、そうやっておいしいところをかっさらって行く才能を見ると、案外君は歴史家よりも商人の方が向いていると思うんだけどな」
 ふん、何とでも言うがいい、私は自分の夢を成し遂げる……そう、社長の分もな!……と勝利の笑みを浮かべたのもつかの間、口の中に何か違和感があった。
 やけにヌチャヌチャの食感、ゴリゴリした感触……何だろうか……?
「ふふふ……」
「何笑ってんですか」
「いや、まあ、そう来ると思ってたんだよね……」
「……!?」
 悪寒が、その時アルステーデの中を駆け巡った。同時に、ヤーの笑みの意味を理解して、すぐさま口の中のお菓子だったものを、少々汚いが皿の上に戻した。
 皿の上には、噛み砕かれた芋虫とバッタと蜂が、チョコレートの中をバラバラ死体になって漂っていた。
「ウゲェェッェェ!!」
「おやおや、食べ物を粗末にしてはいけないよ」
「謀りやがったな……」
 高級お菓子の中に、いくつか北部のお菓子を混ぜておいた。それは虫をチョコで包んだものだった。ヤーはすり替えたそれを、お気に入りで残しているかのように見せかけていたのだ。
「せめて一つにすべきだった。欲をかいて完璧な勝利を目指すと、逆に足をすくわれるという、副社長からの訓示だと受け取っておいてくれたまえ」
 もはや、アルステーデ何も言い返すことができず、ただ紅茶を飲んで口の中を洗い流すことしかできなかった……


 その後、新聞では甲国の空中戦艦がSHWのヤー艦隊に破壊されたことが報道された。SHWはこれによって、間もなく亜国(アルフヘイム)とも中立不可侵条約を締結することに成功。
 SHWは二つの中立条約を利用して、大国間の戦争の影で、裏の経済を牛耳る準備を進めていくことになるのである……