戦場の刃

 その頃、甲国聖都ユグドラシル――
 その中心にある、巨大なミスリルコンクリートで塗り固められたヴァルハラ宮殿……ここへ向かって、舗装された高速道路が網のように張り巡らされていた。すべて旧文明時代の産物に、その時々の領主が化粧直しを施して使い続けてきたものだ。すでに当初の建造物は遥か地中深くの地層に埋もれてしまっている。
 むろん、その上にいる彼らにそんなことは知り様もないのだが……
 とにかく、この広壮で冷たい墓のような建物の一室で、エントヴァイエンの敗戦を問う査問会が開かれていた。
 当のエントヴァイエン本人にとっては、査問会というより弾劾裁判にしか思えなかった。しかし、暫定皇帝後継者である皇太子である。さすがのクノッヘンも弾劾裁判は承諾しなかったのだろう。それに、痛い損害とは言え、軍全体が敗北にまで追い込まれたのではない。一つの戦闘で負けたに過ぎないと言えば、そうなる……
 ゲル・グリップはそこまで考えて苦笑した。自分が同じ失敗をしたなら、どうなっていただろうか。そもそも、戦場では敗北=死に至る行軍でしかない。惨敗を喫して、生きておめおめ帰ってくるなど、皇位継承者としてはよくても、軍人としては失格だろう。
 ゲルの独眼が、過去の戦場の風景を見た。まだ、両目があった時の最後の思い出だ……
 敵軍の流れ弾が右目に当たり、軍用車の上で指揮をとっていた自分は、地面に放り出された。幸いだったのは、眼底骨に当たって弾が運よくとどまってくれたことだ。弾が入った状態のまま、ゲルは指揮を取り続け、そして勝った。今でも、勝利と共にその銃弾は目の中にある。
 その頃のゲルはまだ小隊長クラスだったが、最も攻撃の激しいところを潜り抜け、敵陣地への突破口を開くことに成功した。
 それが、勝利の決定打となった。あとは本軍が次々と雪崩れ込み、戦意を喪失した敵は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
 右目は失った。しかし、得たものがあった。具体的に形になるものではないが、何か、決定的な何か。
 同じ鉄でも、焼き入れと冷却を繰り返すことで、鉄はより強靭でしなやかな刃になる。
 ゲルの身に起こったことも、それと同じだった。ただの鉄だったゲルは、戦場で強靭な刃につくり変えられた。しかし、片目になったゲルが戦場を振り返った時、背後には夥しい鉄のままの失敗作が山積みになっていたのだが……
 カン! カン!
 木槌が振り下ろされ、査問会がついに始まった。
 査問会のメンバー。まずは皇太子たち。権力を恋人に持つ冷酷なロマンチストたち。
 一時期に比べて、また数が減ったようだが、それも仕方がない。皇帝もさすがに年だ。供給は途絶えがち、しかし政争で数は減る一方……孫世代も含めるともう少しいるだろうが、孫世代はこの時点では若すぎた。
 皇太子たちの中で一番眼光鋭い刃はユリウス皇太子だろうか。最近では英明との評判も高い。初陣で勲功を立てた。その次の戦場でも、さらに勲功を上げた。大規模な兵力はまだ任されていないし、戦場経験も若さゆえに不足気味だが、才能は十分に思えた。
 まだ二十歳にもなっていないはずだが、長子のエントヴァイエンとは、かなりの年齢差があった。間にはもっとたくさんの兄弟がいたのだが、彼らはすべて戦争や政争での暗殺で死んでしまった。特に、三男はクノッヘンが敗走して来た時、自らが乗っていたプレーリードラゴンにクノッヘンを乗せて逃がした。その後、三男ケンプファーは戦死し、父クノッヘンによって、天上のヴァルハラで永遠の名誉と生命を与えられた。
 今の皇太子たちに、そんなケンプファーのような面影は見られない。死んだ奴は、みんな有能か、そうでないにしても常識人だった。残ったのは、ほとんどみんなカスばっかりだ。
 そして次に、軍の上級将官。建国の礎たるホロヴィズを筆頭に、様々な面々が顔を並べるが、今一つピンと来なかった。というのも、地方領主たちはそれぞれの領国統治に忙しいので、こんな身内の恥をほじくる会に出てくる暇などないし、皇室だって呼びたくもないだろう。ヴァイデン候には来てもらいたかったが、まあ恐らく今度のエントヴァイエンの失策には、自分と同じ意見だろう。
 要するに、凡庸な指揮官が目先の功績目当てに突っ走って、えらい目にあった、ということだ。
 空軍のゼット伯、海軍もいない。
 中央陸軍だけ、つまりあとはホロヴィズの身内だけが集まった感じなので、一つ物足りない感がするのは仕方がない。ここでゲルが思う“物足りない”とは、メンツの階級や地位ではなく、実力のことを指している。
 「それでは、査問会を始める」
 クノッヘンが宣った。かつてはその声で国民を扇動し、湧かせたが、さすがに年なのだろう。声も幾分衰えた感じがする。
 まずは当時の状況、敗戦の損害が読み上げられた。
 これは、もはやゲルには分かり切っていることだが、改めて聞くと被害の大きさに愕然とせざるを得ない。3万人で、それも完全武装で、先のカルヴァリーとの戦いでほぼ不戦勝とはいえ士気も高い軍隊で――しかし、本当の驚愕はそこではない。
 クノッヘンが木槌を振り下ろすと、今度は部屋が暗くなった。そして白い幕に写真が写った。
 敗走してきた軍用車両。しかし、それにはミスリルの矢が至る所に突き立っており、ハリネズミのような格好になっていた。よくぞこれだけ矢が刺さっても走れるものだと感心した。
 ホロヴィズが仮面の下からくぐもった声で言う。
「見てもらって分かると思うが、敵の装備は主に弓矢だ」
 弓矢――その単語が強調された時、皇太子席からクスクスと笑いのさざ波が立った。
 カン!カン!
 今度は部屋が明るくなった。中央に、弓を持ったホロヴィズが立っていた。
「誰か、あの弓を引いてみろ」
 クノッヘンが呼びかけたが、誰も答えなかった。意味を把握しかねたからだ。
「誰かいないか」
 ユリウスがすっと立ち上がった。おそらく、この中で一番体力に優れた者だろう。
 ユリウスはホロヴィズから弓を受け取ると、弦に指をかけ、思いっきり引いた――ように見えるのだが、弓弦が全く動かないため、はたから見るとパントマイムでも見ているような気になる。
 皇太子たちは、今度は笑わなかった。歯を食いしばり、青筋を浮かべているユリウスの表情をみれば、まぎれもなく渾身の力を込めて弓弦を引いているのが分かるからだ。
「分かったか? これはエルフどもが使っていたミスリルの弓だ。通称、“音速弓”と呼ばれておるそうだ」とクノッヘン。
「さようです」とホロヴィズ。
 さらに説明を続ける。
「正確には、これはまだ骨大陸にエルフがいたときのもの。今回、皆様に見てもらうために、博物館から借りて参りました」
 それでも十分な威力だった。ちなみに、この博物館の骨董品より、今回の戦いで使われた弓はさらに進歩しているはずだ。
「説明しますと、弓の本体は魔獣の角から削りだされたもの。硬度と柔軟性に優れたシロモノです。逆方向に削りだしたものを、逆方向にたわめて弦を張るのです。当然、弦も純ミスリル製の魔造鍛錬された金属繊維でできており、柔軟性、剛性に優れております。人の首にこの弦を引っかけてエルフの力で引っ張れば、簡単に飛ばせるくらいの強さを有します」
 ホロヴィズはエルフの武器の性能を、特に何の感慨も込めずに語った。
 その名の通り、この剛弓は初速マッハ1~2の速度(ちなみに通常の弓は、速くても時速200キロ程度である)で矢を打ち出す。その飛距離は数キロに及ぶ。
「しかし、近代兵器の射程はもっと長いのではないでしょうか」
 皇太子の一人がそういった。彼らには、エントヴァイエンをかばってやろうとする気さえない。まだ前線へ突進して、命の危険をさらす覚悟のあるエントヴァイエンの方が、遥かにマシにゲルは思えた。
 エントヴァイエンが話した内容はこうだった。
 まず、射程で上回るのは車載砲と戦車砲だが、これらは道に仕掛けられた落とし穴(ここでまたしても失笑が沸き起こった)によって足を取られて、一時的に機能の半ばを失った。原始的な罠だが、それゆえに効果も十分だ。敵も最初から落とし穴で決着をつける気もない。ようするに大砲の足を止めればいいのだ。
 そこへ降り注いだのが、爆破機雷石を矢じりにした、先の音速弓だった。威力は手榴弾くらいと見られている。射程や速度は機雷石が通常の矢じりより重いのでやや落ちるが、それでも落とし穴で一時混乱した相手には十分突き刺さった。
 それも一発二発ではない。雨だれのように降り注いだ。
 先頭の兵士たちは、何が何やらわからずに死んでいったに違いない。わずかな生き残りも、その後周囲から湧いて来たオークたちの集団に奇襲を受けた。オークの使う弓は、人間でも引ける弓のレベルだが、それでも張力80キロを誇る。人間なら引くこと困難な弓も、人間以上の力を誇るオークならもっと容易に引けた。
 弓、と言ってもバカにできない。確かに、連射能力と射程は銃に遥かに劣る。
 しかし距離は罠や奇襲で縮まっている。連射能力は集団での数によって補う。恐らく100人一組の体制で、有機的に動きながら的確に生き残った兵士たちに矢の雨を降らせていた。このオーク兵の総計は、およそ1万程度と見られる。
 生き残ったわずかな兵士たちは、組織的抵抗すらできないまま、次々と矢ダルマと化していった。
 先頭集団が片付くと、エルフの爆破の矢嵐はその後ろ、その後ろ、と次々に降り注いでいった。敵の射程距離の長い砲門だけを狙って的確に射撃し、無効化していく。固定砲台ではないため、“足”をやられれば動かしようもない。さらに混乱を見計らって、オークたちは矢の雨を降らせる。さらに混乱していく兵士たち。砲手たちにもそれが伝播し、爆破矢によって足を失った砲は次々と乗り捨てられていく。
 エントヴァイエンは強調した。この時点で、自らの無謀を悟って退却の命令を出した、と。
 皇太子たちから批難の声が上がった。
 曰く「自分だけ助かろうとしたのではないか」
 曰く「将兵を捨てたことを体よく言いつくろっているだけではないのか」
 ………
 やはり、身内だけにしておいてよかったな、とゲルは思った。他の将校たちも苦笑いしながら皇太子たちの足の引っ張り合いを眺めているもの多数であった。
 カン! カン!
 クノッヘンのささやかな“いかづち”によって、全員が静かになった。
「それから?」
「それからは……敗走する軍団をまとめながら退却しているところを、南部の軍どもがまた現れ――
「要するに、それだけ偵察も怠って敵地深くに侵入していた、ということか」
 しばらくの沈黙があったが、エントヴァイエンは父に向かって何とか言った。
「はい、そうです。言い訳のしようもございません……」
「しかも、出陣前のホロヴィズたち配下の制止もお前は無視した……」
「はい、そうです……」
 だんだんとエントヴァイエンの顔色が悪くなっていった。きっと護衛兵長ライオネルがいないことが不安で仕方ないのだろう。ライオネルは常に主人のエントヴァイエンに付き従っていた、鉄の忠誠心を誇る従者だ。ウルフェルト家のシェパードのように。
 当のライオネルは、エントヴァイエンをかばって重傷を負い、現在は帝国病院で入院中である。
「しかも最後には、その反対したホロヴィズたちの軍に助けてもらったそうだな」
 敵もホロヴィズの後詰を見て、深追いを避けた。それで何とか、エントヴァイエンはあの世への国境を越えずに済んだ。
「はい、間違いありません……」
 クノッヘンはしばらくの間、うなっていた。最後に、結論を出した。
「お前の軍権を二段階下げる。以後は大将として一軍を率いるように」
 上級大将のホロヴィズよりも下だ。(総大将→上級大将→大将)
「ただ負けただけなら、まだ救いはある。今回の敵は強すぎたからな。
 しかし、お前のやったことは、親のワシから見ても器量に欠ける行いだったぞ。部下の正しい進言がありながら、自らの功名心を押さえられずに、それを採用できなかったこと。これは軍人として、政治家として、致命的な欠陥だからだ……」
 エントヴァイエンは黙ってうつむくしかなかった。
 それを眺める皇太子たち……次の総大将の座を狙う者たち。
 ゲルは思った。この人数が、またしても少なくなるのだろうかと。
 最後に生き残るのは誰か。おそらくユリウス皇子あたりが妥当なところだろうが、どうなるかその時まで分からない。
 カン! カン! カン!
 心もち強い木槌の音。査問会はそれで閉幕となった。
 うなだれるエントヴァイエンに誰も何の興味もなく、全員がぞろぞろと部屋を出ていった。
 帰りの廊下で歩いている途中、残ったエントヴァイエンについてゲルは考えていた。
 今回の降格はエントヴァイエンにとって痛いだろうが、何もすべての希望が絶たれた訳ではない。心を入れ替えて頑張るなら――まあ、それができるなら最初からこんな事態を招くこともなかっただろうが――まだまだ名誉挽回のチャンスはある。
 エントヴァイエンという鉄はまだ折れていない。刃に変わるチャンスはあるはずだ。
 その時どんな刃に変貌するのか。
 それとも鉄のまま終わるのか。
 ゲルの目に、振り返った時の戦場の光景が浮かんだ。
 どちらにしても、軍神は無慈悲だ。敵にしろ、味方にしろ、大量の血が流されるだろう。そして、刃はさらに多くの血を求めて次の戦場をさまようだろう……
sage