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ミシュガルド:甲皇国航空戦史
The Trench

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「我々は戦い続け…そして死ぬのだ!水中で、水上で、地下で、地上で…そして空中でだ!」

伯爵はそう手記に書き殴った。




泥土の中で甲皇国第7次アルフヘイム遠征軍の進軍は完全に停止していた…このままでは恐らく再び内陸侵攻への橋頭堡を築く間も無く徹底することになるだろう…



 アルフヘイムの領海に広く水中王国を築く人魚族が彼らの第一の壁だった…
 
 今回も海溝に潜む人魚族の魔導師ごと彼らの作る魔導防壁を爆砕する為に決死隊の潜水艇が潜行し、ほとんどはやはり目標にたどり着く前に撃沈され、行方不明になり、事故を起こして逃げ場の無い死を遂げ、残りは目標を達することでやや無駄ではない死を迎え、任務の達成にしろ失敗にしろ奇跡に救われた者だけが帰還した…
 
 こうして海上の魔導防壁に幾つか穴が開くが、このままでは人魚族の領海の奥に控置された予備の魔導師が防壁を再建してしまう…そこで何時ものように戦列艦隊の出番である…
 
 戦列艦隊を指揮する提督の決断に基づき、戦列艦が魔導防壁の効力圏ギリギリまで接近し、ありったけの砲弾を魔導防壁に打ち込む…砲撃箇所はあらかじめ決められた箇所と、潜水艇による破壊や敵の修復作業の具合を見て決められた箇所がある…これによって魔導防壁の修復作業は各海上点に分散し、破砕された箇所は押し広げられ、また新たな破口が作られる…この間空軍は飛行船に搭載された空間波動検知器…と言い換えられた実質の魔導防壁検知器…で魔導防壁の破壊状況を逐一観測し、海軍提督の連絡将校に報告し…こうした複雑な作業の計画と処理は参謀時代のペリソン提督が得意としたものだった…そして敵の逆襲に備える…
 
 空軍はいまや確立した地位を築いていた…無論、敵空軍の阻止攻撃に備えて艦隊にエア・カバーを提供するのをはじめ、海軍との連携は欠かせない任務であるが、一時の海軍との統合論は初の戦闘飛行船であるZ1号の進空、そして甲皇国領に密かに上陸した敵特殊部隊を高速な飛行船の集中により空軍単独で壊滅させた事件で完全に鳴りを潜めていた…敵兵も魔導防壁が突破されるのを黙って見ている訳ではない…
 
 海上を長駆して艦隊に接近する、数十人の竜人からなるアルフヘイム空軍の攻撃隊が、艦隊上空の甲皇国飛行船からの迎撃を避けて海面スレスレまで舞い降りる…上空監視に当たっていた目ざとい飛行船乗組員達はこれを発見するが、降下速度で劣る飛行船はこれに追いつけない…だが低空に控えていた別の戦闘飛行船が急行して要撃し、一大空戦が巻き起こる…空中戦を想定して設計された戦闘飛行船はプロペラとマストの羽ばたき翼により竜人に匹敵する水平速度で迫り、船首に搭載された、船首プロペラを貫通して射撃できる同調機構を備えた速射砲を発射する…竜人は発射の閃光を感じるや、尾を振って身体を横滑りさせ、空中で弾道を修正するための発光剤で光の帯のようになった弾丸を難なくかわし、さらに追撃を振り払うため急旋回する…だが、これによって艦隊への直線コースからは引き離されてしまう…戦闘飛行船は旋回半径を抑えるためプロペラの回転数を落とし、舵を目一杯に切り、マストの羽ばたき翼を傾斜させて竜人を追う…同志を救うためもう一人の竜人が宙返りで追撃する戦闘飛行船の船尾に付き、続けざまに高速な火球を放ってその船体を炎上させようとするものの、その攻撃は降下してきた戦闘飛行船が放つ横合いからの見越し射撃によって中断を余儀なくされる…
 
 こうした空戦を潜り抜けたわずかなアルフヘイム空軍攻撃隊も艦隊からの対空射撃で退けられる一方、水中から人魚族の戦士が大挙して押し寄せ、船底を爆破し、帆索に火をかけ、銛を振るって甲板の乗員を殺傷する…水兵達も甲板で、また舟艇を繰り出して舷側に取り付けられた防御用速射砲を浴びせ、爆雷を落とし、カトラスを振るって応戦する…ある者など漁網を打って敵兵を絡め取ろうとし、たちまち水中ナイフで網ごと切り裂かれるが、その間にも絡め取られた人魚達が速射砲の散弾でなぎ倒されるものの、残った者は水中銃の一斉発射で応戦し、舷側にいた者達をピンクッションにしてしまう…だが敵海軍の反撃を封じる一番の手は艦隊から遠く離れた海上点で、飛行船が吊下式水中聴音機、あるいは航跡の視認で水中の敵を発見し、航空爆雷や速射砲で戦力の集中を妨害することである…
 
 事前の綿密な航空偵察…水中を含む敵の領内で密かに拉致された捕虜の拷問…さらには敵中のスパイからうわさ話、中立国に対する広報に至るまでの情報分析…人員はもとより戦列艦から飲用の真水に至るまで必要資材の調達・維持・配分・輸送・使用量の管理…そして予定戦場の選定とそこに到達するタイミングの調整…それに対応可能な部隊の戦術・戦闘訓練…以上に加え様々な複雑・不確定な雑事が計画され、指揮官の承認を得、実行され…結果として攻勢の初期段階は必要経費と成果のバランスは往々にして変化するもののまず成功し、戦列艦隊に先導された兵員とその必要物資を満載した輸送船団が大洋の真ん中に開けられた魔導防壁の破断孔になだれ込む…

     





 伯爵は野戦病院に居た。
 爵位にも遠慮して乏しい医療品が優先して割り当てられたが、伯爵は尊大な印象を与えぬよう一般負傷兵達にこそそれらを与えるよう命じる。もっとも、伯爵は貴族の常でむしろ世話を受けることには慣れていたし、負傷の程度も決して軽くはなかった。
 天幕を張っただけの薄暗い病室で、周囲の音を遮る物は殆ど無かった。腐敗臭に薬品の匂いの混ざった甘ったるい臭気の中、伯爵は鎮痛剤で朦朧とした頭で騒音に耳を澄ませていた。
 天幕の外では一人の陸軍将校がいつ果てるともなく盛んに演説していた。
 名前をホロヴィズと言い、軍部・政界に広く影響力を残す丙家一門の筆頭で、前線視察中に民間人から顔に毒液を掛けられたという話を聞いたが、実際に顔は見ていない。
 演説は同じ内容を様々な表現を駆使しつつも繰り返し述べていたため、最初は殆ど聞き取れなかったものの単語を繋いで行くうちに次第に内容が掴めて来た。どうやら捕虜にした亜人達を全部屠殺解体してその肉を食料の足しにすることを主張しているようだった。
 合理的だな、と伯爵は思った。そうでなくても捕虜はほとんどその場で処刑され、残った者も鉄条網で周囲を囲っただけの収容施設で、兵食のわずかな残飯を投げ与えられて生き延びている状態だった。
 皇国軍の前線では医療品のみならず武器弾薬、被服、食料さえ尽きかけていた。とはいえ、民間の食料価格の高騰が止まらない一方で、本国の軍需倉庫には集積された食肉が、輸送先も決まらぬままウジがわくに任せているとも聞く。
 海軍経理学校の教育が悪いせいだ。もっと有能な補給担当者が必要だな…と伯爵は漠然とした頭でそう思った。
 演説はさらにニーテリア世界からの亜人の根絶を主張していた。確かに亜人が根絶されれば、この戦争も終わるだろう。だがどうやって?
 開戦から十年以上が過ぎても、我々は大洋という巨大な堀と、魔導防壁という厄介な盾に阻まれて、チェスで言うステイルメイトに陥っている。
 経済の生命線たるスーパーハローワーク商業連合を始めとする中立国や影響下の属国との通商路を確保し、また相手のそれを断ち切るために海上と空中で行われる不断のパトロールと襲撃は、これまでも何度か大規模な空海戦に発展しており、互いに多大な出血を強いて長期的には相手を失血死に陥らせる可能性はあるものの、大陸そのものを本土として持つ両国には当分は決定打とはならないだろう。
 また、陸軍の面目を保つためだけに行われるとも言われる、今回で7次にもなる散発的な敵本土に対する遠征は、その度に陸海空三軍の莫大な資源が投入され、さらには、かつてない戦場の様相に対応するべく、多大な犠牲を払う試行錯誤によって考案された各種戦法も洗練の極みに達しつつあるにも関わらず、いずれも跳ね返され、今回もそうなる可能性が高い。
 戦争はまさしく一種の血みどろの屠殺場だが、敵味方が互いの家畜を一頭ずつ屠っていった時、最後に残るのはどちらか?
 人口の伸び率が減少しつつある我が国ではあるまい。

 演説は的を射ない抽象的な表現を展開したり、『古代ミシュガルド史』などから引用したらしい怪しげな「真実」を根拠に出していたりしていたが、全体としての印象は、冗談めいた親しみやすさと激しい攻撃性を使い分け、感情において人の心を掴み、理論での容易い反論を許さないものだった。
 物質主義で鳴らした我が軍も、ジリ貧になれば舌先三寸に頼らざるを得ないわけか。
 伯爵は天幕の天井をぼんやりと見つめていた目を閉じた。

 まぶたの裏に甲皇国陸軍部隊が隊列を揃えて草原を行進するさまを空からながめる様子が目に浮かんだ。
 甲皇国第7次アルフヘイム遠征軍は海溝上の戦いの後、さしたる反撃を受けずアルフヘイム大陸沿岸に上陸していた。




     

 *
 伯爵の飛行隊は海岸近くに仮設した前線航空基地に着陸しようとしていた。
 そのすぐ横で、陸軍部隊がまさに集結しつつある敵に攻撃を掛けるため出発しようとしていた。飛行隊の戦闘飛行船が空中で斜面を下るように地面近くまで降下して行き無事に着陸、それを牽引して係留する為に空軍地上要員が駆け寄る。
 そして何隻かの飛行船が地上に降り立ったころ、近くに広がる森から轟音が響いた。一瞬真っ赤に輝く火の玉が舞い上がったかと思うと、真っ直ぐ基地の周辺に突っ込んで爆発する。爆風で陸軍兵が空中に吹っ飛ぶのが見えた。魔法による攻撃、恐らく火属性を付与された攻城弩だった。初弾の命中に続いて、続けざまに火の玉が舞い上がった。伯爵は全飛行隊に空中に退避するよう命じる。地上の空軍兵も轟音を立てて降り注ぐ火の矢から逃れようとてんでばらばらに走った。だが陸兵達は逃げようとしない。攻撃で乱れた隊列を立て直し、なおも前進する。
 伯爵はそれを見て旗旒信号で空中の飛行隊に攻撃開始、我に続けを指示し、森の中の発射地点に向かう。だが、そこに魔導防壁が展開される。すでに内陸から防壁魔導師が進出して来ているらしかった。
「防壁魔導を艦砲に瞬殺される水際に置かなくなっただけエルフ共も知恵を付けたな」
 伯爵はそう嘯くと、搭乗している飛行船に地上に対する最大火力が発揮できる体勢を取らせ、全火器の発射を命じる。飛行隊の各飛行船もそれに続くはずだった。急造の魔導防壁なら飛行船の速射砲でも破壊できる可能がある。途端に空中を弾丸の唸りと閃光が覆う。
 そしておよそ一分が経過…ほとんどの飛行船で火器が過熱と弾薬不足で沈黙する。
 目測でも空間波動検知器でも破壊の兆候なし…予想外に強力だ…伯爵は思わず顔をしかめる。すると森の中から再び火の玉が舞い上がる。高仰角で上空の飛行船を狙っているのは確かだった。
 伯爵は攻撃の失敗に怒りを覚えつつ飛行隊に反転退避を命じる。基地への帰り際、尚も前進する陸軍部隊の上空を通りかかる。伯爵は苛立たしげに紙に文書をしたためると、目印の布を付けた通信筒にそれを入れて投下した。地上の指揮官がそれを拾い上げて手紙を読む。それにはこう書かれているはずだった。
 敵は強力な魔導防壁を展開中!速射砲による航空攻撃は効果なし!攻撃を即刻中止し艦砲または爆撃による支援を待たれたし!
 ゴーグルを付けた伯爵の目の端で、地上の指揮官が鼻で笑って手紙を破り捨てるのが見えたように思えた。伯爵が振り返って再び地上を見ると、陸軍部隊は前進を再開していた。

 伯爵が帰還した時、敵の魔法のミサイルはなおも航空基地に降り注いでいた。甲皇国軍の攻撃でいくらか照準が乱れたらしく着弾はまばらになっていたが、飛行隊はその間をぬって着陸し、補給・整備を行わざるを得なかった。炎魔法の爆発で地面が抉られ、所々で草が燃え広がっている。
自らも荷車を押して爆弾の積み込みを手伝いつつ、伯爵は五月雨式に再出撃の準備を終えた飛行船を発進させた。
「畜生め」
再び戦場の上空を訪れた伯爵は思わず誰にともなく罵声を吐いた。
突撃した陸軍部隊は魔導防壁に前進を阻まれた所を弓矢の集中射撃を浴びていた。地面をまばらに甲皇国兵の死体とまだ息のある負傷者が覆い、その数は森に近づくほど多くなっていた。生き残った皇国兵も地面に穴を掘って矢を避け、さらに戦闘工兵が塹壕を掘り進めて魔導防壁の下を抜けようとするが、地下に隠れた味方兵に対して、敵ドワーフ族の兵達がツルハシに似たマトックや、トマホークなどの戦斧を構えて突撃して逆襲しようとしてくる。さらに、照準を調整したマジックミサイルがなおも皇国軍戦列に落下し始めていた。
逆襲して来る敵兵に対し、飛行隊の飛行船は速射砲の掃射を浴びせ、魔導防壁に対してはそれとともに舷側から重量にして数キロもある爆弾を手で投げ落として破壊を試みていたが、敵の反撃は止まらない。
伯爵はそれを見て、戦闘続行の旗を掲げながら、搭乗する飛行船を海に向けて回頭させて叫んだ。
「艦砲無しでは陸兵は全滅する!海軍の旗艦につける!」

旗艦上の艦隊司令部では物資の積み下ろし作業と、周辺海域の人魚族からの襲撃への対応に追われていた。
その上空を巨大な影が覆う。空軍の飛行船がマストの羽ばたき翼によって風や重力の影響を打ち消し、旗艦の上空に静止した。そしてそのゴンドラから縄梯子が下ろされ、一人の小柄な人影がそれを伝って降りてくる。
思いがけない来訪者に対して反射的に砲を向けていた砲手がその人影に気付き、報告する。
「ゼット伯爵接近!」
 驚異的な集中力を保つ艦隊司令部の要員達がちらと上空を見上げる。
「私が対処しましょう。」
 一人の参謀が提督に対して行っていた人魚族迎撃の予備案の説明を切り上げ、甲板に降り立った伯爵に近づく。
 それを見るなり伯爵が言った。
「参謀殿、今こそ海軍の力が必要な時ですぞ!」
 伯爵の空軍式敬礼に参謀が海軍式敬礼で答える。
「ペリソンと申します。ゼット伯爵。失礼ながら手短にお願いします。時間も海軍の力も無限ではありませぬので。」
「ペリソン参謀。攻撃に向かった陸軍部隊が魔導防壁に篭った敵に釘付けになっております。艦砲射撃が必要です。ここで地上の敵魔導防壁を破壊しなければ攻撃の頓挫、ひいては陸兵の全滅につながります。詳細な座標はここに…」
「攻撃?陸軍が本格的な攻撃に出るなどとは聞いておりません。威力偵察程度のものではないのですか?」
「そうだとしても、敵の猛反撃を受けようと、手で地面を掘ってでも進むよう指導されているようです。実際にそうしている所を上空から見ました。」
「伯爵…申し上げにくいのですが、現在の艦隊への命令に、先行した陸軍部隊に対する攻撃支援は含まれておりません。陸軍主力とその必要物資の揚陸が最優先です。主力を待たず独断で攻撃を強行して部隊が全滅するのは陸軍の指揮官の責任です。その部隊の指揮官には攻撃の中止を打診なさらなかったのですか?」
「私もとめようとはしたのですが…」
「そうでしょうとも、伯爵。おかしな言い方ですが、ことここに至っては、戦争は開戦当初のようなあなたの個人的な冒険ではないのです。臆病者にしろ、血気にはやる者にしろ、またあなたのような貴族でも、私のような平民でも…作戦全体の調和を乱す者は見捨てられてしかるべきです。従った兵達には気の毒ですが…」
 参謀が生来の真面目さと冷静さでそう言い終えた時、上空に炸裂音が連続して響いた。艦隊の対空砲火。
 艦隊から離れて空の監視を行う対空ピケット任務の艦隊からの手旗信号を読み上げる声が響く。
「空襲!」「アルフヘイム空軍兵!その数およそ50!向かってくる!」
 艦隊の直掩に当たっていた飛行船が向かうが、その数は少ない。大部分は人魚族の迎撃に向かい、また他の一部は伯爵の飛行隊と同様、海岸の仮設基地で補給と整備を受けている所だった。
 それに気付いた伯爵はこう言い捨てるや踵を返して縄梯子に飛びついた。
「ペリソン参謀。どうやら私は個人的な冒険をせずにはおれぬことになっているようです。」
「ゼット伯爵!」
伯爵はさっと縄梯子をよじ登ると、飛行船に水上の旗艦を離れさせ、プロペラを回して対空砲火の飛び交う方向へと直進する。
 参謀はふと飛行船から甲板上に縄梯子が下ろされていた箇所を見下ろす。
「なるほど。敵空軍と我が艦隊の間に身を挺すことで貸しを作ったつもりか。」
 そこには甲皇国陸軍部隊とアルフヘイムの地上魔導防壁の座標が書かれた地図が落ちていた。
 ペリソン参謀はそれを拾い上げて一瞥すると、提督の所へ赴き、頭の中で陸上への長射程の艦砲射撃が実施できる状態の戦列艦を見繕いながらこう進言した。
「提督。バカ共の個人的な冒険に報いてやる必要があります。無論この空襲を乗り切った後の事ですが。」




     

  *
 伯爵は下に海だけが広がり、味方が存在しないのを見計らって、飛行船に搭載していた爆弾を全て投下させた。空戦に備えて重量を軽くし、少しでも速度を稼ぐためである。
 伯爵の搭乗船はZ1号のすぐ後、大洋上での空中戦が意識され始めたころのもので、当時としても旧式の部類であった。使い慣れていたので信号旗などを搭載し、飛行隊の「旗艦」としたが、魔法の向上や訓練によって開戦時から強化されていると見られるアルフヘイム空軍兵と渡り合うには、性能を十二分以上に発揮する必要があった。
「確かに奴等は四六時中滞空し、戦闘訓練を積んでいる。」
 空中での戦闘の勝敗は、空中での訓練時間が直結することが知られている。すなわち訓練、実戦を問わず飛行時間が短い飛行兵は死にやすく、長い者はその逆なのだ。そして今回の海上での航空戦の結果を伯爵も知らされていた。甲皇国空軍側が作戦目標を達成したにも関わらず、キルレシオ(敵味方が戦闘で殺害した人数の比率)は未だにアルフヘイム空軍側が上回っていた。
「だがそれはこちらも同じことだ。おまけにこちらは航空力学が頭脳に入っておる。」
 無論空戦中にいちいち流体方程式を計算尺で解きながら飛ぶわけではないのだが。
 アルフヘイム空軍は対空ピケット(監視線)任務に就いていた艦隊や迎撃飛行船とすでに交戦している筈だったが、姿が見えない。前方上空にいくつか大きな雲が浮かんでいて、敵はその上に隠れている可能性があった。
 伯爵は船首に仰角をとらせて上昇する。
 下手に雲上に上昇して行けば、坂道を登り切ったのと同じように速度が落ちた所で出会い頭を叩かれる危険はあったが、上昇が遅れれば恐らく頭上を素通りされるであろう。
 伯爵が雲に近づくにつれ、一つの点のように見えるものが背景から浮かび上がって次第に大きくなって来るのが見えた。
 味方の飛行船。
 そう直感した伯爵はその点に近づくよう操舵を調整する。
 それはどんどん高度を下げ、落下して来るようにも見えたが、制御されていない落下物が必ず陥る錐揉みにもならず、未だ浮力を保っているようだった。近づくにつれ、それはやはり味方の飛行船の形を成していく。
 恐らく不利と見て退避して来たのだろう、ここで押しとどめて戦闘空域に引き戻さねば。こちらが生き残るためにも…。
 だが、ランプの明滅で文章を伝える発光信号を送れる距離に近づき、相手がそれを受信できるか双眼鏡でマストの見張所や操縦室を見たとき、伯爵の表情が変わった。
 それがここまで真っ直ぐ降りてきたのは単なる偶然だった。その飛行船を操縦する者は誰も居なかったのだ。砲手やパイロットの居るべき場所にはおびただしい血痕だけが残り、船の装備は滅茶滅茶に破壊されていた。
 伯爵は、自分達も同様の運命を辿ることを告げる、その不吉な前触れが静かに降下して行くのを黙って見送るほか無かった。
 伯爵の乗る飛行船はやがて雲の高さに辿り着いた。完全に視界が塞がるのを避け、白い雲の表面を舐めるように伝ってさらに上昇する。そして。
「敵発見。9時の方向。同高度」
 マスト上の砲手からの報告が伝声管を伝わって来た。伯爵も左舷方向の雲の上に双眼鏡を向ける。居た。
 ざっと見ても二十人は下らない敵兵が艦隊の方に向かって飛んでいた。相手を発見はしたがこれからが一仕事だ。伯爵は死地に踏み込もうという一瞬、思案を巡らせる。時間は無限ではない。
 どうやら雲を回り込んで敵の背後に出たようだった。気付かれずに初撃を浴びせることができるかもしれない。ただ旧式飛行船では速度で追いつけない可能性もある。
 何という考えの無駄だ。出来ることは一つだけではないか。
 伯爵は飛行船の船首を敵に向け全速力を出させた。ゴンドラで舵を取りつつ傍らの速射砲に手をかけ、装填されていることを確認する。
 当時すでに空中戦で高速な敵を追尾して攻撃する時は、前方に砲を固定し、船体を操縦しているパイロットが、船首が敵に向いたことを判断して発射することで、最も素早くタイミングを逃さず攻撃出来ることが知られていた。それを想定した飛行船には、推力を得るのに欠かせない、回転する船首プロペラの羽根が砲口の前を通り過ぎた時のみ発射する同調機構を備えてでも、船首に複数の砲を設置していた。
 だが、伯爵の乗る旧式飛行船の前方に対する火力は、船体下部にぶら下がったゴンドラの、操縦席の横に設置された速射砲一門のみだった。
 アルフヘイム空軍兵達は襲撃のタイミングを計ってか、あるいは飛行といささかの戦闘に疲れてか、速度をかなり落としており、伯爵の飛行船はどんどん編隊に近づくことができた。
 罠か。
 再び一瞬訪れた躊躇を伯爵は振り払う。敵はすでに速射砲の射程内だった。後方を見る者は誰も居ない。激しい空気の流れを突っ切る中で飛行船の音を聞き取るのはさらに困難である。伯爵は編隊の中の一人に狙いを定め、舵を微妙に操って照準する。伯爵の頭の中で砲弾の射線と敵の未来位置が合致する。発射。
 速射砲が咆哮した。相対速度から地上で見るよりゆっくりと見える砲弾が雲を引いて敵
に飛ぶ。命中。砲弾が竜人の鱗を貫き、肉を弾けさせ、空中に霞のように血や他の体組織が飛び散った。
 そして標的は飛ぶ力を失い、依然として進行する編隊と飛行船から引き離され、真っ逆さまに墜落する。
 伯爵には快哉を叫ぶ間も無い。空中での殺し合いに突入した。気付かれる前に先に一人でも多く殺す必要がある。こちらが殺される前に。
 飛行船はなおも全速力で編隊に追いすがっている。
 さらに射撃を加え、一人の翼を貫くが、射殺には至らない。その兵が甲高く叫ぶ。それと編隊の中を飛ぶ砲弾に気付き、アルフヘイム空軍兵達は散開する。
「来るか」
 バラバラの方向に旋回することで空中に散開した戦士達が、旋回中に伯爵の飛行船を見つけて反転して向かってくる。伯爵は咄嗟に散り散りになった敵の中で比較的固まった集団を選び、そこに向かって突進する。
 正面衝突の形ではすれ違うまでに攻撃できる時間も短い。竜人達は一斉に火を噴く。伯爵も全く回避機動をとらず、速射砲を発射する。
 竜人の放った火球が横殴りの雨のように飛行船の周りを通り過ぎる。速射砲の砲弾が竜人の一人の頭を吹き飛ばしたのも見えたが、飛行船の羽ばたき翼の一つが火球で炎上したことも伝声管で知らされる。
 すれ違いざまに竜人達が爪や牙で船体に攻撃を仕掛け、立て続けに打撃音が響くが、高速のため不用意に仕掛ければ竜人達も無事では済まない。伯爵の居るゴンドラに攻撃を掛けようと爪を振り上げた一人が、船首プロペラで腕を弾き飛ばされるのを伯爵も見た。敵の群れを通り過ぎる間、マスト上の全方位に旋回できる速射砲も敵を近づけまいと撃ちまくった。
 敵より早く再攻撃を掛けようと、伯爵は思い切り舵を切る。旧式な船体の構造に負荷がかかって轟音が鳴り、乗員も船体の力に振り払われぬよう必死にしがみつく。伯爵は制御を失って錐揉みに陥る寸前までプロペラと舵と羽ばたき翼を細かく操作して急旋回を続ける。
 それにもかかわらず敵の方が素早くこちらに向き直り、旋回でぶん回される船尾に食いつこうと追いすがる。それに対してマスト上の旋回砲がさかんに射撃して妨害するが、急に射撃音が途切れる。
「見て来い」
 伯爵が爆弾を投棄して以来手持ち無沙汰になっていた爆撃手に命じる。
 爆撃手は急な機動に振り落とされそうになりながらもハシゴを登って浮力嚢で満たされた船体を突っ切り、上甲板に顔を出す。
 マスト上を見ると破壊された速射砲の横で、ベルトで固定された血まみれの肉塊が船体の運動に揺られて空中で振り回されていた。
「砲手戦死!」
 個人的な冒険の犠牲者か。
 伯爵は前方を飛び交う敵に反射的な射撃を繰り返しながら思った。
 その時、衝撃が彼を襲った。
 伯爵は意識する間も無く身体が勝手にゴンドラの床に叩きつけられるのを感じた。
咄嗟に起き上がろうとしたが、手の感覚が無い。身体を伝う温かみと濡れている感触を感じ、床に血の水溜りが出来ていることに気付いた。
 伯爵は片手が切断され、半身がごっそり吹き飛ばされて機械化した内臓が覗いていた。
「動け。死ぬぞ。」
 伯爵はそう自分に言い聞かせ、操縦装置にしがみついた。自分の身体と世界の全てが緩慢になった感じがした。
 飛行船を立て直そうと操縦装置を操作すると、風の音さえ掻き消す大音声が響いてきた。
「まだやる気かよチビ助!エルフ共よりは根性あるみたいだな!」
「戻れレドフィン!艦隊を叩くのが仕事だろ!」
「チッ、うっせえな…!じゃあな!なかなか愉しめたぜチビ!」
 周りを見回すと竜人達は消えていた。
 突破されたか。
「浮力嚢に火がついています!」
 なるほど。敵に捨て置かれるのももっともだ。
 飛行船が空中にとどまる浮力の大部分を支える浮力嚢が炎上してはこれ以上の飛行は無理だ。だが。
「落ち着け。まだ持つ」
 できるだけの消火を指示しつつ残ったプロペラと羽ばたき翼で何とか姿勢を制御する。高度はどんどん落ちていた。浮力嚢が爆発するまであとどの位だ?降下速度を抑えろ…。陸地までは無理そうだった。このままでは海面に衝突した衝撃で死ぬ…。浮力が減っている…。空中に服でも何でも突き出して船を減速させろ…。プロペラ停止…降下角が…まだ浮いているか?まだだ…もう荘園の納屋くらいの高さじゃないか?
 海面が目の前に迫り、船体はすでに火に覆われていた。
 衝撃。
 伯爵は操縦装置に叩きつけられる。奇跡的にそれは生き延びられる程度だった。
 水しぶきを感じた。着水。だがゴンドラの上には炎上し浮力を失った船体が覆い被さっていた。
 海に飛び込め…!
 そして船体が爆発した。

 海に浮かびながら、激痛に伯爵は気を失いかけた。だめだ。ここで失神しては死ぬ。最初痛みを感じなかったのは機械化した身体のせいでは無かったか。
 海上で伯爵と爆撃手が爆発で吹き飛ばされた羽ばたき翼にしがみ付いていた。すでに日が落ちかけ、海水の冷たさに拍車が掛かっていた。
 艦隊の方向から未だに爆音が響いていた。
 やるだけのことはやった。兵士として。「ノブレス・オブリージュ」か。飛行隊の指揮は放棄したが。いや飛行船乗りは兵卒一人ひとりが将校のようなものだ。奴らは上手くやっているはずだ。
 出血が止まらない。漂っている海面まで赤く染まっている。
 人魚族、いや野生の魚にでも襲われればすぐに死ねるだろうか。いや、まだ部下が居た。奴まで死なす訳には…。
 伯爵は失神して溺れかけたところを何とか爆撃手に引き上げられた。
 日没直前、敵の襲撃の危険にも関わらず捜索救難にあたっていた海軍のボートによって二人は救助された。艦隊は地上の魔道防壁への艦砲射撃を行っていた。
 ありがとうペリソン参謀。
 伯爵がそう直接言う機会は無かった。
 陸軍本隊の上陸と艦砲射撃にもかかわらず内陸への突破は成し遂げられなかった。魔道防壁は時がたつにつれ強化され、結局、独断専行したあの陸軍士官が突破出来なかった時点で全て終わっていた。彼は戦いの初日の内に戦死していた。
 砲爆撃と魔法で掘り返された地面に雨が降り、甲皇国陣地は泥沼と化した。
 空襲と水中からの攻撃で減らされた物資は過剰に集中した兵力にすぐ消費しつくされ、人魚族も勢力を盛り返して日に日に補給は難しくなっていった。
 そんな中、伯爵は飛行船で他の重傷者とともに本国に後送されることになった。
 飛行隊長の後任には空軍総司令部からジーン女伯爵がやって来た。この鋼鉄の処女になら困難な戦場を任せられるだろう。兵力を保った撤退という難しい任務も。
「頼むぞ。伯爵。」
「任せろ。伯爵。」
 担架に乗せられたまま残った方の手で敬礼する伯爵が、飛行船のランプドアを閉められて見えなくなるまで彼女は空軍式敬礼で見送った。
 皇国はすでに優に一世代を消尽させる人数を戦争で失っていた。
 なあに片手位なんだ。吾輩はもとから機械で生き延びている身体だ。必要なのは意志の力だけだ。いくさの形を変えるのには。
 それは次の世代が戦ういくさになるだろう。






       

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