Neetel Inside 文芸新都
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 17年前の僕が大学生だった頃、世間は浮き足立っていた。知っている人も多いと思う、1998年といえば、長野で冬季オリンピックが開催された年だ。さっきも言ったけど、僕は埼玉のほうの大学に通っていて、実家から遠いこともあったから、大学の近くの安アパートを借りて下宿していたんだ。位置的にも長野に近いこともあって、秋にもなると、しょっちゅうそれが話題を占めていたな。まぁ僕は貧乏学生で、金も遊ぶこともなかったせいか友達はいなかったから、話し相手といえば大学の講師か食堂のおばちゃんくらいだったけど。そのころの僕の生活は、ほぼ毎日といっていいほど研究室に篭って、色んな実験の繰り返しだった。俗世間なんておかまいなしって感じにね。今から思えばそのせいで友人ができなかったのもあるのかもしれないな。
 僕は頭の中が実験のことでいっぱいで、他のことにかまける余裕がなかった。食事といえば大学の学食。近いし、50円のかけうどんがあるのが気に入っていた。僕の生活サイクルは、朝早く大学に行き、夕方まで実験をして、時間が空くとかけうどんを食いにいき、これの繰り返しだった。今にして思えば本当に不摂生だよね。よくも一度も倒れなかったものだと思うよ。そんな生活を見かねたんだろうな、ある日僕のゼミの準教授がまだ漱石の紙幣を数枚出してこういったんだ「いつ倒れられて病人になられても僕は責任を持てない。でも後々僕に文句を言われても面倒だ。たまにはかけうどんではなく、外で栄養のあるものを食べてきなさい」ってね。良い先生だったよ。ちなみに彼は今何かの論文が評価されて、けっこう出世したみたいだ。それはさておき、数枚のお札を渡された僕は困った。何せそこいらの地理を全然知らなかったんだ。今みたいにスマートフォンでもあれば良かったんだけど、当時はまだウィンドウズ98が出たばっかりの時代だ。篭りっきりだったしね、精々わかるのは駅前のコンビニエンスストア。お金をそのまま僕の財布の肥やしにすることも考えたけど、そんなのは僕の美学に反するからね。まぁとりあえずふらつく足取りで大学の外に出たよ。
 さて、適当な繁華街に着くと、目の前には多種多様な飲食店が広がっていた。日本食、中華、コリアン、フランス、ロシア、インドタイエスニック。挙げればきりがない数の料理店は僕を悩ませた。正直食えればどこでもよかったんだけど、教授には栄養のあるものを食えと言われたからね。でも貧乏学生の僕はどこが栄養上体にいいのかなんてさっぱりだった。和食がそれに関していいイメージはあるけど少し金額的に心もとない。ならこの中で僕が唯一食べたことのある料理を選ぶことにした。
 日本国民になじみの深い、中華だ。中華といえば炒飯餃子春巻き麻婆茄子、八宝菜にレバニラ炒めと聞いてるだけで腹が減るようなものばかりだものね。健康にどうかはわからないけど多量にカロリーを摂取するという意味ではベスト選択だと思えた。やせっぽちだった僕にはぴったりだろ。
 そんなわけで僕は数百メートル先にある中華料理屋に入った。ちなみにその中華料理屋の名前がわかるかな。みんな知ってるはずだよ。豚肉一日7000キロ、卵一日5万個、鶏肉3000キロ、餃子一日百万個。もうわかったよね。
 そう、万里を越えるあそこさ。

       

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