Neetel Inside 文芸新都
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 店の扉を潜ると、勢いのいい出迎えの声がいくつか飛んできた。店はかなりすいていて、それと比例してか従業員の数も少なかったよ。まだ夜というには空も明るかったしね。厨房のほうからそそくさと女の子が出てきて、僕の接客にまわった。だけどその子の接客は、接客というにはあまりにも、その、無愛想だったんだ。何も言わず、彼女はカウンターのほうを指差した。どうやら彼女のなりの、そこにお座りくださいってサインらしい。少しムッとしなくもなかったけれど、別にカウンターで構わなかったし、その通りにしたよ。
テーブルの手前には簡素なメニュー表があって、金はあったから、その中から適当に色々頼もうと思った。向かい側の厨房では、重そうな中華なべをリズム良く振っている中年がいたから、彼に向けて数品目の名前を飛ばした。返事とばかりに油と火が弾け合う、良い音がしたな。
しばらくすると店員が料理をお盆に運んできた。さっきの女の子だった。あいも変わらない無愛想な表情で料理を僕の前に置いていった。また去っていく彼女の後姿を見つめていたら、厨房の中年がいった「悪いねお客さん」。ひどく聞き取りにくい発音で、それは彼の中国訛りなのだと顔を見たらなんとなく分かったよ。「あいつは口がきけなくてね」そう言った後、彼が女の子のほうに目をやった。たぶん聞こえていたんだろうな、申し訳なさそうな顔で彼女がこちらの会話を節目がちに見ていたよ。
後で調べたことなんだけど、どうやら彼女は高校時代のいじめが原因のストレスで重度の発話障害にかかっていたそうだ。その学校を中退してしばらく引き篭もりになっていたらしいんだけど、ご両親の知り合いだったそこの店の店主が心配して、社会復帰のためにも店員として雇ってあげたらしい。ちなみにこのときの中年男性が店主。親切な人だよね。
僕は彼女に強烈な興味を抱いた。知的好奇心といったほうが正しいかな、20年目に入った人生の中でも、僕のそれまでの周囲の人間には彼女のような障害を持つ人間はいなかったし、それに、これは不合理な理由なんだけど、何故か彼女に惹きつけられるような感じがしたんだ。何ていえばいいのかな、よく初対面の人物に会ったとき、ビビッとくるなどという言葉があるよね。今から思えばそれの現象に近いものだったんだろうと思う。それからはふんわりした湯気をたてるレバニラ炒めや、餃子や炒飯なんかを口いっぱいに頬張りながら、彼女の動きを観察していたよ。
結局店内にいたのは僅か数十分余りの時間で、ちょうど空が葡萄色に染まった頃だったよ。入れ違いに店の中に入っていく人々を尻目に、僕は頭上の空を見上げながら、懐の銭勘定をしていた。まだお金には余裕があるってわかったとき、僕は大学には戻らず、そのまま自宅への帰路へついた。まだ研究室でやることは多いにあったんだけど、その時の僕は精神と、丹念に体の内臓全体に高揚感を纏っていて、研究どころじゃなかったんだな。
翌日から僕は彼女を観察することに決めた。これがストーキングの始まりさ、この頃は自覚はなかったけどね。ご飯も店が開いている昼と夜に摂ることにしたよ。正直なところ、食堂のかけうどんにもいい加減飽き飽きしていたんだ。

       

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