景気がいいからケーキがいいな

「さみい」
 誰もいない店の前で黙々と待ち続けること、早20分。立っているのに疲れたので、なぜか外に設けられているイスに腰掛けた。おそらく、ここで買ったものを外で食べる人がいるからなのだろう。他にもいくつかテーブルがあった。とはいえ、この時期に外で食べようなんて思う人はいないだろう。寒すぎるもの。帰ってから食べるわ。まあ、ここで食べてしまった方が、崩れたりする心配がないからいいのかもしれないが。
 車の通りは少ない。みんな今年はひきこもり気味なのか、もっと早い時間帯に家を出てしまっているのか、あるいはそもそもこの道路があまり利用されていないのかはわからないが、とにかくこの寂しさは、俺以外に人もいなけりゃ車もないことが原因なのははっきりしている。
 はたして、こんなに早くに家を出る必要が本当にあったのだろうか。そんなことを思いながら、早く開かないものかと腕時計に目をやる。開店まで、あと40分。ああ、つらい。

 12月23日、天皇誕生日、昨日のこと。自分の部屋のベッドの上でなんとなくストレッチをしていた俺は、開けっ放しのドアから妹に声をかけられた。
「お兄ちゃんさ」
「はい」
 仰向けになって、腰をひねる。ばきばきとどこかの骨が鳴った。首を鳴らすのがやめられないように、俺はこれが癖になっている。日々の生活で生じた歪みが、この行為によって解消されているような気がするのだ。
「明日家にいるの?」
 返答がわかりきっているだろうに、何も知らないかのように聞いてくる妹に対してこの野郎投げ飛ばすぞという念がわいてきたが、それを抑えて、口調を強めて妹に返す。
「いますけど」
「ははっ」
「笑ってんじゃねぇ」
 色気のないラフな格好で訪れた妹には極力目をくれず、俺は念のためスマートフォンのスケジュールを開いた。12月24日、クリスマスイヴ、予定なし。はい。
「お前は?」
 体を起こし、やけくそになって妹に尋ねる。ぎしりとベッドが軋んだ。そのうちこのベッドも買い換えなければならない日が来るのだろうか。惜しいな。そうでもねぇや。もっとやわらかいものがあるだろう。高くて、良質なやつが。どうせ金を使う相手がいないので、自分へのプレゼントにでも新しいベッドを買ってしまおうかしら、うふふ。死にてぇ。
「私?いないよ?」
「は?」
「だから、いないって」
 なにがいないんだっけ。
「そんなこといったら、俺もいないぞ」
「なにが?」
「彼女が」
「あ、うん」
 あ、うん、じゃあ、ないんだよ。
「まあ明日私彼とデートでいないからさ」
 ああ、そうだった。家にいるのかいないのかを聞いたんだった。えっと、それに対しての妹の返答が「いないよ」だったわけだ。えっと?……うん?
「はぁ」
 はぁ、そうですか。いないんですか。どこいってくるんですか?彼氏ですか?実はお友達じゃないの?見栄張らなくていいのよ。たったひとりのお兄ちゃんじゃない。ありのままの姿見せればいいじゃない。どこいくの?丸の内?イルミネーション?そんなに光るものがすきなの?ん?じゃあお兄ちゃん光ってやろうか?お?
「お兄ちゃんもがんばりなよ」
 イルミネーションさながら俺が光り輝くシャイニング兄貴になろうとしていた矢先、俺の意志を削ぐように、妹が 俺を励ましてくる。
「なにを?」
「あと1日あるじゃん」
「あと1日しかねぇんだけど!?」
 なにをがんばるのだ。なにをがんばれるのだ。なるほど、あと1日あるから一緒に過ごす相手を探せばいいのか。ははっ、なめんなよ。磯野ー!野球しようぜー!

 一緒に野球をしてくれるような磯野くんはあいにく俺の友人にいなかったので、俺は結局今日という日をひとりで過ごすことになっている。まあ、元から誰かと過ごす予定があったわけじゃないし、なんら問題はないんだけども。
 厚着をしたおばちゃんが、寒そうに歩いてくる。歩いて出勤ですか。ごくろうさまです。
「おはようございまーす」
 知らない人でも挨拶をしなさいという小学校からのアホみたいな教訓にしたがって、俺はできるだけ愛想よく笑顔をつくって、見知らぬおばちゃんに挨拶をした。歩いてくる段階からおばちゃんから俺に向けられてくる視線が「誰だこいつ」と叫んでいたのがわかりきっていたので、挨拶が返ってこなくてもなんもショックはない。とはいえ、さすがに挨拶したら挨拶が返ってくるとは思ってたよ。無視か。無視かこの野郎。っていうか誰だあいつ。中島?中島さん?やるか?野球すっか、おい?
 おばちゃんこと中島さん(仮)は店内に吸い込まれていった。俺はテーブルについたままである。俺は店員じゃない。まだ開いていない店内に入ることは許されていないはずである。誰か気を遣って、商品を売らないにしても店内に匿ってくれればいいのに。さみいよ。帰りたい。

 今朝のこと。
「お兄ちゃん」
「うん?」
 朝起きてすぐに、雪が降ってねぇかななんて淡い期待をしながらカーテンを開けた俺の背中めがけて、妹が声をかけてきた。
「今日、家にいるの?」
 お前昨日それ聞いただろ!
 わかりきったことをわざわざ聞いてくる我が妹に怒りを覚えながらも、ここは寛容な兄貴役に徹することにした俺は、できるだけ柔らかい口調で答えた。
「そうだけど」
「じゃあ、出てって」
「は?」
 出て行く?どこから?あなたの風邪はどこから?お?出て行くぞ?喉から出て行くぞ?いいのか?お前は何を言ってるんだ。
「いや、彼とデートの予定だったんだけど」
「別れたか?別れたか?わはは!」
「彼がうちに来ることになったのね」
「えっ」
 なんですと。
「彼とクリスマスパーティ」
「なるほど」
「だから出てって」
「意味がわかりません」
 理不尽すぎる。どうしてお前の彼女がここにくるから俺が出て行かなければならないのだ。死ぬわ。寒いよ外。雪降ってないけどさ。でもどう見てもさみいよこれ。死ぬよ、外でたら。
 妹が答える。
「お母さんとお父さんと、私と彼とでパーティするから」
「お兄ちゃんは!?」
「え?」
「お兄ちゃんはどこいったの!?」
「死んだ」
「生きてる!私生きてるよ!?」
 ほら!みて!こんなに腕も動くよ!私生きてるよ!おい!おーい!

「あれ?」
 おばちゃんたちが数人通過していき、全員が俺の挨拶を無視していってからそこそこの時間が経過していった。開店まで、およそ20分。まだ待たなければならないのか。そんな風に絶望していた俺だったが、これまでとは反対に俺が声をかけられるという事態に陥り、気が動転した。寒さを誤魔化すためにテーブルに突っ伏していたわけだが、声をかけられてばっと頭を上げる。勢いが強すぎてイスから転げ落ちそうになったが、俺はこれまでおばちゃん祭りだったのに急に現れた若い女性に驚いて立ち上がってしまったので、頭を地面にぶつける危機を免れた。
「もしかして、蓮井くん?」
 俺より背の低い、ショートヘアの女の子。どう見ても俺と同い年かそこらの年齢である。薄緑のヘアピンをしているその女には、妙に見覚えがあった。
「はい」
 俺は俺の名前を読んだことに対して応答する。間違いなく、私は蓮井です。磯野でも中島でもありません。
「私のこと、わかるかな?」
「……和田?」
「そうそう!覚えててくれたんだね!」
 彼女は、俺の中学生の頃の同級生である。名前は和田であり、かなりかわいい顔立ちをしているため、やたらと男に人気があった。明るい性格であったため、男とふざけあっていることも多く、それが他の女子たちの僻みの対象になっていたのは、俺の目からも明らかであった。
 そんな彼女が、中学生の頃と比べて格段に美人になり、俺の前に現れている。なるほど、ここで働いているのか。
「そっちこそ、よく俺ってわかったな」
 俺が和田を覚えているのは、彼女がかわいいからだ。しかし、彼女の方が俺のことを覚えていたのは非常に驚きである。というのも、俺は彼女ほど美しくないので、人に覚えられるような顔をしていないはずだからだ。
「雰囲気がね!蓮井くんのまんまだった」
「そっか」
 雰囲気ですか。自分の雰囲気って、わからないけど。
「和田の方が、昔と雰囲気かわってないよ」
 男受けのいい、女に嫌われそうな雰囲気がね。
「ありがとう」
 褒めてないってば。
「懐かしいね!何年ぶりだろう!」
 帰りたい。

 妹にどういうわけか出て行けといわれた俺は、妹が消えた後に猛スピードで数少ない友人たちに声をかけた。
「おい!みんな暇だろ!クリスマスパーティしようぜ!」
 怒りのままにスマホで打ち込んだ文章を、そのまま複数人宛に送信する。意外と返事は早かった。スマホが鳴る。急いでメッセージを確認した。
「すまねぇ。今日講義あるんだ」
 クリスマスなのに大学の講義を受けるなんて、なんて真面目な友人たちなんだ。
「俺も」
「補講になってるんだよなー」
 見事に俺だけとっていない授業があり、それの補講日が今日らしい。なるほど、そいつぁ仕方がない。
 しかし、そこで諦める俺ではなかった。
「講義終わったら暇だろ!非リアたちで盛り上がろうぜ!」
 まさか夜中に講義をするわけではあるまい。講義がいつまでかは知らないが、おわったら会えばいいだけの話じゃないか!
「ゼミの飲み会あるわ」
「サークルのクリスマスパーティが」
 くたばれ!

 妹も信用できない、友人たちも信用できない、挨拶を返してくれないおばちゃんたちも信用ができない。そんな俺に声をかけてくれた和田が、本日1番人間味溢れる素敵な人になった。まあ、今日が始まってから全然時間経ってないんだけどな。
「ここで働いてるの?」
 俺はイスに座りなおして、和田に尋ねる。彼女は特別に目が大きいわけではないのだが、柔らかそうな頬がしきりに動くので、表情豊かである。
「そうだね。今日も残念ながら出勤」
 彼女は笑って答えた。
「相手が待ってるのかな?」
 俺はなんとなく尋ねてみる。
「んーん、今は絶賛フリーだよ」
 へぇ。
「友達と遊んだりしたかったんだけど、シフト入れられちゃったからさ。今日は粘らなきゃいけないみたい」
 友達いたんだ、とかいえない。
 いっても、中学校の時から5年近くが経過しているので、彼女も自分の欠点に気づき、人間関係の構築に慣れてきたのかもしれない。
 などといった瞬間に、「友達って男じゃね?」なんていう疑問が浮かんできてしまったから、俺はやっぱりクズである。
「友達は、男?」
 本当に聞いちゃうあたりもクズだけどな!
 和田は笑った。
「んーん、残念。本当に今は男の人と縁がないんだ」
 彼女は遠慮なく続ける。
「蓮井くんは?どうしてこんな時間からケーキ屋の前にいるの?」

 妹に出て行けといわれ、じゃあ出てってやるよと思い仲間たちに連絡をしたが、家を出て行く目標も失ったため、俺は開き直って家に引きこもろうとしていた。
 そして、ここで再び妹である。
「お兄ちゃん」
 返事はしない。寝ているフリでもしておこう。
「ケーキ買ってきて」
「はああああああ!?」
 思わず返事をしてしまった。掛け布団を蹴飛ばして、怒りをぶつける。
「家から出てけといったと思ったら今度はそれですか!」
「うん」
 うんじゃないんだよ。
「私と彼と、お母さんとお父さんの分ね」
「俺は!?」
「え?」
「俺のケーキ、イズ、どこ!?」
「伊豆」
 伊豆にケーキねぇだろ。
「手数料は?」
 せめて小遣いが出るなら買ってきてやってもいいのだが。
「ない」
 ですよね。
「しかたねぇなぁ」
 彼女はいないけれど、妹想いのお兄ちゃんに、1日だけなってやろうじゃねぇか。
「じゃ、金ちょうだい」
「なんで?」
「買ってくるから」
「お兄ちゃんの財布から出してよ」
 意味がわかりません!
「クリスマスプレゼントだと思ってさ」
 今まで俺からプレゼントなんてしたことねぇだろうがなんで今回急に請求して来るんだよ。

「で、やさしい蓮井くんは、朝から来ちゃったわけだ」
「ああ」
 開店よりも圧倒的に早い時間だったのにもかかわらず、むしゃくしゃして家を飛び出してきてしまったのだ。そして、この有り様である。1時間近く外で待つことになり、しかも朝だからまだ日も高くなっていないので、地獄でしかない。
「どうするの、これから?」
 和田が聞いてくる。
「どうするもなにも、これからケーキを買って」
 買って……。どうしよう。なんも考えてなかった。
「どうすればいいかな」
 急に真面目になって和田に聞いてみる。彼女は笑った。
「家でごろごろしてればいいじゃん」
「いや、家には帰ってくるなっていわれてるし」
「蓮井くんって」
 和田が俺の話を遮って言う。
「本当に、素直だよね」
「そうかな」
「考えてみなよ」
「え?」
「もし家に入れないとしたら、どうやって買ったケーキ持っていくのさ」
 ……あ。
 ハッとした顔をすると、和田がまた笑った。さっきからずっと笑われてる気がするんだけど。
「帰れるよ、大丈夫」
「そっか、そりゃよかった……」
「まあ、追い出されちゃうかもしれないけど」
「それは困る」
 ふたりで笑う。
「あ、そろそろ私行かなきゃ」
 和田が店の方に向き直る。そうだった。彼女はここで働いてるんだった。
「お店、早めに開けてもらうようにいっておこうか?」
 振り返って和田が言う。
「そうしてくれると助かる」
「うふふ」
 開店は、朝10時。今は9時50分。たった10分だが、これ以上この場にいるとむなしさで死んでしまうかもしれない。和田の気遣いに感謝することとしよう。
「あ、蓮井くんさ」
「ん?」
「成人してるっけ?」
 質問の意図が汲み取れなかったが、俺は適当に答えた。
「ああ、絶賛二十歳真っ盛りだ」
「お酒は?」
「多少であれば」
「それはよかった!」
 なにが。
「私、今日夕方6時で上がりなのよね」
「はい」
「で、その時間からじゃ、友達と会っても仕方ないじゃない?」
「ソウデスネ」
「蓮井くん、暇でしょ?」
「ソウデスヨ」
「じゃあ、私が仕事終わったら、遊ぼうよ」
「え?」
「じゃあ、8時間後にまたここに来てよ!じゃあね!」
 そういって和田は消えた。

 しばらくして、俺より先に来ていたらしかったおばちゃん(たぶん店長とか)が「open」と書かれた札を店の内側からかけたので、俺は遠慮なく店内に入った。
 橙色の明るい照明と木の優しい色合いが溢れる店内を歩き、俺はケーキの並ぶショーケースの方へ足を進める。ショートケーキの白、チョコレートケーキの黒、チーズケーキの黄色、あとフルーツっぽいなにか。とにかく、それ自体殺風景なショーケースに、色彩豊かなケーキがいくつも並んでいるのである。
 ここで、新たな問題が発生した。俺が食うわけじゃないから、どれを選べばいいのかわからない。ああ!馬鹿野郎!あいつが直接来た方がいいじゃないか!今更だけどなんで俺が買いに来てるんだ!
 俺はスマホを叩き、妹にメッセージを送る。
「ケーキ、どれがいい?」
 返事が来る。
「おいしいの」
 答えになってねぇんだけど!?
「ホールで買う?」
「小さいのたくさん買ってきて」
 なに?たくさんってなに?全部?全部いくか?ここからここまで下さいっていうか?お?やれってか?後悔すんなよ?待てよ?俺の金じゃん?損しかしねぇ。やめよう。
 ショーケースの前でどれだけ苦悩しているだろうか。どれを買えばいいのかわからない上にそもそもケーキの名前が読めねぇ。何語?ねえ、これ何語?
 小さく笑い声がしてばっと顔を上げる。エプロン姿の和田だった。
「決まった?」
「いや、まったく」
 俺は頭をかいて答える。
「俺が食べるわけじゃないから、どれ選べばいいのかわからなくてな。妹に今聞いたんだけど、おいしいのとしかいわねぇし」
「うふふ」
 いや笑ってる場合じゃないんだなぁ、これが。
「やっぱり蓮井くん、素直だよね」
「え?」
「蓮井くんが食べるわけじゃないんだから、適当に選んでも問題ないでしょう?」
 ……。
「たしかに」
 和田がまた笑った。

 和田にいくつか「おいしいの」を選んでもらい、手を振られ店を出る。
 和田は「ありがとうございました」ではなく「またあとでね」といった。店的にそれはいいのかと思いながら、俺は彼女が本気なのかを未だに疑っている。
 夕方の6時に、店の前に来るべきだろうか。茶化されただけだったらどうしようか。死ぬしかない。
 俺は手に提げたケーキ入りの箱を見る。さて、これから俺は自転車で帰らなきゃ行けないわけだが、カゴに入れたら間違いなく中身が大変なことになるだろう。片手に持って、できるだけ揺らさないようにもう片方の手で片手運転するしかない。
 家に着いたら、何をしよう。もし和田が待っていてくれるとしても、あと7時間は暇になるぞ。それに、あの妹のことだ。俺からケーキを奪った瞬間に家を追い出しかねない。不幸にも、俺は今家の鍵を持っていない。追い出されると、本当に帰れなくなる。

 まあ、とりあえず。
 夕方になったら、またこのケーキ屋の前を通ろう。もし茶化されたのだとしたら、そのまま素通りして、レンタアルビデオ屋にでも行こうじゃないか。
 ケーキのレシートを手にする。ケーキ代を請求しようかどうか悩んで、なんとなくレシートを捨てた。風が吹く。車の走っていない道路を、レシートが駆けていった。
 もう妹の彼氏とやらは来ているのだろうか。もし来ていたら、顔ぐらい拝んでやろう。たとえそのまま追い出されたとしても、だ。
 俺は自転車にまたがり、ペダルを踏み込む。一度駐車スペースを大げさに走って、方向転換する。窓ガラスから店内が見えた。和田が手を振っている。俺は手を振り返し、ケーキに気を遣いながら家へと自転車を進めた。