Neetel Inside ニートノベル
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力に憑かれた彼の場合は
第十一話 大恩の忠義、幸福の時間

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「うっ……ぐすっ、うぅ…」
 円陣と五芒星の光が消失して、その中央には一人の少年が座り込んでいた。
 俯いて大粒の涙を落として泣く由音は、元に戻れたことからかそれとも違う理由でか、ともかく嗚咽を漏らして泣いていた。
 由音自身の精神は、あの局面においてはとても強固なものだった。おかげで悪霊を縛り抑え込み安定させるまでの手順を問題なく終えることが出来たし、そうすることで“再生”も平常に機能して膨張していた巨大な肉塊も収縮し無事由音の肉体も元通りの姿へと治った。
 ひとまずはそれに一息ついて、それからこちらも纏う雰囲気が戻った少年が傷ついた体を引き摺るようにしてゆっくりと涙する由音へと歩み寄る。
「結局、お前はどうしたいんだ?」
 歩みながら、少年は問う。
「嫌だ…もう、やだ…」
 由音は泣きじゃくりながら、ただそれだけ答える。
 真意を図りかねる発言に、少年も顔を険しくさせる。
「…死にたいのか?」
 由音は死を恐れてはいなかった。もし、この期に及んでまだ死ぬことを望んでいるのだとしたら、もう少年には何もしてあげられない。
 哀しげに目を伏せ、それでも少年は由音のもとへずるずると足を引きながら近づく。
 しばし少年の言葉に嗚咽のみを返しながら、由音は言葉を紡ぐべくして言葉を考えていた。
 どうしたいのかは、もう決まっていた。だから、結局はそのことを口下手に、ぽつりと、しかして確実に本心から放つ。
「…嫌だ」
 先程とは違う、何かを決心したかのような声色に少年は俯けていた顔を上げる。
 由音は、涙で濡れた顔をぐしゃぐしゃに両手で拭って、しっかりと少年の眼を見て言った。
「死ぬのは…嫌だ。苦しくても、生きたい」
 子供心に、こんなに苦しむくらいなら死んだ方が楽なんじゃないかと何度思ったかわからない。生きることに固執する意味すら曖昧になっていた。
 自分は痛み苦しむ為に産まれてきたのか、その為だけに生きているのか。
 生きているということが、わからなかった。命の使い方を知らなかった。
 それは今でも同じだ。
 だが、あの少年は自分が生きる意味を見つけるまで付き合ってくれると言った。味方になってくれると言ってくれた。
 そんなことを言ってくれる人に会えたのは、もちろん由音にとっては初めてだ。ここまで命を張ってあんな怪物と化した悪霊憑き一人を少年は救ってくれた。
 きっと、この時この場で東雲由音は一度死んでいた。
 だからだろうか、死にたいと思うことが嫌になったのは。それとも少年の言葉に動かされて生きてみたくなったのか。それは定かではない。
 だが、どの道少年のおかげで命に執着する気になれたのは確かだった。
 これは自分にとっての分岐点ターニングポイントだ。この少年との出会いから、きっと自分は変わっていける。
 生きる理由は、目的は、目標は、相変わらず曖昧なままだけれど。
 自分の命を救ってくれた大恩人の為に、何かをしたいとは思った。それは救われたこの命を使って行うには充分な理由に思えた。
 だから。
「死にたくない。おれ…オレは、生きていきたい!」
 自分の生きる意味を探すことに付き合ってくれるという少年に、由音は生涯を賭けて尽くしたいと…いや、尽くせるだろうと確信した。
 後にして思えば、これが由音にとっての生きる理由そのものとなっていたのだが、それに気付くのは当然ながら当分先の話になる。
 由音の意を決した言葉と、迷いの欠片も無い表情を見て、少年も屈託のない笑みを浮かべた。由音の眼前まで歩み寄って、静かに渇いた血の張り付く片手を差し出す。
「よしきた。なら生きていこう。力を理解すれば、安定させるくらいわけねえよ。普通じゃないもん同士、仲良くしようぜ」
 差し出された手を見てから、はっと弾かれたように顔を上げた由音が、まだ異能と悪霊の暴走から来る反動でうまく動かせない手を震えながら持ち上げる。
「…あ」
 その動きを急かすでもなく無言で見届けていた少年は、ふと思い出したように声を漏らしてから、
「俺、神門守羽。お前は?」
「あ、オレ…由音。東雲由音だ」
 緩慢に上げられた手を取り握手を交わしながら、少年ーーー神門守羽はようやく出来た自己紹介に満足そうに微笑んだ。



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「ーーーっていうことがありましてね」
 下校途中の帰り道、隣を歩く先輩に珍しく俺の方から話題を提供していた。
 どっからこの話をすることになったかは忘れたが、確か静音さんが俺と由音が出会った切っ掛けを知りたがったのだ。由音から少しだけ聞いていたらしく、よければ詳しく話してくれないかと。
 この先輩に頼まれればどんなことだって断る気にはなれない。たいして隠すような内容でもなかったし、一応由音にも許可は取った。面白い話ではなかったように思うが、静音さんはこんな話で満足してくれただろうか。
「そんなことがあったんだね、由音君にも」
「まあ、あいつはアホですけど、やたら呑み込みは良かったんですぐ“再生”と“憑依”の扱い方も会得してたみたいですが」
 それでも制御の安定の為に俺とは週に一度は組手を行ってはいる。最近はそれすらしなくてもいいような気がしているが、由音がせっついてくるので仕方なく付き合っている。
 ずっと興味深そうに相槌を打ちながら聞いていた静音さんが、ふと顔を上げて道の先を見る。何かあったのだろうかと思い俺もその視線を追うと、
「おーい、うぉーい!」
「げ」
 道の先で大声上げて両手を振っている馬鹿を見つけた。言うまでもなく由音だ。
「何してんだあいつ…」
「今日は先に帰ってたと思っていたけれど、違ったんだね」
 静音さんは馬鹿でかい声を上げ続けている由音にも寛大だ。迷惑そうにするどころか少し嬉しそうでもある。そんな顔をされるとちょっと妬けるんですがね。相変わらず器の小さい男だよ、俺は。
 勝手に自己嫌悪に陥っている俺のことなど知らず、俺達が来るまで立ち止まっていた由音が道の先を指差す。
「この向こうにある定食屋!行こうぜっ!!」
「定食屋?」
「お前ラーメン屋から定食屋に乗り換えたのか?」
 確かに、この先にはつい最近開店したばかりの店があるのは知っている。が、由音はそういう所はあまり行かないヤツだと思っていた。学生に優しい、安く済むラーメン屋とかはよく行くが。
「店長のおっちゃんが泣くぞお前。常連の癖に」
「そのおっちゃんから言われたんだよ!敵情視察してこいってさ!」
 ようは店長の使いっ走りを頼まれたのか。ってか敵情視察ってお前いつの間にラーメン屋の手先になったんだ。
「奢るから定食の味とラーメンの質を見て来いって言われた!ほれ、ちゃんと三人分貰ってきたぞ!?」
 そう言って由音が突き出して開いた手の中には、お札が数枚乗っていた。現金を持たせるとは、えらく店長から信頼されているらしい。
「なんで俺らの分まで。店長に悪いだろそれは」
「おっちゃんがお前ら二人も誘って行けばいいって言ってくれたんだ!三人で行かなきゃ意味ねえだろ、なっ!」
 三人で行かないと、か。
 考えてみればいつの間にやら、この三人で飯を食いに行くことが多くなっていたことに気付く。例のラーメン屋なんてほぼこの三人でいつも行っているし。
「…そうだな。せっかくのご厚意だし、素直にご馳走になるとしますか。静音さんはどうします?」
「もちろん行くよ。楽しみだね、守羽」
 当たり前だと言わんばかりに一歩前に出た静音さんが柔らかく笑う。
「おぉっしゃ決まり!んじゃ行くぞー今すぐ行くぞーおぉー!!」
 両手を打ち鳴らしてやかましく先陣を切る由音に、黙って付いて行く。
 …こうやって多少強引にでも引っ張って行ってくれるから、こうして静音さんと一緒になれる時間も増える。そういう意味では、こいつの奔放っぷりもたまには良い。
 本当にいつもいつも五月蠅いヤツだが、これがこいつの素なのだからしょうがない。少なくとも、自らの力に怯えてびくびくしていた頃のあいつに戻ってほしいとは微塵も思わない。
 こいつはこれでいいんだ。
「…由音君とは、それからの付き合いなの?」
 前方を進んでいく由音に付いて行く最中、隣の静音さんの言葉に俺は押し黙る。おそらくさっきの話の続きなのだろうが。
「?、守羽…?」
 由音とは、それからしばらくの間は一緒につるんでいた。外へ遊びに言ったり、適当に公園で駄弁ったり。他愛もない時間を二人で過ごした。
 だが、それは一年ほどで切れた。いや、俺が一方的に打ち切ったのだ。
 それは、また違う事件を発端とした俺なりのケジメのつもりだった。そうすることで由音を被害から遠ざけようとした。結果的に今の形で収束・復縁して終わった話だが。
「……」
 きょとんとした表情で俺を見上げる可愛らしい先輩を見て、俺も安心させるように笑って返す。
「定食、美味いといいですね」

 結果論でしかないが、今はこうして三人で仲良く放課後に飯を食いに行ける仲になれたんだ。だから何も問題無い。わざわざ話すようなことでもない。
 ここから先の話は、静音さんにとっても無関係ではない。それどころか当事者だ。
 彼女にとってもあまり思い出したくはない過去だろうし、俺もそれを思い出させたくない。
 あの、大鬼の騒動に巻き込まれた静音さんには。
だからこそ俺は素知らぬ顔で彼女の隣を歩く。
 かつての事件を発端に起きたことは未だに尾を引いているが、それと同じかそれ以上に俺にとっては悪くない出来事でもあったと思う。
 あれがなければ、俺はこの人と出会い知り合えることは無かったのだから。

「うぉい!おっせーぞ守羽!オレ腹減ったっつのー!!」
「急かすなって。今行くから」
 喧しく手招きをする由音を半眼で睨んで、それから隣で未だに不思議そうな表情で俺を見上げている先輩と視線を交わし、
「行きましょう、いい加減由音がうるさ過ぎてぶん殴っちまいそうだ」
 そう言って、極力自然な流れを装って静音さんの手を握る。
「ぇ…あっ」
 先輩が何か言うより先に前を歩き出して握った手を引く。僅かに戸惑いの声音を上げた静音さんだったが、嫌がっている様子はない……ように思う。思いたい。
「………ふふっ」
 すぐ後ろから聞こえた吐息混じりに笑う声で、俺は気付かれないように安堵の息を漏らす。
 いつもなら、こんな真似はどうやったって出来ない。あまりにも恐れ多いからだ、俺如きがこの人の手を握るなんて。
 でも、今はそうしたい気分だった。気分任せでそんな大胆な行動を取るのは俺らしくないかなと思ったが、別にらしいかどうかなんてどうでもいい。
 今この時が、三人で飯を食いに行くこの時間が、学生らしく平和に過ぎる今この瞬間が。
 俺にとってはあまりにも幸福な時だったから。
 知らず口元が笑みの形を作っていることに気付いたのは、定食屋に入って由音に『なにニヤついてんだよっ』と茶化されてからだった。

       

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