Neetel Inside ニートノベル
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力に憑かれた彼の場合は
第二話 未知との遭遇、運命の邂逅

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「…はぁ…」
 聞く者の活力すら奪い去りそうなほどの溜息を吐いて、由音は授業の終わった教室を出る。途中、クラスメイトに遊びに誘われたが当然のように断る。今日はもう家に帰って引き籠っていた方がいい。何があるかわからないから。
 “再生”の力には、奇妙な周期のようなものがある。ただし安定して巡る周期ではなく、突然にそれは変動することもあった。
 今日なんかはまだ予想できていたが、これがまったく予期しないタイミングで調子が悪くなったりすると最悪だ。やはり身構えているのとそうでないのとでは対応の速度に違いが出る。その僅かな対応の遅れが、いずれ大事を招く気がしてならない。
 だから由音はいつ如何なる時に置いても気を抜かない。否、抜けない。
(せめてもう少し“再生”を自由に扱えればいいんだけどなあ…そうすればあのクソ悪霊もあんな好き勝手に暴れさせずに済むのに)
 四六時中、由音の中でこの身を乗っ取ろうと浸食を続けている悪霊。これは常時“再生”を展開し続けている由音だからこそ押さえられているのだ。
 本人の知るところではないが、本来この手の悪霊に取り憑かれた者はそう長生きはしない。霊的存在を主とする概念種の持つ“憑依”の力は、憑かれた者の意思に関係なく力を与え、そして強引に代価を奪っていく。
 代価とは寿命。あるいは肉体の主導権。自我を持つ高位な概念種であればもっと違う供物を要求してくることもあるが、そうでない由音の中に巣食うような低位のそれは半ば本能に従うようにして取り憑いた相手から寿命を削り取っていく。
 故に憑かれた者は短命でその生涯を終えるのが大半だ。由音のような特例は別として。
 誰が指摘してくれるわけでもない自身の特異性には当然気付くこともなく、由音はただただ深い溜息を吐き続けながら帰路を辿る。
「…ん?」
 とぼとぼと帰る由音の肌に、ふとピリッとした静電気のような感覚が走る。なんだろうかと顔を上げて空を仰ぐ。何故だかわからないが、その方向に何かあるような気がしたから。
 よく晴れた夕暮れの空に、何か飛んでいるのが見えた。
 最初、宙に舞い上がったビニール袋か何かだと思った由音だが、違う。あれは滞空している、風に吹かれて飛んでいるのではなく、空中で静止していた。
(なんだ、あれ…)
 興味本位で由音は空を見上げ、眼球に意識を集中する。すると、内側を悪寒が駆け回り自分の身体から一瞬感覚が消える。
(…っ、片目、だけなら…)
 今日は“再生”の調子が悪いことを思い出し、左目を閉じて右目だけを見開く。
 産まれた時から、いや産まれるその前から悪霊に取り憑かれていた経緯を持つ由音は、自分の中に根付く悪霊の『使い方』を、ほんの少しだけ理解していた。頭ではなく、それこそ浸食を受け続けてきたこの体が。
 悪霊は宿主から寿命を奪う代わりに提供してくるものがある。
 その能力は憑いた概念種の特性ごとに異なるが、低位の悪霊程度であれば出来ることは限られてくる。
 せいぜいが、人体の限界を超えた肉体の強化。その程度だった。
 寿命を捧げて得られるものが、並の人間を超越した身体能力。であれば心臓を捧げて悪魔と契約でもした方がよっぽどいい。短い人間の一生を削って得るものとしてはあまりにも割りに合わない。
 しかしそれでも悪霊はきっちり強引に寿命を奪い、力を与える。本人が望む望まないは関係ないとばかりに。だから低位の概念種の“憑依”は性質タチが悪い。
 だが、由音に限ってはそうでもなかった。
 “再生”の能力。それは傷を瞬時に治す能力。だけではない。
 それは東雲由音が一介の人間として万全に機能するように展開される。
 外傷、内傷、病気、あらゆる面から“再生”は由音の万全を保護する。
 人外の悪霊が削り取っていく寿命ですら、この異能は対応してくる。
 つまりそれは、削られた生命を削られた分だけ修復するということ。奪われた寿命を、“再生”によって治し戻す。
 そうなれば、東雲由音は悪霊が強引に提供してくる力を拒む必要は無くなる。何せ払わなければならない代価は勝手に戻って来るのだから。好きなだけ押し付けてくればいい、由音はそれを必要な分だけ受け取って使えばいいだけだ。
 ただし、これは“再生”がきちんと役目を果たしてくれた場合に限るが。
 今回は調子が悪く、あまり深く悪霊の力を引き上げるのは危険と判断した由音は片目に限定して内側から力を汲み上げる。
 ドス黒い不快な感覚が駆け上がり右目に集う。ズズと由音にだけ聞こえる不気味な音が、その眼球に昏く暗い色を交える。人外の性質を宿し、その眼球は一時的に人の枠を超えた力を持つ。
 視力が向上し、遥か上空にある何かの姿を右目が捉える。
(……は?)
 人、だった。
 人間が、中年の男性が空に浮いていた。どこを見てるのかわからない虚ろな表情で、その男は少しずつ移動していた。
(え、なんだあの人、空…飛んでる。え?なんだあれ!?)
 慌てて視線を空から周囲に向けるが、下校中の生徒や歩道を行き交う人達は誰も空を飛ぶ人間に注目しない。
 こんな雲一つない空にあんなぽつんと浮いてる何かがあれば、たとえ由音のように視力を引き上げる術を持っていなかったとしても誰かしらが一声上げてもおかしくないと思うが…。
(なん…だか、よくわかんねえけど、アレはやばい…!)
 何がどう、とは説明できないが、由音は直感的にあれがよくないモノだと判断する。触らぬ神に祟りなし。由音は周囲と同じく知らない振りをして帰宅することにした。
 ただ、最後に少しだけ。もう一度だけあれがなんなのか見てみたくなった由音が再び右目のみで空を見上げた時だった。
「ーーー……」
 目が合った。
 空に浮いている男が、視線を下げて地上の由音を見ていた。
 これだけの距離を空けて、どういうことか二人の視線は交錯していた。
「……ぁ…」
 思わず声が漏れる。
 男は視線を外さなかった。値踏みするように由音を凝視し続けている。
 光を灯さない虚ろな瞳が由音を見据え、そして……、

「ニィ…!」

 笑った。
「ッ!!」
 瞬間、由音は走り出した。
 あれはヤバい。得体の知れない何かに目を付けられた。
 空からでは由音の動きなど丸見えだろう。大通りを逃げていても無意味だ。そう判断し、由音は建物の間の細い道を見つけそこに身を滑り込ませる。迷路のように入り組む細い路地をデタラメに走り適当な所で角を曲がりまた直進。それを何度か繰り返した辺りで息が切れて足がもつれる。
 だが転ぶわけにはいかない。この全身が粟立つ感覚は駄目だ、確実にアレが危険なモノであることを由音に教えてくれている。これが悪霊の感覚によるものなのか、それとも人間の危機意識を揺さぶられたものなのかは定かではなかったが、この際そんなことはどうでもよかった。
 走る、走る。
 とにかくアレから離れる為に、アレの視界から逃げる為に。
 薄暗い路地の向こう側が赤く照らされている。夕陽だ。この先は細い路地を出た開けた場所になっているらしい。
 ひとまずはそこまで。そう思い全力で走る。どれだけ離れたかもわからないが、ともかく逃げることだけを必死に考えていた。頭の中はそれで一杯一杯だった。
 あと少しで開けた場所に出るという、その間際。
 先の空間を照らす夕陽の赤に、細い黒が差し込まれた。おそらくは夕陽により伸ばされた人の影。
「!?」
 混乱する頭で驚愕するが、もう足は止まらない。ほとんど前のめりに転ぶ形で、由音は細い路地を飛び出る。
 それと同時に、細く引き伸ばされた人影の主も眼前に現れた。
「あ?…うぉお!?」
 通りすがりらしき誰かが真横から突っ込んできた由音に驚き身を硬直させる。
 そこへ、由音は頭から突撃した。
「おぶっ!」
「いでぁ!」
 同時に声を上げ、どしゃっと二人まとめて地面に倒れる。
「い、って…わ、脇腹が…」
「あああ頭がぁ…!」
 由音は頭を、相手は脇腹を押さえて悶絶する。どうやら由音の転倒からの頭突きが相手の脇腹へ突き刺さったらしい。
「いきなり…なんだ、お前は!」
「す、すいませ…急いでた、もんで…」
 頭をさすりながら謝罪する。顔を上げて相手を見ると、突っ込んだその相手は自分と同い年くらいの少年だった。自分と同じような学ランを着ているが、色合いが僅かに違う。中学生には違いないだろうが、たぶん同じ学校ではない。
「前はしっかり見ろよ、危ねえから…。ったく、咄嗟に三倍にしてなかったら肋骨折れてたんじゃねえのかこれ……」
 何事か呟きながら、少年はゆっくりと立ち上がり由音へ手を差し伸べる。
「ほら、立てよ。お前も頭打ったろ、大丈夫か?」
「あ、ああ…」
 少年の手を借りて立ち上がり、由音は相手の少年をまじまじと見る。
 同じくらいの歳のわりにやたらと落ち着き払った雰囲気の少年に対し、由音は少しばかり不思議な感覚を覚えた。
 それがなんなのかわからないままだったが、なんとなく少年は自分と似ている。そんな気がした。

       

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