Neetel Inside ニートノベル
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力に憑かれた彼の場合は
第七話 戦闘の終了、激闘の開始

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 肉体が死しても、なお死にきれない魂。憎悪と殺意を糧に散るべき魂魄は邪気を得て死霊と化す。
 その際に、死霊は自らが死んだ要因を現象として引き起こす力を手に入れる。
 殺された側から、殺す側へ。
 殺された方法は、そのまま怨念を以て殺す方法へ転じる。
 刃物で斬り殺されたのなら、その怨念は“斬殺”として。
 鈍器で殴り殺されたのなら、その無念は“撲殺”として。
 火炎で焼き殺されたのなら、その憎念は“焼殺”として。
 時に斬撃を放ち、時に殴打を振るい、時に炎を噴く。そういう死霊が生まれる。
 今回においては…、
「はぁ、はっ……ふ、ふう。はぁあっ…!」
「ァあ、…クソッ!」
 秋の空に浮かぶ月が少年と死霊を照らす。
 少年は全身をトラックで撥ねられたのと同じ痛みと衝撃で軋ませ、鼻血と吐血の混じった鉄錆臭い唾を吐き捨てる。
 死霊は外見にこれといった外傷は見られない。ただ身に纏っていた黒い邪気が半分以上削がれ、右手足が蝋燭の火のように揺らめいていた。
 形だけは生前の姿を模した死霊は、外見的な怪我は現れない。だが殴りつけた右手足の揺らぎから見て確実にダメージは通っていると確認できる。
 死霊という概念種の人外を相手に、少年は素手のみでの泥仕合を繰り広げていた。
「この、ガキがッ…!」
「はぁ、いい加減、…くたばれ。…ぜぃ、はっ」
 既に少年は“倍加”を限界まで高めて全身に巡らせていた。瞬間的な発動であればまだしも、継続的に展開し続けるのはかなりの負荷が掛かる。
 だが相手も半分以上は力を失ったはずだ。よくはわかっていないが、少年は自身の肉体は魔性に対し特別なダメージを与えられるものだと知っていた。だから素手で引っ掻くだけでも死霊には攻撃できる。
「………くっ、かはっ!ハハハッ!」
「……」
 突然少年の顔を見て高笑いを始めた死霊を、少年は黙って睨む。
「はッハハ!その血塗れのツラを見て思い出した。私を轢き殺したアイツも、死に際はそんな感じだったな…!」
「…やっぱ、殺したのか」
 死霊の存在理由は、第一に自分を死に追いやった相手を殺すことにある。容易に予想はできたが、この死霊は最初にその力を使って自分を轢いた運転手を殺したらしい。
「アイツの薄汚れたクソ不味い魂なんて喰う気にもならなかったのでな!手足の先からゆっくり潰しながら少しずつ殺してやったッ!滑稽だったぞ?逃げる脚も這う手も潰れて、芋虫みたいにのたうち回る様はな!!アハハ、ははははっ!!」
「そっか…。満足したなら、もう死ね」
 死霊の不愉快な嗤い声を聞きながら、青筋を立てて少年は一歩踏み込む。
「ただ、お前は違うなァ…。もっと、歪めろ。あの男のように、死に際で必死に許しを乞う無様な顔を晒せえ!それまで魂は喰らわずにいてやる…うひ、ヒひゃハハは!!」
「ッ!」
 死霊としての復讐心に呑まれ本来の人格が壊れ始めている中年の男へ少年は無言で迫る。



(すげぇ…)
 廃ビルの瓦礫に隠れて少年と死霊の闘いを見ていた由音は、その戦闘に愕然としていた。
 あまりにも人間離れしている。
 片方は本当に人外だし、少年だって異能の力を有した能力者だ。それは知ってる。人間離れという点では自分だって正直そうだ。
 しかし、あれはあまりにも。
 “轢殺”の衝撃を拳で弾き、受け流し、少年は両脚を強く踏み込み跳躍。空に浮く死霊へ拳を届かせる。空中で放たれた回避不可能な衝撃を、自らの右拳を死霊の顔面に叩きつけるのと同時に腹に受けて地上へ逆戻りする。
 粘つく血を吐き出しながら怯まず再度駆ける。
(なんで、そこまで…)
 あの少年は、本来無関係だったはずだ。狙われたのは自分で、襲われたのも自分。
 なのにあの少年は全力で闘っている。なんの為に。
 もちろん由音の為だろう。他に少年が死霊に挑む必要性が無い。
 同じ異能を抱える者同士として、彼は助けてくれた。あんなに血塗れになっても。
 自分はこれでいいのだろうか。助けてくれたあの少年に任せっきりで、自分はただ遠目に眺めているだけ。面倒事を持ち込んで、押し付けて、安全地帯で終わるまで待機する。
(闘う力、ならある。…無理じゃない、闘えるんだ、おれは)
 少し前の自分の発言を恥じ、撤回する。闘える。ただ、その度胸が無いだけ。
 あの少年のように、痛みと恐怖に向き合って、怪我にも怯まず突っ込む度胸が無い。
 足りないのは、きっとそれだけ。そんなものは、自分自身の心の持ち様でいくらでも補える。
(やるか…?やれるか、おれに?や、ル……!?)
 ガクンと、全身が奇妙な硬直を起こす。思考の回転が落ち、鈍重になる。
(……な、あく、りょう…。な、ん…で…………?)
 浸食が勢いを増した。今日はおとなしかったはずの、体内に宿る悪霊が唐突に暴れ始めた。“再生”との拮抗が崩れる。
「あ、あが、ぐぅ…なんで、なンで、ナンデ……!?」
 何かに反応している。悪霊が、何かに対して。
 悪霊が内側からそれを示す。宿主を強引に動かす。ギギと首が意思に反して軋みながら動く。
 その先には少年と死霊。空を飛ぶ死霊を、少年が叩き落としていた。決着はついたのか、死霊は地に倒れたまま起き上がる様子が無い。少年は震える両膝でかろうじて立っているが、満身創痍なのは明らかだ。
 涎が、垂れた。
 舌が渇く。
(……!?)
 自分自身に湧き上がる衝動にぞっとする。悪霊が、由音の五感を乗っ取り意思を誘導する。
 ふと、思ったことがある。
 自身に宿るこの悪霊は、自分の中の一体どこに取り憑いていた?“再生”で取り返してはいたが、悪霊は自分の何を喰らって棲み付いていた?
 共通するものがある。
 死霊が喰らうもの。悪霊が喰らっているもの。
 それは同じ。それは血肉ではなく、それは人の食すものではなく、それは肉体と対になる人の要素を成すものであり、それは概念種の好物でありそれはとても美味しくとても甘美でとても濃厚でとてもとても素敵で甘くて酸っぱくて渋くてしょっぱくて辛くて苦くて美味で美味で美味で頭が蕩けるほどにとても素晴らしとてもすごくやはりそれは嫌だやだやだイやだ食ベタクないのにそれはとても美味しそうでクソがやめとても食べたイそれヲおれはーーー



(あとっ、一発って、とこか!)
 どうにか空を飛び回る蝿か蚊のように厄介な敵を地に落とすことには成功した。だがまだだ。殴った顔の左半分が霧散して、右手足も消失して、それでもまだ死霊は少年を殺そうと意識を保っている。その意識すらもう生前の記憶を失いただの“死因”を撒き散らすだけの完全な死霊と化してしまっていたが。
 次の“轢殺”の衝撃を回避して、確実な一撃を捻じ込む。それで終わりだ。
「ブ、ヒャはひ、ふあハああはヒひははは!アハハぎゃひはッ」
 もはや言葉も忘れた死霊が、まだ残っている左腕を突き出して少年へ定める。タイミングを計って、轢き殺された人間の怨念が加わった衝撃を避ける。
 避けようとした。だが避ける必要は無かった。
 放たれた“轢殺”の衝撃は、直前に死霊の眼前に現れた一人の人間の腹に直撃して風穴を開けたから。
「なっ!?」
 超至近距離からぶつけられた衝撃は逃げ場もなく、その人間の腹部を吹き飛ばした。バラバラになった皮膚と骨と臓物が鮮血と共に散らばる。
 少年のように肉体を異能で強化されているわけでもない由音の体は、死霊の攻撃で容易く人としての機能を奪われた。
「お、まえ……」
 少年が絶望に顔を真っ青にする。守るべき対象が、目の前で無残に大穴を開けて死んだ。
「…っ、…………!?」
 絶句した。言葉も、息すらも吐き出せない。
 由音が死んだからではない。
 『死んでいなかったから』だ。
「んーーーんん」
 吹き飛ばされた腹部に大穴を開けたまま、由音は直立不動で何事か唸っていた。こちらに背を向けているのではっきりしないが、あれはおそらく生きている。
「カ、き…?」
 理性の飛んだ死霊も、目の前の事態をうまく呑み込めていないようである。そんな死霊へ、緩慢な動きで由音が右手を頭に乗せる。
 乗せていた。生身の人間の手が、触れられるはずのない死霊の頭に。
「…………ん」
 死霊自身はもちろんとして、それを目の当たりにした少年も驚愕する中、さらに事態は混迷する。
「がぷっ」
 頭に置いた右手に力を込め、凄まじい速度で由音の頭が動いた。
 次の瞬間には死霊の首は喰い千切られていた。
「ィ…ッ!?アァあ、あああぁぁぁぁ……!!?」
 残った右半分だけの顔にありったけの驚きと恐怖を浮かべて、首を千切られ頭部だけになってもか細く悲鳴を上げる死霊の頭部が、果実にかぶりつくような勢いで由音に喰われていく。
 死霊は死した人間の魂が人型になっただけのもの。当然血を流すことはない。もしこれで血を流す構造が出来ていたとしたら、少年はその光景に嘔吐まではいかずとも吐き気くらいは催したかもしれない。
 それくらいに酷かった。
 少年が削ったおかげで既に体の半分以上が霧散し消失していた死霊だったが、頭部を喰い終えた由音はまだ残っている死霊の手足や胴体まで余すことなく平らげた。その過程で、腹に開いていた大穴がボコボコと音を立てて埋まっていく。急速に穴の周囲の肉が盛り上がり、由音の肉体を吹き飛ぶ前の状態まで治していく。
 それを、少年は身動き一つ取れずにただ見ていた。
(なんだ、それは…“再生”が、傷を治したのか?いやそこじゃない!なんでお前、死霊を喰って…!)
「んぐ、がつ……ふう」
 綺麗に全て、死霊がそこにいた痕跡すら残さず食した由音が、完全に塞がった腹部に触れ、ゆっくりとこちらを振り返る。
「…おい、どうしたんだよ、お前…?」
 その両目に、光は無かった。
 墨でも流し込んだかのように真っ黒な両眼は何も映さない。ただ、うろのような漆黒の奥から、透明な雫だけが止まることなく流れ続けていた。
 泣いている。
「………て……………れ」
「お前、“再生”の能力者ってだけじゃないな。なんだ、それは…。中に何か、いるな?」
 由音の口元が開いては閉じ、呼気に混じって何かを呟いている。
「…め…………して…………く………」
(くそ何だッ!?考えろ……ああ知識を寄越せ!テメエ知ってんだろうが引っ込んでねえで早くあいつの中にいるモノの正体を暴けッ!!)
 少年は必死に自身の最奥へ語り掛ける。響く頭痛の中で、溜息と共に『何者か』が知識を開示する。
 そして、脳内に流入してきた知識と今の状況を照らし合わせて高速でこの事態を理解に至らせる。
「…ご、め………………こ、……ろ………………て………………………れ」
(死霊は穢れた魂魄そのもの、つまりは汚染されていても人間の魂だ。死霊は自分の魂の汚染が理性を塗り潰す前に常人の綺麗な魂を喰らうことで自分の魂の穢れを洗い流す。そうしないと果てに待つのはさっきのアイツみたいな、理性を失くした“死因”を撒き散らすただの害になる)
 死霊は自分の意思を保つ為に生きた人間の魂を求める。意味なく魂を喰らう人外などそう存在するものではないだろう。
 では由音の中にいるのは死霊か?違う。死霊は生きた人間に取り憑いたりはしない。
 じゃあ何が居るのか、何が棲んでいるのか。
 思考する。さらに思考する。
 由音は何事か呟きながらこちらへふらふらと歩み寄ってくる。昏い双眸に涙を流し続けながら。体の内側から何かおかしな音がしている。
(魂は心臓と連動する生命の根源、寿命そのものだ。それを好物として、尚且つ人間に取り憑くタチの悪い概念種)
 いる。確実に正解であろう存在が確かにいる。ただ、そんな悪質なモノに取り憑かれて十数年間も生きて来た人間の話など聞いたことが無い。ありえないからだ、普通は産まれて数年の間に寿命を喰い尽くされて死んでしまう。
「……“再生”、か?」
 カチリと最後のピースが嵌まる。
 あの少年が持っていたと自分で説明し、その能力が骨折を治す現場も見ていた。
 奪われた命を、喰われた寿命を、もし“再生”という能力が復元させているんだとしたら。
 このありえないはずの異例のケースも成立する。
 考えに考えたこの時間は、由音と少年との距離を十メートルにまで縮めさせていた。
 少年は叫ぶ。
「…お前、悪霊憑きか。なんで…なんで最初に言わなかったんだよお前はああああああああああああ!!!」
「ごめん、ころしてくれ」
 その言葉を最後に、由音は肉体を異常なほどに膨張させて人としての姿を失った。

       

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