Neetel Inside ニートノベル
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力に憑かれた彼の場合は
第十話 死生の差異、渇望の其処

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 光の円陣が巨体を包み込むと、途端にその動きが緩慢なものになる。
 錆びついた機械細工のようにギギギギと不快な音を上げながら、少年へ害意を向けていた肉塊の触手や手足が止まる。
「穢れを祓う儀式『追儺ついな』の応用だ。その巨体の原動力に悪霊の力が使われてるのなら、これを用いた方陣で動きは抑えられる。あとは」
 ゆっくりと少年は自分が走り出したスタート地点まで戻り、その地に持っていた金属製の盾を置き刀を突き立てた。
「…これで属性の配置は終わり。こっちも多少変則的にはなるが、効力発揮には問題無い」
 未だ強引に肉の塊を動かそうとしている巨体が雑に構成された人型の頭を少年へ向ける。
 それは由音の内側に棲む悪霊の意思か、肉塊の巨体はこれからされることに対して少年へ強い敵意を見せているようだった。
「行くぞ、御霊会ごりょうえだ。悪霊テメエはもう引っ込め、その体はそいつのモンだ」
 不慮の死や無残な末路を迎えた者が行き着く死霊や怨霊という末路。それを鎮め祟りや霊障といった害を防ぐ為に行われる鎮魂儀礼。それが御霊会、あるいは御霊祭と呼ばれるものだ。
 本来であれば悪霊憑きの人間にこの儀礼を行ったところで意味は無い。これは霊単体を対象として実行されるべきものであって、それに憑かれた者への対処はまた別にあるのだから。
 だが今回その方法は使えない。悪霊を人間から切り離して祓うのが退魔師としては最も模範的な正答になるが、悪霊と魂魄が一体化と呼んでいい段階まで浸食が進んでいる由音には悪霊を切り離すこと自体が魂の一部を切り取ることと同義になっている。そんなことをしてしまえば即刻由音はショック死してしまう。
 だから、現状出来る最善は悪霊の暴走を鎮め、由音の内側へ押し込めて封をすること。どうやらこれまでは由音が“再生”の異能を用いて自力でそれを成していたようだが、それが外れてしまった今は代わりに少年がそれをする他ない。
 パァン!と少年が両手を打ち鳴らして合わせると、それに呼応して肉塊の巨体の周囲でそれぞれ五つの光が空高く噴き上がる。
 一つは少年が肉塊の攻撃を迎撃した際に放った火球が着弾した位置に。
 一つは肉塊の腕を貫き刺し止めた石柱が屹立する位置に。
 一つは迫り来る巨体の一撃を受け止めた水の壁が吹き飛び飛沫を撒き散らした位置に。
 一つは無数の触手や手足を縛り押さえ付けた蔓や枝葉が地面を突き破った位置に。
 一つは少年が最後に盾を置き金属の刀を突き刺した位置に。
 意図的に等間隔を狙って肉塊の巨体を囲う五ヶ所に配置したそれぞれが、少年が打ち鳴らした両手から続けて結んだ不思議な印に従うように地を這う光を直線に繋ぎ、巨大な五芒星を地面に描いた。
「“相剋そうこくより相生そうせい、五行により循環を巡り整流を経て成因を結べ!”」
 少年の中にある退魔師のとある家系の血筋には、陰陽師の扱う術式に独自の解釈や理論を差し挟むことで本来の術から派生した効力を生み出せる術式改竄の能力があった。
 それを使用し、御霊会という鎮魂儀礼を由音の内側に巣食う悪霊の活動を押さえ付ける封印術として行使する。
 五芒星の中心で鈍重に動き陣を破壊しようと肉塊の触手を伸ばそうとしている巨体へ、少年は駆け出す。既に悪霊の力を纏っていたはずの黒い邪気は肉塊から引き剥がされていた。
(妖精の属性掌握能力のおかげで五行をあっさり結べたのは助かった。陽の流れを整えたこの領域内で邪気や陰気の活動は極端に制限される!)
 バチバチと臙脂色の電撃のようなものが纏わりつく両手を大きく後ろへ引いて跳び、少年は全力で肉塊の巨体へその両の掌を叩きつけた。全身の傷から流れる血液が勢いに任せて飛び散る。
 両手の接触と同時に叫ぶ。傷だらけの体で、おそらくこの状態から引き出せるであろう最後にして渾身の一手を。
「“御霊ごりょう改式かいしき封韻楔ほういんけつ!!”」
 ッッドンッ!!
 臙脂色の電撃のようなものが両手の間で杭の形を成し、肉塊の内部へと穿たれた。ただ実際には肉塊を抉り血飛沫が上がることはなく、まるですり抜けていくように肉を傷つけることなく実体のあやふやな杭だけが内部深くへと突き進む。
 その先にあるのはこの巨大な肉塊の核。
『ぁ、かっ…!?えぎっくがッッァああああアアああああああああ!!?』
(…届いた…!!)
 肉塊に埋もれたその先から痛々しい悲鳴が響いてきたのを耳に捉え、少年は自身の術の手応えを確信した。
「おい聞こえるな?お前の中の悪霊に退魔の杭を打ち込んだ、痛みを感じるのは悪霊がお前の魂と同化してるからだ!」
 それはつまり、直接魂魄へ痛覚を繋げてしまっているということ。悪霊への直接的な攻撃は、この場合はその寄生主たる由音自身へのフィードバックとなって受けてしまう。
 今、由音は外側から心臓を鷲掴みにされているような激痛を感じているはずだ。
 少年とてこんな荒い方法は使いたくなかった。だが由音の性質そのものが特例過ぎた為、これ以外の有効的な方法が思い浮かばなかったのだ。
「死ぬことはねえ!いくら魂を削られたってお前の力は必ず元の状態まで回復させるはずだっ!」
 これに関してはほぼ確実なこととして少年は認識していた。でなければ由音がこの歳まで悪霊に取り憑かれながら生き続けられたはずがない。間違いなく由音の“再生”の異能は肉体損傷だけに留まらず精神、果ては魂へのダメージすら再生し回復させている。
「だから耐えろ!耐えて内側に押し込めた悪霊を黙らせろっ、僕に出来るのはお前の内側に悪霊の力を縫い止めることだけだ!」
 今現在、悪霊の力は外部に放出されたものを一括して少年の退魔の杭によって由音の魂魄へと打ち止めている状態だ。そこから先は内側での問題。少年の手が届く範囲ではない。
『あァ、あああ!!ヴ、ぎいいっやああああァぁアあああ!!!』
「今までだって自力で抑え付けてきたんだろ、それと同じだ!イメージしろ、“再生”の異能で悪霊を魂に縛り付ける構図を描け!!」
 巨大な肉塊が痙攣を繰り返す。少年には内側で起きている異常事態に動揺しているかのように見えた。
「ッ……聞いてんのか、おい!!」
 直接魂魄へと杭を打ち付けている少年の両腕が悲鳴を上げる。封縛の陣である『追儺』の展開に加え、元々の難度が高い上に術式改竄のせいで負担の増した術は、死霊との連戦で傷ついた肉体には堪える。
 傷口が開き出血が止まらない全身の痛みを意識しないように声量を上げながら少年は肉の塊のその奥を呼ぶ。
「死にたくねえだろ、僕だって殺したくない!ここが瀬戸際だぞ!死にたく無けりゃもっと本気で…、…?」
 相手の魂に触れている関係上か、叫ぶ少年の頭へと意識と感情が流れ込んでくる。
 それは少年の言葉に対し浮かんだ由音の想い。このままでは死ぬと言われて感じた東雲由音という人間の率直な意見。
「お前…!」
 それも、いい。
 死んでもいいと、魂から伝わる諦観の念を受けて少年は言葉を失う。

 こんな力を持って、こんな悪質なモノに憑かれて。
 日々の日常を安心して暮らすことも出来ず、常に異能と悪霊の暴走に怯えながら余裕の無い毎日を送って。
 その果てになにがあるというのか。…いや、これが果てか。
 肉塊の怪物と成り果てた、これがゴール地点。
 薄気味悪い力を宿すこの身には相応しい最期だ。
 やっぱり、生きて来た意味なんて無かった。子供の頃から苦しみながら頑張って生きた甲斐なんて無かった。
 もう、死んでも悔いはーーー

「ざっけんなッ!!!」
 死を受け入れかけていた由音の薄ぼんやりとした意識は、外側から響く怒声によってその方向に傾けられた。
「まだだろうが!まだ全然生きてねえだろうが!そんなんで頑張ったとか笑わせんな!生きた甲斐はこれから見つけていくもんだろうが!たかが十数年しか生きてない分際で悟ったような気になってんじゃねえぞクソガキがあ!!」
 悪霊を抑え付けているのも時間の問題だ。感情の限りに叫びながらも少年は冷静に迫る限界を理解していた。体が保たない。
 それでも、少年は限界など知ったことかと血を噴き出す両腕にさらに力を込める。『追儺』の陣が緩み始めているのか、肉塊が少しずつだが動き始めた。
「生きてく理由を見つけろ、生き甲斐を探せ!いくらだって付き合ってやるから、勝手に諦めんのはやめろ!!」
 激痛で霞む意識の中で、肉塊の中心に沈む由音は少年の必死の呼び掛けに唇を動かす。
 何か、どんなことでもいいから答えを返さなければいけないと思った。それくらい、少年の声は言葉は必死さを伝えて来たから。
「…大体っ、僕がこんだけ死ぬ気で頑張ってるってのに、なに呑気に死ぬ算段つけてやがるんだ!?それこそ僕がここまでやってきた甲斐がねえだろうが!!」
 大量の出血のせいか両足がガクガクと震えて来る。だが少年は膝から崩れ落ちることはしない。
 由音の意識に、僅かな反応が出たのがわかったから。
「もうわかった!お前が自分の為に生きる理由を見つけるまで付き合ってやるから、だからそれまでの間は僕の……俺の為に生きてろ!!」
 由音が、浸食された頭の中で考える。微睡みの淵にいるようなまったく纏まらない思考をどうにか手繰り寄せて、考える。
「また暴走したって俺が止めてやる!お前の周りが全員お前を蔑んで遠ざけたって俺はずっとお前の味方でいる!何があったって俺が必ず力になる!だから頑張れよ、頑張って生き延びろ!!死にたいなんて大嘘吐いてんじゃねえっ!!」
 ずっと恐れていたことがある。
 いつかこの暴走が街のど真ん中で起きて、大勢の人達を巻き込んで大騒ぎにしてしまうこと。
 もしそうなれば、きっと自分の居場所はどこにも無くなる。今だって本来の自分を押し殺して過ごしている仮初の居場所はいつ崩れたっておかしくないくらい不安定だ。
 東雲由音は死ぬことを恐れていたわけじゃなかった。それより前に、自分の居場所がどこにも無くなってしまうことが恐ろしかった。
 だって、いくら生きていたって、それを実感できる居場所がなければ。
 それは生きているとは到底呼べないから。
 だから由音は確固たる自分が自分でいられる万全の居場所が欲しかった。外面だけ合わせて付き合う学校の友達や教師ではなくて。無理してその日の出来事を話してとりあえず安堵させることだけを考える両親ではなくて。
 絶対に揺るがない、本当の自分を知っていても受け入れてくれる味方。何があっても隣で励ましてくれて、力になると本気で言ってくれる相手。そんな場所。
 もし、本当に、そんなものがあるんだとしたら。
(…………そしたら、きっと)
 それはきっと、探すまでもなく東雲由音にとっての『生きる理由』としては充分に過ぎるものになるだろう。
『はあ、アあァアあ…ふーっ、…だぁらああああああああああああああああああああああ!!!』
 脱力していた四肢に力を入れて、由音は外側で抑えてくれている少年に答えるように痛みも吹き飛ばす全力の咆哮を上げた。
 “再生”を鎖と化して忌々しい悪霊を縛り上げるイメージを練り上げ、内と外とで全ての力をこの身に集約させて留める。
「…ーーー」
 肉塊に埋もれて外の光景が一切わからない由音は、しかしその時瀕死の体で堪えてくれている少年が少しだけ笑ったような気がした。

       

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Neetsha