Neetel Inside ニートノベル
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 イルゼが、男へと向けたその掌を僅かに動かすと、鈍い音を放ちながら彼女の周囲に渦巻いていた風は、急速に彼女の手元へと集まった。
「明らかな殺意を持って向かってくる相手に限っては、必ずしも生かして捕らえなければならない義務は、私にはありません。できる内に降伏することを薦めます」
 イルゼが、通告と共に集めた風を放つ。
 風は束となり、大きくうねりを打ちながら男へと襲い掛かった。
 進路上の土塊を抉り、その土砂をも巻き込み巨大化する大気の濁流。
「ふん……!」
 男は小さく鼻を鳴らすと、大地を蹴りつけ側面へと逃れた。
 次の瞬間、男の元いた場所が地表もろとも風と土砂の流れに抉られ、飲み込まれる。
「まだです!」
「……!」
 目の前の光景に、男の瞳孔が一層大きく開かれる。
 そのまま無秩序に後方へと拡散していくかに思われた破壊の流れは、イルゼの声に呼応するかのように鎌首をもたげ、男の背を追った。
「ちっ……!」
 即座に逆方向へ切り返そうとする、常人離れした男の体術に、イルゼの風が更に追い縋る。
「……っ!」
 徐々に詰まってくる風の渦との距離に、回避しきるのは不可能と判断した男は、再び大きく切り返すと、すぐさま剣を構えイルゼ本体に飛び掛った。
 あれだけの破壊術を放ちながら、その手綱を容易く御し得ると言うことは、眼前の魔術師は、出力か精度にその特性を持つことは疑いない。
 魔道の精度に長けた者ならば、自らの全力に近い出力の術を、僅かな魔力で操ることができ、出力に長けた者であれば、規格外の破壊力を、それ以上の外力で捻じ曲げることができよう。
 そして、この魔術師は明らかに前者だ。
 強大な破壊術を力任せに捻じ曲げるような荒業では、既に拘束され、地面に縛り付けられている者達を傷つける恐れがある。
 得体の知れない敵に対して、馬鹿正直に最後通告までするような相手が、非戦闘員を巻き込むような真似をするとは思えない。
 つまりあの魔道は、元々力に長けた魔術師ではないあの少女が、自分の余力で御しきれる限界の出力。
 懐に飛び込んだ相手を迎え撃つ、二の矢を放つ余裕は奴には無い。
 男は、攻防の中その目端で捕らえた情報の欠片をつなぎ合わせ、必勝の確信を持ってイルゼとの接近戦を挑んだ。
 背を追う風が追いつくより先に、男の体がイルゼの懐へと潜り込む。
「面白い余興だったが、ここまでだ……!」
 数瞬後、この手に伝わるだろう確かな手ごたえを予感して、男が剣を振り払う。
「ええ、ここまでです」
「なっ……!」
 瞬間、男の体が、予期せぬ突風にあおられた。
 それは、背後から追ってきた風の束ではなく、正面から吹き飛ばそうとする向かい風でもなかった。
 無防備な足元から、間欠泉のように吹きあがる上昇気流。
 男は完全に自由を奪われ、そのまま中空へと吹き上げられた。
「……ようやく捕らえる事ができましたね」
「貴様、まさか……」
「ええ、あなたを追っていたあの風はブラフです。最初の数秒を除いて、ですが」
 持ち上げられた中空から丘の様子を俯瞰することで、男はようやく、あるはずの無い二の矢のからくりに気付いた。
 イルゼの風が地面を抉り、刻みつけた動きの軌跡が、彼女の立っている位置から最初に男が構えていた地点までで途切れている。
 あに謀らず、あれだけのたうち動き回っていた風は、しかし地表には何らの痕跡も残してはいなかった。
 地表から抉り取った土塊も、中空に巻き上げ、微塵に砕いてしまえば細かい砂粒の集まりに過ぎず、弱い風でも巻き上げるのは難しいことではない。
 イルゼは、初め最大出力の風でこれ見よがしに地表を抉り、突風を回避した男を、今度は微弱な力で操る風塵に追尾させていたのである。
 巻き込んだ大量の塵は、実態以上の出力を演出すると同時に、風の姿を可視化することで、足元に集めていた本命の魔力の流れを覆い隠す隠れ蓑にもなる。
「風の魔術の本領は奇襲です。詰めが甘かったですね」
「ぐっ!」
 男を空高く吹き上げる風の流れが途絶えると同時に、瀑布を思わせる下降気流が男を打ち下ろす。
 闇夜の空に、衝突音が響いた。

       

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