ククイは空軍の戦力を少しでも残すために護衛を断っていた。急場で判断を誤ったのではないか。ひとり葛藤する。情報を持ち帰り援軍を呼ばなければ、乙空の献身は無駄になる。
自分の無力さを呪う。ハバナのように
ククイは自分の足で立って歩けないことすらもどかしい。
動力である左翼下の飛竜が撃たれ、機体が左側に傾く。パイロットはゆるやかに滑空しながらリブボーン旧鉱山基地を目指す。
リブボーン鉱山は開拓初期に発見されたため、鉄道が開通していなかった。輸送はもっぱら馬車と飛行船による空輸で、そのための飛行場も完備されていた。
巻きグソのてっぺんのようにとがった、否、肋骨のように鋭い山脈に近づいていく。右に四峰、左に四峰、5、600メートルほどの山間を抜ける。一本グソのような、否、背骨のような100メートルほどの丘陵を横目に不時着した。
鉱山は深部から
SHWに渡った後の経緯は分からないが、跡地とは言え管理している人間がいるかもしれない。
パイロットは竜戦車を閉山された炭坑に隠し、ククイの車いすを押して人を探した。
墓標のような無数の鉄柱が突き刺さり、鉄柱と鉄柱の間に橋が渡されている。橋を渡りきるとさえぎるように兵舎が建っていた。兵舎には歩哨すら立っておらず、隣の労働宿舎もゴーストタウンと化していた。白骨化した遺体のほかは生きた人間の気配はない。
めぼしいものがないかとモンスターに荒らされた売店を散策するが、使いものにならないガラクタばかりが散乱している。
「さがってください」
パイロットは拳銃を引き抜き、カウンターの奥にじっとしている魔物に向けた。大型犬ほどの大きさのカエルが陰の中にたたずんでいる。
「その魔物は
「では、撃たないほうがいいんですね」
「いえ、発砲を許可するわ。自爆すれば
「しかし、それでは追手に気づかれはしないでしょうか」
「一刻も早く情報を持ち帰らなくてはいけないわ。乙空が時間稼ぎしているうちに」
丙武が甲皇国空軍にまで牙をむいた以上、早急に対策を練らねばならない。アルドバランという機動要塞を手に入れた丙武は何をしでかすか分かったものではなかった。
安全策をとっている時間はない。これは賭けだ。
パイロットはククイの決意を察して、タエルを撃った。
タエルは微動だにせず、背中が水膨れのように膨らんだだけ。
パイロットはククイの車いすを引きつつ、売店の外から二発三発と撃ち続ける。
タエルの体は牛ほどの大きさにはれ上がり、限界が近づいているようだった。
パイロットは十分距離を取り、とどめの一発を撃ち放った。
爆風が屋根を跳ね飛ばし、売店は跡形もなく消し飛んだ。
ススが舞い上がり、黒煙が立ち昇る。
ククイはせき込み、目をこすりながら待つ。煙に気が付いて甲皇国軍の誰かが駆けつけてきたときに、丙武の反乱を伝えなければならない。
砂ぼこりが薄くなり、二人の人影が近づいてくる。
残酷にもククイの賭けは裏目に出た。
近づいてきたのは追手のほうだ。
パイロットはすぐに拳銃を引き抜き、迷わず引き金を引いた。
撃鉄が空振りするかすれた音だけが鳴る。弾切れだ。
先に銃弾を発射したのは追手のほうだった。
「早く……お逃げ……くだ」
のどを撃ち抜かれながらもパイロットは最期までククイを案じて死んだ。
ククイは逃げるわけにはいかなかった。まだ爆発の煙を見て誰かが駆けつける可能性をあきらめてはいない。なるべく時間かせぎをする必要があった。
「あなたち、丙武の反乱に加担するのはおよしなさい。今からでも甲皇国軍に原隊復帰するならば、罪には問いません。乙家が保障いたします」
追手の体格の良い男は体をゆすって大笑いした。相棒の小男は銃口をククイに向け、不機嫌そうに答える。
「嬢ちゃんよー、何か勘違いしてねーか。命乞いするのは俺たちじゃなくて、あんたのほうだ。心優しい丙武さまはあんたが『おねがい、私のぐちょぐちょな下の口にあなたのたくましい肉棒突っ込んでかき回して』って言うだけで見逃してやるっておっしゃってるぜ」
ククイは考えた。ただ一度自分が恥を忍び誇りを汚すだけで、この場をやり過ごすことができると。
「おねがぃ、ゎ……」
だめだ、どうしても声が出ない。
「なんだってぇ。聞こえねーなー」
大男は下卑た笑顔を近づける。
「お高くとまりやがって。まだ、わかってねーよーだなー」
小男は車いすの背もたれに鎖を巻き付け、乗ってきたバイクに結び付けながら言う。
そして2台のバイクで車いすを後ろ向きに引きずった。
バイクは徐々に加速していき、目の前の景色が飛び去っていく。
「さあ、どこまで耐えられるかな」
さらにバイクは急加速し、引かれていく車いすの車輪は壊れたように回転している。
遠ざかる煙を見つめながら、ククイは
土煙をあげながら転がる。頭だけかばって、ククイはかろうじて意識を失わないでいた。足に走る激痛で、半身不随はまぬがれたことを知る。
だが今までしてきた歩けるようになるためのリハビリは、またゼロからのやり直しになるだろう。
それでも無駄ではなかったかも知れない。ククイは2本の足では立てないが、車いすなしで自立している。追手から逃れるため地面をはいつくばってでも情報は持ち帰る。全身の痛みを使命感で押さえつけ、傷口を泥で汚しながら。
バイクの駆動音が近づいてきていた。戻ってきた大男がなくしたおもちゃでも見つけるようにククイを探している。小男が先に見つけ、ククイを指さした。
と、そのときだ。
小男の頭が破裂する。
大男が気づいて、発砲音のした方に銃を向けたがもう遅い。銃を構えたときには頭が吹き飛んでいた。
ククイは煙を見て駆けつけてくる誰かを思い描いてはいたが、本当にカールが来たことに驚きを隠せない。
ところがカールの様子はいつもと違う。すでに死体となっている大男と小男の頭であった部分に執拗に銃弾を撃ち込んでいる。
「情報将校さんはお耳が早いだけでなくて、千里眼でも使えるのかしら」とククイが軽口を言っても無反応で、目の前のカールはおどおどして言葉も支離滅裂だ。
「なぜ、慢心した! すぐに皇帝の座を手放したから、平気だと……ククイとは距離を置いていたから、安全だと……」
肩を震えさせながら、自身を責め悔いている。
おびえたカールの目を見て、ククイは思い出した。かつて短い少年時代の終わりの日。母が亡くなってから、カールは子供であることをやめなければならなかったことを。
ククイにはカールが落ち着くまで震える肩を抱き続けることしかできない。