Neetel Inside ニートノベル
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サカガポンド
二話

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 二話

ミナコが学校に来なくなったと聞いたのは2年になって一ヶ月と少しした頃で、進級に伴うクラス分けでAとDとでミナコとだいぶ距離が離れてしまった俺はその事実を知るのに随分と遅れがあった。俺が聞いたときにはミナコが学校に姿を見せなくなってから既に二週間余りが経過していて、そもそも一年の頃は仲良しだったのに最近ミナコが近寄らないな、とか一抹の寂しさを覚え始めていた頃で、そういう思い過ごしも少しの間なら可愛いものだが二週間という時間はそれにしては長すぎるだろう。
俺たちの学校は二年になると進路選択で文型のABCと理系のDEFに分けられる。俺は何故か昔から国語の成績だけは良くて親にも教師からも手放しで賞賛され、いわば割りと偏差値の高い進学校のここに入学できたのも国語の存在によるものが多いのだけれど、どうやらそれは才能とか天性のとか生まれつきのあれで、ぼんやりとしたそのような予感を揺ぎ無い確信へと変化させたのは高校でミナコとカゲトラに出会ってからである。
『1・超能力者は国語能力に長ける』
 こう言ったは良いものの鶏が先か卵が先か、というように国語ができるから能力が使えるのか能力が使えるから国語ができるのかは未だ定かではない。もしかしたら同じように国語的才能に十分に恵まれた者がいればそいつも何かしらの超能力が使えて、あるのに使えないと言うのなら実は才能がないのかもしれない。カゲトラが馬鹿なのは言わずと知れた公然の事実であるが、そんな馬鹿でも高校を卒業してどこかの大学の文学部に入り数回の教育実修の後教員免許を取得して(やつは一度無免許を疑われて慌てながら実家の箪笥の中に仕舞っていたというマジモンの免許を見せてくれた)俺たちの現代文を教えているのは紛れもない周知の事実で、妙に口が上手いのも要するに要すれば語彙力に長けているとも言えるだろう。カゲトラは国語以外はからっきしで2桁の四則計算ができなくてアメリカの首都はロサンゼルスだと思っているような阿呆だからむしろ何故か国語が秀でているのは才能によるものと取れる。うん、たぶんそうなのだ。
 クラスがD組になってしまったミナコは学校の不明瞭な基準で大別すれば理系なのかもしれないが、俺から見ればその行動や雰囲気や趣味その他は文系的とも言えて、そもそもがこういうふうに脳の仕組みを二つに分けて考えようとすることこそが勘違いなのだろうけれど、まとめるとやつは国語が素晴らしく良くできた。正確に言えば国語もだけど。ミナコが理系を選択したのは100点の理数と99点の国社英を比較した結果なのだ。差し当たり夢も目標もないらしいミナコは強いて夢をあげるなら『子どもを持つこと』になるらしくて、それを教えてもらった俺は『幸せなお嫁さん』になることだと拡大解釈するのだけど、ミナコがどういう相手が好みでどういう未来を描いているのかまではわからない。
とにかくだからミナコは自分の適正を冷静に判断して進路を決めたようなふうだったが、俺はそれは間違いでミナコは本当は文型に進むべきだったのだと思う。一度一年生のときミナコが全国の小説コンクールで優秀賞をとったことがあって、まず審査会からその連絡を聞いたカゲトラがミナコに伝えたらしいが、ミナコは辞退した。そうカゲトラから聞いたときはうんうんまぁ変に目立ちたくないもんねとかと察して、実際ミナコは地味だし、そのくせ割りと可愛い容姿をしているからかどうかは関係があるのか知らないが学校の一部の女子グループから顰蹙を買って昔何らかの諍いがあったらしいことも聞いていたのだ。そうやって勝手に納得する俺にカゲトラは複雑な面持ちでいかにあの作品が素晴らしくて良くできていて、人の心に訴えかける何かがあるのだと力説するのだが、いまいち伝わってこなかった。しかし俺も言わんとすることはわかって、よしそんなに素晴らしいなら受賞するよう説得してやるよとミナコの元へ行こうとはしたが止められる。
「いや、まぁ知っといてほしかったんや。別にミナコが受賞とか、面倒くさいなぁって思うんならええんや。あの書いた作品は、なんというか、作品ってみんなそうやけど、人の内面が如実に現れてるでな。やから、一人だけでええから、あいつの身近なやつに知っといてほしかったんや。俺ら教師はそいつが卒業したらそれっきりやでな」

       

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