Neetel Inside ニートノベル
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 男は見るからに不審そうな振舞いをしながら、こっそりと新生児室に侵入した。ベッドの上には生まれたて赤ん坊がズラリと並んで寝かされており、声や衣擦れの音もしない。平時であれば親家族や医師看護師が忙しなく行き来するはずのこの部屋は、今はひっそりと静まっている。
 男はしばし室内を進んでいったが、やがてあるベッドの前で足を止めた。赤ん坊はぐっすりと眠り込んでいる。それを見つめる男の顔は窓から差し込む光に照らされて、だらしなく歪んでいた。
 男の腕がベッドに伸びる。その指先が赤ん坊の顔に触れようかという瞬間、新生児室の扉が静かに音を立てて開いた。男は身を固まらせてその場で動かなくなった。そのままゆっくりと顔を入口に向ける。

 そこに立っていたのは一人の少女だった。小学校に上がるぐらいの年頃だろうか、その瞳は大きく見開かれ、男を真っ直ぐに見据えていた。震える唇がやがて一つの言葉を形成した。
「……おじさん、誰?」
 男はしばらく黙っていた。やがてゆっくりと腕を下ろし、身体ごと少女の方に向き直る。
「おじさんはね、みんなのパパだよ」
「……パパ? あたしのパパは今おしごとしてるよ?」
「ごめんごめん。皆っていうのは、ここにいる赤ちゃんたちのことだよ」
「赤ちゃんたちの……?」
 少女は小首をかしげた。
「でも、あたしの妹のパパはあたしのパパだってママが……」
「ああ、今まではそうだったかもしれないね。だけど、これからはおじさんがパパになるんだ。おじさんがパパになってあげたいんだよ。そうだ……」
 男の顔が不気味に歪んだ。それが笑顔だと少女が気付いたときには、男の手はもう少女の腕をがっちり掴んでいた。
「君のパパにもなってあげよう。簡単だよ、ちょっと認知するだけだから……」

「取り押さえろ!」
 室内に号令が響き、数人の男性看護師と研修医が男に掴みかかった。見知らぬ大人に言い寄られた恐怖で立ち竦んでいる少女に、女性看護師が一人しゃがみ込んで話しかけた。
「大丈夫? 怖かったねぇ。もう安心だよ、ママのところ戻ろうね」
「あ……あああ……うわーん」
 少女は堰を切ったように泣き出した。

 少女は知るよしもなかったが、男性は『認知』症という病気だった。子供を『認知』したくてしたくて堪らなくなる精神疾患。部外者に被害を出してしまったことを受け、病院は『認知』症徘徊患者に対する対策を迫られることになったのだが、それはまた別の話。

       

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