Neetel Inside ニートノベル
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「キャー!! パパ助けてー!」
「大声出さないで、どうしたの」
 家内の悲鳴を聞いた私はスリッパを片方脱いで廊下へかけつけた。見れば最初の予想通り、妻がへたり込む前にヤクルト程度の大きさをした、黒光りする平べったい虫が這いずり回っている。
「そりゃっ!!」
 渾身の一撃は素早い動きであっさりと避けられた。ゴキブリはそのまま廊下奥の暗がりへ逃げていく。
「どう、終わった?」
「いや……逃げられた」
 家内の質問に答えながら私は頭を掻いた。どうにもゴキブリ退治は苦手だ。虫が苦手というより元々運動神経がよくないのだ。だったら殺虫剤でも使っておけという話だが、家内が「子供が吸い込んだりイタズラしたりするとマズいから」と言って許してくれない。ちなみに息子は今年で5歳になるが、虫は大好きである。
 サッと視界の端を何か黒い物が横切った。私は振り向き様にスリッパを繰り出した。
「そこかっ!!」
 パーン、という音と共に微かに伝わる手応えがあった。
「やったか!?」
 私はスリッパの下に黒い物があることに気付き、期待を持って覗き込んだ。
 そこにいたのは黒光りする六本足の平べったい……大きなアゴを持つクワガタムシであった。息子がこの夏サマーキャンプで取ってきたヒラタクワガタである。ヒラタは私のスリッパの一撃を受け、完全にひしゃげて潰れていた。
 私はしばらく動けなかった。顔はこわばり、息をすることさえも忘れて硬直した。どうして、何故。今日の餌やりの時、蓋を閉め忘れていたのか。そんなどうでもいいことが頭をかけめぐった。
「どうだった? 殺った?」
 物音が止んだのをみて、家内が恐る恐る私の後ろにやってきた。そしてそのままヒラタの死骸を見て「ヒッ」と小さく悲鳴を上げて動かなくなった。
「お父さん? お母さん? どうしたの?」
 異変に気付いたのか息子までもが自分の部屋から出てきた。そしてヒラタを見ると、その目に涙がみるみる溜っていった。
「ごめんな……ま、間違えちゃったんだ。ゴキブリを追っ掛けてたんだけど突然コイツが出てきて……」
「そ、そうよ、パパは悪くないのよ? 同じ黒い虫だから見間違えちゃったのよね?」
「そっか……」
 私たちが必死に弁解をすると、息子は涙を拭って小さく呟いた。
「じゃあ、ここにいる黒い頭の虫二匹も、ゴキブリに間違えていいかな?」
 その目はもはや泣いても、まして笑ってもいなかった。

       

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