Neetel Inside ニートノベル
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「大事な話があるんだ」
 そう言われて夕食後、リビングに集められた皆を前にして父さんが言った。
「実は、会社を辞めた」
 ガタン、と椅子を蹴倒して立ち上がったのは母さんだ。
「辞めた!? どういうこと!? 辞めたって!」
「すまん、前もって相談とか出来なくて」
「もう、ちょっと、もう……説明してっ!」
 母さんは溢れ出る感情の余り言葉が出てこない様子だ。辛うじて説明を求める言葉に、父さんは軽く頷いた。
「実は……部門の業績が悪くてな。前々から転職先を探してはいたんだ。そうそう簡単には見つからなかった。けれど、今日ハッとひらめいたんだ。俺には俺の強みがある。それを活かせる仕事なら、自営業でも充分やっていけるんだって」
「その程度の思いつきで衝動的に辞めたの? 会社を?」
 母さんは信じられないというように目を見開いた。
「衝動的と言えば衝動的だけど、別に先の見通しなしで辞表を出したわけじゃない。知り合いや友人のつて頼りだけど、しっかり仕事は決めてある」
「へえ? 自営業って言ったわよね? それでそこまで大口叩くんなら、具体的な仕事を教えてちょうだい。何をするつもりなのか、それでどのぐらい稼ぐつもりなのか、はっきりと!」
 母さんの剣幕は凄まじくて、僕らが口を挟む余裕もない。ところが父さんは平然としたもので、落ち付き払って答えた。
「うん。父さん、これから媚を売って生きていこうと思うんだ」
 全員ポカンとしてしばらく何も言えなかった。聞き間違いだと思ったぐらいだ。しばらくして呟いた母さんの声は震えていた。
「媚?」
「そう。父さん、媚売りのプロなんだ。昔から上司や取引先に媚を売るのが上手だったし。媚ならいくらでも需要がある。顧客にリーチさえ出来れば、いくらだって……」
「家族に対してすらロクに媚を売れない人間が人様に売れるわけないでしょう!」
 説明が終わる前に母さんの雷が落ちた。
「そこまで言うなら、媚びてみなさいよ」
「え?」
「媚びるのよ、ここで! 今すぐ! 私たちに媚を売って、転職を認めさせてみなさいよ! それが出来たら媚でも何でも売っていいわ!」
「そ、そんな無茶な」
「プロならそれぐらい出来るでしょ! ほら、媚びろ〜! 媚びろ〜!」
 突然マンガの物真似を始めた母さんと、それにうろたえる父さん。僕らは降って湧いた地獄絵図、いや世紀末絵図に、ただただ縮み上がるばかりだった。

       

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