今日から待ちに待った春である。暦の上では。勢いきって開けた窓からナイフの雨のような風が差し込んできて、朝から早速後悔が一つ。暦って奴を考えたのは一体どこのバカであろう。ぬか喜びさせやがって、会ったらこの豆をぶつけて祓ってやりたい。昨日撒いた豆の残りをヤケクソのようにバリバリ食べる。歳の数など気にはしていられない。
そもそも正月のことを「新春」などと呼ぶのが納得がいかない。正月は誰がどう見ても冬である。雪だって12月よりも1月の方が降るし、霜だって氷柱だって、1月に入ってからが本番だ。だのに暦の野郎、小雪だ大雪だと適当なことを言って、そんな風だから年賀状に「迎春」などと書かれて訳もなく私がカリカリする羽目になるのだ。許せない。
それもこれも告白のせいである。告白の返事を春まで待ってくれと言われたのは、秋の入口だった。体育祭の打上げで、応援団の先輩と帰り道一緒になった。わざと私たちだけはぐれるように仕向けた友達には腹立たしいやらありがたいやら、今思い出しても火山のような感情がブワーッと噴き上がってくる。返事がまだだからこの程度だけど、いざ成否が分かったら、私の心は本当に破裂しかねない。
それからというもの一日一日が長くて長くて、これが一日千秋という奴か、などと考えながら、私は表面上は大人しく返事を待っていた。内面的には書いた通りの荒れ模様で、自分の中にこれほどまでに暴力的な感情が眠っていたのか、と自分で驚くぐらいに私はナーバスになっていた。先輩にとっての春はいつなのだろう? そんなことは聞けなかった。聞けば急かされていると思われるだろう。そんな誤解はされたくなかったし、それに告白の返事でこんなに不安定になっている自分を見せたくもなかった。
もう100個は食っただろう、手元の大豆は大分減っていた。もしこのまま返事が曖昧なままで本当に100歳を超えてしまったらどうしよう。私もいよいよお婆ちゃんか。そんな妄想が頭をよぎる。我が世の春が来ないまま、春が終わるのか。
握りしめていたケータイからLINEの新着音が鳴る。通知を何の気なしに眺めて、私は失神しそうになった。
ディスプレイには、先輩の名前が光っている。心臓があり得ないほど音を立てて鼓動しはじめた。身体もポカポカとあたたかい。
今日は立春。春が訪れる日だ。
世間的には冬かもしれないが、暦の上でも、私の上でも、今日間違いなく春が来たらしい。