Neetel Inside ニートノベル
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かつて「そこに山があるから」と言った冒険家がいた。では、山が二つあった場合はどうなのだろう?
身体は1つしかないのだから、同時に登ることは出来ない。しかし「そこに山がある」以上、どちらの山にも登らなければ整合性が取れないだろう。しかし登る順序をどうつけるのか?
具体的に近い方とか、低い方とか、そうやって優先順位をつけることも出来るが、それは本質的な答えにはならない。「そこにある」という理由で山登りが肯定されるなら、登る順番も「ある」ことについての差異でもって決定されるべきなのだ。そして、より「ある」というのはどういうことなのか。そこが分からない。
存在を量的に計るなら、大きさとか重さとかがあるが、「存在感」という言葉が示すように、存在の質は必ずしも存在の「量」に関係しない。強いて言うならば、存在の質を決定づけるのは、他者に対する影響力の高さ、ということになるだろう。我々が他の人・物から存在感を感じるときとは、我々が何らかの影響を受けて、大きく状態を変化させられているときなのだ。
しからば、その「存在感」が甲乙付け難いときはどうすればいいのか。眼前にモンブランとキリマンジャロがあったら、どちらかの方が明確に存在感が強いということはないはずだ(もちろん人によっては、どちらかの方が思い入れが強い、存在感が強いということもあるだろうが)。そうなれば、もう本質的な順序付けは期待できない。高さだのなんだの、手の届く指標に頼るしかないのだ。それはコインを投げるのとなんら変わりがない。分身の術だけが、このジレンマを解消する唯一の手段、ということになる。

そんなことを、おっパブでおっぱいを揉みながら考えていた。手が2本あって良かったー。

       

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