Neetel Inside ニートノベル
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「ウサギとカメ」の童話を聞くと、忘れていた絶望が帰ってくるのを感じる。
子供の頃から何をやってもダメだったが、将棋だけはやたらに強くて、家族はもちろん、近所のじいさん達、同級生にも負けたことはなかった。流石に大会ともなると一筋縄ではいかなかったが、それでも小学校4年生の時には県代表まで行ったし、その時はもっともっと強くなれると思っていた。
でも、僕の才能はそこまでだった。5年、6年と県代表にこそなれたが、並み居る全国の強豪には全く歯が立たず、真の天才というものを骨の髄まで味わった。負けた相手がプロ棋士の推薦を受けて奨励会に入会していくのを、僕はただ黙って見ていることしか出来なかった。圧倒的な力の前には、一年かけた努力なんて紙くずのようだった。才能のない努力なんて何になろう? 厭世的な気分で入学した中学校の将棋部で、しかしその思いすらも打ち砕かれることになる。
将棋部にいた、一つ上の先輩。小学校時代には、侮れないとはいえ、ものの相手ではなかった。しかし彼は、当時からは想像も出来ないほどに強くなっていた。入部してすぐ、僕はその理由を目の当たりにした。そこにあったのは、文字通り弛まぬ努力の跡である。ボロボロになった図書室所蔵の大量の定跡書。塗装が禿げて、ひびわれて、マジックとボンドで補修してある一字駒。何より小学校時代にはしていなかった厚い瓶底のような眼鏡が、僕の「一年かけた努力」なんてただの紙くずに過ぎなかったと言っていた。僕は、努力すらもまともに出来ていなかった。
足の速さで劣るカメがたゆまぬ努力でもって怠慢なウサギに勝つ。「ウサギがカメと同じだけ走ったらウサギが勝つんだから、結局は才能だよ」と嘯く輩もいる。それも否定はしないが、問題はそこだけではない。ヒトとは慢心する生き物であり、どんな時でも全力を尽し続けることの出来る者は稀なのだ。そう、この物語の真の天才はウサギではなく、カメだ。貴方はカメだろうか? 進んでも進んでも見えぬ相手の影を追って、報われるとも限らない努力を積み重ねることが出来るか? 僕は違う。僕は、ただのゾウリムシだ。
もう学業は修め終わってから大分経つが、将棋の勉強は続けている。カメにはなれない。さりとてウサギでもない。どう頑張っても競争の先頭に立つことは敵わないが、出来る範囲で出来ることをやる。そのぐらいで自分を許してやらないと、気が狂ってしまいそうだから。

       

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