Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      

7代インディゴの皇帝即位は新紀273年のことである。
幼少期より詩歌文学に親しみ荒事を好まなかった彼は父コバルトより「支配者の器にあらず」と評価されていたという。初元服(注:紺碧朝では8歳で半人前、16歳で一人前と見做される。初元服は8歳の誕生日に合わせて行われる儀式で、成人の為の修行期間の始まりでもある)を終えた後に後継者の指名を受けたのは、武芸に秀でた弟セルリアンであった。
しかし皆の期待に反してセルリアンは14歳で夭逝してしまう。文献の限りでは性格、趣味、どこにも共通点のない二人であったが兄弟仲は良かったらしく、インディゴが三日三晩泣きはらした後に弟に向けて吟じたとされる歌が残っている。もっともこの場合泣きたかったのは父のコバルト帝や家臣達の方であろう。息子を失った悲しみからか、コバルト帝はわずか一年後に後を追うように流行病にかかって逝去してしまう。家臣団の後継者会議は紛糾したが、結局インディゴを次期皇帝として推さざるを得なかった。
そんな誰からも(恐らく本人すらも)期待されないまま即位したインディゴ帝だったが、その治世は意外にも立派なものである。内政における税制改革や文化振興策は勿論、硬軟織り交ぜた外交努力、そして晩年の岩の民侵攻に対する迅速な対処などは、とても血を嫌う文人の手によるものとは思えない。これについて一つ面白い話がある。実はセルリアンは死んでおらず、インディゴ帝のスーパーバイザーとして兄の政権運営を助けていたというのだ。実はセルリアンの遺骨は発見されていない。また岩の民討伐の過程で明らかに軍事に詳しい人間が指示したと思われる記述が多く見られるが、書き方からして身分の高い者であると分かるにも関らず、その名前は存在しないかのように一切記録されていない。この人物がセルリアンであるというのだ。
何故このようなことをしたのか。ここからは推測になるが、まだ家父長制の時代にあって、セルリアンは不当に過小評価を受ける兄を立てたかったのではないだろうか。そこで家臣を含めて一芝居打ち、あたかも自分が死んだかのように工作させる。父が早逝してしまうのは想定外だっただろうが、兄を即位させ、自分がサポートする。そうすることで、平和な国家を築き上げることが出来ると考えたのではあるまいか。そう考えると、先に述べたインディゴがセルリアンにおくった歌もまた、違う響きで感じられるのである。

       

表紙
Tweet

Neetsha