Neetel Inside ニートノベル
表紙

日替わり小説
4/21〜4/27

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 説明に従ってヘルメットを被る。途端に凄まじい恐怖が込み上げてきた。身体の芯につららを差し込まれたかのような感覚、成長痛のような膝の痛み。とにかくどこかへ走って逃げ出したい、あるいは大声でデタラメなことを叫び回りたい。幸い私がおかしなことを始める前に後ろからヘルメットが外され、私は生き恥を晒さずに済んだ。
「凄い技術ですね」
 素直な感想を口にする。ヘルメットを外してからもしばらくは身体の中には厭な感覚はしばらく残っていた。感情自体を再現して追体験させることが出来ると事前に説明されていたが、まさしくその通りの代物だ。
 何より怖いのは、怖い対象が何か分からないというところだった。怪物や化け物が怖いならそれに対する心の備えというものがあるし、沈黙や暗闇が怖いというのも、原因があるがゆえの安心した恐怖と言える。しかしこの装置では、具体的な恐怖の理由がないのに恐怖の感情だけは湧き出してくる。自分の感情が自分の置かれている状況と乖離している違和感。あたかも感情そのものが自分のものでなくなったかのようなような気分になり、そのこと自体が更なる恐怖を産む二重構造が存在した。
「ふふん、凄いでしょう? これで全てのエンタメは新次元に到達しますよ」
 開発者は私の反応を見て御満悦だ。
「確かにこのレベルでの感情共有が可能になるなら、これからの作品はもっと感情表現については工夫の必要があるでしょうね」
「でしょう? これからはもう感情移入の時代じゃないんです。我々とこの技術が感情追体験時代を築きます」
「んーしかし、そこまで普及しますかね?」
 水を差すようで気が引けたが、率直な感想をということだったので私は正直に述べることにした。
「これだけ感情がリアルになると、コンテンツ自体からユーザーが離脱しちゃいますよ。『あれ、こんなしょっぱい表現でこんなに怖いなんておかしくないか?』って」
「そうおっしゃいますか。まあいいでしょう。どちらが正しいか、半年後の普及率を見れば分かりますからね」

 半年後の普及率はほぼゼロだったが、かといって私が正しいというわけでもなかった。感情追体験ヘルメットは販売を規制されて廃盤となったのだ。覚醒剤やドラッグの快感情を再現するデータが新種の電子ドラッグとして闇ルートで蔓延するようになってしまっては無理もない。人類は今のところ、まだ感情追体験時代を拒み続けているようだ。

     

 ショッピングモールで買い物としていたら、コーラをラッパ飲みする子供から、母親がペットボトルを取り上げているのを見つけた。
「だめよ、はしたない。これはおうちの中でこっそりと飲みましょうね」
「でも母上、遠足に行ったときは外でお弁当を食べたりお茶を飲んだりしましたよ?」
「ご飯は良いのです。それからお水やお茶も。コーラはガスがお腹にたまるでしょう? 外では汚いことはしてはいけないのよ」
 汚いこととはげっぷの事だろうな、と私は思った。この国ではげっぷは罰則の対象となることがあるのだ。具体的には二酸化炭素やメタン等の炭素を含むガスや硫黄が含まれる成分が一定以上に達する場合、マスク等の生体フィルターを通して浄化しない限り、公衆空気への排出は認められないのだ。俗に「生体ガス排出規制条例」と呼ばれるこの規定は半年前に制定された。当然だが通常の呼吸、それからおならにも適用される。
 炭酸飲料メーカーもこのことは重々承知していて、基本的に市販されている炭酸飲料の炭酸ガスは基準値を下回る数値ということになっている。しかし万一の事があっては困るということで、基本的に外で炭酸飲料を飲むことはあまりない。メーカーも非推奨という位置付けだ。

 『ゲェ〜ッ』と大きな音が広場に響いた。子供の方を見れば、口を抑えて気不味そうな顔をしている。しかし母親の方はそれどころではない。真っ青な顔をして子供を抱きすくめている。周りの人も気の毒そうに二人をちらちらと見ている。しかし無情にも広場中央上部にある簡易ガス検知機のサイレンがけたたましい音で鳴り始めた。ガスGメンのおでましである。

 ガスGメンはこうしたげっぷやおなら事故の調査のエキスパートである。拡散してしまった生体ガスを採取したり、当時の状況を再現することで、排出時の濃度を推定して基準値に適合しているかどうかチェックする。
 こうして子供が不幸なげっぷ事故を起こした時の空気は耐えがたいものがある。赤ん坊が哺乳瓶を離したあとのげっぷに居合わせた時は本当に最悪だった。罪のない子供がげっぷ一つの為にいらぬ前科を負うことになるのだと思うと見ていられない。その場を離れようとしたが、その前にGメンの声が耳に入ってきた。
「お母さん、このコーラはあきまへんわ。これ最近ガス不正で自主回収発表された奴ですもん。一応検査しますけど、絶対アウトですわ」
 母親の泣き崩れる声が聞こえた。

     

 ステージの上でまばゆいばかりの光を浴びて、きらびやかな衣装を着た少女達が歌って踊る。7人が跳ねて、翔ぶたびに、キラキラと光るものが彼女たちの身体から溢れ落ちてくる。壇下には彼女たちに相対する形で、もの凄い量の人間が会場を埋め尽し、大歓声を上げている。会場の熱気は最高潮に達し、何も知らない人であってもその熱さに飲み込まれそうになるほどの様相を呈していた。
 曲が間奏に入り、アイドルのリーダーとおぼしき中央の少女にスポットが当たる。
「皆さん、今日も来てくれて、今日まで応援してくれて、本当にありがとう! 皆さんのお蔭で、今日の儀式は大成功です!」
 一瞬の歓声。しかし直後、聞き慣れない言葉に次第に静まり返るオタクたち。儀式ってなんだ? その疑問に答えるかのように少女が続けた。
「実は今日のライブでは、皆さんたちの精神エネルギィを生贄に、悪魔転生の儀式を行ってました。黙っていてすいません。私たちは今日でアイドルを卒業し、人類を滅ぼす悪魔になります!」
 突如会場の明かりが全て消え、辺りは真っ暗になる。混乱の中、少女たちの身体が仄かに光る。牛のように曲がった2本の角、コウモリのように膜の張った羽根、光彩の薄い黒い眼球、青く透き通った肌、そして黒くつややかに光る尻尾……その容姿は人ならざるものに変わっていった。

 静まり帰った会場で、リーダーが口を開いた。
「ふう、人間のフリをしてキモいオタクどもに媚を売るのもこれで終わりね」
「ねえ早く掃除しちゃいましょう? こんな下等生物と触れ合っていたかと思うと、今でも虫酸が走るわ」
「そうね、景気づけにここにいる豚どもを八つ裂きに……やだ、ちょっと、何、これ……?」
 一人の悪魔が話を止め、何かを恐れるかのように腕をぎゅっと抱く。と同時に悪魔たちが揃って騷ぎ始めた。
「いや、何か入ってくる……ウソでしょ、こんな気持ち悪いもの……!」
「儀式で吸収した魔力が暴走してる! こんなに強い精神エネルギィが……制御出来ないっ」
「イヤ、止めて! 私が、私の人格が、私の性格が……あの下等生物の好みの通りに変えられていくっ!!」
 悪魔となったはずのアイドルたちが次々と悲鳴を上げて倒れていく。次に彼女たちが目を覚ました時、彼女たちは既に悪魔ではなくなっているだろう。彼女たちはオタクたちの欲望を忠実に叶える為の存在となって、命果てるまでオタクに尽すことになるのだ。

     

 扉を叩くものがいるので開けてみると、旅装束の身形をした男が一人立っておった。
「旅の途中で日が暮れてしまい、辺りに他に明かりもなく、今日は随分と降りますのでおちおち野宿も出来ません。せめて土間か軒下だけでもお貸しいただけないでしょうか」
 今日の朝からもの凄い雨であった。ここら一帯は雨宿り出来そうな場所もうちの他にはない。旅人がこの辺りで往生するとうちに雨宿りに来るのはよくある事だったので、私貸し出し専用の蒲団と部屋(物置を改造したものだが)を用意していた。
「こんな夜遅くに寒かったでしょう。どうぞ中へ入って、温かいものでもご馳走します」
 私は旅人を中へ引き入れた。

 簡単な食事と茶、風呂を用意すると、旅人は大層喜んで、涙を流して礼を言った。
「どうぞお気になさらず。どうせ一人でいつも寂しく暮らしているのですから」
「いやいやとんでもない、こんなに良くしていただいたことはこれまでありませなんだ。もう何と御礼をしていいやら」
 そう言うと旅人は恐縮しながら物置に下がっていった。これ以上は厄介になれないとでも思ったのだろうか。もう少しぐらい話し相手をしてくれてもいいのに、と私は思った。旅人の話を聞くのは数少ない娯楽の一つだ。しかたない、私も寝る準備をしよう。

 ところが、寝たはずの旅人はすぐにこちらに戻ってきた。
「貸していただいてこんなこと言うのもなんなんですが、蒲団が硬くて硬くて。寝転がっても痛くて痛くて、とても寝られたもんじゃありません。なんとかしていただけませんか」
 確かにうちの蒲団は煎餅布団だが、ここまで言われるのはちょっと失礼な気もする。とはいえ、お客様の頼みとあらば仕方がない。確認してみると、敷布団の中の煎餅が真っ二つに割れていた。なるほど、割れた部分に背中が当たっていたようだ。それは痛い。
 しかたがないので口に含んでバリバリと噛み砕き、割れた部分を丸く補修しておく。早いうちに替えの煎餅を買ってこなければ。
「一応角は取りましたけど、もし他に硬いところがありましたら、恐縮ですけど、ご自分でつばや水をつけてふやかしてくださると助かります」
 そう言い残して、私は部屋を出た。

     

「そこ座ってて。今飲み物出すね」
 奥から彼女が出してきた紙パックには、なんと大きく「カレー」と書かれていた。
「待って、ちょっと待って」
「え? どうしたの? あっためた方がよかった?」
「冷たいのかよ。それ以前にカレーは飲み物じゃないでしょ」
「え? 違うの? 美味しくない?」
「美味しいことと飲み物であることは関係ないでしょ。違うもの飲ませて」
「分かった」
 一時期ネットのデブの言葉として「カレーは飲み物、主食はピザ」というのが流行ったなと思い出す。しかし彼女はデブとは程遠いのだが……デブ活でも始めたのか。うら若い乙女だというのに。
「うどんでいい?」
「いいわけないでしょ。うどんも飲み物じゃないから」
「でも汁とかすすると美味しいよ?」
「だから美味しいことと飲み物であることは関係ないって言ってるでしょ」
 紙パックを手に取ると確かに「うどん」と大きく書いてある。中を覗くと白いうねうねしたものがどっしりと紙パックの中に入っていた。これどうやって注ぐんだろう。のびたりしないのかな。
「こういうのどこで買うの? スーパーでは売ってないでしょ」
「香川だと普通に作るよ?」
「作るのかよ!」
 そういえばここは香川県だっけ。いやいくらうどん県民でも茹でたうどんを紙パックに入れて保存はしないと思うが。のびるでしょう。
「もう水でいいよ、水道水汲むから」
 コップを持って流しに立つ。蛇口を捻るとオレンジ色の水が流れ出てきた。
「うわ! 水道管ダメになってるよこれ」
「えー本当? そういえば今日から愛媛の方の水系に変わるって言ってた」
「みかんジュースじゃん!」
 香川だから油断してた。臭いをかぐと確かに錆びた鉄じゃない、柑橘系の良い香りだ。
「一息ついたらご飯作ろうか」
 コップに注いで飲んでいると、リビングから彼女が声をかけてきた。
「でも水道がみかんジュースだよ。何も作れないでしょう」
「大丈夫だよ。カレーうどんのつもりだったし」
「飲み物じゃないって分かってるじゃん!」

     

「自分の好きなことをマイクに向かって全力で語って下さい。その熱意が、深さが、情報の価値が、あれがあるほど、沢山の食料が産み出されます」
 テレビの中で男が力説する。
「つまり、このマイクを使えば好きなことで生きていけるんです」
 どよめきの声。こういうテレビショッピングのガヤって一体どうやって集めてるのかしら。わたしは昼の準備をしようと立ち上がった。
「くだらないわねえ……。こんなの買う人いるのかしら……貴方?」
 見れば夫は携帯を構えて電話しようとしていた。
「あ、いや、これは違うんだ、その……」
 夫の下らない家電マニアっぷりにも困ったものだ。私は溜息をつくと台所へ立った。

「凄いよ! 本当に好きなものについて熱弁するだけでこんなに沢山!」
「遊ばれるのは結構ですけど、賞味期限の管理はちゃんとしてよ。ナマモノとか突然大量に持ってこられても困るから」
「ふふふ、任しとけ。これからは食い物の心配なんてしなくてもよくなるぞ」
 新しいものを前にすると本当に子供みたいである。まあしばらくは好きに遊ばせてあげよう。

 ここのところ夫の元気がない。家電の新製品探しはおろか、あれほど時間が足りないと言っていた沢山の趣味のどれも手につかないようで、いつもぼんやりと虚空を見つめている。
「最近どうかしたの? 別に暇な時間には好きなことしてていいんだよ」
 夫がこちらを見た。びっくりするほど空虚な瞳だった。
「なくなっちゃったんだ……」
「え?」
「趣味が、なくなっちゃった。何やっても全然面白くない。マンガも電子工作も、もう見るのもイヤになって、全部捨てちゃった」
 捨てた? 中学校以来ずっとやってた工作を全部!? あの蔵書量のマンガを全部!? 何かおかしなことが起こっている。私は軽い恐怖を覚えた。
「マイクのせいだと思う……」
 夫がつぶやいた。
「マイク?」
「あの、食材が出てくるマイク。あれに向かって何か言うと、言っただけそれが好きな気持ちがなくなっちゃう気がする。それに気付いてから、怖くて。でも、食材が出てくるのは面白いから、止められなくて……」
「ね、ねえもう寝た方がいいよ。貴方疲れてるのよ……」
 私の制止をふり切って、夫は続けた。
「昨日ね、僕、やっちゃったかも……だから謝りたくて」
「やっちゃったってなにをよ」
「君との結婚生活の話をしちゃったんだ……。ごめん」
 夫はポロポロと涙を流した。

     

 境内を掃きに出ると、いつもの高校生が参拝しているのが見えた。
「精が出ますね?」
 声をかけると、無言で顔を赤らめながら足早に走り去った。
「また来てたの?」
 後ろから神主さんが現れた。いつも通りの柔やかな笑顔だ。
「ええ。何の願掛けなのかは分かりませんけど……」
「彼は凄いよねぇ。願掛けとはいえ、今時珍しいひたむきさだよ。まあ、君がいればこそ続いてるんだろうけど」
「え? どういう意味ですか?」
「んー。いや、なんでもないよ」
 どこか歯切れが悪い。私がいると願掛けが上手くいく? 願掛けが叶うのは神様のおかげだと思うが。

 一週間後、今度は高校生の方から話しかけてきた。うちの神社の願掛けは基本的に途中で喋るのはよくない。こんなことは初めてだ。
「どうも、こんにちは」
「こんにちは。もう願掛けはいいんですか?」
「はい。今日が100回目ですから」
「願い事、叶うといいですね」
 そう言いながら、私はふと彼の態度が気になった。願掛けが済んだのに、なんで彼はまだここにいるのだろう? 私に何の用なのだろう?
 彼の言葉を待っていると、後ろから声がかかった。
「やあお二人さん、おはよう」
「あ、神主様、おはようございます」
 神主さんのいつも通りの柔やかな笑顔。いや、よく見ると笑顔に翳りがあるようにも思える。どうかしたのだろうか。
「願掛け、終わったんだ?」
「はい、おかげさまで」
「それで早速実践かい? 若いのにあなどれないね」
「はい?」
「ちょ、ちょっと神主さん……」
 高校生への攻撃的な言葉。たしなめようとした私を押しとどめて、神主さんが言葉を続けた。
「悪いけど、この子は僕の彼女だから。たとえお百度してくれても、君に渡すわけにはいかないねぇ」
 後ろからグッと抱きすくめられて、気恥ずかしさに顔が熱くなる。神主さんが私のことをここまで想っていてくれたなんて……。高校生へのからかいも、彼なりの嫉妬心の現れだったのか。
「神主さん……」
「今はその呼び方で呼んで欲しくないな。名前で呼んで?」
「……もう」
「あの、すみません」
 完全に二人の世界に入りかけていたところで邪魔が入った。いや違った、元々は彼と話してたんだっけ。
「どうしたの? まだ何か?」
 神主さんが面倒くさそうに聞くと、気不味そうに彼は続けた。
「いや、あの、お守りが……社務所にあるの、恋愛系のしかなくて……学業成就のないか、聞こうと思ってただけなんですけど……」

       

表紙

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Neetsha