Neetel Inside ニートノベル
表紙

日替わり小説
5/19〜5/25

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 外に広がるのは綺麗な夜景。卑近な言い方をすれば、『宝石箱をあけらかしたような景色』という奴だ。こんな状況でなければ、もっと楽しめると思うのだが。そう思いながら、向かいの席に目を移す。
「どうしたの? そんなに怖い顔しないでよ」
 涼しく笑うその顔が憎らしい……。誰のせいでこんな思いをしていると思っているんだ。あらん限りの殺意でもって彼を睨みつける。彼はふざけたような顔をして嘯いた。
「怒らないでよ。夜景を見てみたいって言ったのはあなたでしょう?」
 そう言うと私の身体に黙々と幅の広いバンドのようなものを巻きつけていく彼。それには金属製のフックがついていて、彼は最後にそれを自分の臍にある金具にカチッと嵌めこんだ。
「もちろん分かってるさ。だからこうしてヘリに乗せてもらって上まで来たんだよ?」
 私が抗議の声を発するよりも前に、私の身体はヘリを飛び出し宙を舞った。

 飛び出すと同時に突風で身体が木の葉のようにくるりと反転する。全身がキュッと縮こまるような感覚を覚えた。下に背中を向けて落ちることがこんなに怖いとは。
 自由落下に対抗して、身体の位置をコントロールするべく必死に手足を伸ばす。しかし身体が重なっていることもあり、重量に対する表面積が足りない。
「パ、パラシュートを……」
 恐怖のあまり声にならない。しかし、それに対する答えは更に恐るべきものだった。
「このままだと開けないよ。身体の向きが入れ変わらないんだ」
「はい?」
 なんてことだ。スカイダイビングで観覧車に乗り込むだけでも正気の沙汰ではないのに、よりにもよってパラシュートが開けないとは。このまま私は死ぬのか。観覧車にダイブして死ぬのか。
「大丈夫。君がちゃんと自分のことを思い出せば僕らは助かる。ほら、呼び起こして。君の真実を。君の本能を」
 彼は何を言っているのだろう。私の真実? 私がなんだと言うのだろう。私はどこにでもいる普通の女の子だ。彼と一緒に住み、ごく普通のデートに憧れ、ちょっとだけわがままを言うだけの普通の……猫だ。そうだ私は猫だった。
 思い出した途端に、身体がぐるりと回転する。彼がバサリとパラシュートを開いた。
「ね? 大丈夫だったでしょう?」
 どこがだよ、と突っ込もうとした言葉は、ただの鳴き声になっていた。

     

 男が交流科にかかると、検査の為に別室に案内された。
「ではそこに入ってくださいね」
 言われた通りにドアを開けて目の前の倉庫のような小屋に入る。中は凸凹に盛り上がった壁に覆われている。
「ここは?」
「無感室。感情暗室とも言いますね。ここで貴方のコミュ力を測定します」
 中央の椅子に座って、ヘルメットを被ってしばらくじっとしているようにと言うと、医者は部屋から出ていった。
 改めて部屋の中を見渡す。よく見ると壁の形は三角形や台形を組み合わせたようなブロックのようなもので構成されていた。ブロックは天井や床も覆いつくしている。床の真ん中には円柱形の台があり、その上にはパイプ椅子、椅子の上に電極のいくつか刺さったヘルメットが置かれている。
「どうしました? ヘルメット、椅子の上に置いてありますよね?」
「あ、分かります! 今被りますね」
 外から声がかかり、あわててヘルメットを手に取る。被って椅子に座る。
「あ、おっけーです。そのままリラックスして、5分か10分ぐらい待って下さいねー」
 その時、部屋の中に人の気配を感じた。ドアを見たが、開いた様子はない。不審に思いながら座っていると、人の気配はどんどん増えていく。しかし、当然ながら部屋の中には誰もいない。姿も、声も、何も存在しない。具体的でない「気配」としか言いようのないものだけが、はっきりと感じられるほどに室内に充満していた。
「あの」
 不安のあまり思わず声が出ていた。医者が答える。
「どうしました?」
「ここって、怪談とかあったりします?」
「ええ? 変なこと言いますね。そうですね……噂程度ならまあ、病院ですから、人並にはあるんじゃないですか? 有名な幽霊話というのは聞きませんねえ」
 もう出ていってしまおうか。恐怖さえ芽生え出したその時、「気配」は突然消えた。同時に外から医者が言った。
「御苦労様です。測定は終了しました」
 外で「気配」について医者に尋ねてみると、不思議そうな顔をした。
「そうですか。話し声とか顔、表情とかが幻覚で見える、聞こえるっていうのはよく聞くんですが、そういう現象は聞いたことがないですね」
「幻覚? それってやっぱり幽霊なんじゃあ」
「違いますよ。あの暗室では人のコミュニケーション能力を計ります。ですから、その人のコミュニケーション能力で敏感な部分が特に強調されて知覚されるんです」

     

 壇上に5人の男が並び立つ。4人はかなりがっしりとした体格の持ち主で、目からは鋭い眼光を放っている。残る一人は他の四人と組み合ったらあっという間にひしゃげてしまいそうなほどに小柄な男だ。観客の熱狂ぶりに比して、舞台には一触即発の緊迫した雰囲気が漂っていた。
 司会者が元気良く宣言する。
『それじゃ、THE☆BIG☆EAT FIGHT、ファイナルマッチ開幕です!』
 男たちの前に山盛りのカレー皿が乗った机が運ばれてきた。

『凄い凄い凄い! その小さな身体のどこにそれだけの量が入るというのか! いやむしろ、小柄な身体こそが大食いの王者の資格ということなのか〜?』
 司会が興奮するのも頷ける。それほどに小柄な男の食べるスピードは異様だった。既に空けられた皿の数の差は倍と半分になろうとしている。周りの男たちが遅いというのではない。奴が早過ぎるのである。一瞬で体内にカレーが吸い込まれていく様は、掃除機の通販番組を見ているかのようだった。
『おや? これはどうした、手が止まったぞ?』
「どうしたー!」
「休んでんじゃねー!」
 開始30分で早くも50杯目に入ろうか、という時になって、男の手がピタッと止まった。観客から応援、挑発など野次が乱れ飛ぶが、男は動かない。やがて身体全体がプルプルと震え出した。明らかに異常な痙攣である。奥からメディカルスタッフが現れ診察を始めようとするが、男は何故かそれを拒む。
「やめろっ、俺に近付くな……」
「なに言ってるんだ、そんな様子で大丈夫なわけないだろう」
「リタイアよりも健康の方が大事だろ、ほら早く診せなさい」
「違うっ、そういうことを言ってるんじゃねえ、いいから早く離れろ!」
 男が叫んだ瞬間、男の身体が奇妙に歪み、次の瞬間に消えた。「シュゴッ」という音が舞台に響く。
 突然のことに固まる面々。その一瞬の隙をつくかのように、「シュゴッ」「シュゴッ」とリズミカルな音が響く。それに合わせるかのように一番近くに立っていたメディカルスタッフたち、そして選手たちが次々と消えていった。
『ふ……不正改造です! なんとその身体に小型ブラックホールを仕込んでいた! それが今暴走している! これは明確な不正行為』
 「シュゴッ」という音を残して司会が吸い込まれると、辺りは蜂の巣を突いたような大騒ぎになったが、それが静寂へ変わるのにそう時間はかからなかった。

     

 通報を受けて交差点へと急行した警官は当惑した。事故車両はおろか、痕跡らしきものすら全く見つからない。イタズラ通報ならまだしも当事者らしき人達は道路脇にいて、「そっちがぶつかってきた」「ぶつかってきたのはアンタだ」などとやり合っている。
「あ、ここの司法当局の方?」
 老婦人が気付いて声をかけてきた。もう片方の中年男性が「バカ、ここじゃ警察って言うんだよ」と小声で訂正する。どちらも耳が尖っているのが気になった。
「ああそうそう、警察の方よね。ワタクシ先ほど連絡しました者です。ごめんなさいねこんな夜遅くに」
「あーはい、そのことなんですが……事故した車両はどうされました? 一応実況見分しないといけないんで、すぐ動かされるとちょっと困るんですが……」
 警官がそう言うと、二人は不思議そうに顔を見合わせた。
「車両? ワタクシのはそこにありますわよ? あなたどこかへやりました?」
「いんや? どっちも事故った状態のまま置いてあるぜ」
 二人が指す方を見るが、やはり自動車らしきものは影も形もない。これはちょっと厄介事のようだと警官は思った。見た感じ周囲に影響があるわけでもなさそうである。適当に話を合わせて帰ろう、上にはイタズラだったと報告しておけばいい、そう警官は判断した。
「では調書取りますんで、お二人の証言をお願いします」
「兄ちゃんさっき、車がなくちゃ調べられねえっつってたじゃねえか、先に車を調べるんじゃねえのか?」
 ああもう、面倒くさいな、と警官は思った。
「分かりましたよ。じゃあ車両検分しますから透明化を解除していただけます?」
 二人は一瞬きょとんとしたが、バッグから何やら取り出して確認するとサッと青ざめた。
「不味いですわ、光学迷彩が透明化に設定されたままですわ」
「ちょいちょい待てよ、この辺りじゃ透明化は実用化されてねえぞ! ていうかなんであの兄ちゃんはそのこと」
「お二方? 疑問があるなら署の方で……それとも第三種接近遭遇としてしかるべき部署に通報した方がよろしいですかね?」
 警官の笑顔の威圧に縮み上がる二人。
「け、結構です!!」
「いらん! 俺は帰る!!」
 泡を食ってステルス宇宙船で逃げ去る二人を目で追いながら、ぼやく警官の耳は尖っていた。
「駄目でしょ、素人がこんな辺鄙なとこ来ちゃ。せめて光学迷彩ぐらいは使いこなしてくれなきゃあ……ま、これで面倒な調書を書かずに済んだけど」

     

「しまった……」
 時計を見た私は飛び上がって呻いた。完全な寝坊だ。今すぐ鞄を引っ付かんで出掛けたとしても間に合うかどうか。そして寝起きのぼさぼさ頭にパジャマ、おまけにこの顔とくれば、そんなことはとても出来ない。
「チッ、しょうがねえ……超特急だ」
 私はいくつかある化粧箱のうち一番上のものを取り出した。

「ごめーん、待った?」
 申し訳なさと愛想を絶妙の割合で混ぜた私オリジナルのブレンドニュアンスを込めながら手を振って駆け寄る。
「普通に待ったよ」
「今日は一段と遅かったねえ」
 幸い待ち合わせした人たちは全員気のしれた友人なので、この程度の扱いで済む。いつも遅刻してると言わんばかりの扱いだが、はっきり言ってそんなに遅刻しているわけではない。いつも5分程度予定時刻から後ろにブレるだけだ。仕事とかでなくてホントによかった。
「あれ、なんか睫毛おかしくない?」
「ほんとだ、ちょっとチークも濃いし」
「あー、ちょっと急いで化粧したから崩れてるかも! 気にしないであとで時間見つけてトイレで直すし!」
 話題が顔の方に逸れそうになったので慌てて誤魔化した。危ない危ない。なんで今日に限ってそんなに鋭いのだろう。本当に一旦大きな鏡で確認した方がいいかもしれない。
バッグの中から手鏡を取り出そうとしていた私の頭に、ポツン、と冷たいものが当たる感触がした。
「あ、雨だ」
 友人の一人が空を仰ぎ見て呟く。
 雨だと。雨はマズい。そういえば昨日の夜の天気予報でそんなようなことを言っていた気がする。だから今日は絶対早起き必須だったのに。しかしいくら嘆いてみても後悔は先に立たず、肩や髪がどんどん雨に濡れていく。
「と、とにかく、早く、雨宿り!」
「あ! ちょっと、勝手に行かないでって」
「待ってよ〜」
 雨の勢いはどんどん強くなる。本格的な振り方だ。もはや一刻の猶予もなかった。他の人の返答も聞かず、手近にある喫茶店に向かって突進する。少し驚いた顔をして店員に案内され、席に座ってようやく一安心。
 かと思ったら、後からついてきた友人が驚きの反応を見せた。
「あんた、顔が! 顔が溶けちゃってるよ!」
「取りあえずタオルで水気だけ拭いていったら?」
「ちょ、自分で出来るから! 離して!」
 抗う間もなく顔にタオルがかけられる。そして露になる私の顔。そこには何もなかった。
「うわっ、のっぺらぼう!?」
「だから止めてって言ったのに……」

     

「どうしたんだよムネオ、そんなにニヤニヤして」
「ふっふっふ。じゃーん!」
「うおっ! こないだ出たばっかりの最新式のナカシマ・モデルじゃん!」
「すごーい! いいなーカッコいいなー」
「へへへ、パパがメーカーの偉い人と知り合いで貰ったんだ。いいでしょ」
「じゃあ今日はこれで遊ぶので決まりだな」
「あ、ちょっと! 触らないでよ!」
「うるせえ! お前のものは俺のもの、なら俺がどうしようと俺の勝手だろ! それ!」
「ああっ! 乱暴に扱わないでよ、壊れちゃう!」
「ここをこうして……あれ? おかしいな?」
「やめて! 落ちちゃう!」
「コラーっ! またお前らか?」
「まずい、あの親父に叱られるのは勘弁だ! 俺帰ろーっと!」
「ちょっと! ずるいよライアン! 僕も逃げよう! 飛太、代わりに取り戻しとけよ!」
「ええーっ! また怒られるのは僕の役目なの!? もうやだよお」
「なんだお前だけか! こんなものうちの方へ飛ばしてきて、どういうつもりだ!」
「ごっ、ごめんなさい! わざとじゃないんです、ゆるしてください!」
「悪いと思っているならワシがここに来る前に自分で謝りにくるものだ! 謝って済む問題じゃないが、謝罪がなければ話も進まん」
「本当にすいませんでした! と、友達が遊んでいて……」
「この後に及んで人のせいか! 全くいい歳して困ったもんだ……まあいい。後で親御さんと直接交渉するから」
「そ、そんな……親だけは勘弁してください!」
「そんなことを言える立場と思っているのか? 全く、どうして大の大人ばかり怒らんといかんのか……怒っとるこっちが情けなくなってくるわ。見ろ! あっちの子たちはちゃんと大人しくドローンで遊んでおるじゃあないか。ああはなれんのか?」
「でも、僕らにとっては遊びといえばボール遊びなんです……」
「バカ、遊んでおらんとさっさと働け! 親御さんも心配しておったぞ」
 ドローンが子供のおもちゃとして普及した近未来。ボールはテクノロジーに置いていかれた大人たちのノスタルジー回帰の為の道具となっていた。

     

 受付に葉書を渡して中に入ると、すぐにお目当ての相手を見つけた。もうあれから20年以上経つというのに、全く変わっていない。見た目だけの話ではなく、ああしてクラスの中でもイキってる連中に囲まれて、いじられているところまで、中学生時代そのままだ。懐かしさを通りこして、周りの奴らの精神年齢の方を心配してしまう。
「みんな、久しぶり」
 なるべく自然な風を装って集団に声をかけると、連中は怪訝そうな顔をして振り返った。
「なんだ? アンタ、誰だっけ? あたしらに何か用?」
 リーダー格の女が代表するかのように私に向かって言った。スガワラさん、だったっけ。今の見た目は当時と比べれば大分落ち着いているけど、それでも言い訳せずにはいられない凄みのある視線は健在だった。
 落ち着け、彼らが変わっていなくても、私はこの20年で変わった。私は視線の力を振り切ると、奥にいる彼にも聞こえるように言った。
「うん、アオキくんと話がしたくて。悪いんだけど、ちょっと借りるね」
 一瞬の沈黙。スガワラさんが何か反応する前に私は素早く身を割り込ませると、アオキくんの手を取り、元居た方へ歩き始めた。

「ちょ、ちょっと、サオトメさん!?」
「変わらないね、中学の頃から。またスガワラさんたちに苛められてたの?」
「……」
 誰よりも身体が小さく、虚弱体質で、いつも苛められていたアオキくん。でも彼は、数学では天才だった。いつも暇さえあれば勉強していて。それが身を結んで、今や日本でも指折りの投資家・実業家となっていることを私は知っている。
「アオキくんは見てて危なっかしいのよ。得意じゃない分野が絡むと、すぐやられちゃいそうで。だけど、中学の頃は、貴方を助けられなかった。私、貴方を支えてあげたい。あんな、低俗な連中を貴方が相手にする必要なんてない。全部私が守ってあげる。お願い。私を貴方のそばにいさせて」
「低俗、ね」
 アオキくんの声のトーンが変わった。
「サオトメさん。僕思い出したよ。いつも僕が苛められているのを後ろの方で黙ってみていた。その冷たい目、よく覚えてる」
「ア、アオキくん……?」
「僕のお金が目当てなの? 悪いけど、そういう人には近付かせないように止められてるんだ。スガワラさんにね」
「おーい、アオキ! そろそろ行くぞー!」
「あ、待ってよ!」
 スガワラさんに呼ばれて去っていく彼の後ろ姿を、私は敗北感と共に噛み締めていた。

       

表紙

天馬博士 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha