Neetel Inside ニートノベル
表紙

日替わり小説
6/9〜6/15

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 ハンマーと犬釘の奏でる二層低音。トロッコの車輪とハンドルがキシキシと鳴るのは油が減り始めた証拠。つるはしが同時にリズム良く土砂の山に叩きつけられる。作業が一息ついて顔を上げると、後ろの方からもくもくと黒い煙が立ち昇っているのが見えた。地面とレールを伝わる地鳴りのような振動。補給と交代要員の輸送車だ。
 楽しい気分になって近くにいた坊主に声をかける。
「おい小僧、手が止まってんぞ」
「うっせえよ。自分の仕事してろ」
 坊主が手にしているのはバールだ。こいつでレールを持ち上げては下に枕木を挟む。本来なら非力なガキに任せるような仕事じゃあないが、これも鉄道会社のお偉いさんの『効率的な工事計画』の一環だ。
「はっはっは。まあそんなカリカリするな。おい野郎ども! 今のが片付いたら休憩だ! トロッコ下ろして線路空けとけよ!」
「上機嫌だな! その坊主といい事でも約束したのか?」
「ヒュー、そりゃめでたいな! 俺たちも相伴にあずかるか、おい」
 俺がそう指示すると、現場の連中はめいめい好き勝手なことを騷ぎながら、交代の準備を始めた。と言っても片付けるものなんて大してない。工事は昼夜問わず続くから、道具を片付ける必要はない。交代組はここで夜通し工事を続けるのだ。
 俺は坊主のバールを取り上げた。機関車がつくまでに作業が終わってないと、お偉いさんから何を言われるか分からんからな。
「お、おい……」
 坊主が何か言おうとした。まだ遠慮の気持ちがあるものと見える。俺は言ってやった。
「小僧、こんな話を知ってるか? 二人の婆さんが砂浜で並んで日向ぼっこ。仲良く同じことを考えてる。どんなことを考えてるか分かるか?」
 坊主の目が泳ぐ。
「……日差しが気持ちいいな、とか?」
「はっはっは、そいつぁ傑作だな、おい! なあ、お前のケツはまだ青いのか?」
「じゃあ答えはなんなんだよ」
 俺が笑い飛ばしてやると、坊主はムッとした表情で食い下がった。
「その素直さに免じて教えてやろう。答えは『隣が若い男だったらいいのに』だ」
「なんだそれ! 超くだらねえな」
「そうだ、くだらねえ。だが覚えとけ。この工事だって、人生だって、同じぐらいくだらねえ。でも若い女と男はそれを少し楽しくしてくれるんだ」
 俺はウィンクをしながら言ってやった。
「だから、おっさんといい事しようぜ?」
「誰がするか! 一人でオナってろ!」
 その調子だ、と俺は坊主の肩を叩いた。

     

 ドアを開けて3秒で俺は後悔していた。そもそもインターホンに知らない人間が出てきた時点で開けるべきではなかったのだ。
「貴方は私を信じますか?」
「信じません。帰ってください」
「待って待って待って! 話だけでも聞いて! お願い!」
「やだよ。宗教勧誘でしょ?」
「違うって! 確かに宗教と言えば宗教だけれども! 信じてもらうのは俺自身だから!」
 どうやら宗教の人でもなかったらしい。俺は認識を改めた。
「すいません。うち、精神科じゃないんで」
「だから違うって! 頭のおかしい人じゃないです! 正常です!」
「おかしい人はみんなそう言うんですよ」
「ぐぐぐ、それは否定出来ん……だが信じてくれ! 俺は正真正銘真実本当に神なんだ」
「だから信じませんよ。帰ってください」
「帰れる場所がないんだよ!」
 やたら切実な響きだった。
「天界にいればベーシック・ビリーフで最低限の信者は供給される。でも俺は、『捨て神』だから……だからこうして、自分の足で信仰を集めるしかないんだ!」
 自称『神』はその場に這いつくばった。いや、これは土下座か。神の土下座……一信者候補ごときに土下座……。
「頼む! 信者がなければ、俺はすぐに死んでしまうんだ。なんならつなぎの期間だけでもいい! 御布施も賽銭もいらない! ただ少し信じて、時々拝んでくれるだけでいいんだ!」
 俺は思った。百歩譲ってこれが本当だとしても、見知らぬ人に開幕土下座かます奴をどうやって信仰出来よう。
 断わろうと口を開いた俺は、遠くから聞こえる声に気がついた。俺は自称『捨てられた神』をもう一度眺めた。なるほど。その方がいいか。
「な、なんだよ……」
「捨てられたってことはゴミってことだよな」
「そういう言い方はねえだろ! 仮にも神様に対して失礼だぞ!」
「そうだな。ゴミクズでも拾われることはあるからな」
「その通りだ。『捨てられる神あれば拾われる神あり』とことわざにもあるぞ」
「良かったな。その『拾ってくれる人』ってのが来てくれたみたいだぞ」
「さっきから何を言って……」
「しっ。聞こえないのか」
 唇に指を当てて自称『神』の言葉を留める。静かになった室内に戸外からの声が聞こえてきた。
『ご町内の皆様がたには大変お騷がせいたしております……毎度お馴染、ちり紙交換車がお邪魔いたしております……古新聞・古雑誌・衣服・ぼろ切れなどがございましたら、ちり紙とお取り替えいたしております……』

     

 その日、少し寝坊したジョンが急いで職場にいくと、中央の机周辺に人だかりが出来ていた。囲まれていてよく見えないが、中には何か大きな荷物があるように見えた。
「おはようございます。何かあったんですか」
「新型の子が今朝がた届いたの。凄い性能いいんだって」
「へえ、そりゃ凄い。じゃあ僕らはお払い箱ですか」
 冗談混じりにそう言うと、彼女は真面目な顔をしてジョンを見た。
「そうならないように、貴方に頑張ってもらわないとね」
「はいはい。今日もお互い頑張りましょう」
 その言葉が自分一人にかかるものだとは、その時のジョンは考えもしなかった。

 数時間後、ジョンは衆人環視の中で一人、プレイルームの中に立っていた。いや正確には一人ではない。一人と一体だ。彼は横にいる新型子守用ホムンクルス、CP-P221を眺めた。ホムンクルスは視線を下に落としてじっとしている。余裕の現れなのか、それとも緊張しているのか。人造生物でも緊張とかするのだろうか、とジョンはぼんやり考えた。
「ルールはそんな感じだ。ホムンクルスが勝てば、性能が実用段階ということで、開発側には量産に入ってもらう。ジョンが勝てば開発に差し戻しだ。頼むぞ、ジョン」
「えーとつまり、僕が負けたら、この子たちが僕らの代わりに子供の面倒を見ることになるんですね?」
「そうなるな。分かってると思うが、お前が選ばれたのは職員全員の推薦だ。手抜きはせず、全力で努めるように」
 出来るわけないだろう、とジョンは心の中で呟いた。自分が負ければここの人たちは全員失職するのだから。
「それじゃあ子供を入れるぞ。準備はいいな?」

 CP-P221の能力は凄まじかった。心と声を持たぬ人造生物とは思えないほどに丁寧かつ迅速な動き。当初その性能に半信半疑だった職員たちは、その手際の良さと子供たちへの好かれっぷりに度肝を抜かれた。これに勝てる人間などいないだろう、そう零す者さえいた。
 ジョンはそれの上を行った。彼は同時に複数人を相手することでホムンクルスとの速度競争に勝利した。その目もくらまんばかりの技術は、人をして「手が100本あった」と言わしめた。
 勝利ののち、疲労困憊となって仰向けに倒れているジョンの元に主任がやってきた。
「お疲れのところ悪いんだが、開発チームが来週また実験体を持ち込むと言っているから、また宜しく頼むよ」

     

 Mは後悔していた。軽い気持ちで部員を送ると申し出なければ、こうして事故を起こすことも、こわいお兄さんに詰めよられて示談金を要求されることもなかったというのに。彼は下げた頭を恐る恐る上げた。スーツにサングラスのこわいお兄さんはやはり気難しそうな顔をして黙っている。
 プルルルル……。静まっていた空気をシンプルな着信音が突き破る。スキンヘッドに少し刺青が見えてるこわいお兄さんの胸ポケットからだった。
「俺だ。ああ……何? ん、分かった。それはこっちで用意する」
 通話を終えると、お兄さんはMに向き直ると言った。
「さっき何でもするって言ったよね?」
「は、はい……」
「お金がないなら身体で払ってもらおうか」
 こともなげにお兄さんはそう言った。
 しまった。恐怖に負けてうっかり口にしてしまったが、やっぱり物事には限度がある。もしホモビに出ろと言われたらどうしよう? マグロ漁船に乗れと言われたら? 内臓を売れと言われたら? 今からでも断われないだろうか……そう期待してお兄さんの目を見たが、その目は厳しかった。
「じゃあ、乗って」
「先生っ……」
 心配して声をかけようとする部員たちを制してMは言った。
「いい。お前たちは帰れ。送ってやれなくてすまんな」
 Mは大人しく、お兄さんの車に乗せられていった。

 廃墟のようなビルの中に連れこまれたMは、マッサージチェアのような椅子の上に身体を固定された。やはり内臓を取られるのだろうか……そう思っていると、白衣を着た女性が現れ、腕に黒い管を取りつけはじめた。
「あの……」
「あ、動かないで下さいねー。すぐ終わりますから」
 言われたとおりにジッとしていると、意識が遠くなりだした。これが麻酔か……俺の現世もこれで終わりなんだ……そう思うと涙が自然と溢れていた。やがて女性が言った。
「はい、終わりですよ。お疲れ様でしたー」
「え、終わり? 麻酔は?」
「いやですねお客さん。献血に麻酔なんて要らないですよ」
 献血? ワケが分からず混乱していると、あのこわいお兄さんが現れて言った。
「おう、兄ちゃん。ご苦労だったな。まああと正味10回ぐらいは抜かんと元取れんから、時々迎えに行ってやるよ」
「け、結構です! 自分で来ますから!」
 身体での支払いよりもそっちの方がよっぽど罰ゲームだ。

     

 祖父の家に行ったとき、出される飲み物はいつも牛乳だった。
 牛乳は好きでも嫌いでもない。出てきたものを残すのは失礼だから全部食べなさい、という教育を受けてきた私にとって、出てくる飲み物が予想可能なのはとてもありがたかった。母は小柄な人だったから、祖父は私の成長を密かに案じていたのかもしれない。
 その牛乳(祖父は名古屋に住んでいたので出てきたのは「名古屋牛乳」だった)だが、一つだけ常々不思議に思っていたことがある。甘いのだ。そりゃあまあ牛乳と言えば基本的には甘いと言う見方もあるだろうけど、私の言う甘さは牛乳本来のほのかな甘みというのとは違う。もっと原始的で直接的な甘さだった。勿論家で飲む牛乳や給食に出てくる牛乳は甘くなどない。

 原因が分かったのは昨日の祖父の三回忌での出来事だった。法事が終わって会食になった時に、伯父が言った。
「そういえば昔英理ちゃんが来たときに飲み物持っていこうとしたら父さんに止められたことがあったな」
「お義父さん、なんでか英理ちゃんに出すものだけは自分で用意するって聞かなかったですから……」
「英理ちゃん、牛乳イヤじゃなかった? 変な味とかしたんじゃないの?」
「いえ、特に……あの、名古屋牛乳って甘いんですよね?」
 食卓を静寂が包んだ。続いてくすくす笑いが少しずつ、しかし各所から花開いていく。
「そうか……父さんが入れてたのはハチミツだったのか」
 伯父が一人で頷きながら納得している。伯母や他の親戚たちもニコニコ笑いながら口々に何かを会話している。
「ほらあなた覚えてない? 始めてこの子とうちに来た時、牛乳が美味しいって!」
「ああー、言ってたよそんなこと。そうか、それでお義父さんがわざわざ用意してくれてたのか」
 母は父と昔話に花を咲かせている。私は周りを見た。従兄弟たちは(私とは2つ3つしか歳が離れていないのに)まだ幼いからということでここには呼ばれていない。私が話題の中心だと言うのに、私だけが食卓から置き去りにされている気分だった。私は耐え切れず、席を立った。
 台所に逃げ込み、冷蔵庫を開ける。ドアポケットには名古屋牛乳の1Lパックが差し込まれていた。パックを開けて、口を付けないように喉の奥に流し入れる。
 久方振りの名古屋牛乳は、ほのかに乳製品特有の甘い香りがした。

     

 俺は焦っていた。もう彼女が来るまで時間がない。だというのに、裏の鳥小屋には何もいない。彼女は七面鳥のスープを食べないと満足してくれないのに。七面鳥が用意出来ない時は、何か代わりのジビエか珍味を用意しなければならない。そして今この家には、彼女の口に合いそうな面白食材はない。
「ねえねえお兄ちゃん」
「うるさいな。あっち言ってろ」
 妹が後ろからじゃれついてくる。うっとおしい。こっちは彼女への応対を考えるので必死なんだ。
 冷蔵庫の冷凍室には肉が貯蔵してある。しかし、あるのは豚、牛、鶏、合挽ミンチ……普通のものなら作れる。しかし普通のものでは意味がない。意味がないんだ。
 俺は時計を見た。彼女はもう駅に着いた頃だ。あとはタクシーで30分ぐらい……そのうちに、彼女が満足するだけのご馳走を用意しなければ、何が起こるか分からない。どうしよう。彼女の眼鏡に叶う品が何かないか。
 冷蔵庫にあるものを全て取り出して並べてみる。肉以外は、タマネギ、ニンジン、ブリの切り身、とけるチーズ……駄目だ、こんな食材じゃ。
「遊ぼうよぉ、ねえ」
 妹が片手にぶら下がってくる。最近構ってなかったせいか、面倒くさいモードに入ってしまったらしい。悪いことは重なるものなのだろうか。こうなると到底言うことは聞いてくれない。妹を引き上げると肩の上に乗せる。
「ねえ〜もうお兄ちゃんってばぁ」
「これで我慢してくれよもう……ん?」
 俺はあらためて妹を見た。
 ほっそりとした首、二の腕。やわらかそうなふともも。
「なるほど。その手があったな」
 俺は一人納得すると、妹を下ろした。
「ちょっと、お兄ちゃん?」
「お望みどおり遊んでやろう。その代わり、ちょっと言うことを聞いてくれ」

「久しぶりだね」
「やあ、メリー。久しぶりだ」
 俺は玄関で彼女を出迎えた。相変わらず尊大な態度だ。
「料理は出来ているのかい?」
「生憎七面鳥がなくてね。代わりに、ちょっとした趣向を用意したよ」
「そうか、それは楽しみだ」
 クックッと笑う彼女を食堂まで案内する。
「これは……!!」
「フフフ、どうだ? 活け造りっぽく並べてみたぞ」
「お、お兄ちゃん、これ、恥ずかしいよ……」
 皿の上で裸になり、顔を真っ赤にしている妹。それを見て身体を硬直させている彼女。何かがおかしいことにようやく俺は気付いた。

     

 駅を出ると拾い車線のバスロータリーと、古くさい時計塔のある駅前広場がお出迎えだ。ずっと昔から知っている景色のはずなのだが、どうにも初めて見た景色のような気分が拭えない。たった半年いなかっただけでこんなに変わってしまうものなのだろうか。客待ちしていたタクシーから一台捕まえて、自宅の住所を告げる。
 思えば帰るのにタクシーを使うなんて初めてかもしれない。単身赴任を始めてから2年近くになるが、これまでは必ず事前に連絡してきた。そして連絡すれば、必ず妻が迎えに来てくれた。土産に用意したういろうの小箱が、コトリと鞄の中で音を立てた。

 インターホンを鳴らすが反応がない。居ないのだろうか? 今日は用事もなく、いつも家にいる曜日のはずなのだが。
 合鍵を使って中に入る。人の気配はない。買い物にでも出ているのかと思ったが、すぐにおかしいことに気付いた。
 まず洗濯物がない。ベランダにも風呂場にも、洗濯機が回っているわけでもない。かといって洗濯物が溜まっているわけでもなかった。ここ数日洗濯が不要だった証拠だ。
 次に台所が綺麗過ぎる。夕食の用意どころか朝食が食べられた形跡すらない。冷蔵庫の中は冷凍食品を除けばほぼ空っぽで、買い物でもしなければ、今晩食卓に並べられる料理はさしてなかろう。
 二つの事実を総合するに、妻はここ最近この家にはいない。そして今日も帰ってくるか分からない、ということになる。しかしそんな予定は聞いていない。カレンダーにも何も書かれていなかった。

 まさか。最悪の事態が頭をよぎる。いやいや、彼女に限ってそんなことはあり得ない。手は自然と懐から携帯を探し当てると、彼女の番号をダイヤルしていた。
「お掛けになった電話番号は、現在電波の届かないところにあるか、電源が入っていないため……」
 不安のあまり掛けた電話で不安は更に増大した。彼女を信じたい。しかし集まるのは典型的な浮気の間接証拠ばかり……。その時、携帯が鳴った。
「もしもし、××さんの携帯ですか? 私●●総合病院の▼▼と申します」
「病院?」
「突然なのですが、奥様が急患で運ばれまして、緊急連絡先がご主人の携帯だったものですから」
 私はホッと息をついた。いい知らせだ。良かった、浮気じゃなかったんだ。

 その知らせが全然良くないことに気付くのはもう少しあとの事である。

       

表紙

天馬博士 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha