Neetel Inside ニートノベル
表紙

日替わり小説
6/23〜6/29

見開き   最大化      

 その日の朝、俺は珍しく上機嫌だった。昨日久々に定時で上がった後に行ったミュージカルが最高だったお蔭だ。だからその日の朝、職場で鼻歌を歌っていたのも無理はあるまい。勿論普段はそんなことしないのだが、ミュージカルで使われていた曲は劇中歌としてだけでなく曲単体として見ても本当に良かったし、覚えやすくて耳に残る感じで、無意識のうちについつい歌いたくなるような、そんな魅力を持っている曲だったのだ。
 そしたら課長に呼ばれて、今ここに立っているというわけだ。
「君さ、ちゃんと話聞いてる?」
 禿頭の課長がコツコツと机をボールペンの頭で叩く。虫の居所が悪い時の癖だ。恐らくあと30分は解放されないだろう。楽しい気分を台無しにされたおかげで俺も結構イラつき始めていた。こんな時あのミュージカルの登場人物だったら、歌に乗せて景気のいい売り言葉でも浴びせ倒しして課長をノックアウトするんだろうな。こんな感じに……。
「♪文句を言いたきゃ金払え……」
 課長がギョッとするのが分かった。俺も一緒にギョッとした。昨日のミュージカルで感動した歌が、ありがた迷惑なことに、今俺の口から流れ出し、俺の気持ちを代弁してくれている。慌てて口をつむごうとした。だが哀しいかな、一度俺の口から溢れた歌はその程度では止まらなかった。
「♪お前らはいつも命令と罵倒ばかり 上でふんぞり返って 部下をウサばらしに使う……」
 破滅の旋律を垂れ流しながら、俺は絶望と同時にどこかスッキリとした気分を味わっていた。
 後ろのドアが大きな音を立てて開いたのはその時だった。
「♪そうよ貴方はいつもそう〜」
 歌いながら現れたのは我が課のマドンナことXXさん。更に後ろから課員が徒党を組んでぞろぞろと面談室に入ってくる。中には歌に合わせて踊ってる奴もいた。
「俺は何もしちゃいない お前ら仕事に戻れ」
 課長の顔は蒼白だ。心なしか叱責の声も節がついてリズムに乗っているように聞こえた。
 俺は皆の顔を見た。皆は力強く頷きながら、目線で俺に続きを促している。俺は唐突に理解した。そうだ。次はコーラスパートだ。
「「「♪文句を言いたきゃ金払え 払わないならブタ箱行きだ いいから金を払え」」」
 課員全員の合唱に腰砕けになって座り尽す課長。謎の満足感いん溢れる面談室のドアが叩かれると、外から怒号が響いた。
「うるせえ! 馬鹿騒ぎは外でやれ!」

     

 もう駄目だ。パソコンの画面には強制ロスカットを通知するメールがポコポコポップアップしてくる。口座情報に記載されているマイナスの桁数は……数えたくもない。震える手で神袋を手に取る。中には今日の為に用意したストリキニーネの錠剤が用意してある。
 ふと、傍らの小さな箱が目に入った。数ヶ月前、怪しげな黒マントの男が追いていった謎の機械。アルミのような金属で覆われた表面には継ぎ目やネジ止めの後が全くなく、まるで型から抜き出した豆腐のようにつるんとしている。唯一上面の中央部分だけが丸くくり抜かれ、そこから赤いプラスチック製の押しボタンのようなものが突き出していた。
 『どうしようもなくなった時に使ってください』と奴は言っていた。『ボタンを押せば、貴方は全てをやり直せる』と。
 下らない。こんなチャチなおもちゃのボタンに何の力があるというのか。そう頭の中で思ってはいても、何故だか捨てられずに今日まで手元に取ってきた。そして今、俺は確かにFXのお陰でどうしようもなくなっている。
 死ぬなら何が起きても一緒だな。そう思うと、急にそのボタンが押してみたくなった。どうせ何も起こらないだろうし、よしんば何か起きたとしても……自分が死ぬ以上の悪いことは想像出来ない。何、辛くなったら毒薬がある。俺がボタンに手をかけると、ざらりとした感触が指に残った。おや? ボタンは平滑だと思っていたが……。見れば、そこに小さな引っかき傷のようなものがあった。傷が浅くて少し見辛いが、正の字のように見える。

 いやいや、まさかね。いくらなんでも非現実的過ぎる。ここは小説やマンガの世界じゃないのだから……そう思い、浮かんだ妄想を頭から消す。さあ、さっさとボタン押して、それから死のう。
 ボタンは、想定よりもずっと軽く下へとめりこんだ。そして静寂。やはり何も起こらなかった。
 ふう、やれやれ。嘘は許しがたいが、もう世界を旅立つ俺には関係のないことだ。俺は錠剤を手に取り、口に押し込んだ。
 開いていたニュースサイトが核戦争を告げる速報を最後に、俺は意識を失った。

     

 日曜の晴れた昼下がり。俺は喫茶店のテラス席で今日〆切の原稿を前に頭を抱えていた。一応完成してはいる。〆切は絶対だというから、必死の思いで書き上げたのだ。だが、出来栄えは散々だった。どんなに頑張っても作品にリアリティを込められない。担当編集にも以前言われたが、吹き込まれた息吹が、魂が全く感じられないのだ。
 横では母親が赤ん坊と戯れている。休日の微笑ましい一場面だ。赤ん坊は言葉を覚えたばかりらしく、しきりに指を指して物の名前を言っている。
「ワンワン! マーマ、ワンワン!」
「そうよー。ワンワンさんよー、かわいいねー」
「とと! とと!」
「そうだねー、あれお魚さんだねー」
 魚? 少し首をかしげたが、そこの公園にくじらの銅像があったことを思い出した。くじらは魚じゃないけど。
「ダイオンさん!」
「んー? そうねえ、ライオンさんにも見えるかなー?」
 流石に俺は吹き出した。ライオンが東京の街のど真ん中にいるはずはない。何かのアニメのキャラクターか、或いは猫にシャンプーハットでもついていたのかもしれない。その『ライオン』の正体を確かめようと顔を上げた瞬間だった。
 周りの空気を震わさんばかりに、猛獣の雄叫びが轟いた。
 東京の日曜午後の交差点。祭でも歩行者天国でもなんでもなく、普通に車の往来のあるそのど真ん中に、百獣の王は君臨していた。四方に油断なく、しかし威厳のあるしぐさで睨みを効かせる。道路を挟んだ反対側の公園では、巨大な小山のような軟体が、ビチビチと飛び跳ねているのが見えた。
 信号は青だというのに、先頭車両は動かない。いや、動けないのだ。車に乗って、ハンドルを握っていても、きっとあの威圧感からは逃れられないのだろう。誰もが動きを止め、言葉を失い、ライオンの一挙一動を見守っていた。ただ一人を除いては。
「ブーブー。ブーブー」
 赤ん坊の左手にはトミカが握られている。いや握られていたというべきか。トミカはもはやトミカと呼べるサイズではなくなっていた。それは赤ん坊の振り回す左手から飛び出ると、街路樹を薙ぎ倒しながら交差点へと突っ込んでいった。
 俺は反射的に赤ん坊に駆け寄った。あっけに取られている母親を押しのけると、赤ん坊の眼前に原稿をぶち撒ける。赤ん坊は原稿を眺めると、指差して口を開いた。さあ、頼むぞ。
「ちんぶんち!」
 俺の原稿は、みるみる灰色に染まっていった。

     

「じゃあ次は何して遊ぶ?」
「缶蹴りしようぜ!」
「高おに!」
「えーもう走るの疲れたー」
 こういう時に決めるのはガキ大将の特権だ。
「じゃあドッジボールな」
 彼がそう言うと、女子からはブーイングが出た。
「うち痛いのいややわー」
「そうや! 男子の投げるボール力入れすぎ!」
「はあ? お前らが取れんのが悪いんやろ!」
 今にも掴み合いの殴り合いが起こりそうな緊迫した空気が漂う。彼は女子を一喝しようとしたが、その時一人の女子の心配そうな表情が目に止まった。数瞬の間、彼は方針を変更した。
「分かった! 花一匁や。花一匁やんぞ」
 途端に男子から落胆とブーイングの声が上がった。
「黙れ! ドッジやるにはチーム分けがいるやろ。そのチーム分けを花一匁でする。文句あるか」
 大将がゴネる男子を追っ払っていると、彼の元に一人の少女が寄ってきた。先ほどの心配そうな顔の少女だ。
「ありがとうね」
「お、おう」
「私避けるの苦手だから」
「べつにお前の為じゃ……」
「あ、池くん!」
 彼が言い終わるよりも早く少女は公園の入口へと駆けていった。遅れてやってきた優男が手を振ってそれに答える。爽やかな笑顔が眩しく感じた。

「それにしてもさー」
 花一匁のために2組に分かれながら、男子の一人がつぶやいた。
「なんで大阪じゃんけんって言うんだろ?」
「さあ?」
「大阪では負けと勝ちが逆なんじゃない?」
 この地方では花一匁の時には『大阪じゃんけん』を使う。やり方は普通のじゃんけんと一緒だが、勝敗は逆だ。パーがチョキに、グーがパーに、チョキがグーに勝つ。なんでそうなるのか、どうしてそうするのか誰も知らないし、大阪に行ったことがある奴もいない。
「ってことは大阪行ったら女子の方がドッチ強くなる?」
「それだけじゃねえぞ。大将とか喧嘩で最弱だ」
「外遊びもゲームも最弱になっちゃわん?」
「大将が勝てないものないもんな」
「じゃあ大阪行ったら大将はもう大将じゃねえな!」
 ギャハハハ、と下品な笑い声が響く。大将は何か言おうとしたが、上手く言葉に出来なかった。
「ほら、無駄口すんな、早くチーム決めしてドッジすんぞ!」
 男子をけしかけると、彼は向かい合わせになった相手チームを見据えた。彼女の手は、しっかりと優男の手に握られている。
「くそっ」
 小さく呟くと、彼は大きく足を振り上げた。
「かぁーって嬉しいはないちもんめ!」

     

「じゃあ暗幕に、防空電球と防空電球傘。品目の数は配給リストに載っているから、後で照らし合わせて確認してね」
「あ、はい。ありがとうございます」
「あ、忘れていた。あとこれね」
 職員から手渡されたものは、黒い毛が同じ方向に何百本も縫いつけられている薄い網のようなものだった。少し湾曲していて、ちょっと変わったハンチング帽のようにも見える。
「これは何?」
 そうヒカリが尋ねると、職員は突然目の前にハリウッドスターが現れたかのような顔をした。
「何って、あなた、カツラよカツラ」
「カツラ?」
 ヒカリは困惑した。今回は灯火管制に関する道具の配給だと聞いていたのだが。
「だってほら、灯火管制でしょ? あなたのおうちの……」
「父のことですか? 父は別にハゲでは……」
「だから! もう、やだわ若い子って。自分だけが世界の中心だと思ってるんだから」
 職員は急に怒り出した。ヒカリの言うことも聞かず、「次の人が待ってるから速く」と急かす。結局カツラは手に持たされたまま追い出されてしまった。

「もう! なんなのいったい」
 ヒカリはプリプリしながら大通りを歩いていた。片手に市役所の紙袋をさげ、もう片方の手で貰ったカツラをくるくる振り回す。
 配給所に行くのが遅くなってしまったせいで、もう辺りは暗くなり始めていた。灯火管制のお蔭で街灯は付かないし、店は窓に暗幕を張っていて通りはもう本を読むのも難しいほどだ。月も出ていないので、宵の明星がとても眩しく見える。
「貴様! 言うことを聞かんか!」
 突然脇道から大きな怒鳴り声がした。ヒカリが様子を見ようと近付くと、野次馬たちに遠巻きに囲まれながら、近所のおじさんが憲兵に組み敷かれていた。おじさんの禿げ頭には乱雑にカツラが被せられ、それをおじさんと憲兵が手で押しあいへしあいしている。
「貴様のせいでここら一帯を丸焼けにしたいのか! いいから被らんか!」
「いやじゃ! こんなダサいカツラ死んでも被りとうない!」
「ハゲには辛い時代ねえ」
「お坊さまも剃髪する宗派は禁止なんですってねえ」
 ヒカリの真横では奥様方がヒソヒソと話し込んでいる。やっぱりおかしい、とヒカリは思った。彼女の父親はハゲではないのだ。なのになぜ……右手にぶら下げていたカツラをもう一度眺める。
 カツラの長い髪の毛の裏には、『女性用カツラ』の文字があった。

     

 科学部部長であるジンタは、座る部員達の前で高らかに宣言した。
「というわけで、今回の科学部の出し物はペットボトルロケットに決定した!」
「出たよ部長の横暴……」
「いくらなんでも文化祭なんて大きなイベントでやらなくてもよくない?」
「そうだよ、私たちにとって唯一に等しい青春イベントを勝手に決められちゃあ……」
「黙らっしゃい!」
 ジンタが怒鳴った。
「いいか諸君。勘違いしないで欲しいが、これは諸君らの為を思っての決定なのだ。いみじくも先ほどナバタメくんが言ったように、文化祭とは我々日陰者にとって高校生活で唯一と言ってもいい青春ポイントを稼げるイベントだ」
「部長、表現が古い」
 マナブからのクレームを無視して部長は話を続ける。
「然らば、我々が出す出し物は最も効率的に青春ポイントが稼げる手段でなくてはならない。そうであろう?」
「そこからペットボトルロケットへの飛躍がまだ説明出来てないんですけど」
 イッヒが眼鏡を押し上げた。違うことをやりたがっているのは明白だ。
「何、簡単なことだ。青春ポイントは概ね4つの要素……友情・冒険・恋愛・性愛の組み合わせによって得られることが先行研究により分かっている。ここまではいいな?」
 明らかによくなかったが、部員たちは黙って聞いている。その方が早く終わるからだろう。
「さて、4要素のうち、友情と冒険、恋愛と性愛は相性がよいが、お互いを同時に満たすのは簡単ではない。しかし! ペットボトルロケットのコンテストであれば4要素を同時に満たすことが出来る! 出来るのだ!」
「はい質問」
 部長が熱く拳を振り上げると同時にナバタメが手を上げた。いつも通り丸椅子の上に正座して、背筋から指の先までをピンと物差しが入ったように伸ばしている。
「ペットボトルロケットと恋愛がどう絡むんですか? 作業の過程で私と貴方がたの間に愛が芽生えるという妄想なら、私はレズビアンなので理論が破綻してますけど」
「もちろん、そうではない」
 部長はイライラしながら言った。
「先月作ったワイヤレス小型カメラがあるだろう。ロケットにあれを載せる。空撮だ。そして隣には女子校……どうだ、分かるだろう?」
 部長は部員たちの顔を見渡しながらいった。
「我々はその日、テロリストにして異邦人となる。文化祭に革命を起こすのだ」

     

「お願い、殺さないで! 私を助けてくれたら、きっと貴方のお役に立ちましょう」
 釣り上げた魚の言葉を聞いて、漁師は言った。
「何の力も持たない小さな魚が、おいらの役に立つだって?」
「そうですとも。試しに何か一つ願いを言ってご覧なさい。私がその願いを叶えて差し上げましょう」
 漁師は思った。一つ、この魚の話を聞いてやるのも悪くない。途方もない願いを一つ言って、叶えばよし、叶わなければ最初の通り捌いて食ってしまえばいい。
「分かった。んじゃ、おいらを億万長者にしてけろ」
 漁師がそう言うと、魚は飛び跳ねて空中で一回転した。
「お安いご用です。ではまず、ここから南へ真っ直ぐおいでなさい。足の歩幅は普段通りに、大きくても小さくてもいけません。方角を違えることなく真っ直ぐ歩き続けていくと、いつか足の裏が鋭く痛む場所に出るはずです。その地点をスコップで掘るのです。そうすれば、貴方に富がもたらされましょう」
 漁師が言われた通りにすると、まもなく足の裏が痛くて痛くて踏めない場所に行き当たった。
「ははあ、ここだな」
 漁師がスコップで地面を掘ると、果たしてそこから金貨や宝石の詰まった宝箱が出てきたではないか。
「ありがたいだ。これでおいら億万長者だ」
 漁師が喜んでそう言うと、魚はこう答た。
「御礼には及びません。その程度の富では億万長者と言うには程遠いですからね」
 それからと言うもの、漁師は歩くたびに行く先々で強烈な足痛に悩まされるようになった。足が痛む場所を掘れば、必ず宝箱が手に入る。しかし漁師は、それを次第に煩わしく思うようになっていった。彼はそもそも億万長者になりたかったわけではなかった。最初に得た金貨だけで、彼が一生遊んで暮らすには十分だったのだ。
 漁師は魚に足を痛ませるのをやめるように言ったが、魚はこう言った。
「残念ながら、私は貴方の願いをまだ叶えていません。願いを叶えない限り、その術は解くことが出来ないのです」
 漁師は宝探しを続けた。欲しくもない宝箱を集めるために、痛む足をひきずりながら、毎日毎日一心不乱に穴を掘った。手に入れた宝箱は人に上げてしまうと自分が億万長者になれないので、自分で貯め込むしかない。人は彼を守銭奴と呼んだが、彼は自分の足を治すのに必死だった。
 やがて魚が漁師の『願い』を叶え、術を解いた時、彼の足の裏は彼の資産を使っても直せないほど大量の魚の目に覆い尽されていた。

       

表紙

天馬博士 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha