Neetel Inside ニートノベル
表紙

日替わり小説
6/30〜7/6

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 寝る前に軽く運動でもしようかなと思っていると、先輩が訪ねてきた。
「どうしたんですか、こんな遅くに」
「ひきこもり釣りにいかない?」
 こんな遅くから『ひきこもり釣り』か、と私は思った。やるのは構わないが(丁度身体を動かしたかったところだし)、普段使うような『釣り堀』はもう終わっている。
「釣るのはいいですけど、どこか出来るところがあるんですか?」
「もちろん。いい釣り場があるんだよ」
 連れられてやってきたのは、カプセルホテルだった。
「ここにひきこもりがいるんですか?」
 私が問うと、先輩はにこりと笑って言った。
「フフフ、うじゃうじゃいるよ。食べ切れないぐらい」
「そりゃ凄いですね……。でも、皆寝てますけど。どうするんですか?」
 一つ一つカプセルの中を起こして回るのは大変だし迷惑だろう。私がそう思っていると、先輩はバッグから小さなピンポン玉のようなものを取り出した。
「見てて」
 そう言うと、先輩はカプセルの個室の中にピンポン玉を投げ入れる。6つ目を投げ入れた瞬間、「熱い!」という声がして、中からニュルッと人の頭が飛び出してきた。
「捕まえて!」
 先輩が叫ぶ。私は慌てて黒い頭を両手でがっしりと掴み込んだ。後ろから先輩が私の腰を掴む。そのまま二人で息を合わせて、力を込めて身体を外に引っ張り出した。出てきた男の身体は、思ったよりも筋肉質で上質だった。
 結局その後、30室の個室に対して5人のひきこもりを捕まえて、『ひきこもり釣り』は終了した。取ったひきこもりはバケツに入れて持ち帰る。家で殻を剥いて丁寧に洗い、軽くソテーすればひきこもりのムニエルの完成だ。
「さっきのはなんだったんですか?」
 私がひきこもりを食べながら聞くと先輩はこう答えた。
「あれは熱気を圧縮した圧縮玉だよ。中に入れると突然温度が変わったことにびっくりしてひきこもりが飛び出してくるの」
「へえ、何かマテガイみたいですね」
 先輩は楽しそうに笑った。
「そりゃそうだよ。生態が同じなんだから、同じ方法で取れるに決まってる」

     

 土用の丑の日だったので、うなぎを食いに行った。昔から行きつけの鰻屋へ行くと、もう夕方ということもあり、結構な行列が出来ている。鰻は好きだが、行列は嫌いだ。なら土用の丑は外して別の日に食いに行けばいいのだが、存外普段は自分が鰻を好きであるということを忘れてしまう。第一、今日はもう完全に鰻の舌と腹になってしまった。店先から漂うタレの香りだけでもう鰻中枢が痛いほどに刺激されている。もう鰻以外では満足出来そうにない。せめて行列が短くなってくれないか。お前ら鰻の資源保護の為に半分ぐらい帰ってくれよ、と自分を棚に上げてごうつくばりなことを考える。
 結局店内に入るのに2時間かかった。中に入るとまた一段とタレと鰻を焼く香ばしい香りが身体を包み込み、優しく俺の中の鰻を刺激する。注文を取ってくれた店員さん曰く、料理が出来るまで更に1時間ぐらい待たされるらしい。値段もさることながら、時間の点でも鰻はまこと贅沢品である。一食に3時間も4時間もかけるのは古代ローマ人か日本人ぐらいのものだろう。
 待つ時間も食事の一部だという見方もあるが、鰻屋で待つ時間は拷問以外の何者でもない。大体ファミレスとかなら、他の客の注文したメニューを観察したりして楽しむことも出来ようが、鰻屋ではあっちを向いてもこっちを向いてもあるのは鰻、鰻、鰻だけである。鰻屋独自のメリットとしては大将の調理が間近で見られる可能性があることだが、生憎通された席は奥の座敷で、今回はそれを拝むことすら難しい。

 芳香地獄を彷徨うこと1時間、腹ばかりか頭と鼻まで完全に鰻となった俺のもとに、ようやくうな重の松が届けられた。途端に五感が一気に研ぎ澄まされる。今までの間接的な匂いや見た目が紛い物に感じられるほどの圧倒的な濃厚さ。濃い飴色のタレは一口サイズに切られた白身を綺麗に覆い尽し、下を支える白米に滴っている。切り身を見れば中にはプリッとした白い身がギュッと詰まり、皮はパリッと音を立てて破けた。おお、世界よ、これが鰻だ。俺はすぐに限界を悟った。これほどの重厚さ、これほどの熱量を茶と白米のみで受け止めることは困難だ。予算の都合で肝吸は頼んでいなかったが、すぐに追加しなければならない。俺は店員さんを呼んだ。
「はい、なんでしょう?」
「すいません、包丁いただけます?」
「は?」

     

「ミーンミーンミーンミーンミーン……」
「……」
「ミーンミーンミーン……」
「……」
 部屋中に響く『蝉の声』を流石に無視しきれず、俺は読んでいたマンガから顔を上げて蝉山の顔を見た。
「……ミーン」
「……」
「何だよその目は」
「暑い」
「んなこと分かっとるわ! 俺だって暑いわ!」
 だったら人んちでセミの鳴き真似なんかしないで欲しいんだが。体感温度が3℃は上がった気がする。蝉山は俺の冷ややかな視線をさらりと交わすと、フローリングにゴロンと寝そべった。そのままゴロゴロと転がりながら足を子供のようにバタバタさせる。
「暑いよ〜〜クーラーつけてよ〜〜」
「そんな贅沢品はこの部屋にはない」
「冷たいこと言うなよ〜〜」
 蝉山が次々と繰り出す暑苦しい動作のお蔭で、ただでさえ暑いこの部屋の温度が更に上がっていくような気がしてならない。窓は開けているのだが、いかんせん外は風が全く吹いていない。最強に設定した扇風機先輩も、こうもどこもかしこも暑くては効果も半減だ。逃げ場がない。
「俺が冷たくすることでお前は涼しくなってるだろ。むしろ感謝して欲しいんだが」
「お、なるほど。そういうことだったのか。気が効くなぁ……これがクーデレって奴か」
 蝉山は一人で納得して何度も頷いている。頭が悪過ぎて皮肉が通じないのだ。クソ、その思考回路が気持ちわるい。なんとかして早く駆除したい。
「大体お前、暑いなら早く帰れよ。お前の部屋クーラーあるじゃん」
 前時代的なうちの母上とは違い、コイツの家は全部屋クーラー完備になっている。文句を言うなら帰って自分の部屋でゴロゴロすればいいのだ。この金持ちのボンボン息子が、クソ羨ましい。
「えー、うん、まあそうだけど〜〜」
 蝉山のうっとおしい喋り方にイラッとして、俺の体感温度がまた上がった。いや、本当に体感温度だろうか。何だか、本当に室内の気温がさっきから上がっているような気がするのだが。
 俺の気付きを見越したかのように蝉山は言った。
「放射冷却って知ってる?」
「なんだ、薮から棒に」
「熱量を持っている物体は、エネルギーを電磁波などの形で低温側に放射することで温度を下げる」
 蝉山は厭らしく笑った。
「まだ分からないのか! 俺のウザい行動波を常に冷静なお前に照射することで俺の体温はグングン下がっ」
「氏ね」
 俺は蝉山の自慢げな顔を掴んで張り倒した。真面目に聞いて損した。アイスでも食べよ。

     

 割れそうな頭痛で目が覚めた。目の前がぐるぐるする。典型的二日酔いの症状だ。
 吐き気の波をこらえつつ、ゆっくりと蒲団から起き上がる。枕元を振り返るとミネラルウォーターの新品のボトルがあったので、手に取って飲む。生温い液体が舌の上から喉へと流れ込み、少しの清涼感が意識を覚醒させた。どうやら昨日の誕生日パーティーで激しくやらかしたらしい。ミネラルウォーターはアイツらが俺を運ぶついでに置いていってくれたものと見える。
「こんなに頭痛いの学生以来だ……」
 ぼやきながらもう一度水を飲む。ふと、昨日貰ったプレゼントのことを思い出した。部屋の中を見渡してみると、コーヒーテーブルの上に纏めてラッピングされた箱や袋が置いてあった。
「アイツらホントいい奴だな。最悪の目覚めだけど最高の目覚めだ」
 一人暮らしですっかし身についた独り言をつぶやきながらプレゼントを物色する。小物とか筆記用具とかハンカチとか、大抵はお金の掛かっていないちょっとしたものだ。その中に一つ、異彩を放つものを発見して手が止まった。それは見る限り即席麺の容器の形をしていたが、手に取ってよく眺めると表面の文字がところどころ違っていた。
「インスタント・ディ……貴方の理想の一日を体験出来ます? ジョークグッズか」
 こういうのは学生時代に卒業したと思ったんだがな……と思いながら説明書きを詳読する。やり方は普通のカップラーメンと同じで、お湯を入れて3分待つだけらしい。もっとも、お湯を入れると何が起きるのかについては何も書かれていなかった。表面をくまなく調べて見たものの、ただ『理想の一日が目の前に現れる』としか書かれていない。
 少し興味が湧いたので、試してみることにした。台所まで行って、ポットから湯を注ごうとして気付いた。
「あれ? これ開いてんじゃん……」
 封されているはずのフタが剥がれていた。中は空っぽで、封入されていたものの残滓は欠片もない。
「なんだこれ? 理想の一日は貴方の心の中にあります、みたいな奴か? くだらねえ」
 俺はすっかり拍子抜けしてしまった。他のプレゼントで口直しでもしよう。そう思って寝室まで戻る。ところがコーヒーテーブルにあったはずのプレゼントの山がどこにもない。あるのはミネラルウォーターのボトルだけだ。
 インスタント・ディの空容器を片手に、俺はただ寝室の前に立ち尽すしかなかった。

     

 地元の「おふくろ屋」という食堂は、個人でやっている店ながら手頃な価格とあたたかい店内の雰囲気が根強い常連客を呼んでいる。いわゆる『隠れ家的名店』で、私自身も学生時代は何度となく足を運んだ。
 このおばちゃん、不思議と人を引きつけるような魅力を持っていた。というと妖艶な傾国の美女を想像されるかもしれないが、彼女自身は忍たま乱太郎の食堂に勤めていそうな恰幅のいいおばちゃんである。とはいえ、いやむしろその容貌が、どことなく客の気持ちをほぐし、現実世界で荒んだ心を癒してくれる。常連客同士も強い共感や親しさで結ばれており、店内は正におばちゃんを中心とした『家庭』のごとき雰囲気があり、のれんをくぐるたびに実家に帰っているような気分になったものだった。
 不思議と言えば、店で出てくる料理もそうであった。どういうわけか、ここの食堂の料理は、食べるたびに実家の母の顔が思い浮かぶのだ。その理由が味付けにあると気付くのに時間はかからなかった。記憶の中にある『おふくろの味』とそっくりなのだから、実家のことを思い出すのも無理なからんことだろう。
 驚くべきは、この『おふくろの味』現象が客を問わず発生していたことである。当然だが、『おふくろの味』なんてのは個人個人によって全然違う。だから、本来一つの店で出てくる品を『おふくろの味』として共有することなど不可能なはずなのだが、ここのおばちゃんはどういうわけか、その離れ業をなんなくこなしていた。
 一つ「おふくろ屋」に関して印象深いエピソードがある。サークルの後輩を連れていった時のことだ。
「ここの飯は本当に不思議だよ。美味いとは言い切れないかもしれないけど満足することは保証する」
 と言った私に、なんと彼はこう返したのだ。
「この料理、味がしないです」
「まさか。俺にはちゃんと『おふくろの味』がするんだけど……」
「その『おふくろの味』っての、よく分からないんですよね。僕施設の出なんで……」
 なるほど、『おふくろの味』を知らない奴にはおばちゃんの魔法の腕も通用しなかったらしい。私は感心したが、本当の衝撃はここからだった。厨房からおばちゃんが出てくるなり、後輩を見るなり駆け寄って抱き締めたのだ。
「こうちゃん……大きくなったね……」
 こうして計らずも、『息子』が実の息子を『母』に巡り会わせるという感動的な場面が私の手によって出現することになった。

     

 重い扉を開けると吐き気を催すような淀んだ臭いが中から溢れ出す。女が助けを求めるように隣を見ると、男は優しく微笑んだ。
「大丈夫ですよ。これがいつもの状態ですから」
 そう言うと、女の手にそっと手を添えて、ゆっくりとした動きで扉を大きく開け放つ。
 まず目に入るのは、大きな刃やローラー等を持った機械の数々。それぞれが信じられないほど汚れていて、塗装は禿げて代わりに赤錆がびっしりとついているのが確認出来る。床には得体の知れない赤や黄色や黒の液体と怪しげな肉の破片が至るところに飛び散った跡があり、それらの表面はもれなく黒い光沢のあるもぞもぞ動くモノで覆いつくされていた。更に言えば、それら全てから、あの吐きたくなるような臭いが放たれていた。
「どうです。凄いもんでしょう」
 後ろに立った彼は誇らしげにそう言うと、女の前に回って「こっちです」と手招きした。女は歪みそうな表情筋を必死に抑えつつ、べっとりとねばつく床の上を音を立てながら歩いていく。二人がそばを通るたび、集っていたハエがワッと雲になって飛び上がり、周りをブンブンいいながら飛び交った。
「ここです」
 案内された所はちょうどこの倉庫の中心部分の辺りで、正面入口からは大きな回転式カッターの向こうにある少し奥まった場所だった。扉や窓からは丁度視線を遮られる配置。そこに『それ』は鎮座していた。腐臭としか言えないそれが、更に強くなった。
 黒い液体で彩られた物体は、ところどころ白くツルツルとしたものが表面に析出している。表面のほとんどはやはり虫が集っており細かな特徴まで視認することは出来ないが、その大きさや僅かに残る形、そして何より顔にあたる部分の開き切った瞳孔から、辛うじて人の姿と判別出来る。
「出来はどうですか?」
 男が女に向かって囁いた。
「……ここまでしろとは言わなかったわ」
 女は擦れた声で辛うじてそう言った。
「おや、なるべく凄惨にしろという要求をしたのは貴方でしょう?」
「だからって、こんな……!」
「おや、怖がってるんですか?」
 男は楽しげな口調でそう言った。
「大丈夫ですよ。我が社の凄惨技術は世界一ですから。誰にも作り物だとバレやしません」
「え?」
 女は思わず間抜けな声を出した。
「本当に作り物なんですか?」
「信じてなかったんですか?」
 男は呆れたように言った。
「なるべく精巧で凄惨な殺人現場を再現してくれと依頼したのは貴方でしょう」

     

 帰ってきて冷蔵庫の扉を開け放つと、ツーンと酸っぱい臭いが漂ってきた。楽しみにしていた冷凍庫のハーゲンダッツ達は、見るも無惨な姿となっていた。
 哀しみにくれながら、原因は恐らく停電だろう、と俺は見当をつけた。多分アパートの設備点検かなにかで送電を一時停止したに違いない。普通そういう時は事前に通達があるものだが、ここの大家はずぼらな人間なので、忘れていたとしても不思議ではない。
 哀しみの衝撃が過ぎ去って原因の見当がつくと、今度は怒りが湧き上がってきた。食べ物の恨み、晴らさでおくべきか。そんなことを考えながら、気がつけば俺は大家の部屋の前までやってきていた。
 インターホンを押すと、中から「はーい」と答えがあった。時を置かずして扉が開く。
「どうかしましたー?」
 先ほど答えた声の主は、そう言うと首を傾げた。若い女だ。
「あの、大家さんいます?」
「え、大家は私ですけど」
「は? いや、大家さんって、ここに住んでるおじいさんの……」
「祖父のことですか? 祖父は昨年亡くなりまして……」
 話が噛み合わない。あのじいさんが去年死んだ? 昨日元気に道端でナンパしてたけど。困惑していると彼女が言った。
「もしかして、二階の奥の部屋の方ですか?」
「はい、そうですけど」
「ホントですか!? 良かった……無事だったんですね……!」
 彼女は突然そう言うと俺の手を握ってブンブン振り回した。俺には訳が分からない。
「何の話をしてるんですか?」
「2年前、ここで大きな時元事故があったんです!」
 俺が問うと、彼女はそんなことを言った。
「貴方が巻き込まれて、それであの奥部屋をどうするか問題になったんですよ? でも祖父が、『時元事故なら本人は無事だろうから、いつかあの部屋に帰ってくる。それまで片付けずにおいておいてやろう』って……」
 話を聞いているうちになんとなく合点がいった。ここは2年後の未来だったのだ。俺はなんらかのタイムスリップ事故に巻き込まれたらしい。
「もしそれが本当なのだったら……」
「なんです?」
「それならそれで、部屋の中は整理しておいて欲しかった。特に冷蔵庫の中身は……」
「ああ……」
 彼女は少し困ったように笑うと言った。
「食べ物の恨みは恐ろしいですからね」

       

表紙

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Neetsha