Neetel Inside ニートノベル
表紙

日替わり小説
7/14〜7/20

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 ある男が近所の神社の境内を通ると、小さな屋台のテントが立てられていた。看板はついておらず、何の屋台かは判別出来ない。屋台は既に営業しているようで、数人の子供たちが中に群がっていた。何か小さな白いものを買っているようだったが、遠目ではよく分からない。少し中を覗いてみようと、男は屋台に近寄った。
「おじちゃん、今日もちょうだい」
「へへへ、いいとも。今日はどれにするんだい?」
「んー。今日はその赤い丸がついた奴がいいな」
「そっちの子は?」
「僕はこの、お馬さんが描いてある奴……」
「ばっかお前、これは馬じゃなくてラクダだよ!」
「これこれ喧嘩しなさんな、はい、300円だよ」
 屋台の中にはニット帽を被り、長い白髪混じりの髭を蓄えた初老の男が座っていた。その後ろにはカラフルなマークや絵の描かれた絵が下がっており、子供たちはそれを見ながらワイワイ騒いでいるらしい。子供が絵柄を告げると、老人の手元からは細長くて丸い棒のようなものが次々に現れる。子供たちはそれを受け取ると口に咥え、キャッキャいいながら駆け去っていった。
「やあ、いらっしゃい」
 老人に声を掛けられて、男はビクリとした。買うつもりはなかったが、かと言って声を掛けられたのに立ち去るのも気不味い。その時、老人の後ろにあった箱の絵が何であったか思い出した。どう見ても、それは煙草のエンブレムに違いなかった。
 あっけに取られる男に、老人はニヤニヤしながらおどけたように言った。
「勘違いしなさんなよ、お兄さん。祭の上では子供と言えど一人の客、一人の消費者。その判断は尊重されるべきさね。それに、私は需要があればそれに答えずにはいられないタチでね」
「だからって……」
「ほら、タバコ切れてるからそんなにイライラするんですよ、どうです一本。普段は何を吸われるんですか?」
「……ラーク」
 男は答えた。綺麗事を述べても煙の欲求には叶わなかったし、丁度手持ちは切れていた。老人は薄く笑うと、手元から紙巻を一本取り出した。
 男が指先に持ってライターを取り出すと、老人はそれを押し留めた。
「お兄さん、うちのは火なしで吸えるんです。試してくださいよ」
 そういえば、子供たちも火はつけてなかったな。男は紙巻をそのまま咥え、一口吸いこんだ。
 昔懐かしい、甘いハッカの味がした。
「300円です」
 老人がおかしそうに言った。

     

 その村には、もう何日も雨は降っていなかった。続く晴天で田畑は乾涸び、地面は割れ、小川は流れを失い水も汲めなくなった。溜め井戸は底をつき、村でただ一つの湧き井戸は長者の持ち物であったが、長者はケチで意地悪として有名だった。彼は水を汲みに来た村人たちに大量の金品や大仕事、無理難題を押しつけ、村人たちはますます疲弊していった。
 だからその旅人が村に着いた時には、村は荒れ果てて、長者の屋敷以外には何もないような有様であった。旅人が長者に一晩の宿と食事を頼むと、長者はこう言った。
「この村は干魃で大層苦労しておる。お前のような余所者を一晩泊め置くような余裕は到底ないわ」
「そこをなんとか。この辺りには店もありませんし、頼れそうなお家はここしかありません。御礼ならなんだっていたします。路銀もあるだけお渡しします」
「こんなところで金などいくらあっても無駄よ。しかし、もし本当になんでもするというのなら……」
 長者はここで言葉を切ると、旅人の顔をじっと見た。旅人は少し慌てた。
「いえ、何でもといっても出来ることと出来ないことが……」
「雨を降らせてみよ」
「は?」
 突然の言葉に旅人はポカンとした。
「何、降らせろと言っても、本当に降らせるというわけではない。この地方に伝わる雨乞いの儀というのがあってな、村人がやるのが中々難しいのでやってもらいたいということじゃ」
「そういうことなら……」

 雨乞いの儀は、神楽に合わせて舞いながら身体から出る「水」を順番に地面に描かれた村の地図に垂らしていく、というものだった。旅人は神楽を演奏する下男たちと中庭に集められ、長者たちの前で舞うことになった。
 まずは唾。ついで汗、涙と続く。旅人が尿を出し終わると、長者は小刀を取り出し、下男に渡した。
「これであいつの首を突け」
 旅人は驚いた。
「血なら指先にしてくださいませ。首を突かれては死んでしまいます」
「ならぬ。この儀では血が雨のように降り注ぐことが大事なのじゃ。血を噴き上げねば降り注がぬ。首を切らねば血が吹き上がるまい」
 問答無用、と下男が襲い掛かった。旅人は抵抗したが、舞で疲れ切り、抵抗は弱々しかった。
 血は中庭を超えて井戸を濡らし、干魃は続き、村は壊滅した。

     

 旅行にも得意、不得意というのがある。それは例えば計画の立て方とか、現地での上手い値切り方とか、いわゆる「スキル」に属するものと、体調を整えられるかとか、物を失くしたりしないとか、不可抗力の部分に類するものとで分かれているが、俺は圧倒的に後者が弱い。
 今回の場合は天候だった。旅行では基本的に晴天であることが好ましい。見知らぬ土地の雨模様というのも乙なものではあるが、それも晴れの日との比較が出来てこそ。雨の日が多いと移動も大変になるし行ける場所も限られるしマイナスだ。特に今回のように不意打ちで土砂降られると、予定も狂うわ用意もしてないわで、雨を避けるだけで精一杯になってしまう。
 だからこの喫茶店に駆け込んだのも、ただの偶然だった。
「いらっしゃいませ」
 雨の観光地というだけあって客はそれなりに入っているようだが、店内には店員の姿はなく、カウンターの中にも声の主の姿は見えない。
 キョロキョロと店内を物色しているとカウンター奥の小さな張り紙が目に入った。
『長年ご愛顧いただいておりましたが、明日を持って閉店させていただくことになりました。突然の発表となり申し訳ありません』
 張り紙を読んでいると突然目の前に人の頭が現れたので少し驚いた。声からして先ほど挨拶してくれた店員さんだ。奥から走って戻ってきたらしく、小さな肩をいからせて軽く息をついていた。
「お待たせして申し訳ありません! ご注文は、お決まりですか?」
「あ、えっと」
 少し迷ったが、聞いてしまうことにした。旅の恥は掻き捨てだ。
「あの、明日で閉店なんですか?」
 店員さんは、一瞬トゲを無理やり飲み込まされたような顔をして、それから寂しげに微笑んだ。
「そうなんです。元々お父さんが趣味で持ったお店でしたけど、もう客商売も限界で。お客さんもあまり来ないから、他の人には早めに辞めてもらったんです。そしたらこんなに……」
 そこまで一気に言うと、ハッとした顔で口をつぐんだ。
「ごめんなさい、変なこと口走って。ご注文はお決まりですか?」
 その店で一番安いブレンドコーヒーは、ほんの少しだけしょっぱい味がした。
「ありがとうございました、またお越しくださいませ」
 なんてことのない、決まりきった挨拶。けれど、それを聞いた俺は思わず切なくなってしまった。明日閉店する店の『また』は、一体いつどこで訪れるのだろう。

     

「どうされました」
 男はしばらくうつむいて黙っていたが、再度医者に促されてしぶしぶ話し始めた。
「最近やけに疲れっぽくて、身体のだるいのが治りません。睡眠時間も増えて……」
「なるほど……最近朝御飯、ちゃんと食べてますか?」
「朝御飯ですか。最近は全く……。元々朝は抜くことが多かったですけど、起きるのが遅くなってからは食欲もめっきり減って……」
 男が言うと、医者は軽く頷いて言った。
「なるほど……軽い夏バテですね」
 お薬出しましょうか、という医者の申し出を断ると、男は診察室を後にした。

「朝食か……」
 照りつける太陽の中を歩きながら男は一人ごちた。子供の頃は親が必ず朝御飯を用意していて、どんなに眠かろうが腹が減っていなかろうが叩き起こされて食わされたものだ。トーストや惣菜パンを味噌汁で流し込んだ記憶が甦る。口をつけた味噌汁には、いつも塗ったマーガリンの油が膜となって浮いていた。
 そう、味噌汁だ。思えばもう何年も飲んでいない気がする。せいぜい牛丼屋の薄い味噌味のお湯を飲んだ程度だ。男は実家の味噌汁の味を思い浮かべた。飲みたいなぁ。
 その時、向こうの煙草屋の横にある自販機が目に入った。もう真夏も本番と言うのに、冬の定番であるおしるこ、コーンポタージュ、その横に。
「味噌汁……」
 男は思わず辺りを見渡した。タイミングが良すぎる。何かのドッキリだろうか。そんなことを思いながらも、正直な気持ちを反映するかのようにその手には既に硬貨が握られていた。

 出てきた味噌汁の缶は普通のスチール缶だ。包装の味噌汁のやる気のなさそうな写真がちょっと可愛らしい。プルタブを開けると軽くプシュと音がして、ダシの香りがかるから漂ってきた。
 一口飲もうとして、男は異変に気付いた。
 缶が熱くない。
 慌てて自販機を確認する。表示は「あったか〜い」なのだが、喉を流れる味噌汁は完全に常温。別な言い方をすれば「冷めている」。
 煙草屋の軒先の注意書きが目に飛び込んできた。
「この自販機は全て常温で出ます」

     

「じゃあ大怪我や急病で倒れて動けなくなっている人はいないんですね?」
 白いヘルメットを被った男がそう言うと、家主の夫婦は顔を見合わせた。
「いや、いないといいますか……ね?」
「うむ……」
「ですから、いないのでしょう?」
「いや、呼んだ時点ではうちの娘は確かに大怪我をしていたんだ」
 夫が少し顔をしかめると、妻もそれに同調して言った。
「そうです! 頭がぱっくり開いて、血がドクドク出て、もう見るだけで恐ろしかったわ……」
「じゃあ今はどうなんです?」
「それは、まあ……」
 救急隊員が問うと、二人はまた煮え切らない態度に戻った。また狂言通報か、と隊員は思った。
「では私たちは失礼します」
「ちょっと、待ってくださいよ!」
 隊員が帰ろうとすると母親は金切り声を上げて行く手を遮った。
「娘を見捨てるんですか!?」
「あのですね」
 隊員は軽く溜息をついて言った。
「娘さんの命に別状はないんでしょう? でしたらご自宅の車で、ご自分で、普通に来院されたらいいじゃないですか。救急車は、緊急搬送の必要がある場合に使うものですよ」
「でも、どうせ帰るんでしょう? ならついでに乗せていってくれてもいいじゃないですか!」
「救急車が帰るのは消防署です。病院じゃないですよ」
 隊員は母親を適当にあしらおうとしたが、母親は存外しつこかった。
「お願いよぉ〜……確かに怪我はよく分かんないけど治ったの、けど意識は戻ってないの、心配なのよぉ〜」
「ちょ、ちょっと止めてください、離して」
 母親は涙を浮かべながら隊員の足に縋りついてきた。隊員が慌てていると、後ろのドアから旦那が現れた。腕には少女をだき抱えている。話にあった娘だろう。
「頼む、診てやってくれ」
 父親は少女の身体を隊員に差し出した。少女の顔は傷一つなく、怪我をしていたとは到底信じられない。目は閉じられており、小さく上下する胸が生きていることを伝えていた。
 隊員が少女の頬を軽く叩くと、少女の目がゆっくりと開いた。
「おじさん、誰?」
「寝てるだけじゃないですか!」
 隊員が思わずずっこけると、ドシン、という衝撃と同時にグキッという音がした。下からは変に柔らかい感触が伝わってくる。
 縋りついていた母親は屈強な隊員の下敷になっていた。ピクリとも動かない。
 三人は顔を見合わせた。
「急患ですかね?」
「ですかね……」
「じゃあ私、付き添い!」

     

「オムライスが食べたい……」
 それは妻のぼやきにも近い小さな呟きだったが、夫は機敏に反応した。
「ちょっと待っていろ」
 言うが早いか、彼は自室から怪しげな家電の箱を取り出してきた。
「全自動オムライス製造機だ」
 聞かれてもいないのにそう説明すると、夫は箱を抱えて台所に入っていった。妻は突然のことに少しぼんやりとしていたが、ハッと気付くと慌てて夫の後を追った。明日の食材やらなんやらを使われたら大変だ。自分の聖域は死守しなくてはならない。

 台所では既に夫が店を広げはじめているところだった。電子レンジの中に圧力鍋が入っているような機器を前にして、難しい顔をしながら説明書を読んでいる。
 妻は内心ほっとしながら、夫への説得を試みた。だが夫は想像以上に頑なだった。
「ねえ、いいからさ。今日はもう違う料理準備したの。だからそれ使うのはまた今度にしよ?」
「あとちょっとで使い方が理解出来るから、それまで待ってて」
「さっきのはさ、ちょっと昼間のテレビ思い出しちゃって。だから別に何でもないのよ。私作るからさ、大丈夫だって」
「いやいや、たまには僕に作らせてよ。いつも任せちゃって悪いと思ってるんだ。ホラ、来週の母の日の予行演習も兼ねてやるからさ」
 この言葉を聞いて妻は眩暈を起こしそうになった。母の日! 来週も似たような押し問答と得体の知れない機械製オムライスを食わされてしまうのか。
 いや、この際来週は諦めよう。むしろここで予告してくれたことで予定が狂わずに済んだ。それよりも今日の献立だ。なんとしてもこの頑固親父の頭を解き解して本来の献立に立ち戻らなくてはならない。
「分かった。そこまで言ってくれるなら作って。でも、私今日の分の下拵え全部終わらせてあるの。だからそれ使わないと勿体ないのよ。だから悪いんだけど、メニューは予定通りにして? お願い」
 必死の思いが通じたのか、夫はしばらく黙ってから、頷いた。
「分かった。じゃあその材料を使ってオムライスを作ろう」
 そこからは悪夢だった。得体の知れない機械の中に放り込まれていく下拵えの済んだブロッコリー、ピーマン、挽肉、プチトマト……そして生の米。せめて炊いてくれと泣きつく妻を、「説明書にあるから」の一言で夫は軽く撥ねのけた。
 翌朝、大量の生ゴミが捨てられているゴミ箱を見返しながら、来週までになんとしてもこの機械は捨てようと妻は思った。

     

「美味しかったねぇ」
「ホント、ついつい食べ過ぎちゃって、お腹張って苦しい」
「ハハハ、妊婦か」
「産まれるぅ〜」
 電車の中で女どもがかしましく騒いでいる。ちょっといいところにランチでも行ったのか、食い物の話題で持ち切りだ。クソ、こちとら時間に追われて昼食休憩すらままならんというのに。
「あー、なんかお腹いっぱいになったら眠くなってきちゃった」
「大丈夫? 食べてすぐ寝ると牛になっちゃうよ?」
「お婆ちゃんかよ! あ、やべえ、マジ眠い……最寄りの駅ついたら起こして……」
「もう、仕方がないな」
 片方の女はあろうことか、そのまま本当に寝始めてしまった。静かになったのはいいが、友人の膝を借り、衆人環視の中で高鼾をかいているのを見ていると、これはこれでとさかに来る。流石に座席に寝転がったりはしていないのがせめてもの救いだ。
 これは一つお灸を据えねばなるまい。起きている方の女に話しかける。
「ちょっといいですか?」
「はあ? 誰ですか? この子の知り合い?」
 女はあからさまに疑いの目をこちらに向けた。
「いや、ただ我侭な友人を持って苦労してそうだなと思って」
「はあ、まあ、確かに苦労はしてますけど貴方には関係のないことです」
「どうです。私が貴方の言ったことを叶えて差し上げましょう」
 俺は隠していたスマホを取り出した。
「ちょちょいのちょい、と。はい出来上がり」
「何を言ってるんですか? うっとおしいんで離れて……え、何これ!? 何が起きてるの!?」
 変化は一瞬だった。瞬きを2、3度するうちに彼女の膝には一匹の小柄な雌牛が乗っていた。
「どうだ。さっき自分で言ったことだぞ? 嬉しいか?」
「ちょ、ちょっと……なにこれ? 夢? そうだよね、こんなこと現実であるわけないもの…アハハハハ」
 ふむ、ちょっとお灸が効き過ぎたか。女は現実逃避を口走りながら曖昧に笑っている。まだアプリの効果は残っている。彼女に変なことを言われないように一つ釘を差しておこうと口を開いた。
「言っとくが、あんまり適当なことを言うと……」
「うるさい、このゴミ虫! お前なんか豆腐の角に頭ぶつけて死ね!」
 おいおい、これはマズいぞ。取り消させなければ。だが一歩踏み出した瞬間に足がもつれる。近付いてくる地面に何故か落ちている豆腐のパック。くそっ、こんなことになるなら使わなければよかった。
 まあいいか、多分これ夢オチで終わるし。

       

表紙

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Neetsha