Neetel Inside ニートノベル
表紙

日替わり小説
1/28〜2/3

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午後の予約に現れたのは神経質そうな青年だった。2年間付き合ってきた彼女を調べて欲しいという。結婚を考え始めたと同時に、彼女の様子が急変したという。
「親密になったのなら、それはそれでいいんじゃないですか?」
そう尋ねると、彼は顔を暗くした。
「普通はそうなのでしょうが、私にはそうは思えません……あまりにも激変なのです。これまで断固として断ってきた同棲を向こうから持ちかけてきたり、急に色んなものをプレゼントしてきたり……。単刀直入に言って、まるで別人のようです」
どうも神経質すぎる話だ。多分依頼人の考え過ぎなのだろう。とはいえ、仕事は仕事だ。適当に1週間の行動を見張り、おかしな行動はなかった、とでも言えば十分だろう。そもそも同棲してるのに不審な行動もクソもなかろうに。
ところが、事態はそう単純ではなかった。
尾行して2日目、彼女は勤め先を休んで山奥に出掛けた。これは事前に依頼人が聞いていた情報とは違う行動パターンである。車で2時間半、高速に乗って辿りついたのは、山里から離れた廃鉱だった。彼女は廃鉱の一つに1時間ほどいると、何食わぬ顔で出てきて帰っていった。尾行には気付かれていないようだ。
近年は廃墟巡りが流行っているが、わざわざ同棲相手に嘘までついて、会社を休んでいくのは不自然である。彼女の向かう先に依頼人への隠し事があるのは間違いなかった。廃鉱跡に入るのは崩落の可能性もあり危険だったが、ちゃんとした準備ができるわけでもない。翌日、簡単に準備をして中に入ることにした。
少し奥に入った辺りで、突然、凄まじい恐怖が私を襲った。本能的に、瞬間的に、私はそこから逃げなくてはいけないと感じた。振り返ろうとして、焦りで足がもつれる。横向きに倒れた身体は、何か柔らかいものに受け止められた。私は悲鳴を上げた。私の下にいたのは小さな人間だった。いや人間ではない。普通の人間では考えられないような邪悪で悍ましい表情をそいつは浮かべていたからだ。それから先のことは覚えていない。気がつけば、私は事務所のソファの上で絨毯を被りながらガタガタ震えていた。

「それじゃ何もなかったんですか?」
訝しげに聞く彼に私は無言でうなづいた。だって、どう説明すればいいのだ? 例え金を積まれても、もうこの件には関わりたくはなかった。不満そうな彼をなんとか追い出してから、私は彼の未来を思って少しの罪悪感を覚えた。

     

足をぐいと下に押し込むと、ギアが軋み、フレームが鳴る。ハンドルを腕の力で引き付けて、身体全体でペダルを地面に押しつけるようにしながら、腕、腹、脚、全部に力を入れて坂道を漕ぎ進む。カゴに裸のまま入れられてる弁当箱がガタガタ言いながら飛び跳ねる。こんなにキツい道だったかな。舌打ちしようとしたが、息が上がりすぎて上手く鳴らない。坂祝はもう一度舌打ちしようとして、また失敗した。
突然、後ろから警笛が鳴り響いた。車のクラクションよりも穏やかな、それでいて大きな音だ。クソッタレ、もう来たのか。力を入れるために止めていた息を吐いてもう一度大きく吸い直す。無酸素運動で止まっていた汗がブワッと噴き出すのを感じながら、またしても全身で自転車を摺り下すみたいにして漕ぐ。そんな坂祝の横を8両編成の電車がゆっくりと追い抜けていった。
駅はもうすぐそこだ。ちょっと目をこらせばホームの様子も見える。何もない田舎に走る幹線の駅らしく、島型ホームが1本しかなく、人影もまばらである。その中に一際目立つ白いつばひろの帽子。頼む、あとちょっとなんだ。そう叫びたかったが、口から出るのは息も絶え絶えな喘ぎ声だけ。疲労がどっと押し寄せるのに反比例して、自転車のスピードがみるみる落ちていく。ふらつくタイヤ、後ろからクラクション。慌てて態勢を立て直すと、横を白いバンが抜き去っていった。ハッと気付いて再びホームに目を向けたが、白い帽子は見つからない。時間切れか。坂祝はカゴに手を伸ばして、そっと弁当箱を撫でた。
惰性で漕ぎ続けるうちに駅の目の前にいた。小さな駅なので駅舎の入口から改札が丸見えだ。奥のベンチにはいつも通り人影もなし。少し日除けに休憩させてもらおう。ついでにコイツも食ってしまえ。弁当箱を掴むと、坂祝はシャツで汗を拭いながら駅舎の扉を潜った。
「おそい」
突然後ろから声が響いた。ここでする筈のない声。いる筈のない人。
「へっへっへ。ビビッた?」
清美は帽子を後ろ手に握って、気恥ずかしげにニヤニヤしている。
「へっへっへやねえって。あの電車やなかったんかよ」
「そうやよ? でも誰かさんが車に引かれそうになりながら必死こいてけった漕いでるの見えたから」
そう言って、手を突き出す。
「それ、うちのやろ?」
コイツ、全然懲りてない……。坂祝は溜息をついて、無言で弁当箱を手渡した。

     

召喚された魔法陣から身を起こすと、私はゆっくりと目を見開いた。
若い。見た目は人間の年齢で言えば10代かそこらと言ったところだ。長い睫毛に華奢な造りの腕と指。どうやら女のようだ。昔の悪魔は、召喚されるや否や召喚士に襲いかかろうとしたり、「俺を呼び出した野郎はどいつだ!?」「こんな小娘ごときに……」などと食ってかかっていたらしいが、私はそんなはしたない真似はしない。
なるべく感情を込めずに、市役所の窓口のような口調で告げる。「用件は?」
少女もまた事務的に答えた。
「殺して欲しい人が、二人いるの」

巷では悪魔の召喚は極めて特別な手段であるかのように思われているようだが(かつては悪魔もそう思っていたようだが)、実際のところは誰でも出来る一種の請負契約に過ぎない。ただしかるべき手段を知っているかどうかだ。対価も契約内容次第で、頻繁に呼ばれる悪魔の中には、定食屋の注文メニューよろしく対価リストを持っている奴だっている。
命の対価は、命一つ。彼女の突き出してきたカエルには丁重に自然にお帰りいただいた上で、私は改めて彼女に聞いた。「それだけの対価は支払えますか?」と。
脅すようなことはない。あくまで日常の一部、仕事の一環だ。しかし仕事だからこそ、契約ははっきりと。取り立てはきっちりと。無理な契約はしないに限る。
少女は少しの逡巡ののち、こくりと頷いた。ウソだ。この少女の中に命の対価のアテがないのは明白だった。あわよくば自分自身の魂を、とでも考えているのだろう。甘い。人の命とカエルの命が釣り合わないように、人の命同士でもそうそう釣り合うことはないのだ。小娘ーーという言い方はしないがーーの命1つに値するような人物の殺しの依頼など、来るはずもなかった。
「残念ながら」と私は言った、「貴方には支払能力がないと判断せざるを得ません」
少女の顔がくしゃりと歪んだが、私は構わず続けた。
「もしどうしても契約したいのでしたら、親権者の方に代わりに契約していただくしかありませんな」
私は契約書を取り出して確かめた。間違いない、一人分の殺人契約書である。代償は、人一人分の命。
「親権者さんを呼んできていただければ一番いいのですが、無理なら判子でもいいですよ」
契約書を渡しながら、私は愛想よく言った。
「おばさんの判子しまってある場所、分かります? おじさんでもいいんですが」

     

「もしもし、私メリーさん。今駅前の広場にいるの」
「じゃあ今暇? もしかして会える?」
「え? え?」
女の子から電話が来たので速攻でアポを入れた。俺の電話からオフパコまで持ち込むスピードは音速を超える。
「駅前だね、ちょっと待ってて。3秒で着くから」
「ちょっと待ってよ、あんたが来るんじゃなくてあたしが行くのよこれから!」
最後の方はなんて言ってるかよく聞こえなかったが、きっと来るのが嬉しいとかそんな感じだろう。俺はポジティブに考えると早速オフパコの正装に着替え始めた。由緒正しいチェックシャツを羽織ったTシャツにジーパン、肩掛けの黒いカバンとバリバリのサイフで武装。ついでに食べログをチェックして近場で高評価の飯屋を探す。一番人気は……イタリアンか。

駅前についたが、それらしき人影はない。おかしいな、流石にこんなクソ田舎にフランス人形みたいな女の子がいたら即座に分かると思ったんだが。
と思ったら着信。手に握りしめていたスマホを確認もせずに音速で出る。
「もしもしメリーちゃん?」
「もしも……ちょっと先に言わないで! 私が」
「今どこ? 会えないの? 会えるの? ご飯食べた? ちょっといいイタリアン知ってるんだけど行かない?」
「今あなたの後ろよ! ちゃんと話聞きなさいよ全く」
俺は振り返るなりメリーさんの身体を抱き上げ、音速でサイゼリアへ直行した。
「ちょっと! 離しなさい! いや離さなくてもいいから私をちゃんと見て!」
背中を叩きながらメリーさんが何か言っている。きっと俺と会えたことが嬉しくて感動を伝えているのだろう。

サイゼリアで腹拵えの後(メリーさんの日替わりデザートとドリンクバーは奢った。オフパコの礼儀として当然だ)早速部屋に誘ったところ、二つ返事でOKが返ってきた。チョロい。ちなみに食事中必死に場を盛り上げようと話題を展開した結果、話題は既にデッキ切れになっている。話すことがないなら後は身体と身体のお突き合いをするだけだ。俺はメリーさんの手を掴んで音速で自宅を目指した。

オフパコ終了。音速でイった俺は軽く後始末をする。
「ようやく私を見……ってちょっと!」
俺はメリーさんを部屋から放り出した。何かわめいているが、ヤリ捨てされた女の怨嗟の声など聞く価値がない。俺はバカッターの巡回に復帰した。次は誰に会えるかな〜。
「見てよ! 私を見てくれないとあんた殺せないでしょ! 見てよー! コラー!」

     

隠れていた洞窟から出てくると、辺りは月もない夜のようだ。チグリスは血の具合を確認した。長いこと籠っていたから大分減っているし、今も空血感で倒れそうだ。しかし幸い、すぐに死ぬということはなさそうだ。注意すれば日の出ぐらいまでは動けるだろう。どうやらあのライパンは、食事を諦めて一度縄張りまで戻ったらしい。
ライパン退治は、村の成人の儀式の一環だ。村の子供が、自分と他者の身を守る力を持つ証として、一人で遠く村から離れ、村の脅威となるライパンを倒す。しかし昨日の討伐は失敗し、こうして追い回される羽目になったのだった。
近くの雑木林の中に手頃な樹を見つけたので、その根本に腰を下ろす。本当は開けた場所や見晴らしのいい小高い丘がよいのだが、この際贅沢は言っていられない。戻ったといっても縄張りはこの近くだ。エネルギー切れ寸前のこの状態で狩れるはずもないので、今はとにかく離れて、身の安全を確保する必要があった。日の出と共にこれに登り、ギリギリまで日光浴をする。それまで体力は温存だ。
突然、長く甲高い遠吠えが辺りに響き渡った。まずい、早すぎる。普段は夜には狩りをしないライパンだが、獲物が逃げようとしていることに気付いたのかもしれない。姿を見られる前に逃げきらなくては……そう考えているうちに、気がついたらチグリスは樹の上にいた。
下を見るとあのライパンがいる。完全に追いつめられた。奴らは樹を登れないが、こちらが降りるのを待っているのだ。
ライパンは凶暴だが、同時に狡猾で、非常にすばしっこい。膂力でも速度でも人間が勝つことは出来ないから、狩るなら奇襲による一撃離脱か、持久戦に持ち込んで疲弊を誘うかしかないが、今の状況ではどちらも不可能だ。この絶望的な状況に、チグリスは眩暈を起こしそうになった。
樹の上と下で睨み合いが続く。眩暈が酷くなった。この状況がエネルギーを消費しているのだとチグリスが気付いた瞬間、眩暈が更に酷くなったかと想うと、チグリスの身体が宙を舞った。ああ、これで俺も終わりだ……そう思った次の瞬間、ゴシュ、という鈍い音と共に、地面より少し柔らかい何かにぶつかる感覚があった。何があったのか。チグリスが意識を手放す前に見たのは、血に塗れた白い毛皮だった。
朝日が昇る。照らし出されたのは、猛獣の死体を敷いて気を失っている、一人の若者の姿であった。

     

白川の娘の真奈が誘拐されたのは3週間ほど前のことである。もっとも、誘拐という言い方は誤解を招くかもしれない。真奈は白川の目の前で消えたのだから。「消えた」というのは文字通りの意味である。彼女が大好きなハンバーグを頬張った瞬間に、突如として床から消しゴムでもかけられたかのように真奈の姿は消えてしまった。白川と妻の美紀恵は驚きのあまり口を聞くことも出来なかった。犯人を名乗る男、草部から電話がかかってきたのは、それから10分ほど後のことだった。
「一度会って条件を話そう」
そう草部に言われた時、白川は酷く迷った。警察に相談するという選択肢は選べなかった。警察に限らず誰も信じてはくれないだろうし、そもそも自分でも半信半疑だった。ただ、今この男との連絡手段が断たれれば、真奈を取り返すことは出来なくなる。そう白川の直感は言っていた。

一升瓶が30本。それぞれに1000個の石を詰めれば、娘を返してやろう。そう草部は言った。
「全部合わせて1000個じゃないぜ、1本につき1000個だ。きっちり満杯になるように詰めるんだ」
正直、何を言われているのか分からなかった。これを終えれば娘が帰ってくるというのも意味不明だった。しかし娘の帰還に関しては、すがれるのはこの男しかいないのである。白川に選択肢などなかった。

石集めは、存外難航した。瓶の口から入る程度の小ささが必要だが、砂や砂利では1000個で満杯にするのは難しい。砂利と石の中間ぐらいが理想だが、生憎そんな微妙な大きさの石はそうそう売っていないのである。白川は、大きめの石をノミで砕くことにした。仕事も休んで、何本もノミを駄目にしながら、白川はひたすら石を割り続けた。娘の帰還だけを信じて。

瓶を渡すと、草部は大層な喜びようであった。「これで真奈さん以外にも多くの人が助かるかもしれない」などと言っていたが、白川は聞いていなかった。早く真奈をもう一度見たい。この腕に抱いて、温もりを感じたい。それだけだった。

真奈が戻ってきたのは、いなくなったのと同じぐらい唐突だった。突然食卓にじわっと実体が現れ、着地した。砂埃に塗れた娘の身体を抱いて、夫婦で涙を流して喜んだ。
「ずっと今まで、どうしてたの?」
美紀恵の問いに真奈は答えた。
「河原で、石の塔を作ってたの」
「石の塔?」
「逃げるのに必要だって言われた。でも結局、石の塔がまるごと落ちてきたから、積まなくて済んだのよ」

     

帰りに道端に車を止めて星を眺めていたら、空から女の子が落ちてきた。
ドシッ、ともベチン、ともつかないような、嫌な感じの音が響く。自分の頭の中が揺らされたかのような低音と、肌を震わすような高音が同時に響き、生理的な嫌悪感が先に立つ。
どうしよう。こういうのって関わるべきか? まず確実に厄介事だ。そして私は一介の会社員に過ぎない。ヤバいと直感が告げていた。おうちに帰ろう。帰ってここの住所に119番を呼んで、それから
「おい」
それから……え?
目の前には倒れていたはずの少女はいなかった。いやいなかったのではない。
少女は私の前に仁王立ちしていた。綺麗な肌には一片の傷もない。地面にぶつかったことなどなかったかのようである。
「すまんが、どこか温かい物でもくれんかの?」
そういって、彼女は笑った。

缶コーヒーでも飲めば少しはマシになるかと思ったが、完全なる間違いだった。
「ということでフォーマルハウトに帰らなくてはならん」
と彼女は元気良く言った。コーヒーがお気に召したようである。言っていることは正直意味不明であったが、さきほど頭を強く打ったのだから仕方がなかったのかもしれない。しかし当時の私はそんなことは気にかける余裕もなく、いかにしてこのキ*ガイから逃れて熱い風呂に入るかを考えて悶々としていた。
「この熱い、コーヒー、だったか? よいものじゃ。親切ついでにもう一つだけ頼まれてくれんかの?」
頼まれたくない。しかし、どうせ断る意味はないのだろうと思わせる口ぶりだった。
「高いところに連れていってくれんか。展望台みたいなところがいい」
「そこで何をするの?」
「フォーマルハウトに帰るのじゃ。フォーマルハウトが見えるところでないと帰れんからな」
「フォーマルハウトはそろそろ沈むと思うけど」
もう冬の入りだった。フォーマルハウトは秋の一つ星と言われる一等星である。
「だから早くしてくれんかの」
少女はそう言って凄惨に笑った。

結局、車で天文台のある山奥の駐車場まで送ることになった。山道で外を眺めると、フォーマルハウトは沈もうとしているところだった。
「沈むの」
「残念だったね」
「何、もうここで良いわ。助かったぞい」
何言ってるんだと思いつつ後部座席を振り返ると、少女は消えていた。これが化かされるということなのか、と私は思った。
辿りついた駐車場で眺めた星空は、フォーマルハウトこそ沈んでいたが、久しぶりに綺麗な星空だった。

       

表紙

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Neetsha