Neetel Inside ニートノベル
表紙

日替わり小説
1/14〜1/20

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「今だ!」
弓が唸り、獲物が打ち落とされる。私が駆け寄ると、向こうからアキラが現れた。
「どうだ。百発百中だろ」
「あたしの的確な追い込みと待ち伏せ指示があってでしょう? 何ひとりでドヤってんだか」
「なにおう? お前もコイツで射抜いてやろうか」
口調はぞんざいだが、アキラの目は笑っている。いつもの軽口、いつもの挨拶だ。そんな時間を独り占めしたくて、私はこうして今日も彼の狩りに付き合う。
「やれるもんならやってみなさい。あたしの鋼鉄のハートは、そんな弓じゃ傷ひとつ付けられないけどね」
「ハート? いつ心の話になったんだ?」
「そっ……それは心臓って意味! あたしの心臓にあんたの矢なんか刺さらないっていいたかったの!」
「はぁ? じゃあいきなり英語なんて使うなよ、苦手なんだから……」
危ない危ない。変なこと考えてたら変なこと口走ってしまった。これは誰にも内緒なのだ。もちろんアキラ本人にも。絶対外に漏らしてはいけない秘密の感情。
「さ、そんな事よりもう帰ろ。今日のノルマはもう終わったんでしょ?」
「ん? ああ、これで10匹目だからおしまい。そっち縛ってくれ」
そう私に言いつけて、帰り支度を始めるアキラ。その様子から私のことをすっかり信頼してくれているのが伝わって、誇らしいようなくすぐったいような気分になる。幼い頃からずっと一緒、そんな私をいつもそばに置いてくれるアキラ。私の胸の奥底など、きっと思いもよらないアキラ。彼の期待に応える為には、この気持ちは絶対に封印しなければならないのだ。
でも、そう思えば思うほど、秘めた思いがどんどん強く濃くなっている気がする。いつの間にか、私は作業の手を止めてアキラの方をボーッと眺めていた。アキラの仕草一つ一つが私を引きつけて離さない。その真面目な目、丁寧に仕事をする手、無防備な背中……ああ、今すぐ貴方を 食 べ て し ま い た い ……。
ああ、でもダメダメ、もっともっと美しく逞しく、食べるのが勿体なく感じるぐらいまで……それまでは気付かれないように我慢しないと……ああよだれが溢れそう、もう我慢出来ない、ちょっとだけ、一口だけなら、そうちょっと舐めるだけ……
「エリ? どうした?」
アキラの顔が目の前にあった。危ない、長年の計画が水泡に帰すところだった。私は心の中で両頬を叩いて気合を入れると、精一杯の笑顔で応えた。
「ごめんごめん、ちょっと景色にみとれちゃって」

     

人の笑っている顔が好きだ。
新しいオモチャを見つけた時に目をキラキラさせながら夢中になって弄り回す子供たちの笑顔が好きだ。
子供たちが元気にはしゃぎ回るのを眺める母親の幸せそうな笑顔が好きだ。
優勝とか新記録とか新発見とか、困難な課題をクリアした瞬間の達成感溢れる歓喜の表情が好きだ。
興奮した友人の意味不明な説明を交わそうとして浮かべる女子大生の曖昧な笑顔が好きだ。
街の不良どもが弱い奴をいたぶろうとする時に浮かべる世の中を舐めくさった全能感溢れる野性的な笑顔が好きだ。
店長がやらかした新人バイトに喝を入れる直前、怒りを隠そうとして隠し切れていない凄惨な笑顔が好きだ。

そう、私はこの世に存在する、ありとあらゆる笑顔を愛し、慈しみ、そして欲している。願わくばいついかなる時でも笑顔に包まれて、笑顔を愛でながら生きていきたい。
笑顔というものはありふれている。しかし一方で、笑顔そのものは一瞬の産物でしかなく、その瞬間に世界を留めておくことは出来ない。
それならば、仮初めの笑顔でも妥協しよう。別なモノに固定された笑顔はもはや笑顔そのものではないが、それでもなお笑顔の美しさの残像をたたえている。その美しさを愛でることで、現実へのささやかな慰めとしよう。そんな思いを抱いて私は今日も、笑顔の人の前へ現れる。
笑顔の瞬間を切り取るのは難しい。私も最初はタイミングを逃がして失敗することがよくあった。少しでも手元が狂ったり、動作が遅れてしまったりすると、魅力的だった笑顔は露と消えてしまう。後に残るのは怪訝な表情や苦痛、恐怖の顔だ。そんなものは愛でるに値しないから捨ててしまうが、笑顔の損失が何よりつらい。コツは気付かれないタイミングで手際良く、だ。サッと近付き、サッと実行する。

今日の収穫は笑顔がひとつ。私は担いできた笑顔の少女を床に降ろすと、早速剥製にするための準備を始めた。

     

「おかえり」
部屋には女が寝そべってサンデーを読んでいた。鍵はさっき開けたからかかっていたはずなんだが。
「何してんの?」
「サンデー読んでる」
「それは見れば分かる」
話の分からない奴だな。そんなじゃ今に男に逃げられるぞ。
「ここに何をしに、どうやって入ってきたのかって聞いてるんだけど」
「え、用がなかったらいちゃいけないわけ? ていうか、あんたが普通に入れてくれたでしょうが」
「入れた覚えはない」
「いやいや、そんなことでしらばっくれられても困るんだけど……あ、ひょっとしてなんかのおふざけ? やめてよ、そういうの私がつまんない」
ふざけてなどいない、俺はいたって真剣である。ついでに言うとそのサンデー、先々週のだぞ。
「で、結局誰なんですかあなたは」
「ねえ、ちょっと……本気で言ってるのそれ」
声の調子が変わった。いいぞ、この調子だ。
「これが嘘を言っているように見えますかね」
「うそ……どうしよう。記憶喪失なんて……病院? それとも警察? 親御さんにも連絡した方が……でもなんて説明したらいいの……」
よし、ここだ。努めて自然な風を装って俺は言った。
「俺は記憶喪失ではない……と思う。しかし、記憶喪失は過去の出来事を復唱すると治ると聞いたことがあるな」
彼女の目が俺の方を見た。「何を言ってやがるんだこのバカは」と目で言っている。ここで怯んではいけない。心を鬼にして俺は続ける。
「もしあなたが本当に俺と旧知の仲なら、何か思い出があるだろう? それを再現してみて欲しい」
彼女は最初黙って俺を睨んでいたが、やがてメモを取り出して何やら書き始めた。
「これ、買ってきて」
「買い物リスト……?」
「あんたんち食材なんにもないんだから、買って来ないと思い出の料理作ってあげられないでしょー? 私は準備しなくちゃいけないんだから、あんたが買ってきなさいよ」
「え、いやでも……」
「ごちゃごちゃ言わない! 自分の記憶ぐらい自分の手で取り戻してこい!」
何故か追い出されてしまった。
「ちゃんと今週のサンデーも買ってきてねー、エセ記憶喪失くん」
うっせーわい。くそ、今日こそは完全に記憶喪失を演じきれたと思ったんだがな……。あと今週のサンデーは合併号でお休みだよ。

     

届いた一枚の葉書は、父の訃報だった。
差出人の名前はなし。実家には住所を知らせていないから、恐らく弟だろう。
父との思い出にはいい思い出はほとんどない。仕事人間だったが、家に入れば亭主関白、というより暴君であった。情け容赦のない暴力と癇癪が時と場合を選ばず私たちに襲いかかってきた。今思うと母がアレに耐え続けられたのが不思議なくらいだと思う。中学になるとさすがの私にも自我が芽生え、それはそのまま父との激しい衝突となって噴出した。反抗期特有の嵐のような怒りと、「親父の雷」が家中を覆い尽くし、それは弟も母も何倍も傷付けていたと思う。自我が芽生えたとはいえ他人の心配をするだけの余裕はなく、ほうほうのていで中学を出ると同時に家出で東京のシェアハウスに転がり込んだ。
それ以来実家とは連絡を取っていない。弟にはこっそりシェアハウスの住所を教えておいたら、すぐにフリーメールのアドレスを書いた紙が届いてなるほどと感心した。それ以来メールで簡単に近況報告をしあっているが、両親の話題はほとんど出たことがない。弟ももう大学生なので、実家を出て一人暮らしのはずだ。
もう一度葉書を見る。葬式はもう終わらせているらしい。元々帰る気もなかったが、それなら尚更帰る意味もないか。そう考えながら「なお葬儀は近親者のみにて相済ませました」という文字列を見ていると、ふと棺桶の前で一人座っている母の姿が思い浮かんだ。10年前の自分を殺した控えめな表情のまま、静かに佇む母。あの頃、母は私の味方ではなかったが、父の味方でも決してなかった。誰にも逆らわず、かつ誰にも与せず、何も荒立てぬように身を律していた母は、今どうしているのだろう。今さら義理を立てるでもないが、帰ってみようか、と思った。ついでにお線香の一つも上げるかどうかは、また後で考えるとして。

     

読者諸兄は雪を食べたことはあるだろうか。
その気になれば簡単だと思うかもしれないが、そもそも都市部に住んでいると食べる雪に出会うのが中々難しい。年に一度か二年に一度程度しか降らず、ろくに積もりもしないから、すぐ融けてべしゃべしゃになってしまい食べられない。食べるなら山の中だが、スキー場の雪は圧雪されていたり、板のワックスがベッタリついていることが多くて不味い。人工雪も非圧雪ならまだマシだが、味は天然モノには劣る。
偉そうに味の話をしてはいるけれど、僕だって全部食べ比べたわけじゃない。雪を食べるのが趣味の人がいて、僕に教えてくれたというだけの話だ。
雪の話は彼女のお気に入りの話の一つだった。ガールスカウトだかカブスカウトだかの冬のキャンプでいつも行くという雪山のロッジについて、そしてそのロッジの裏庭に積もっている雪について、彼女はよく僕に語って聞かせた。
「絨毯のように雪が敷き詰められているのよ」と彼女は言った。「そこにスキーウェアを着て寝転がって、そして練乳をかけて雪を食べるの」
「練乳を?」と僕は聞いた。当時僕はまだ小学生で、乳製品が嫌いだった。
「そうよ」と彼女は答えた。「練乳じゃなくてもいいわ。カルピスの原液とかかけると美味しいの。お祭りのかき氷なんかよりずっと上品な味がするのよ」
「成分はあまり変わらなさそうだけど」
「そういうことじゃないのよ」彼女は少し自慢そうに、口元を吊り上げた。「天上のアイスクリームなのよ。本当はこの世界じゃない場所でしか食べられないの。貴方にも分かる日がくるわ」
しかし僕が雪の味を分かる前に、彼女は雪山で遭難して世界から消えてしまった。僕は一人この世界に残って、分からない雪の味を探し求めた。雪山でカルピスをかけて食べた雪は確かに美味しかったけれど、僕にとってその味は、天国で食べられている氷菓だとは思えなかった。
山にいない時でも、雪が降ると彼女のことを思い出す。流石にべしゃべしゃの雪は食べられないけど、空に向かって口を開けてみたりする。そうして彼女が空の上から、本当の天井のアイスクリームを落としてくれるのを待つのだ。そうやっていれば、口の中が渇ききるまでは、僕もまだこの世界じゃないところにいられる気がするから。

     

パシッ、パシッと水面を叩く音が4回ほど聞こえてから、コツンっと小気味のいい音が1回。
彼が石を拾うたびに、つい「河原から石がなくなっちゃったらどうするんだろう」などと意味のない想像が頭をよぎる。いや、意味がないと言えばこの水切り自体がそうだけど。ていうかこうしてただ見てるだけの私も不毛だけど。
「クソッ、クソックソックソッ」
呪詛のように呟きながら水切りの機械かなにかみたいに石を投げ続ける彼。
彼が怒っているのは何故か、私は知っている。フラれたのだ。大人からすればささいな事かもしれないけど、高校生からしたら人生の一大事である。しかもフった相手が好きだったのが彼の友人で、彼は逆に紹介を頼まれそうになったのだ。私が同じ立場だったとしても怒ると思う。というか、彼、見る目なさすぎだよね。
きっと彼の中には今までにないぐらい暗くて黒い、ドロドロしたものが渦巻いている。見ているだけで分かるほど、それは彼の内側から彼を蝕み、苦しめていた。隣に居てあげられれば、私が柔らげてあげることも出来るかもしれない。けど、そんな間柄じゃなかった。だからこうして、堤防の上から隠れるみたいにして見てるわけだけど。
どっちにしろ黒い感情を抱えてしまったら、それを解消する方法は一つしかない。私は堤防の上から大声で叫んでやった。
「もう全部吐き出しちゃえよ!」
びっくりしてこちらを振り返る彼。目を丸くしてこっちを見てる。
「色々たまってること、あるんでしょ? 全部出しなよ! 出し切っちゃえよ!」
言ってしまってから急激に恥ずかしさを自覚して顔が熱くなる。うーしまった。後悔しかない。
彼がそのまま川に向き直って、顔に向かって手を添えた。未成年の主張の準備だ。そうだ、私が恥をかいたんだから、お前もかけ。
「あいつより俺の方が凄い! テストの点だって、スポーツテストだって俺の方が良かった!」
知ってる。
「性格は悪くねえけど、俺だって別に悪くねえ! 普段の生活で差がつくようなことなんてなかった!」
それも知ってる。
「なんでアイツなんだよ! もっと俺のことも見てくれよ!」
そうだね、本当にそうだと思う。
だからさ。
あんただって、あいつばっか見てないで、もっとあたしを見てよ。
なんて。

     

今こうしてコンピュータに向かって書き連ねているメモが皆さんの目に触れる日が来るかどうか分からないが、もしそうであったなら、どうか背後に気をつけながら読んでいただきたい。彼らは強大だが、同時に大変静謐であり、かつ狡猾だ。もっとも奴らは既にインターネットの中にも潜んでいるであろうから、私のこの手記も書き変えられていたり、酷い場合は、とびきり低俗なただの作り話であるかのように歪曲されているかもしれないが。
何から書けばいいのか。要点をかいつまもうにも、この件は全体があまりにも茫洋とし過ぎている。やはり時系列で書くのがよいだろう。その方が私も書きやすい。
切っ掛けは奇妙な患者である。その男が持ってきたのは自分に生えたという鱗であった。とんだ与太話として適当に言って追い返したのだが、一週間後に再来院した彼の肌には、はっきりと癒着した魚の鱗の大群があったのである。
当然に考えられるのは遺伝子疾患である。遺伝子解析を実施したところ、驚いたことに鱗のそれは人間のものとも、またどの魚のものとも一致しなかった。結果はその鱗が「新種の魚」のものであることを示していた。彼の他の部分の組織は(多少モザイク化していたが)人間の遺伝子を保持していたから、これは異常な事態である。田舎の一介の内科医の手には負えないとは思い、遺伝子治療を専門とする大学病院への紹介状を書いた。しかし、恐怖はこれからだった。
まず勤務する病院に放火騷ぎが起きた。ボヤで済んだものの、かの患者のカルテと解析結果は全て消失した。現場では魚顔をした大柄な男が目撃され、後にはぬめりを帯びた水溜りが残っていたと言う。続いて遺伝子解析を依頼した大学に強盗が入り、全ての解析結果のデータが破壊され、研究室の教授が命を落とした。下手人はまたも魚顔の男の集団。遺体はぬめった液体で覆われ、異常な恐怖の余り顔が歪んでいたそうだ。そしてデータの保管部屋は、あまりの生臭さに鼻も曲がらんばかりだったと聞く。
私は仕事をやめた。何者か、あの"魚病"を知られたくない集団が、事実を知った者を消そうと動いているのだ。私は死にたくない。このテキストをネットに公開したら、すぐにも隠遁生活に入る予定だ。その場所はここにも記す積もりはない……いや待て、この臭いはなんだ? ひたひたと響く足音は? 時間をかけ過ぎたようだ、今すぐ逃げなくては……ああ、窓に、窓に!

       

表紙

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Neetsha