Neetel Inside 文芸新都
表紙

走暗虫
悪酔い

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 二人の喧嘩の後、元々部屋に顔を出すことが少なかった翼さんは輪をかけてサークルに参加しなくなってしまった。たまに部屋を覗いたときにも八郎さんが来ているとそのまま帰ってしまう。僕は彼のことについて触れてはならないようなサークルの雰囲気が嫌だったけれど、だからといって翼さんに直談判する勇気はなく、微妙な気持ちを抱えたままだった。
 サークルの方の雰囲気が悪化する一方で別にいいこともあった。これは全くの思慮外だったのだけど、高校の方で僕に話しかける人が増えてきたのだ。


「ねー、近藤くん、先週の日曜日、駅の近くにいたでしょ」
 きっかけはおしゃべりな女子のそんな一言だった。
「え、う、うん」
 僕はいきなり話しかけられて狼狽する。彼女の周りにいる女子は興味もなさそうにこちらを見ている。
「一緒にいた人たちって近藤くんの友達?年上だよね」
 先週の日曜日はサークルでの散策があったのだ。街を回って買い物をしていた。
「友達っていうかサークルの先輩達なんだ、K大の、遊覧会って言うんだけど」
「ってことは大学生? ていうか近藤くん大学のサークルに入ってたんだ、なんか意外!?」
 おしゃべりな女の子は身を乗り出してぐいぐい僕に近づいてくる。
「別に大したことはしてないよ、ただ一緒に遊んでるだけで」
 何気なく言った一言に、他の女子まで食いついてくる。
「K大によく行ってるの?」
「うん、サークル棟にはよく」
「え、大学ってうちらはいれんの」
「全然自由だよ。犬の散歩に来てるおじいさんだっているくらいだから」
「ねね、近藤くんと一緒にいた大学生、すっごいかっこいい人いたよ」
 さっきのおしゃべりな女の子が仲間に打ち明けると、黄色い歓声が上がった。僕は質問責めと女の子達の姦しい会話に巻き込まれて目を回す。騒がしい喧噪の中で一人の女の子が僕に話しかける。
「近藤くんてあんまり喋らなくてミステリアスな感じだったから、普段家でなにしてるのかなあって思ってたけど、結構行動派なんだ」
「それそれ、私も思ってた、私たちとももっと話してよ、もしかして高校生は子供っぽく見えるとか?」
 隣の女の子が乗っかってくる。
「そんなわけないよ、ただ暗いだけだから。人と話すのが苦手なんだ、とくに女の子とは。皆とは仲良くしたいと思っているんだけどね」
「なんだ、近藤くんて人見知り?」
「うん、すごく」
 僕が人見知りだなんてことは周知の事実だろうと思っていたから、いまさらな感じがする。もしかして今まで、僕は皆のことを内心バカにして避けているとか誤解されていたんだろうか、だとしたら心外だ。
「あ、そうだ」女の子の一人が唐突に切り出す。「今日文化祭の準備が終わった後ボウリングにいこうって話があるんだけど、近藤くんも行かない?」
 今、僕たちのクラスでは文化祭でやる出し物――喫茶店の準備が進んでいた。提案者である藤崎さんが先頭に立って、設計や衣装などの準備が進行している。最初はあまり乗り気でなかったクラスの皆も文化祭本番が近づくにつれて、おもしろいモノを作ってやろうという気持ちが盛り上がってきたようである。部活のない人などは放課後にも机を後ろに下げて段ボールを広げたりしている。
 文化祭委員で部活動にも所属していない僕は必然的に準備にかり出されることになり、誰よりも多く仕事を行っていた。
 放課後に残って作業するというシチュエーションは、仕事に参加する人間の仲間意識を高めるようだ。これまで話もしたことのないようなクラスメイト同士がいつの間にか友達になっていたり、驚くことに恋人同士になったなんて話も聞こえてきた。僕にはそんなことは無縁だと思っていたけれど、どうやらそういうわけでもないらしい。
「で、どう?ボウリング、一緒に行かない?」
 返事を待つ女の子が僕の顔をのぞき込んだ。
「行っても大丈夫かな、僕」
 正直なところ、不安な気持ちもあった。目の前の彼女らは態度を見るに僕の中学校での扱いについて知らないみたいだけれど、全員がそうとは限らない。とくに大村くんなんかが一緒にくるなら僕にとってはかなり居づらい空間になる。
「大丈夫だって、私たちは近藤くんも一緒に来て欲しいなって思ってるよ?」
 女の子は悪意のない笑顔を向ける。こういうときに相手の裏に別の思惑を読みとろうとしてしまうのは僕の悪い癖だ。考えてみれば大村くんはサッカー部の練習があるのだから来るはずもない。それにボウリングの腕なら現在は結構自信がある。顰蹙をかうようなことはないはずだ。
「ありがとう。それじゃあ参加させてもらうよ」
「よし、一人追加ね」
 僕が答えを出すと女の子達は談笑しながら作業に戻っていった。なにげなく横を向くと教室の端で作業をしていた藤崎さんが手を止めてこちらをじっと見ていた。僕が怪訝な顔を向けるとあわてた様子で視線を逸らす。そういえば、人付き合いのいい藤崎さんも来るだろうって事を忘れていた。


****


 肩を支点とする振り子運動。手のひらから離れたボールは、緩やかな弧を描いて三角形を頂点から抉る。配置された10本のピンのうち9本が弾き飛ばされ、はじかれたピンの跳ね返りで残りの一本が、奥に吸い込まれていった。
「すごーい、ストライク」
 後ろで座っていた女の子達から歓声が上がる。
僕は照れながらも彼女らとハイタッチをした。
「近藤くんボウリング上手だね、よく行くの?」
「たまにね」
「私ガーターばっかりになっちゃうんだけど、教えてくれない?」
「うん。僕くらいのスコアならすぐに出せるようになるよ。僕も運動神経はいい方じゃないし、ちょっとしたコツがあるんだ」
 そうして聞いてきた女の子に指導を始める。僕の周りには何人かの人だかりができていた。どうやら女の子グループの誰かの言葉で僕に話しかける流れができたようで、さっきから女の子が何人も僕に教えを請いに来ていた。視界いっぱいに女の子が居る状況は僕には似つかわしくないもので、現実感がまるでない。三石くんはいつもこんな光景を目にしているんだろうか、羨ましいような、羨ましくないような、よく分からない気持ちだ。
 僕は女の子にボウリングをリリースするときのコツを教えながら、人間関係なんて案外単純なものなのだと悟る。今まで僕は、僕が人に好かれないのは僕自身の本質的な部分について、人と相容れないからなのだと思っていた。けれどふたを開けてみれば、年上の人と遊んでいるというレッテルと、付け焼き刃の紳士的な態度だけでこんなふうに女の子に囲まれている。今まで醜いと思っていた自分の容姿も、仲良くなった途端に誉める人もいるのだから不思議なものだ。
 それは本来、当たり前のことだったのかもしれない。僕が心の内で他人に対してどれだけ鬱屈した感情を持っていたって、それらが透けて見える訳じゃない。クラスの人たちは専ら僕の外面的な行動を見て人となりを判断するのだから、大事なのは服装とか言動とか仕草とか、そういうことだったんだ。どうして僕は今までこんなにも簡単なことに思い至らなかったんだろう。考えなくたってよかったんだ、どうにもならないことは。
 でもそれが、僕が望んでいた世界だったんだろうか。心の水溜りに、突如投げられる疑問。広がる波紋をすぐに一蹴した。馬鹿らしい、自分が望む世界なんて。世界なんてそんな大規模なものを、僕一人の力で変えられるるはずがないんだ。どこかの前向きな芸能人も言っていた。変えるのが一番簡単なのは自分の心がけなんだって。ああ、なんだか僕は人の言葉を引用してばかりな気がするぞ。
 隣のレーンでは藤崎さんがクラスの女子や男子に混じって笑っている。僕は胸が苦しくなった。藤崎さんのことを考えると、いつもつらい気持ちになる。彼女が球を投げて、半分くらい倒れたピンを見届けて振り返ると、こちらと目が合う。彼女は席に戻る動作に合わせて僕から目をそらした。このごろ彼女が僕の方をよく見ている気がしていたのは、僕の方からも彼女を見つめていたからなのだと、そのときはじめて理解した。目から鱗が落ちるような発見だ。
「近藤くん? どうかしたの、ぼっーとして」
 となりに座っていた女の子が上の空の僕を心配して声をかけてくる。この子の名前はなんと言ったっけ、思い出せない。そういえば本人に名前を聞いていない気がする。別に知りたくもなかった。
「なんでもないよ。それよりのどが渇いたなあ。僕は自販機にジュースを買いに行くけど、君はなにか飲みたいモノはある?」
「コーラっ」
 名前がわからない女の子は、満面の笑みで応えた。


 自販機の前には先客がいた。小柄な女の子がジュースを片手に立ち尽くしている。僕はその後ろに並んだ。しかし、女の子は一向に退く気配がない。
「あの……」
「はいっ!? あっ、ごめんねっ」
 声を掛けると、小さな背中が跳ねた。見ると、自販機のボタンには明かりが点いている。お金は入れたけれど、買うものを迷っていたんだろうか。
「ああ、いや、慌てなくてもいいですよ。僕の方も、急ぎじゃないので」
「違くて、そうじゃなくて、あたし……」
 女の子は後ろを振り返ったまま、僕に困った顔を向ける。なぜか涙目だ。自販機でジュースを買うくらいで、何を泣くことがあるのだろう。
「当たっちゃったんです」
 女の子はそう言った。何が当たったというのか、主語が抜けている。要領を得ない言動と落ち着きのなさも相まって、他人をやきもきさせる人だ。腿を擦り合わせて恥じ入る様は、まるで『この前のエッチで、あなたの赤ちゃん当たっちゃいました』とでも言いだしそうである。
「あの……?」
 女の子の呼びかけで、下劣な妄想を脱する。どうも最近、八郎さんの悪影響を受けているな。
「なんでもないです。それで、何が当たっちゃったって?」
「うん、自販機の数字が、揃っちゃって」
 女の子が指さす方を見ると、液晶に映る数字は四つあった。『7777』。確かにゾロ目が揃っている。
「ジュースをもう一本選べばいいんじゃないですか?」
「でも、自分が飲む分は買っちゃったし……」
 女の子は悲壮な表情をする。当たりを引かなければ、平穏に暮らしていけたのに、とでも言いたげである。
「同じのをもう一つ選べば、たくさん飲めますよ」
「でも、そんなに飲めないよ。あたし、お腹が弱いの」
 『知るか、そんなこと』という台詞を飲み込む。僕としてはただ、自販機の前を退いてほしいだけなのだが。
「そうだ」
 女の子が手を叩いた。
「当たりの分で近藤くんがジュースを買って。そうしたら、あたしも近藤くんも得だよね」
 妙案は女の子の心を軽くしたらしい。両手を広げて喜んでいる。けれど僕は、その提案を受け入れなかった。
「いいや、当たりを引いたのはあなたの幸運なんだから、自分のために使うべきですよ」
 言ってから、違和感に気付く。
「あれ、僕って名乗りましたっけ?」
 女の子はさっき、僕のことを近藤と呼んだ。不思議なことだ。訊ねると、女の子はビックリした顔をする。そのあと寂しそうにため息を吐いた。
「同じクラスですよ……。でも、仕方ないよね、あたしって影薄いし。友達にもよく言われるの、ちょっと暗いよねって。気を使って『ちょっと暗い』だから、実際は『すごく暗い』だよ、多分。この前も――」
「ごめん、ごめん、ごめんよ」
 ネガティブ思考にハマっていく女の子に、謝り倒す。愚痴は止まらなかった。
「敬語で話してくるから、おかしいなって思ってたの。やっぱりあたしって絡みにくい性格してるよね」
「そんなことないよ」
 そんなことあるけれど。
「とにかく、君のことを忘れてたのは全部、僕の落ち度だから。今は、自販機の問題を解決しようよ」
「……うん」
 思えば長いこと自販機の前で膠着している。ジュースを買うだけのために馬鹿らしいことだ。だから、女の子の目を見て、力を強めて言った。
「当たった分のジュースは自分のために使いなよ。例えば、クラスメイトの誰かにあげて、貸しを作っておいたら? 今後、頼みごとをしやすくするためにさ」
「…………」
 女の子は黙って聞いていた。納得したようで、コーヒーのボタンを押す。取り出し口から缶を取ると、それを僕に押し付けた。
「いや、だからさ――」
「言われた通りにしてるよ。貸し。これで、近藤くんに作れたよね」
 女の子ははじめて笑った。鼻の近くに、いくつもそばかすができている。それを見て、記憶が呼び起された。ああ、そういえば、教室にこんな子がいたなあ。
「僕なんかに貸しを作っても、どうにもならないと思うけどね」
「それを近藤くんが決めるの? あたしはね、近藤くんのことちゃんと認識してたよ。物静かな人、あたしと似てるかもって思って見てた。でも、運動できるみたいだし違うかな」
「ボウリングのこと? 見てたんだ。だとしたら買いかぶりだよ、運動も勉強もさっぱりだよ僕は」
「マイナス思考なところは似てる」女の子はおかしそうに笑った。「なんにせよ、あたしにとっては近藤くんに恩を売ることが得になるの」
 女の子は頬を染めてはにかんだ。逃げるように去りかけて、立ち止まる。
「あ、名前教えてなかった……。伊藤茅っていいます。よかったら覚えて」
 今度こそ、伊藤さんは去って行った。手に持ったコーヒーが温かい。
 僕が自販機に小銭を入れると、ボタンに明かりが点く。人差し指を出すが、すぐには押せなかった。コーラを頼まれていたが、どの種類のコーラを買おうか。迷っていると、そばかすのついた顔が浮かんでくる。一体あの女の子はなんのつもりだろう。随分と思わせぶりな態度をとってきた。まるで、僕に好意を持っているような。僕が他の女の子たちに囲まれていたから、一応、粉をかけておいたのか?
「僕と君は全然似ていないと思うな」
 空想の中の彼女に呟いた。
 飲み物を持って戻ると、クラスの皆が変わらずはしゃいでいる。さっきの女の子も群れのどこかに紛れているはずだ。笑い合って、歓声を上げ、言葉を交わす人たち。誰も皆、同じ顔をしているような気がする。この輪の中にほんの先ほどまで僕も混ざっていたんだ。にわかには信じられない。
「あー、近藤くん、遅いー」
 コーラを注文していた女子が手を振る。誘われるように足を向けるが、気持ちは置き去りのままだった。女の子たちと話していても、僕の精神はそこにはない。離れたところから、楽しそうなクラスメイトと、作り笑いの自分を蔑んでいる。どれもこれも、気持ち悪くて仕方がなかった。
 それから、夜になるまで皆と遊んだのだけど、誰と仲良くなったとか何を話したとかは全然覚えていなかった。僕は頭がおかしくなりそうだった。


 僕が自販機の女の子――伊藤さんに告白され、付き合うことになるのは、それから
すぐのことだった。

       

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