Neetel Inside 文芸新都
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 翌日、遊覧会の人たちに忘れられないうちにもう一度顔を出しておこうということで、三石くんと一緒に、再びサークル棟を訪ねた。まだ面識がなかった翼さんという人にも、散策の前に会っておきたいという思惑もあった。
 しかし訪ねた部屋には、祐司さんと八郎さんだけしかいなかった。集まりがよくないというのは事実らしい。二人は折りたたみ椅子に腰を下ろして、例によって煙草を吹かしていた。部屋のドアを開けた途端、こもっていた煙が肺に侵入してきて、僕は思わずせき込む。
「なんだ岬、いやみかよ?」
 祐司さんが短くなった煙草をもみ消す。
「いや、そんなつもりは……」
「冗談だよ冗談」
 この人の冗談はわかりずらい。僕はほっと胸をなで下ろすと、八郎さんが用意してくれた造りの悪い椅子に座る。三石くんは勝手知ったる、という感じで部屋の奥のガラクタから一番ましな椅子を見つけていた。
「うーん」
 頬杖をついて、灰皿に泳ぐ吸い殻を目で追いながら、祐司さんは言った。
「岬も吸ってみるか」
 早速内ポケットから煙草のケースを取り出す彼を見て、僕は慌てて首を振る。
「無理です無理です。僕、未成年ですし」
「知ってるよ。別にそんなに神経質になるこたないだろ、親にビールを舐めさせてもらったことぐらいあるだろうに」
 言う通り、家でお酒を舐めたことくらいはあったが、それでも煙草を吸うのには強い抵抗がある。僕の中で煙草のイメージといったら、中学の頃、学校の中でもとびきり質の悪い不良の人たちが、トイレで隠れて吸っていたという記憶だ。僕のような保守的な人間には受け入れがたい。
「何事も経験だって、ほら」
 祐司さんは取り出した煙草をこちらによこした。八郎さんは僕が困っているのを横目で見ながらおもしろそうにニヤついている。
「斎もどうだ?」
 祐司さんから突然の飛び火にも、三石くんは動じない。
「この前散々吸わせたじゃないですか。俺には合いませんよ。まずいです、あれ」
「なんだよ、友達甲斐のないやつだな」
 サークルにおける、喫煙者の勢力図を憂慮しているんだろう。第二の標的を失った祐司さんは、一層こちらに期待を寄せて見つめる。
「まずいかあ。うん、よし、岬には初心者向けのやつを吸わせてやろう」
 彼はそう言うと、部屋の奥の散らかった一角をひっくり返し始めた。
「確かこの辺にあったよな……あった」
 祐司さんはローマ字で銘柄の書かれた、カッコつけた感じのパッケージを掲げる。もはや断れる段階ではないなと思った。
「わかりましたよ」
 僕は観念して煙草を口にくわえる。祐司さんが先端に火をつけた。
「息を吸え、ストローでジュース飲むみたいに」
 言われたとおりにすると、細い棒の芯のあたりが赤く光る。吸い込んだ煙をどこにやればいいのかわからず、僕は口をつぐんだまま硬直した。
「そのまま肺まで吸い込め」
 煙を吸い込もうと喉で受け入れた瞬間、痛みのような刺激を感じた。我慢して思い切り息を吸い込んで、反動で煙を吐き出す。薄いもやみたいなのが僕の口から立ち上った。
「そうそう、うまいだろ?」
「味なんてわかりませんよ」
 僕は気管に残っている異物感を追い出そうとしきりにせき込んだ。
「うーん、鼻から吐き出すと味が良くわかるんだが」
 そのあとも祐司さんは、煙草のおいしい吸い方を僕に教えようとしてくれたけれど、最後まで、あまり好ましいものとは思えなかった。むしろ、吸い殻を灰皿の水に漬けたときに、くすんだ黄色が広がるのを見てしまったから、二度と煙草を吸うのをやめようと心に決めた。
 ただ、自分が恐れていたよりは極悪な、というのは失礼かもしれないけど、酷いものではなかったような気がした。反対に、こんなものの虜になる気持ちもよくわからない。中学のときの不良たちがこれだけためにトイレに見張りをたてていたのかと思うと、なんだか滑稽だ。

 部屋に集まるのが男だけだと――とくに今日のメンバーは比較的下劣な類だから――自然と卑猥な方向に話が進む。
 八郎さんが、下宿先に母親が来るとかで、親には見せられない性的な娯楽、AVとか同人誌とかを持ってきていて、それを皆で鑑賞しようという話になった。
「いやあ、重かったですよ」
 八郎さんは五つに及ぶ段ボールを部屋の中心に置いて開封し始める。そのどれも、中身が隙間なく埋まっている。
「量多すぎでしょ、どんだけ持ってるんすか」
「そうかい斎くん? これでも随分と持ってくる量を減らしたんだけどねえ。ノーマルな趣味の、普通のレイプものとかのやつは残してきたし」
「レイプはノーマルじゃないっすよ」
 三石くんはあきれ顔だ。
「どれどれ、見せてみろよ」
 祐司さんは汚いものでも持つみたいに指先だけで、女性の裸が描かれた漫画をつまみ上げる。
「ひどいなあ祐司さん、私の宝物をそんな、汚物じゃないんですから」
「だってお前の精液とかついてそうだもん」
「はは、否定はしませんがねえ」
「いや、否定してくださいよそこは」
 驚いたことに、あの三石くんが大学では突っ込み役らしい。
 八郎さんに断りを入れて、僕も漫画を手にとってパラパラとめくってみる。
「うわぁ……」
 中には、巨大なバッタに組み敷かれて泣き叫ぶ、幼い女の子がいた。
「すごいですねこれ」
「興奮するだろう、岬くん」
「興奮、いや、僕にはちょっと……もうちょっとソフトなやつないんですか、女の子の方も幸せそうにしてるのがいいですよ」
 注文を付けたものの、ちょっとカマトトぶってしまったなと後悔する。女の子が苦しんでいるのも、それはそれでアリだと思う。
「ほとんどの漫画じゃ、最終的には女の子も快楽で幸せになってるんだけどねえ」
 八郎さんは創作的エロ文化に一家言あるらしく、持論を語り始めた。
「どんなハードな展開でも、漫画だとかアニメの中だったら大して嫌悪感はないもんなんですよ。可愛いキャラクターが喘いでいればそれだけでいいんです。汚い部分は目を向けないで済みますからねえ、その手のは。でも、そんなものは性癖と呼ぶにはふさわしくありません。真に変態というものはね、現実世界でもそれを成し遂げなくちゃいけないんだ。触手やらニプルファックやらは現実にはできませんけど、例えば小学生以下の女子とセックスするだとか、女性のうんこを食らうだとかね。そこまでやって初めて異常性癖だって胸を張って言えるんですよ。…………ですよね会長」
 祐司さんは手に持った漫画をぶん投げた。
「俺に振るなよ! あと異常性癖に胸を張るな。お前、マジにどっかで盗撮とかしてねーよな。いやだぞ、うちのサークルから犯罪者を排出するのは」
「いやだなあ、してませんよ。私は三次元的な欲求は風俗で発散してますから」
「俺はお前の相手をする風俗嬢が不憫だよ。つくづく業の深い職業だよな、性風俗ってのも」
 僕は八郎さんの話を聞いて、もう昔のことのようになってしまったレイプ現場を思い出していた。あの場にいた彼らも、八郎さんと同じような心持ちで事に当たっていたのだろうか。
 漫画の同じページを開いたまま追想に耽っている僕を見て、八郎さんが声をかける。
「岬くん、どうかしたかい」
「えっ、あ、いえ」
「その漫画、おもしろかった? 君も好き者だねえ。ちょっと外に出かけてバッタ取りに行こうか? 虫網ならあるよ」
「ち、違いますよ」
「お前みたいな、おとなしいやつに限って……ってのもありがちだよな」
 祐司さんが意地悪に言う。
「ないですないです、普通ですよ僕は」
「そういう祐司さんはどうなんすか、妙子さんと?」
 今度は、三石くんが思わぬ方向に攻め入ってくる。
「どうしてそこで妙子が出てくるんだよ。いいよ俺の話は」
 祐司さんはこれまでとうってかわって消極的だ。
「そんなこといってぇ、裏ではお二人でアブノーマルなプレイを楽しんでいるんじゃないですかあ」
 八郎さんまで乗っかって、今度は祐司さんが追い詰められる。
「ばか、妙子の性格はお前等もよく知ってるだろうが。変な要求したらすぐに機嫌悪くするんだからあの女は」
「ほうほう、変な要求、例えば?」
「八郎、しつこいぞお前」
「いいじゃないですか。独り身の僕らにも祐司さんの幸せを分けてくださいよぉ。……あ、いや、斎くんが今フリーなのは知ってるけど、岬くんには聞いてなかったなあ。君、恋人いるの?」
「いませんよ」
「そう。まあ君は少しお堅い感じがするもんね。高校生の恋愛なんて不純異性交遊だ」
「そこまでは思ってませんけど」
 恋人がいなさそうという旨の指摘を――主にいやらしく遠回しに――されたことが僕は今まで何度かあって、その度に釈然としない敗北感を味わわされる。実はこの間、女の子に告白されて、惨たらしく振ってやったばかりですよ、といってやりたい衝動がこみ上げるが、すんでのところで飲み込んだ。
「というかこの状況だったら、もし恋人がいても絶対打ち明けないでしょうけどね、俺だったら」
 三石くんは笑う。
 それを聞いて、八郎さんが先ほどまでの流れを蒸し返した。
「ああ、そうだった、それで、祐司さんは妙子さんとどんな変態プレイを試みたんですか」
「はあ、しょうがねぇな」
 祐司さんは嫌々という体を保ちつつも、声色に自慢を滲ませる。この人も大概だ。
「例えば、後ろの穴でしようって言ったことがあってな」
「ほうほう、アナルですか。定番のようでいて、現実やってる人は中々少ない行為ですよあれは。それで、妙子さんはなんておっしゃってたんですか」
 八郎さんは身を乗り出して聞いている。
「最初はまあ、協力してくれたんだよあいつも。いきなり本番はきついだろうってことで、長時間穴の中にローター入れたりしてさ。サークル来てるときも内緒でつけさせたことあったんだぜ。タイミング見計らってスイッチで振動させたりしてさあ。思い返せば、あの頃が一番幸せだったなあ」
 祐司さんは少年の日を懐古するような、温かい表情で思いを馳せている。知らない人から見れば、まさか彼の脳裏に、振動する肛門が浮かんでいるとは思うまい。八郎さんは歓喜の雄叫びをあげて部屋中を跳ね回っている。僕と三石くんははっきり言ってどんびきだ。
「それでそれで、どうなったんです」
 八郎さんは鼻息を荒くして先を促す。話の起点からして色気のある結末にならないことはわかりきっているのだが、そんなことすっかり忘れてしまっているみたいだ。
「それがさあ、だんだん穴も柔らかくなってきて、いざ本番ってときよ。さすがにそのまま突っ込むのは衛生的にやばいから、浣腸もたせてトイレでさせたわけさ。したらさあ、しばらくして、めっちゃ絶望した顔でトイレから出てきて、『やっぱやめる』って」
「はあ? どうしてですかここまできてえ。ありえないでしょう!」
「なんで八郎がキレてんだよ。……いやさ、なんでも、トイレで何回も浣腸してる自分が情けなくなったんだと」
「っはぁー、いらんプライドの高い女ですねぇっ!」
「いや、だからなんで、お前が俺の恋人をけなしてんだよ」
「すみません、つい熱くなって」
「……まあ、それはともかく、パートナーとして非協力的な態度には時々うんざりするぜ」
 祐司さんは肩を落とす。妙子さんに関する、下の話はそのあとも延々と続いた。
 そうして話が怪しい盛り上がりを見せている最中、いきなり部屋の扉が開いた。
 今日も足を長く見せるパンツに、唇には紅い口紅を差したクールな格好で、妙子さんが入ってくる。
 机を挟んで円を作っていた僕たちは一瞬で凍り付いた。何か世間話でもしてごまかせばいいものを、誰もが示し合わせたように黙るものだから、いよいよ不自然だ。当然、妙子さんは不審に気付き、怪訝な顔をする。
「何、今度は私の悪口? やめてよね、もう」
 妙子さんは呆れつつも大して気にしていない。ただの悪口だったら、まだましだった。僕は妙子さんの体をちらりと見る。布地に締め付けられた骨盤と、そこから伸びる長い足から、祐司さんの話に連想される痴態を想像してしまう。たぶんこの場にいる誰もが同じ事を考えたろう。男たちの心は一つになった、と感じた。
 結局、その日は最後まで、妙子さんに対する後ろめたさを消せないままだった。

       

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