Neetel Inside 文芸新都
表紙

走暗虫
彼女の告白

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 なににおいても楽しい遊びの後の片づけというのは面倒なものだ。遊覧会の男たちで仁美さんを犯し抜いた後の部屋には、複数人の体液でドロドロになった毛布とか衣服が散らばっている。加えて翼さんや八郎さんが暴れたものだから、元から整理されていなかった部屋のガラクタが玩具箱でもひっくり返したみたいになっている。性行為後特有の倦怠感に包まれながら、僕らは仕事を後回しにして喫煙に耽っていた。
「どうしましょうねぇ、これ」
 部屋の惨状とその中央で転がっている仁美さんを指して八郎さんがぼやく。
「どうするもこうするもねぇだろ。計画通りさっさと部屋片して、翼と仁美ちゃんに口封じだ」
 祐司さんは口先だけで、自分から動く気配は見せない。
「面倒くせぇな、おい翼、部屋片づけろ。換気もしとけよ。てかほかの部屋に声とか聞こえてないだろうな」
「大丈夫ですよ、この建物、防音だけは立派なんですから」
 八郎さんは脳天気だ。ただ一人、誠士郎さんだけが部屋の隅で散乱したものを片づけている。それを見て僕ものっそりと動き出した。先輩一人に面倒を押しつけるのはさすがに気が引ける。ああ、気が引けると言えば一つ謝らなくちゃいけないことがあった。
「そういえば、すみません、一番最初を僕がとっちゃって」
 そう、誠士郎さんとの絡みの後、本来であれば祐司さんから仁美さんを犯す予定だったのだ。けれど、すっかり正気を失っていた僕は礼儀なんてすっかり忘れて、我先にと一番乗りしてしまっていた。
「気にするこたありませんよ、それが若さって奴です。それに、次がありますから」
 八郎さんが目を鈍く輝かせる。あれだけ射精した後に次のことを考えられるのは尊敬してしまう。昼飯の直後に夕飯を考えるようなものだそれは。
「次ねぇ、あえかちゃんは決まりとして、ほかに当てはあるのか……って聞いてないか」
 祐司さんが気絶して転がっている仁美さんをつつく。
「面倒なことはまた後日ってことでいいんじゃないかな、今日の後処理は僕がやっておくよ。仁美ちゃんも送ってやらなくちゃいけないだろうし」
 誠士郎さんが悪臭のする毛布を袋にしまいながら話す。
「後処理ね。こいつらちゃんと黙ってられるのかね」
 祐司さんが翼さんと仁美さんを見て言う。友人や警察に相談されたりして事が明るみになることを危惧しているのだろう。彼は結構小心者なのだ。
 僕もふと、これからのことについて考えてみる。快楽の後の虚脱感からか、例の事件についてこれ以上探ってみようという気持ちは不思議となくなっていた。なにより、どれだけ言い訳をしたところで僕はもう加害者の立場に立っているんだ。今までみたいに第三の傍観者みたいな気分でいきることは許されない、いや、戻りたくないという望みすらある。
 あのノートはいずれ明るみに出るだろう。大学生が簡単に見つけられるようなものを日本の優秀な警察がいつまでも見落としておくわけがない。あるいは、翼さんか仁美さんが訴えを起こして僕らが捕まるのが先かもしれない。そのことについて、僕は恐怖を感じていなかった。前科付きになんかなってしまったらもうまっとうに生きることはできないかもしれないけど、僕は言うほどまともな世間体とか人生を積み上げてきたという実感がなかった。けれどまだ、なにもかもがどうでもいいという投げやりな気持ちにはなっていない。正体は掴めないけれど僕には叶えたいことがある。それはなんだっただろう? 考え込む僕の頭に不意に藤崎さんの顔が浮かんだ。毎日学校で見かけているはずなのにそれは酷く懐かしい感じがした。
「ま、とにかく今日のところはおつかれさん。誠士郎も悪いな、色々任せちまって」
 祐司さんが場をお開きにする。彼は以前よりも随分元気を取り戻した。けれど妙子さんと別れる前とはなにもかもが変わってしまっている気がする。


****


 それから数日後のこと、最近僕の中で急激に存在感を失っていた高校の教室で、久しぶりに胃が痛くなる事件が起こった。ホームルームの直前、遅刻ぎりぎりで自分の席に着くと、クラスの女子の何人かが僕を取り囲んだ。その陣形も表情も著しい既視感を覚えるもので、用件の性質が容易に想像できた。僕は呆れてしまって思わず遠巻きに野次馬を決め込んでいる三石くんの方を見る。彼は言葉は返さず、拳を向けて親指を立てた。相変わらず脳天気で人事な態度だ、やれやれ。
「ねぇ、どこ見てんのよ」
 獲物がよそ見しているのを目敏く見つけて、なぜかえらく激昂している大柄な女子が僕を責める。
「なにかな、もうすぐホームルームが始まるから手短にお願いしたいんだけど」
「そんなの関係ない」
 あっさりとつっぱねられる。おかしいな、最近僕は学校での地位をまあまあ確立していたはずなのだけど。やっぱり付け焼き刃の人間関係じゃあボロが出るのも早いものか。僕は仕方なく妥協することにした。
「わかった。それじゃあせめて場所を変えようよ、先生が話してる中喧嘩してるのはお互い都合が悪いでしょう」
 今度はその内容に納得したようで彼女らは仕方なくという様子で頷いた。さっきの大柄な女子が先陣を切って歩いていく。
 階段を上って、ついたのは屋上だった。ここにはいい思い出がない。あのときとは違って夕日ではなく自己主張の激しい陽光が差しているのがまだ気分を落ち込ませずに済むけれど。
「なんで呼び出されたかわかってる?」
 女の子の一人が言う。
「いや、悪いけど全く心当たりがないよ。見たことのない顔もいくつかあるし。そんなに大勢に恨みを買うようなことをした覚えもないんだけどね」
 こういう発言が彼女らの精神を逆なでするのはわかっていたけれど、わからないものはわからないと答えるしかない。変に取り繕ったらそれこそ話がややこしくなりそうだ。
 しかし予想に反して女の子がとったリアクションは怒りと言うよりも驚きに近かった。どうしてこんなに明らかなこともわからないのか、という顔をしている。
「ほんとにわからないの?」
「うん、ごめんよ、なんだか君らを怒らせているらしいのに失礼な話だけど」
 僕が正直に答えるともう責めるのはあきらめたらしく、観念したように用件を明かした。
「カヤのことよ」
 言われて僕は考え込む。カヤ?どこかで聞いたことがあるけれど。首を捻って頭を傾けてみても記憶は出てこない。
「カヤ、伊藤茅。つきあってるはずでしょう」
「ああ、伊藤さんのことか」
 僕はやっと思いだした。そういえばいつだったかに隣のクラスの伊藤さんに告白されて、なにも考えずに了承してしまっていた。名字をだしてようやく恋人のことを思いだした僕に女の子たちは呆然といった様子だ。僕が全てを理解してすっとぼけていると勘違いしているのだろう、侮蔑の表情で眉をひそめている人も何人かいる。僕だって驚いた。告白されて初めてつき合った女の子のことをすっかり忘れていたなんて。どん引きだ、最低な人間だな君はまったく。僕は心の中で冗談めかして自嘲した。そんなわけであまりのかみ合わなさにしばらくの沈黙があった後、僕が口を開いた。
「えーと、それでなんだったかな、伊藤さんのことで、相談?」
「違うわよ、私たち茅の友達であんたのこと注意しにきたの。あんたずっと茅からのメール無視してるでしょう、泣いてたんだよ、あの子」
 初めて耳にする事実だ。僕は半ば疑わしい気持ちでポケットから携帯を取り出す。メールの欄を見てみると確かに数十通に及ぶ未読メールが溜まっていた。
「わ、本当だ」
 僕は思わず声を出す。そしてここしばらくの自分の行動を振り返ってみる。そういえばメールを確認するなんてしていなかったかもしれない、大学にはサークル棟に直接顔を出していたし、親や高校の友達にはたまたま連絡する機会がなかったのだ。
「近藤さあ、茅のこと好きでつき合ってるんじゃないの、意味わかんないんだけど。気持ちがないならきちんと別れてあげなよ、かわいそうじゃない」
 僕のあまりの失態に怒りに来たはずの女の子も口調が柔らかくなる。言っている内容も至極まっとうな見解だ。好きでもないのに女の子とつき合って、その上彼氏としての最低限の体裁も装わないなんて人間性を疑われても仕方がない。どう考えたって悪いのは僕の方だ。
「そうだね、ごめん、伊藤さんには今日の内に別れてもらうように言っておくよ。ありがとう忠告してくれて」
「……そう」
 僕が自分の非を認めると女の子たちはもう何も言わなくなった。大事にならなくて良かった。僕はほっとしてその場を後にした。


****


 その後、親切な女の子たちの忠告通り伊藤さんには別れてもらうように告げて、彼女もそれを承諾してくれた。事は穏便に済ませることができたと思ったのだけれど、女の子たちの僕に対する軽蔑は態度となって露骨に表れた。また、伊藤さんは文芸部に所属していたから同じ部員の人たちからは男子も含めて敵視される結果になった。これも自分の行いの報いなのだと僕は黙って受け入れるけれど、伊藤さんと別れる前はそれなりに仲良くしていた人たちに対しては、僕にいったいなにを期待していたのだと問いつめたくなる気持ちもあった。僕の方としては相手が善良な人間であることを求めたりはしないのに。一緒にいて楽しめればそれだけでいいじゃないかと思うのは僕が子どもだからだろうか。
 僕が周りの人間から嫌われ始めると反比例するように近づいてくるのはあの人だ。放課後みんなが帰った後、よけいな雑念を振り払いたくて黙々と文化祭の準備を進める僕を見て、藤崎さんが寄ってくる。
「ねぇ近藤くん、今日久しぶりに一緒に話しながら帰らない?」
 言うとおり、しばらくぶりに聞いた彼女の声には、僕に対する卑屈さや遠慮の類が見られない。
「うーん」
 僕が悩んでいると、
「もう昔のことは気にしないでいいでしょ、ただの友達、近藤くんが嫌ならただのクラスメイトとして、どう?」
 彼女の明け透けな言葉に僕は驚いた。僕が彼女を振ったのはほんの数ヶ月前のことなのに、もう昔のことといって割り切っているみたいだ。以前の彼女とは別人のように見える。なにか心境の変化をもたらすような出来事があったのだろうか。僕はそれに興味があって彼女の提案を受け入れた。
「わかった、そうだね、いつまでも気まずいのは僕としても本意じゃないし」
「よかった、それじゃあ私も少し用事があるからその作業が終わったら下駄箱のとこで待ってて。一人で帰っちゃだめだからね」
 屈託のない笑顔を作ると軽い足取りで去っていく。僕はさっさと作業を終わらせてやろうと張り切った。


 途中だった作業は目標ができたのもあってすぐに終わってしまった。だからといってほかの作業に取りかかれるほど落ち着きのなかった僕はまだ誰も来ていないであろう下駄箱に一人で向かった。
 案の定、夕焼けの光が射し込む校舎の入り口には誰もいない。橙色が無人の下駄箱を浸食する光景は僕が絵をかけたなら、思わず筆をとってしまそうにノスタルジックだった。けれど生憎、人並みの絵心すら持ち合わせていなかった僕はそんな美しい風景にもすぐに飽きてしまう。浮かれた心を持て余して、つい辺りをうろうろとする。
 入り口を出て校舎の横、草木と校舎で挟まれて陰になったところに人影を見つける。二つある影法師は向かい合って何かを話している。
「うん、思ったより大丈夫そうだったよ」
 女の子の声は藤崎さんのものだ。彼女の用事とはこのことだったんだろう。わざわざこんな人気のないところにいるというのに部外者である僕が覗くのも悪いと思ったけれど好奇心にはあらがえずにその場にとどまる。
「だからお前は心配しすぎなんだって。あいつはあいつで結構図太いやつなんだから」
 男の声は大村くんだ。会話にはおそらく第三者の名前が登場して、その人物についてあれこれと話しているようだ。
「そうかな、でも不安だよ私、近藤くんてきっと繊細な人だと思うの」
「どうだか」
 関心がなさそうに返事する大村くんの態度に藤崎さんの声色がとがる。
「大地、わかってるんでしょうね、明日」
 とがめられた大村くんはしゅんとして地面を足でいじる。
「大丈夫だって、俺だって悪いと思ってるんだから。まったく、お前っておせっかいだよな」
「いい?中学の頃のことについては大地が一方的に悪いんだから、誠意を持って謝るんだよ。いつもみたいに意地張って生意気な態度でいたらだめなんだから」
 僕のことについて語る彼らの様子にはタブーに触れるような後ろ暗さは感じられない。それどころか僕を肴に親密な会話を楽しんでいるかのような雰囲気すら感じる、というのは穿ちすぎだろうか。
「綾子」
 怒ってそっぽを向く藤崎さんの肩をつかんで大村くんが真剣な声を出す。
「なに、あっ……ちょっと……」
 大村くんは戸惑う彼女の顔をじっと見つめてそのまま顔を近づけた。二人の唇が触れ合う。藤崎さんもまんざらではない様子で、口を押しつけられた後は無抵抗に大村くんの責めを受け入れる。しばらくそうしていた。やがて目線を絡ませたまま唇が離れる。
「綾子、好きだ」
「もう、いつもそうやってごまかそうとするんだから」
「嘘じゃないって」
「……わかってるけど」
 藤崎さんは恥ずかしそうに目線をはずしてうつむく。僕はもう見ていられなくてその場を足早に立ち去った。
 下駄箱に戻って藤崎さんを待つ。彼女が来るまでの時間は数分のことだったけれど、そのあいだ、物陰で目にした一連の場面が何度も繰り返されてどうにかなりそうだった。
「お待たせ」
 悶々と考えているとうつむいた僕の顔を藤崎さんがのぞき込む。
「なに、どうかした?」
 様子がおかしいのを見て彼女が不思議そうな顔をする。僕はごまかすしかなかった。
「いや、なんでもないよ」
「そっか、よかった。行こ」
 颯爽と歩き出す彼女の顔からはさっきまで彼氏とキスしていたなんて事は想像もできない。明るい色の髪を小さく揺らしながら、おそらく大村くんに見せているのとは違う微笑みを僕に向ける。


「近藤くんさ」
 家路も半分を過ぎたところ、これまで一方的に学園祭や友達の話をしていた藤崎さんは改まった口調で切り出す。数歩前に歩いていた彼女が振り向く。
「なに?」
「悩みとかないの?」
 いきなりそんな事を言う。君がさっきキスしていたのが頭から離れないのが悩みだよ、と心の中で突っ込んだが、口には出さなかった。
「特にないけど、どうして」
「元気ないから」
 そうだろうか。なにもかもがうまくいっているというわけじゃないけど、自分では顔に出すほど気分が落ち込んでいるとは思わなかった。芳しい反応が得られないことが分かると藤崎さんは観念したように苦笑いする。
「その、伊藤さんと別れちゃったんでしょ?なにかあったのかなって」
「ああ……」
 僕はやっと納得した。やっぱり女の子の噂は早い。けれどその質問なら答えは決まっている。
「ないよ、なにも。本当に」
「なにもないのに別れたの?」
 彼女の詮索は続く。正確には、僕がなにもしないから別れることになったのだ。つきあい始めてから一度も連絡に応じなかったのは自分でも衝撃的なほどクズの所業だった。さすがに真実をそのまま藤崎さんに明かすのは躊躇われる。もっとも、僕が別れた事実と同様に、その内容についても噂に聞いている可能性は高い。ここで彼女がなにかあったのかと聞いているのはたぶん、交際でなにがあったということではなくて、僕の精神を心配してのことなんだろう。
「…………」
 だとしても、そのことに対して僕は彼女に返す答えを持たない。そもそも、どうして彼女は久しぶりに話しかけて来たと思ったら、いきなり僕の心配なんてしているんだろう。中学の頃ならまだしも、散々僕とこじれて傷ついた後で。僕が懐疑の目線を送っていると彼女は何かに気がついて顔の前でぶんぶんと手を振る。
「あっ、勘違いしないでね、これはあくまで中学の頃の友達というか知り合いというか、として聞いているんであって、変な意味はないから」
 おそらく僕を気遣って言ってくれているんだろうけど、そのセリフは逆にちょっと寂しくもある。
「前私、近藤くんに嘘をついているって言われたでしょ。あの後ね、しばらく考えてみたの、自分の気持ちを、苦しかったけど、見つめ直してみた。私屋上で振られてから本当に悩んでたんだからね、ご飯も喉を通らなかったんだから」
 彼女は頬を引きつらせて笑う。
「それで、わかったんだ。近藤くんの言ってたことは全部その通りなんだなって。私近藤くんに、すごく不誠実で、失礼なことをしてたと思う。けどね、私一つだけ本当のことを見つけたの」
 彼女は僕に近づくと清々しい笑顔を向ける。
「私近藤くんのこと、好きだよ。それは近藤くんの言うとおり男女の付き合いとか、友情とかじゃないのかもしれないけど。おとなしいけど話してみると色々考えてるとことか、他人を遠ざけるけど、誰よりも人のことを見てるとことか、尊敬してるの。それに近藤くんがつらい思いをして欲しくないって思う。これっておかしいことじゃないでしょう」
 彼女はまっすぐに僕を見つめる。その瞳も顔も堂々と立つ姿も、全てが美しくて、僕は直視できない。まぶしくて目を逸らしてしまう。
「だから、どうだっていうのさ。無意味だよ、そんなこと」
 僕は怨嗟のような言葉を吐き出す。それは彼女に対してではなく、僕の目に映る世界全体に対しての、虚しいやつあたりだった。けれど彼女は僕の独り言をすくい取って、それに答える。
「私に、なんでも言ってよ。つらいこととか相談したいこととか。私にできることなら、なんでもするから」
 彼女は照れくさそうに笑う。僕は同じように笑おうとして盛大に失敗した。つり上げようとした口元は真逆に歪んで、作ろうとした表情とは全然別の、めちゃくちゃな顔になる。それを見せたくなくて、あわてて背中を向ける。
「ありがとう。お願い事を考えておくよ」
 震えた声で言う。
 町並みの後ろでは、爆発しそうなほどまぶしい橙色の光が地平線に落ちようとしている。
「うん。さ、行こ」
 藤崎さんは歩き出す。沈んでゆく夕日を挟んで、僕らは背中合わせで対比される。なにもかもが違えてしまった僕らは、一生以前のようにはなれないと、そのときわかった。

       

表紙

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Neetsha