Neetel Inside 文芸新都
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走暗虫
予約

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 以来、僕は頻繁にサークル棟へ顔を出すようになっていった。
 先輩たちはいつでも僕を歓迎してくれる。いままでの交友関係と違って距離が縮まっているという実感があったから、サークル活動は僕にとって潤いだった。けれど、その日に限っては、気まぐれに大学へ足を向けたことを後悔した。
「歓迎飲み会のメンバーを集める」
 珍しくメンバーがそろった部屋に入るなり、祐司さんは宣言する。
「なんですかいきなり」
 三石くんがみんなの気持ちを代弁する。祐司さんは目を瞑って芝居がかった声を出す。
「いいかお前ら、再来週に歓迎飲み会を開催することは知ってるな、というか知っておけ。これは我がサークルが存続するか否かがかかった重大イベントだ。にもかかわらず現在参加が決定している一年生は4人。これはゆゆしき事態だ。これまで面倒くさいからという理由で勧誘を後回しにしてきたが、いよいよのっぴきならない時期だ」
 祐司さんは意味もなくホワイトボートをひっくり返す。真っ白なまま何もかかれていない板をバンと叩いた。
「ノルマは一人につき、最低でも一年生二人だ。連絡先を交換して約束を取り付けてこい。できなかったやつには、この特製ドリンクを飲んでもらう」
 祐司さんは机の下に用意されていたコップを掲げる。中には茶色い液体が入っている。かなり勢いよく持ち上げたのに、水面はぴくりともせず、ガラスにべったりと張り付いている。
「前に飲んだやつの話じゃ、飲み物と言うよりも、生臭い味がする泥を食べている感覚らしい」
「それもうただの泥なんじゃ」
 誰かの突っ込みは無視された。
「文系の連中はいまから営業の訓練と思え。一番優秀な成績を上げたやつには、勧誘した女の子と二人きりになるシチュエーションをつくってやる。そういうわけだから、俺も本気で行くぞ」
 妙子さんは上機嫌に語る祐司さんを白い目で見ていた。
「というわけで、解散」
 号令がかかると、皆文句をいいつつも、外に出て行った。


****


 サークル棟で解散してからおよそ30分後、僕は広場にあるベンチに座って、途方に暮れていた。僕の前を、友達連れの学生たちが通り過ぎている。春の陽気は温かく、こうしていると眠気に吸い込まれそうになる。ベンチの隣には芝生のスペースがあって、横になったら気持ちよさそうだなあと、暢気な考えが浮かぶ。離れたところで女の子を勧誘している三石くんの声を聞いて、眠気と雑念をなんとか振り払う。時間は限られているのだ。期限は今日一日とはいっても、講義が終われば構内の人は途端に減ってしまう。その前になんとしても二人の参加者を確保しなければならない。僕はただでさえ人好きがしないのだから、せめてできるだけ早くスタートを切らなければいけない。わかってはいるのだ。けれど、どうしても心は着いてきてくれない。
 そもそも、僕は人と話すのが苦手なんだ、初対面の年上ともなればなおさらのこと。“一年生”なんて言葉を使うと下の立場に聞こえるけれど、僕は一年生どころか大学に潜り込んでいるだけの高校生に過ぎないんだから、明確に地位が低いのだ。そんなやつがいきなり飲み会来ませんか、なんておかしな話だろう。
 一通り出遅れた言い訳を重ねた。どこからか聞こえた鳥の羽音を合図に、僕は立ち上がった。なにも、三石くんみたいに勧誘の相手を女の子、それも美人に限る必要はないのだ。ここはハードルを下げて、男の人、その上、友達連れでない、見るからに根暗そうな、そう、僕みたいな人を狙って声をかけてみよう。同じ属性のよしみで連絡先を交換してくれるかもしれない。
 そして約1時間後、僕はさっきまでと全く同じ格好でベンチに座って呆けていた。携帯に新しく刻まれた連絡先は絶無だ。
 作戦からしてよくなかった。自分と似たような人間には僕から声をかけやすいけれど、自分自身よく知っているように、彼らは消極的なのだ。新しく入った大学で、勧誘の声かけをしてくる人なんてのは皆、宗教の勧誘かマルチ商法に見えてくるものだ。驚いたことに、僕が声を掛けた相手全員が『あ、いま、ちょっと急いで』いた。彼らは皆、心の装甲が厚すぎた。自分で言うのもなんだけれど、僕みたいな性格は社会的に見てそうとう難儀なんだなと改めて感じさせられる。
 自分の人格について知るという収穫があったのはいい。けれど、未だにノルマの達成率は0パーセントだ。通行人に呼びかけて訝られることにも慣れてきた僕は、やり方を変えて、とにかく片っ端から声をかけてみることにした。頬を張って立ち上がる。


 声をかけたのは女の子の二人組だった。両方とも小柄な体格で、肩に黄色いハンドバッグを掛けている。バッグの隅には、大学の校章が印刷されている。入学式の時に配布されるものらしく、これを身につけている人はほとんど漏れなく一年生で、『クソ真面目』らしい。祐司さんが言っていた。
「あの、すみません」
 横から声をかけると、手前側の女の子が気弱そうな顔を向ける。
「あ、はい、なんですか」
 立ち止まって話を聞いてくれる。これだけでも運がいい方だ。連れ添って歩いていた奥側の子は、彼女が止まったので仕方なく、といった様子で足を止め、僕を一瞥する。こちらはあまり友好的ではないようだ。小さい鼻をならして、いかにも「迷惑ね」という顔をしている。
「宗教の勧誘ならお断りです」
 表情通りの言葉を奥の彼女は吐いた。
 こうして構内で声を掛けてくる人間は、彼女にとって、大学の先輩という可能性も大いにあるわけで。なのに、こうも邪険な態度をとれるのは、彼女の肝が据わっているからなんだろう。僕は望み薄だと予想しながらも、気持ちを奮い立たせる。
「宗教の勧誘じゃないんです。実は、今度僕の入っているサークルで飲み会をするんですけど、人数が少なくて困ってるんです。よかったら参加していただけませんか? お金は全部こちらで持つので」
 いつの間にか、気弱な友達をかばうように立った豪胆な女の子は、試すような口調で僕に問いかける。
「つまり、サークルに入ってほしいって事ですよね」
「いや、まあ」
 正直なところ、ノルマを達成できれば何でもいいと思っていたので、曖昧な返事になる。
「違うんですか?」
「最終的にはそうなってくれたら嬉しいですけど、ただの食事と思って遊びに来てもらえるだけでも大丈夫ですよ」
「はあ、ところで、何をするサークルなんですか?」
 僕は言葉に詰まる。特定のスポーツとか、何か決まった活動をするサークルではない。実際やっていることといったら、サークル棟に集まって喋ることと、外に遊びに行くことくらいだ。ありのままを話すのはためらわれた。喋ることと遊ぶことしかしていませんなんて言ったら、いわゆる「チャラいサークル」だと思われてしまう。目の前の子はいかにも、軽薄な活動を嫌いそうな感があった。
 そう思ってしばらく言葉を探していると、二人から疑いの顔を向けられる。
「言えないんですか?」
 気の強そうな女の子は、不審者に詰問するといった態度で言う。後ろに縛った髪が勇ましく見える。
「いえ、言えないわけではないんですけど」
「おーい、岬くん」
 僕がおどおどしていると、背後から声が聞こえた。振り向いて目視する。
 背の高いシルエットは誠士郎さんだ。彼は歩いて来ると、僕が向かい合っている二人を見つけて微笑む。
「お、こちらが飲み会の参加者さんかな、よろしくね」
 彼は長い体を折って挨拶する。
「参加するとは言ってません」「うちのサークルの活動について説明するところだったんです、でもなんて言ったらいいのかと」
 僕は女の子の否定に、重ねて言った。せっかく声をかけたのだから、逃してしまうのは惜しい。すると、誠士郎さんが助け船を出してくれる。
「うーん、確かに一言で説明するのは難しいね、うちの活動は幅広いから」
「でも、集まってるからにはなにかやってるんでしょう」
 髪を結った女の子は焦れたように言う。
「もちろん、活動はちゃんとしてるよ。ただ、やる活動はその都度変わるんだ」
「どういうことですか?」
 誠士郎さんは息を吸った。
「うちのサークルの目的はね、メンバーのそれぞれが、普段は個人的にやっているようなことを共有しようってことなんだ。同じ活動でも、他人を交えると、また違った見え方ができるだろうってね。一人がやりたいことを提案して、それに皆が付き合う。付き合わされる方も、未知の経験ができて一石二鳥ってわけ。僕なんかは社会福祉系のボランティアによく仲間を誘っているかな。そういうわけだから、メンバーは多ければ多いほどいいんだけど……。残念ながら、今は会員集めがあまりうまくいってなくてね。なにせ、活動の内容が曖昧だからね、理解してくれる人が少ないのさ。サークルの理念として、同じ大学に通っている人と交友を深めたいのもあるから、飲み会に顔を出してくれるだけでも嬉しいんだけど、駄目かな」
 誠士郎さんは眉をゆがめて懇願する。ものはいいようだな、と思った。ちなみに、社会福祉系のボランティアなど、僕は欠片も心当たりがない。それでも耳障りのいい言葉は効果があったようで、さっきまで断固とした姿勢を見せていた女の子も「うーん」と唸っている。
「そっちの子は? どうかな」
「は、はいっ」
 誠士郎さんは、ずっと後ろに隠れていた女の子に問いかける。彼女は、自分は関係あるまいと高をくくっていたいたようで、間抜けた声を出す。長い髪を持つ清廉な佇いの女性で、以前、喫茶店で誠士郎さんと破局した『えっちゃん』と、どことなく似ている。
「でも、私、ちゃんとした趣味とかないですし」
 彼女は誠士郎さんの視線から逃げるように顔を伏せた。
「そういう人でも大歓迎だよ。君みたいな子に付き合って活動してもらいたいやつがいっぱいいるんだ。君って真面目で頑張り屋だろう?」
「なんで初対面でそんなことわかるんですか」
 連れの女の子は気分を害したようだ。怒ったように靴を鳴らす。しかし、誠士郎さんは臆さず言った。
「目を見ればわかる、君はいい子だ」
 誠士郎さんはおとなしそうな子を見つめる。そして、もう一人の女の子にも目を移した。
「ついでに、君も友達思いのいい子だね」
「適当なこと言わないでください」
 言われた女の子は、あからさまに警戒の色を見せる。まっとうな反応だと思う。僕だって、初対面の人間にこんな事を言われたら、何事かと思う。けれど、大人しい方の子は、違った受け取り方をしたようだった。
「ね、ね」
 その子は、前に立ちふさがる友人の袖を引いて、耳打ちした。「行ってみようよ」と聞こえた。言われた方はあからさまに顔を歪めて、必死で諫めようとしている。二人は顔を寄せて秘密の会議を行っているけれど、行われているのは僕の目の前だ。色々とガードが薄いなあ。小柄な体格もあって、ついこの前まで高校生だったというのがしっくりくる。
 やがて、二人は顔を離した。
「お話は終わった? 飲み会に来てくれなくても、名前くらいは教えてほしいな。同じ大学なんだから、また会う機会があるかもしれないし」
 誠士郎さんはなおも、へつらうような態度を崩さない。
 すると、先ほどまで後ろに隠れていた内気な女の子が、ずいと前に出る。
「あの、私、梶原仁美っていいます。その、飲み会出たいです。あの、大丈夫ですか?」
 仁美さんは途切れ途切れになりながらも前向きな態度だ。対照的に、ポニーテールの女の子は声のトーンを落した。
「与儀あえかです。仁美が出るなら、私も……一応」
 二人の了承を得ると、誠士郎さんは花のように笑顔を咲かせる。
「本当? それはよかった。それじゃあ早速、連絡先をここに書いてもらっていいかな。あと、よかったらlimeも交換しよう」
 誠士郎さんは淀みなく、雑務を進めていく。蚊帳の外にいる僕は、呆気にとられて見つめるだけだ。
「飲み会は二週間後だけど、よかったらサークル棟にも顔を出してよ、歓迎するから。これ、うちのサークルの部屋の地図ね」
 一通りの手続きが済むと、二人はそれぞれの表情をして去っていった。
「すごいですね、誠士郎さん」
 僕は感嘆を述べる。なぜだか、久しぶりに声を出したような気分だ。
「え、何が?」
「なんだか慣れてるみたいじゃないですか、サークルの勧誘」
「まさか、勧誘なんてほとんどやったことないよ」
 誠士郎さんはこともなげに言う。
「それより」彼は二人の連絡先が書いた紙を僕に渡す。「はい、これでノルマ達成だね」
「え、なんでですか、これは誠士郎さんの手柄じゃないですか」
 僕は目を白黒させる。
「なに言ってるんだい、声をかけたのは君だよ。それに、僕が何もいわなくたって君なら誘えたさ。横取りするわけにはいかないよ」
 声をかけてしまえば、約束を取り付けるのは簡単だとでもいいたげだ。誠士郎さんはすでに、どれだけの一年生をたらしこんだんだろうか。『男は度胸、女は愛嬌』なんて言うけれど、男にも愛嬌は必要なんだな。しかしよく考えてみれば、僕には度胸もないから論外だ。
「ありがとうございます」
 ともあれ、これでノルマは達成できた。僕はさっき見た泥みたいなジュースを思い出して、素直に連絡先を受け取っておいた。


****


 サークル棟に戻ると、もう全員が集合していた。あれから、尻を叩くノルマを失った僕は結局、人数を増やすことはできなかった。申し訳ない気持ちで席に着く。祐司さんがまた、ホワイトボードの前に立った。
「お前等ご苦労、まず、ノルマを達成できなかった不届きものはいるか」
 沈黙が答える。
「なるほど、よくやった。これはもう不要のようだ」
 祐司さんは泥を机にしまい直した。
「それじゃあ、各自、連絡先が書いた紙を俺に提出するように。あと、連絡先の悪用はやめろよ」
 回収した用紙を祐司さんが一つずつ検分していく。名前と連絡先しか書いていない簡素なものだが、名前からの判断で、可愛い子っぽいとかなんとか言って、楽しんでいるようだ。
「岬は二枚か、危なかったな。お、でも二つとも女の子じゃないか、やるなあ、どれどれ、与儀、与儀って沖縄の名字だったか、あの辺の顔は独特だよな、濃くて。ふむふむ、よし」
 しきりに頷いている祐司さんを尻目に、メンバーはめいめいの活動に移っている。
「最多は誠士郎の12人か、でも男が半数だな。斎は10人女の子を集めたか、さすが。翼は……なんだ、お前も二人かよ」
「時間いっぱい勧誘してたわけじゃないですから、早々に二人捕まえてやめたんですよ」
「不真面目なやつだなあ」
「ええ、でも終了間際に翼くんが女の子に食い下がってるの見ましたよ、私ぃ」
 八郎さんがちゃちゃを入れる。翼さんは無言のまま、目を吊り上げた。この二人が同時にいるときは胃が痛い。
「喧嘩すんなよ」祐司さんが宥める。「そういうお前は……6人か、結構やるじゃないか」
「そうでしょうそうでしょう」
「ん?」
 祐司さんは眉根を寄せて、八郎さんが持ってきた紙を何度も繰り返しめくる。
「おい八郎」
「なんです?」
 祐司さんは静かに机の下から例のブツを取り出す。のっそりと近づいて、後ろから八郎さんを締め上げた。
「全員男じゃねーか!」
「いたたたた」
 八郎さんは読んでいた漫画をとりおとして、苦しそうにあがく。
「男女の指定はなかったじゃないですかあ」
「常識で考えろ常識でっ。体育会じゃねぇんだぞここは。ホモかてめーは」
「だって女の子は相手してくれないんですぅ」
 祐司さんは暴れる八郎さんを押さえつけて、口にコップの中の液体を流し込んでいる。
「てめーはまず痩せることから始めろ、この豚野郎。きたねぇ髭面さらしやがっておらおらおら」
 謎の液体に犯された八郎さんは、魂を抜かれてぐったりとしている。誠士郎さんの手助けがなければ、自分があそこにいたのか。寒気がする。
 ジュースは成分云々以前に、消費期限を大きく過ぎていた。そのため、八郎さんは吐き気と痙攣に見舞われ、介抱を強いられた僕らは散策に行けなかった。

       

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