Neetel Inside ベータマガジン
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食人族の里に拉致されたハルドゥは意識混濁状態に陥っていた。
沼でふやけた爪からバイ菌が入り、左足が化膿していたのだ。
蜂窩織炎(ほうかしきえん)という病だ。患部を低い位置に下ろすと傷口をつねられたような激痛が走る。
症状はかなり深刻で、患部は右足の2倍は腫れあがり、色は赤から紫色へと変色しようとしていた。

「うぅ……うぅう……」

貴重なゼロ魔素を持つハルドゥを、ヴィンセントは小屋へと運ぶ。
木々を寄せ集めて出来ただけの家で、ある意味バラック小屋よりひどい。
だが、少なくとも開拓団の囚人奴隷として充てがわれていた寝床よりは数倍は恵まれた環境だった。
泥と砂で煤けたゴザの上に、藁とどこかで調達してきた布切れや干し草をかき集めて作った
馬小屋のような部屋にハルドゥは寝かされた。この部屋はミランダの子育て用の部屋だ。
まあ、どの道ミランダと交尾するのだから
別にハルドゥをここで寝かせても問題は無いと判断した。

「くぅ~ん……」
ミランダは苦しむハルドゥを気の毒そうに見つめた。
動物的本能からか、傷口を舐めようとしたが唾が染みたのか
ハルドゥはビクンと飛び上がり、悶絶する。

「うぅ……あぁっ……痛ェッ……痛ぇええッ!!」

仰向けに寝かされ意識が朦朧としながら、ハルドゥは必死に左足を上へ上へ突き上げようとしていた。
もはやリンパ腺はボロボロになっているだろう。血の巡りが悪くなると、痛みが増すために
ハルドゥは本能的に足を上に出来るようなものを無我夢中で探していた。

「やれやれ……足を下ろすと痛むのか? どれどれ、待ってろ。」

ヴィンセントは世話が焼けるとため息をつきながら、外にあった大きな石を持ってきた。
その石の上に幾層にも藁を重ねて足を乗せる。

「あ~……これは傷口が膿んでやがるな。マズイなこりゃぁ……
死なれちゃあ困る。」

そう言うと、ヴィンセントは自分の部屋に戻り酒瓶を手にとった。
開拓団時代、彼は兵士たちの目を盗んで酒をくすねてはよく部屋に戻って保管していた。
ヴィンセントはナイフに酒を塗りたくりつつ、ハルドゥの傷口にも酒を垂らして馴染ませると
傷口を切開した。傷口からは先ほどハルドゥを見て欲情したミランダの我慢汁のように
ネトネトとした膿が溢れ出す。

「けっけっけっ、まるでお前ェの我慢汁みてぇだなぁオイ」
「ガァル!!」

ヴィンセントに馬鹿にされたのを察知したのか、ミランダは顔を赤らめ不機嫌そうにヴィンセントに吠えかかる。
(我慢汁は黒兎人族およびディオゴ特有の十八番言葉のように書いていたのにごめんなさい。
どうやら、私が書くと出てしまうようで、使い分けるのが難しいようです。ごめんなさい)という天の声が聞こえたような気がしたのは気のせいだ。

傷口から乳搾りのように膿を搾り出し、やがて血だけしか出なくなったのを確認して
ヴィンセントはハルドゥの足に再度酒をかけ、火打石で火をつける。

「イ゛ェア゛ア゛アア!!!」

声にならぬ声をあげ、ハルドゥは飛び上がる。
消毒液もろくにない不衛生な状況である以上、大きな傷口からまたバイ菌が入れば
壊死の可能性もある。もはや火傷させてそのケロイドで傷を塞ぐしかなかった。
ハルドゥはそのまま泡を吹き、また深い意識の深淵へと沈んでいく。

「ったく世話を焼かせやがって…‥なんか薬になるようなモンは無ェのか……」

一向に良くなる気配のないハルドゥにさすがのヴィンセントも焦っていた。
もはや、昏睡に陥り手足は氷のように冷たくなり始めている。
見かねたミランダはそのまま外へと飛び出していってしまった。

「どうしたもんかねぇ……ハルドゥさん。」

「ヴィンセントぉ……ヴィンセントぉ……!」

掠れた声を出し、泥だらけになったミランダが何やら真っ黒な炭を咥えて帰ってきていた。

「おまえ……それって……」

ミランダが口を開けて離したその炭にはボロールカビが生えていた。ボロールカビは通常黒い色をしており、
ところどころワタのような白い子実体と真っ黒な菌糸のカーペットを寄生対象に張り巡らせることで有名だ。
だが、このボロールカビは緑色に変色し、ワタのような子実体は黄色に変色していた。

「ははは……こいつは驚いたぜ。よくやったな……ミランダ」
ヴィンセントは、ミランダの頭をわしわしと激しくも暖かく撫でる。
どうやら、この変色したボロールカビが今の危機的状況を打破するようだ。

「くぅ~~~……」
小刻みにかわいいお尻を振りながら、ミランダは子犬のように嬉しそうに喜んだ。

通常であれば、ボロールカビは生物の脳を侵し、その意識を乗っ取ってゾンビ化させる恐ろしい菌類である。
食人族の暮らすこの里はボロールカビの生息地シュヴァルツヴァルドのど真ん中にある。
食人族はカビの発生を恐れ、時折胞子が飛び交うエリアを焼き払っていた。
燃え盛る木々が炭と化し、ボロールカビは炎の業火から身を守るため感染力を失ってしまった。
その代償として、ボロールカビは強い殺菌作用を持ついわば天然の抗生物質へと突然変異を遂げたのである。

炭にへばりついたボロールカビを切り取り、沸かしたお湯と酒に混ぜて
ペースト状にすると、ヴィンセントはハルドゥにそれを食べさせる。
朦朧としながらも、モグモグとハルドゥはカビを咀嚼すると流暢に飲み込んだ。

「おまえ……起きてたらブッ殺すぞ……」
意識が朦朧としている割に、やけに流暢な動作にヴィンセントも演技ではないかと
疑い、一度ハルドゥの頬を叩くも、一切の反応無くハルドゥは沈黙したまま眠っていた。

その後、ヴィンセントはカビのペーストをハルドゥの傷口にも擦り込み、
布切れを巻き、暫く放置した。


「これで治ってくりゃあいいが……」

そんなヴィンセントの心配を他所に
うなされるようにうめき声をあげていたハルドゥの声は次第に収まり、
やがて沈静化を迎える。

「ったく……新婚早々、世話をかけさせやがる花婿だなぁ?
ミランダ。」

そう言いながら、ヴィンセントは寝入るハルドゥの頭を優しく撫でる。
それは家族としての優しさからだったのか。
それとも……





ハルドゥは寝ているのか起きているのかよくわからない状態に陥っていた。
ただ、身体は鉛のように重たい。時折、下界から襲いかかる激しい痛みで何度か意識が飛んだり覚めたりを繰り返している。
そんな中でハルドゥはなんだか夢を見ていたような気がしていた。
足でまといの自分を助け、自分の代わりに爆死したロベルトが出てきたような気がした。

「ロベルト………すまなかった……」
意識が朦朧としながらも、ハルドゥはロベルトの夢を見ていた。
体力の無さが理由で倒れた自分を何とかして引き起こし、ロベルトが助けてくれたこと……
喉が渇き、死にかけていた自分にさり気なく水を渡してくれたこと……毎度毎度ではなかった。
言葉を交わしたことも正直あまり無い。元々、ロベルトが無口だったこともあったことも手伝ってしまったのかもしれない。
ただ、元気な囚人奴隷同士が交わしていたロベルトの父親のことについての話はチラチラと耳にしていた。
無論、そのことを本人に尋ねたりはしていない。人には触れてはならない大事なものがあるのだから。

ただ、もしもロベルトが彼の父親を自分に重ねて助けてくれたのだとしたら、自分は彼を息子のように思わねばならない気がした。
もし、そうでなければ何のためにロベルトは生きてくれと自分に願ったのだ?
命を投げ出してまで、どうして生きることを託したのだ?

「ぅうっ……ぅうっ……」
ハルドゥは混沌とした意識の中、泣いていた。
自分は何もかも失ったと想っていた……だが、まだ残っていた。
人としての心が残っていたのだと、ようやく思い出すことが出来たのだ。


やがてロベルトの姿はいつの間にか消え、そこに居たのは見覚えのある少女の姿だった。
自分と同じ銀髪の髪をした、何処か見覚えのある少女だった。

「うぇっ……ぇっ……とと様ぁ……っ とと様ぁ……っ」

その言葉でハルドゥは思い出した。
そして、ロベルトがなぜ、自分に生きろと託したのかようやく分かったような気がした。
ロベルトを失い、ハルドゥに父親としてまるで息子を失ったかのような悲しみを抱いた。
その悲しみが、ハルドゥの父性愛を取り戻してくれたのだ。

自分のことで精一杯すぎて気付かなかった愛する家族への気持ち……
失ったと諦めてしまった一人娘ハレリアへの愛情をようやく取り戻すことが出来たのだった・
自分の不甲斐なさ故に残してきてしまった愛する一人娘ハレリア……
死刑宣告を受け、軍事法廷から退廷させられる自分の背中を彼女は涙ながらに見送っていた。

(……俺はまだ父親として諦めてはならないのだ。)
ロベルトが自分を父親として見てくれたとしたのなら、自分は父親としての責任を果たさねばならない。
自己満足と言われようと、俺に父親としての魂を取り戻させてくれたロベルトへのせめてもの手向けになると思った。
故郷に残してきたハレリアと会うために、なんとしても生き延びてみせる。
その気力がハルドゥの口をうごかし、ヴィンセントから与えられたカビのペーストを摂取するに至ったのだった。

       

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