Neetel Inside 文芸新都
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「お前の血、何色だよ」

漫画かなにかで覚えたのであろうセリフでからかわれたとき、雪柳氷(ゆきやなぎ・ひょう)もまだ小学生だった。
「ぼくの血は、なに色なのだろう?」そんな疑問が、氷の右手をカッターナイフへと動かす。
「きっと赤だ。前に鼻血を出したとき、ぼくの血の色は、赤だった」。刃先を左手首に当てる。
さっきまで囃し立てていた同級生の顔から一気に血の気が引く。
氷は一度顔を上げ真っ青な顔色の同級生と目を合わせてから、また視線を左手首へ戻す。そしてカッターナイフを握る右手をゆっくりそのまま右へ引いた。
夕日が差し込みオレンジ色に染まった放課後の教室。
静まり返った教室で氷はずっと見ていた。同級生の顔色よりも、ずっとずっと暗く冷めた、青い血が流れる、自分の左手首を。




アクマジンとは、今から約15年前の小学生のあいだで大流行した漫画「ヴァルキリーナイト」に出てくる架空のキャラクターである。

主人公の両親のカタキであり、悪の組織を牛耳る地獄生まれの魔神。牛のような角、狼のような牙、大きくつり上がった目、長く尖った爪、カラスのような黒い羽を持つ。
「ヴァルキリーナイト」アニメ版第52話などで、体の中を流れる血が青いことを確認出来る。
アクマジンの最期は、主人公の必殺技「リヒトスラッシュ」を喰らい戦闘不能になったところを、物語後半の敵「サギィル」にパワーを利用される形で体ごとすべて吸収されてしまう。


また、アクマジンとは、雪柳氷の小学生時代のアダ名である。


「ほんとうに、アクマジンみたいに強かったらいいのに。みんな、こっぱみじんにしてやるのに。」
氷はだんだんと神経質になっていった。当時の嫌いな教科は図画工作と体育。なぜならその2つがとりわけ怪我をする確率が高いからだ。
プリントを後ろの席へ回すだけでも、とてつもない集中力を使う。小指の先を少し切っただけで氷は青ざめてしまいパニックに陥った。絆創膏に紺色のシミがつく。
打撲痕は誰でも青い。傷口とカサブタが青いのは氷だけ。誰にも血を見せないように必死な毎日。
怪我をすると、またアクマジンとからかわれる。先生からも奇異の目で見られる。
「みんなをこっぱみじんにしていったら、そのなかに1人くらいは、ぼくと同じように、青い血のひとがいるかもしれない。」
週末は病院巡り。両親に連れられ、あちこちの病院で、体のあちこちを徹底的に調べた。
けれども結果はすべて同じ、異常なし。異常なし。異常なし。どこも悪いところはない。原因がなにかもわからない。血液型もO型で間違いない。
「どうしてぼくだけがちがうのだろう。どうして、血が、青いのだろう。」



若い女の担任教師による「アクマジン禁止令」が教室に出されるようになったころから、氷の主食は野菜ジュースになる。

特に赤い色の野菜ジュースやトマトジュースを水の変わりに飲むようにした。
血のように赤い色の飲み物を毎日摂取しているといずれ自分の血も赤くなるのではないか。そんな淡い希望にすがることしか、まだ幼い氷には出来ることはない。
週末の病院巡りは終わったが、今度は大量の野菜ジュースを購入する生活。氷を見つめる両親の視線に、かつてのように愛情が含まれることはなくなった。
両親さえも、我が子のことを、人間ではないのではと疑い始めたのだ。
教室を飛び交う同級生の笑い声から「アクマジン」という単語はなくなっても、氷の血は青いまま、変わることはなかった。


「家庭科」というライバルに勝てなかった氷は、部屋に引きこもることを選んだ。
縫い針、ミシン、包丁。何一つにだって、勝てない。怖い。怪我をしてしまう。

家庭科室で怪我をしたとき、氷は「菌」になっていた。
「うわっ、きたねーっ、伝染るぞ、逃げろ、逃げろ、気持ち悪いな、なんだあいつ」
同級生は氷を囲い込み煽り立てる。しかし誰も氷のすぐそばまで近寄らない。遠くから、あざ笑う。
氷はとっさに血が流れる左手の人指し指を、口に含む。鉄の味だ。血の味がする。
保健室に逃げ込んだ氷はそのまま早退し、もう二度と学校には行かないと心に決めた。




「どうして血が青いんだろう?」
そんな疑問が氷の頭のなかのあちこちに流れる。
「どうして僕だけが青いんだろう?」
毎日思考を巡らせたって、なにもわからない。
「本当に僕だけの血が青い?」
右手に万能包丁を握り、寝静まった両親とまだ幼い妹を見つめる氷の視線は、暗く冷めている。
「本当に?」

倫理観は木っ端微塵に。


悪意は一切含まれていない、純真な、一刺し。




中学生になった氷は、両親に捨てられ、生活の場所を施設へと移した。

氷は自身のの抱える疑問のうち、一つだけ答えが出すことが出来た。

「僕以外の家族みんなの血の色は、ちゃんと赤だった。」

       

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