Neetel Inside ニートノベル
表紙

ヒーロー裁判
1話目(後編)

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「だって、川口さん本部に嫌われているんだもの」
 大谷は躊躇なく川口に告げた。一時的に作戦本部として使用している山間の民家に、川口が到着したのは日が沈み大分たってからのことだった。
 
 屋内は数名のオペレーターがコンピューターを操作しているだけで閑散としている。警戒隊は既に出動、所定の配置に付いていることを『唯一の話し相手』である大谷から無線で聞く。

「遠路遥々、ヒーロー様の到着だぞ? 少しは労ってくれてもいいと思うがな」
「それは結果次第よ」
「十分出して来てるだろ。両手で数え切れん」
「あなたの結果は社交的じゃないんだもの」
「どういう意味だ。鯱を見習えってことか?」
「あーもう、それ以上付き合わせるのは勘弁して」

 指示書の内容を見ると川口の行動開始までに時間があった。畳に大の字で横になり、眠気を誘おうと努力してみる。しかし、一向に相手が誘いに乗ってくる気配は無い。そこで標的の情報を頭の中で整理してみることにした。

 人間に擬態するのは全てのモンスターに出来ることではない。元々『人の様な姿』をしていてシンボルだけを隠し人間社会で生活するものもいる。擬態するタイプがヒーローにとって厄介な理由は通常の人間同様、見分けがつき難い。まして人間社会で複数の職業を経験しているとなれば尚更だ。これについて、川口は過去、単純な行動で見破ってきた。

『死なない程度に一発ぶん殴る』

 相手の回避行動と、手応えで見極めるというわけだ。見極め自体はこれまで必中してきたが、残念な結果の方が川口の評価を大きく下げている。

 もう一点注意しなくてはならないのは、モンスター達は一般人を誘惑する。その効果は大小あるが、ほぼ全ての者が使えると言っていい。誘惑された人間は一時的にモンスターの操り人形の様に行動する。言葉を掛けて誘惑する者。目を合わせることで誘惑する者。特定の行動で誘惑する者と方法は様々だが、今回の標的は危険だ。

 知能が高い場合、本来の狩り以外の目的で使用してくる可能性がある。
 過去、世間を驚愕させた事件。モンスターが人質を取り無事に確保出来たものの、1週間後にその人質が混み合うショッピングモールで殺傷事件を起こした。本部が対象に行った検査結果は黒。誘惑は潜伏することが証明されたのだった。

 一般の人間がモンスターと対峙し てはならない、これが現在では鉄則である。

 だが、川口は引っ掛かっていた。ヒーローに誘惑は効かない。ならば先の2名はなぜ口を閉ざし、作戦の詳細を伝えないのか。

「そろそろ、行動開始の時間よ」
 川口が天井のシミも見飽きた頃、大谷が告げる。

     

 雪が深々と降り積もる中、川口は徒歩で、恐らく道であろう木々の間を突き進む。標的に察知されないよう、複雑に移動することもあるが、そんな行為自体、今回は意味がないだろうと川口は思う。

 どれほど進んだか、坂道がやがて平坦になったころ前方に灯りが見えた。古いコテージ。窓から漏れる灯りは温かみがある。屋根の煙突からは降り積もる雪を押しのけるように暖気が立ち昇る。
 気配を伺うまでもなく、あそこに標的がいることを川口は確信した。

 問題はどう仕掛けるか、川口は悩んだ。これほど堂々とされると逆にやり難かった。こんな時に川口が取る行動は一つ。
正面玄関に立つ。耳元の無線機に内蔵されているGPS、位置情報を見ているのか大谷が耳元で何か騒いでいる。

 本来彼らが活動する際、可能な限り五感を研ぎ澄ませるよう配慮される。まして片耳を塞ぐヘッドセットなど装着しない。川口の場合作戦中も取り付けるのは『首輪』のような役割だが、ほとんどの場合、意味を成さない。

 ドアのノック音でも聞かせてやれば無線機が爆発するんじゃないかと川口は頭の中でほくそ笑んだ。が、今回は無視するだけでそれは控えた。

 一旦下がり助走分の距離を確保したところで、川口にとって予想もしないことが起きた。

「川口さん! 良かった。この雪だから道に迷ったのかと思ってたところ」

 ドアが勝手に開いたかと思うと、子供が嬉しそうに顔を覗かせ川口を出迎えた。

「寒かったでしょう? 中に入って」

 ドアは一旦閉まり、取り残された川口は立ち尽くす。

 それは呆気に取られていた訳ではない。川口の頭の中はかつてないほど集中し、考察していた。そして一瞬で『こいつはヤバい』という結論に行き着く。

「何が星2だ。遊びに付き合ってやるよ化け物」
 そう呟くと、川口はドアをゆっくりと開け、中に入った。

     

 雪は止み、東の空がわずかに明るくなり始めた頃にヘリが作戦本部付近に到着した。
 年の頃40前後、短髪でスーツを着た男ともう一人、大谷が降りてくる。男は雪景色に不似合いな軽装であることから余程急いでいたことが伺える。警戒隊に車の後部座席へ搭乗を促されるも二人の表情は険しいままだった。

「申し訳ありません。私がもっと」
「川口とは当時から喧嘩ばかりしていた」
 大谷の言葉に被せるように男は車の窓から流れる景色を見ながら話した。
「俺が右と言えばあいつは左、青と言えば赤、電車と言えば飛行機。全く滅茶苦茶なやつだ」
 大谷は俯いたまま黙っていたが息遣いは震えていた。

「だが、あいつには他の奴にはない太い信念がある。正義のヒーローに相応しい」
「主任が引き続き彼の担当であればこんなことには――」
「それは違う。俺がお前を選んだのは、俺に似ていたからだ。お前が何か失敗したなら、それは俺でも同じように失敗していたさ」
「ですが」
「それに大事なのはこれからをどうしていくか、だ」

 沈黙する二人を乗せた車は古いコテージの前に到着した。

 周囲を封鎖する警戒隊の一人がスーツの男へ近づく。
「封鎖中の間、特に変わったことはありませんでした」
「中の様子は」
「指示通り、そのままの状態です。地下倉庫に標的の死体を発見。後は―――」

 口を閉ざした警戒隊員に対してスーツの男は頷くと、玄関に近づく。後から付いてくる大谷を掌で抑制しドアを開け、一人で室内へと入った。

 中は暖炉の火がまだ残っているため、十分に暖かい。しかし、この室内で激しい戦闘があったことも伺えた。家具は壊れ、食器類は割れ飛び散っている。
 柱が数本折れている先にある、一際大きな柱を背に川口が座り込んでいた。視線は一点だけを見つめ廃人のように見える。
「川口、俺だ。木村だ分かるか?」
 木村は川口と目線の高さが合うようにしゃがみ、肩をそっとゆすった。視点の定まらない川口はやっと木村の目を見る。
 無言のままゆっくりと木村の胸倉を掴み、それを揺さぶりながら唇を噛みしめている。しかし、すぐに視線が元の位置へ戻るとその手も無気力に放した。

 木村は川口の視線の先を見なかった。突入した警戒隊から既に報告は受けている。
 成人男性が一人死亡していること。それに被さるように『人間』の子供が死亡していること。

     

 霞が関にヒーロー達を支援する異生物研究所という施設がある。名前は当初、モンスター達の発生に対応したのは国防の役割であり、その生態を研究することに重きを置いて建設、名付けられた。やがてヒーローの存在が明確となってからは徐々にその活動内容は大きくなり、国家の名の元に研究所総括の情報収集員、モンスター警戒隊、ヒーロー支援員などが新たに編成されていくことになる。結果、民間の者達が率先して『ヒーロー本部』と呼ぶようになり、内外いずれも本来の名で呼ばれることは少なくなった。

 モンスターの生態調査は討伐後に遺体の状態から行う。設立当初の目的を遂行している研究員の多くは『通常の人間』で構成されているためだ。
 また、戦闘時に負傷したヒーロー達の医療と、遺体解剖による死因調査も当研究所で行われている。
 
「エーコ。お願いします」
 透き通るような男性の声が、白く狭く密閉されたヒーローの遺体安置所内に反響する。
 地下100メートル弱。セキュリティが幾重にも施されたはずのこの場所に、誰にも気付かれることなく3人はいた。
 
 真ん中に立つ男は長身で肩に掛かる長い黒髪。キャソックを身に着け、黒のソフトハットにマフラー。十分特徴的だが、なによりもこの男を証拠として提出すれば、美の神が存在することを証明出来るのではないかと思わせる程に美しい。
 男の左右に立つエーコともう一人。表情こそ男に似ている双子の様で、二人とも小学生に上がるくらいだろうか、幼く小さい。エーコの二つ結いの髪、長袖黒のワンピース。もう一人の少し長めのボブヘアとサスペンダーで止めた半ズボンのフォーマルスーツ。これらを入れ替えてしまえば見分けはつかない。
 
 声を掛けられたエーコはただ男を見上げる。二人はしばし無表情で見つめ合った後に、男が閃いたようにポンッと手を叩き、脇に挟んでいた黒色の金細工が施されたステッキを壁に立てかける。そして両手を広げて迎え入れる姿勢を取ると、エーコが飛びついた。
 
 「向きが逆です」
 
 しばし抱きかかえた後、男は呟く。
 一旦エーコを降ろし、背後から脇を持ち上げる。3段からなるスライド式の引き出しの内、『2段目』が既に一つ開いている。先に男がわずかに開けた保護袋のジッパーを手で広げ、中に収納された遺体の額にエーコが口づけをする。

男がエーコを降ろすとほぼ同時に、中の遺体がジッパーを両手で広げ、上半身を起こした。

「こんなに待たされるなんて聞いてませんでしたよ! 黒川さん」
コテージで食卓を用意していた少年が中央の男、黒川に対して声を上げる。

     

「私はいつ現れるなど、約束した覚えはありません」
 不服そうにする少年に黒川は続けた。
「経過観察中のあなたに、余計な知識を与えるべきではありませんでした。今回の行動は無謀としか思えません」
「川口さん、噂通り強かった。どうやっても勝てそうに無かったよ」
 少年は残念そうな素振りを見せずに笑顔を見せた。
「ええ、しかし褒められることではありませんが、最後まで素性がばれるような傷を負わず良くやりきったものです」
「う、うん。怒ってるの?」

「いいえ、怒ってはいませんよ」
 黒川は首を傾げて見せるが、話の節々で時折笑顔を見せるも無表情と笑顔の中間が無い。あからさまな作り笑いに少年は狂気的なものを感じた。
「本当は戦うつもりなんて無かったんだ。――でも村山さんがぼくを庇ってしまって、結局『あの時』みたいに」
「村山さんの死を望んでいたのでは?」
「違う!」
 少年は首を横に強く振って否定し、黒川を真っすぐにみた。
「ただ誰かに見届けて欲しかったんだ。見て覚えてて欲しかっただけで――」

「しかしこれで良かったのでしょうか? 『最後の一人』は意識こそ無いものの、すぐに命に関わるような容体ではありません。あなたがヒーローに覚醒した事情を話せば結果は変わっていたはずです」
「それは、僕が話さないといけないこと? 潔白だと証明しなければ悪が勝手に決まってしまうなんて、――そんなの理不尽だよ」
 俯きながら話す少年の拳がわずかに握りこまれるのを黒川は黙って見つめた。
「―――村山さんには、本当に悪いことをしちゃった。死ぬってこんなに恐ろしいんだね。意識だけがあって真っ暗で、目覚めるまで一瞬のような、長い時間過ごしたような」
「現状では強制的に自殺扱いですからね。本来の流れに戻すにはテコ入れが必要です」
「村山さんは?」
「ここに来る前に伺って来ました。奥様と最後の別れを告げていましたよ。それと、貴方のことを気にかけていました。強い人です」

「ありがとう。ねえ黒川さん、またお母さんに会えるんだよね?」
 エーコが黒川の裾を引っ張る。
「貴方がそう望むのならそのようになりますよ。ところで、そろそろエーコが限界なので回収する必要があります。最後に名前を教えてもらえますか? 特に意味は無いのですが」
「あ! そういえば僕名前ないや。お母さんにはいつも『おい』とか『お前』で呼ばれてたからなぁ。そうだ、『鯱の子』はどうかな?」

 黒川は自身の顎を撫で、しばし考察すると人差し指を立てて少年に言った。
「いっそ、数の子という――」
「そういうのいいですから」
 間髪入れずに少年が制止すると黒川は笑顔になった。
「黒川さん、その笑顔不気味だから止めた方がいいよ。あと、笑うところも間違えてると思う」
「――おかしいですね。大分練習しているのですが」
 黒川はエーコともう一人に目線で相槌を催促するが二人は目を合わせなかった。

「ビオ、お願いします」
 黒川は先ほどのエーコと同様にもう一人のビオを持ち上げる。
 少年が横になりながら最後に黒川に質問をした。
「もし、川口さんのこと。僕と村山さんが裁かないでと言ったら、黒川さんは許してあげるの?」

「それは叶いません。貴方達が答えを見出すに、今の世界はあまりにも未熟ですから」
 ビオが少年の額に口づけをすると少年は眠るように目を閉じた。

     

 深夜、六本木からわずかに南へ下った雑居ビルの一角。わずかなカウンター席のみが置かれたバーに川口はいた。
 あの出来事から3日経ち、自宅待機だった川口に本部から召集があった。先に医療部での検査は済ませており、内容は数名による復帰の確認面談だった。川口は木村が『すぐにとは言わない』とだけ口にしたのを思い返していた。
 
「川口さん。隣、よろしいですか?」
 川口が後ろを見ると、不自然な笑顔で話しかける黒川がいた。
「最近は素性を調べてから話しかけるのが流行ってんのか?」
 川口が言うと、黒川は笑顔のまま首を傾げて見せる。
「まあ、構わねえよ。グラスを一つくれ。あとアイスを追加だ」
 カウンター越しに店員へ川口が注文をする。
「いえ、注文は自分でしますよ」
「ボトルが大分余っててな。空けておきてえ。手伝えよ」
「そういうことでしたら、頂きましょう」
 黒川が追加されたグラスを差し出すと、それに川口がウィスキーを注いだ。
「古株の中でも、わずかな連中で迷信っつうか。変わった噂があってよ」
 オールドグラスを揺らしながら川口は続けた。
「俺たちは体ばっかり頑丈なんだが、心は人間とちっとも変わらねえ。モンスターどもを、要するに大儀を通してるうちは問題ねえんだが、やがて失敗する。全うなことをしてると信じてる手前、失敗の具合やその数によっては心が病んじまう。そんなやつらはどうすると思う?」

 黒川は自身の顎を撫でながら考察した。
「精神科に通う、でしょうか?」
「っは、まあごもっともだがハズレだ。そもそも俺たちには薬物の効果が薄い。そうなるとそいつらが出来ることなんてオママゴトみたいなもんさ」
「貴方がそうやってお酒を飲む行為もそれに似ていますね」
 川口はグラスの中身を一気に飲み干した。
「――そうかもしれん。だが奴らは違う。迷信を信じるようになる」
「どのような迷信で?」
「影だ。そのうち影が現れて終わりを告げに来る。命を奪いに。そいつらそれが来るのを待ってるって言うんだから、笑っちまうだろ? 小物はこれだからいけねえ。俺は違う。――そう思ってたよ」
「今は違うのですか?」
「ああ、俺自身にムカつくが最近はそればっかり考えるようになっちまった。もし現れてくれたら、もし終わりだと言ってくれたら。 こんな時の孤独は良くねえな。妄想ばかり捗っちまう。―――結局俺も同類ってことだ」
「川口さんが同類という訳ではありません。それでも生に執着した者もいれば、中には過ちと思わない者もいました」
「教えてくれ。お前は幽霊のような何かか? 名前はあるのか?」
「これは失礼を。黒川と申します。私が付けた仮名のようなもので特に意味はありません。霊的なものかと言われると、そうとも言えます。しかし、自然に起きる事象のようなものと考えて頂いた方が良いでしょう」

「難しくて良くわかんねえな」
 川口はウィスキーボトルを持ち、黒川へ向ける。
「頂きましょう。一つの役割で例えると魂の交通整理をしているとでも言いましょうか」
 黒川のグラスへ注ぎ終えると尋ねた。
「――あいつらも?」
「ええ、お二人にはその過程の中でお会いしました」
「俺は話せねえか?」
「そこまで万能ではありません」
「なら、俺のこと何か言ってなかったか?」
「いいえ、特に何も」

 しばしの沈黙の後に黒川が口を開いた。
「それにしてもこのウィスキーはおいしいですね。香りも良く飲み易い」
 黒川はかすかな照明にグラスを挟み、琥珀色の液体を見つめた。
「スコットランド産ですね?」
「いや、国産だ。葉巻に良く合うらしい。何度か勧められたが煙がどうも苦手でな」
「参考にしましょう」
「そろそろ出るか、いい夜だ。あいつらに比べたら贅沢過ぎるってもんだ。――贅沢ついでに一つ聞いてもいいか?」
「どうぞ」
「俺はへそ曲がりでな。色んなやつに迷惑を掛けてきた。どうしても素直になれねえ。つまりその、よ。お前は大丈夫なのかってな」
「ええ、もちろん。全力で構いません。受け止めましょう。その代わりと言ってはなんですが」
「何だ?」
「まだボトルは空になっていませんね?」
「っは、おもしれえ奴だな」

 一旦、立ち上がった川口は再度席に着くと差し出されたグラスと自身のものに注いでボトルを空けた。

「お前、想像してたよりお喋りだな」
「ええ、これが災いすることが多々あります」
「だろうな」

     

六本木駅周辺は大規模な都市開発のため、いくつかのビルが解体予定となっていた。そのうち一つの解体用に設けられた外壁の足場を二人は昇った。
「ガキの頃、よくこんなとこ探したもんさ」
「秘密基地というやつですか?」
「まあ、そんな感じだが、立ち入り禁止ってだけで悪いことしてるみたいで、ワクワクすんだろ?」
「今のはヒーローらしからぬ発言ですよ?」
「ははっ、ちげーねえ」

「この辺りでいいだろ」
柱だけが残る室内を確認して川口は中へと入る。
二人がある程度の距離を持つと、空気が張り詰めていく。

「来ねえならこっちからいくぜ」
 川口が右足で放った蹴りは空を切り後方の柱を当て抜く。豆腐のように砕けるも飛び散った破片が弾丸の様に周辺に飛散した。一度捉えた相手が目の前から消えようが、川口にとって大した問題ではない。頭の中で正確に視野外を補填する。前の動きが予備動作であったかのようにそのまま真上へ跳躍。体の軸ごと左足に預けた再度の蹴りが、黒い影を確かに捉えた。
 天井を突き破り、そこから屋上の星空が覗く。川口はズボンが鉄筋に引っ掛かり逆さまにぶら下がっているのを、勢いよく上半身を起こし星空へ身を投げた。
 
「不死身か?」
「いいえ、我慢強いだけです」
川口の視線の先には、平然と優雅にコンクリートの細かな破片を払う黒川の姿があった。
 川口は小さくボクシングスタイルを取り一気に前進する。砕ける足元のコンクリートがどれほどの勢いであるかを物語る。黒川はステッキの先を川口が前進してくる方向へ『ただ向けた』。ところが川口にとって、その間も位置も最悪だった。身を捻りそれを交わすも黒川に足元をすくわれ、勢い余り反対方向へ吹き飛ぶ。
「お前、性格悪いって言われねえか?」
「言って下さるほど親しい友がおりません」

川口は両足を先に起こすと、振り下ろす反動で立ち上がる。再度距離を詰め連続して攻撃を仕掛けるが、黒川に丁寧に捌かれる。
どれほどの時間川口が一方的に攻撃を仕掛けたろうか。
「十分だ。そろそろ終いにしようぜ」
川口が後方に大きく跳躍すると告げた。対する黒川は小さく会釈をする。
川口は左拳を作ると人差し指の間に息を吹き込んだ。拳が蒼白く輝く。よほどの高温なのか拳を挟んだ先の景色が歪んで見える。
「今のところ必殺、唯一自慢の一撃だ。少しはビビりやがれ」

大して照準を合わせる必要も距離を詰める必要もない。大きく振りかぶり黒川へ向けて拳を振り切った。
扇状にコンクリートがめくり上がりと、爆発となって周囲を吹き飛ばす。

『後ろにいる? 振り向いて攻撃をする? 近い? このまま前方へ跳躍? 再度距離を取る? ――いや、勝負は決している』
川口の思考は一瞬だった。
「最初から必殺狙いか。やっぱ性格悪いぜ。お前」
僅かに繋がった呼吸で川口は言った。
最後に川口が見たものは、満天の星空とそれに吸い込まれそうな自身の体。
最後に頭を過ったのは少年の言葉。

『あなた達にも裁きはいずれ』

黒川は鞘を納めたステッキに身を預け、しばし夜景を見つめていた。
彼は穏やかに黒川の腕の中で眠る。
やがて強い風が吹くと、黒川はそれに合わせてゆっくりとビルの谷間へ姿を落とした。






 黒川は疾風の如く地を、空を駆ける。世界に残る秩序と理を維持するために。望まず人外となったもの達に僅かな救いを与えるために。長き刻の中、鬼と呼ばれ、悪魔と呼ばれ、死神と呼ばれた。新たな混沌の中、次は果たして。彼は名を付けてくれた愛しい者達のために今夜も絶対の法であることを誓う。

       

表紙

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Neetsha