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絶対加速クレッシェンドの解説
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絶対加速クレッシェンドの解説

おそらく、
全世界で作者に次いで
絶対加速クレッシェンドを理解しているはずの僕が
ぜんぜん名誉なことじゃないけど
全世界で作者に次いで
絶対加速クレッシェンドを理解しているはずの僕が
絶クレ、それから派生した作品。
及び絶クレ以前の作品。
作者のブログや作品外での発言なども考慮にいれて
絶対加速クレッシェンドとはどういうものなのか、
その根本思想を解き明かしたいと思う。

あまり気は進まない。
批評みたいなものは、好きではないからだ。
しかし、絶対加速クレッシェンドも
発表からずいぶん時間が経って、
僕のなかで、
もやもやしていたものも落ち着いた形になった。
今なら重要なぶぶんを
極力シンプルに抽出できるのではないかとも思う。

僕が絶対加速クレッシェンドについて言いたいのは、
作品について、というより、作者についてだ。
「なぜ、作者はあのようなものを書いたのか。」
「作者にとって、もっとも抑えるべきポイント、
テーマはなんだったのか。」
そんな芸術にとっては唾棄すべき、
教科書的な発想が、じつは絶クレにはハマってくれる。
それは作者の思考が・・・
作品を見るかぎり、
混沌としているようにみえる作者の思考が、
本人も理系を自称、目指しているだけあって、
クリアーな形で秩序だっていることに由来する。

以下、絶対加速クレッシェンドの
根本思想について、極力シンプルに語る。

まず「超人」というキーワードを取り上げたい。
これは絶クレには直接的に登場しない。
絶クレ以前の作品では下のように語られている。

 ほら、滝本とかはいるけどさ。
 アイツはメンヘラの人と結婚して
 家燃やされたって……。
 本当、実利に走ってなくて
 淘汰される生物種だよな。「超人」って。
            (魚眠洞とナナミ)

実利に走っていなくて淘汰される生物種。
それが彼にとっての「超人」のイメージだ。
ここでは、能力は問題にされていない。
価値観が問題にされている。
彼は自分自身を、
風変わりで孤立した人間であると自覚していた。
しかし、価値観においては
きわめて平凡な人間であって、
「超人」にはなれないと
早いうちから見切りをつけていた。

絶クレの主人公であるミナセの口癖、
「器じゃない」には、
「超人の器じゃない」という響きがこもっている。
自分自身を犠牲にしてまで
誰かのためには生きられない、
実利を無視してまで何かのためには生きられない、
きわめて平凡である、
そういう作者の思いがこもっている。

普通、人の価値観というものは
多くの矛盾をはらんでいる。
正常な人間であってもそうだ。
なぜ、彼のような異常な性質をもつ複雑な人間が
早い段階でこうもあっさりと
自分自身の価値観に
見切りをつけられたのかは分からない。
もちろん彼のなかにも葛藤はあり、地獄はあった。
だが、一度答えを出してしまうと、
もう迷わなかった。

実利を追って、平凡な幸せのために生きる。
この目的の邪魔をしているのが、
彼の生来の歪んだ、異常な性質だった。
彼自身、プライドが高く、
勉強ができるということなら、
勉強ができるということで、
自尊心を支えたいと願っていた。
しかし、得意なことであっても
一番になれるわけではない。
勉強ができれば
すべてがうまくいくというわけでもない。
平凡な幸せのためには、
ごく一部が突出している必要性などない。
なにごともそれなりに出来れば、十分だった。

彼は自身の異常性、
自己肥大した内面世界、一風変わった感性、
孤立をうながす性格をも
プライドを支えるための根拠として使おうとした。

俺は他のやつとは違う。
俺は特別だ。
俺は天才だ。

そういう、選ばれしものの恍惚と不安…
のようなものは、
絶クレ以前の作品には直接的に、
絶クレでは、
より戯画化した形でイザヤに描かれている。
たしかにそれは、特別な感覚をあたえてくれた。
高く、清純な感覚をあたえてくれた。
それ自体は、彼も決して悪くは思っていない。
でも、それにのめりこめばのめりこむほど、
周囲を遠ざけて、孤立した。
言い訳の余地をつくって、現実的な努力を放棄して、
平凡な幸せからは遠ざかっていく。

葛藤のすえに、
彼は自分を平凡から遠ざけるそれらのものを
徹底的に埋め立てることに決めた。
そのために必要なことは、
酔う余地をなくすこと。
自身の内面性を相対化することだった。

彼は精神病的な性質をもっていたけど、
精神病、という言葉は使いたくなかった。
精神病は一過性とは限らず、
響きのなかにシリアスなものをもっているからだ。
ふさわしいのは「厨2病」という言葉だった。
この言葉の滑稽な響き、
幼稚なもので、あくまで一過性であり、
成長とともに減退していくことが
自然であるという考え、
それが彼の目的にピッタリと一致していた。

平凡という。
平凡な幸せという。
自分は平凡な人間だという。
しかし、分厚い異常性の鎧の力に邪魔されて、
皮肉なことに、
彼には最後まで平凡がわからなかった。
彼はいつも
曇った分厚い窓ガラスの向うに平凡を見ていた。

「リア充は動物と同じで本能で生きている。」
「30過ぎるまでは実用書しか読まない。」
後期の絶クレには
内面性に引きこもる非リア像と対比して、
そういう極端な記述が出てくる。
普通への回帰、を目指して
彼は頭のなかで盛大なシュミレートを行った。
だがそれは、
何億光年のながい旅から帰還したクルーが、
うらしま効果で、地球によく似た
猿の惑星へと帰ってくるようなものだった。
彼は帰ってきた。
それが重要だった。

短編、ボーントゥビィワイルドには
彼の思い描く、平凡な幸せが描かれている。
大学で動物の生態学を学んだことによって
結びついた、
平凡な幸せと自然的な本能との美しい融和のイメージ。
絶クレの目指した方向性の
もっとも陽な後日談といえる。
一方、破壊と再生には
陰の後日談が描かれている。
現実へと舟をこぎだした彼には、
はっきりいって、もう描くことはない。
やるべきことは、描くことではない。
最初からそうだったのかもしれないが、
彼はギリギリまで引っ張った。
必要と思われることはすべて出し尽くして、
心はたしかにおだやかになっていた。

世界と君とのたたかいでは・・・。
世界に味方しろ。
さもなくば、(幸せが)死ぬぞ。
実利にこだわったつもりの彼が、
最初から最後まで好んで使った言葉だ。

以上。
意図的に、作品の具体的な中身については
ほとんど言及しなかった。
細かいところは彼の才能や、
趣味的な部分が大きいからだ。
その異常な天才性については、
なぜそうなったかなど解き明かすことはできない。
ただ、彼も一人の人間であって、
ものを描く動機は、世界にとっては小さく、
一人の人間にとっては大きなものだった。


       

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