Neetel Inside 文芸新都
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彼女の靴を履かせてくれ
最大の素数が見つかるまで

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 昔の人は、正月に夏用の服を貰ったら、自殺をすることをやめていた。馬鹿げた話だ。僕はそう思う。そして僕が付き合っていた彼女もそう言っていた。馬鹿げてる。彼女は笑った。そんなんだから川に落ちて死ぬのよ。そう思わない?
 僕は、多分、その時あいまいに笑っていたと思う。大概の話の時、僕はあいまいに笑っていた。僕は人の話を聞いていると薄笑いを浮かべたくなる。結局――服を貰わなかったせいだろうか――彼女は川に落ちて死んだ。ひどく蒸し暑い夏のことだった。
 馬鹿みたいな話だ。
 ほんとにさ。
 君達が、彼女の話をもっと聞きたがっていると僕には分かる。けれど、そんな、どこかの生ごみの集積所を漁るような話、僕はしたくない。死人の話をして喜ぶのは悪人だけだ。僕も悪人ということになる。しかし、まあ、それも正しいのかもしれない。
 僕は今、埠頭にいる。東京の埠頭だ。言っておくが、この世界中で最も陰湿で機械的かつ人工的な街、東京に住むというふざけた生活に、僕はほんの少しでも満足していない。全くだ。しかし、僕は今、ミレニアムが過ぎ去って十五年がたった今もここにいる。何、何……。
 君達がそろそろいらいらしてきたのが、僕には分かる。君達はきっとこう考えているに違いない。《お前は何者だ、お前の彼女は何者だ、お前は何をしに、こんなどえらい倉庫の裏の、ジメジメした風がひっきり無しに左右から吹き付ける場所なんぞにいるんだ。》
 はっきり言うぞ。僕はそんなくだんない質問に、一つ一つ馬鹿丁寧に、まるで、私立女子中学校の先生みたいな口調で話したくなんて無い。あら、さゆりさん、いつもとは違って、今日はちょっと集中力がないかしら、二かける二は四ですよ――くそくらえ。
 何で僕はそんな真似をしなきゃいけないんだ? 説明してみろよ。出来ないなら僕がしてやるよ。なぜなら、僕が今語っているからだ。喋っているからだ。喋りたいなら、分かってもらえるように喋りなさい。あるいはそうかもしれない。正しい。
 しかし――まあ、しかしだ、落ち着けよ――ことによると、僕はそんなことに従わなくてもいいのかもしれない。だって、僕は悪人だからだ。僕は死人の話をするからだ。それに、どう見たって悪い人間だろう。
 わざわざ東京の倉庫まで出向いて、くだんないテロ行為に加担する男なんてさ。

       

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