Neetel Inside 文芸新都
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 僕は二十歳まで、この記憶を何回も夢に見た。繰り返し見た。そこにあった空気の匂いや、遠くから聞こえてくる野球部の声まで、空間までひっくるめて作った完璧なジオラマのように思い出せた。
 結局、七歳の時に、僕は父親に引き取られて、甲府に引っ越した。母親とは会えなくなった。
 それから数年後、一枚のはがきが届いて、母親が死んだことを知った。僕は泣かなかった。葬式にも、通夜にも、なんにも行かなかった。父親が許さなかった。
 あの写真は現像されたのだろうか? 僕はよく考える。あれから、あの団地の小さい部屋で、あのくすんだ茶色の安っぽい椅子に腰掛けて、彼女は僕の写真を見たのだろうか。あの恐ろしく毛玉の付いた朱色のセーターを着ていたのだろうか。僕のことを思い出し、あのシロツメクサの冠をそっと載せた時のことを思い出したのだろうか。そして微笑んだのだろうか。やっと現像できた喜びを、僕とともに分かち合おうと思ったのだろうか。しかし、あのカメラにはフィルムが入っていなかったことを僕は知っている。
 それでも、あのカメラで、彼女はシャッターを切ってくれたのだ。何も映らないし、何も残らないし、僕があどけない残酷さで「いつ現像できるの?」と毎年尋ねたとしても。
 僕のひとりのために。

       

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