僕は路上に落ちていた牛丼の半券を拾い上げて、笹崎婦人を呼び止めた。僕の隣に立っていた子供が、短く「えっ」と言った。見とけよ。
「何ですかあ? 笛吹くん?」
「いえ、あの、バッグから、これ、落ちましたよ」
「ええ? この……牛丼の……半券があ? ちょっと、ええ、本当に落ちましたかああ?」
「はい、さっき歩き出す時に落ちました。その、バッグの口がちょっと開いているところから、はい、そうだと思います」
 彼女は不審げな顔をした。もう一歩だな。
「もし違ったらすいません。僕が捨てときますけど……」
「いいえ、そんなことぉ、大丈夫ぅですよおお、本当に、ありがとうございますねえ、私、こんなの落としちゃって、行った覚えもないのにねええ」
「ずっと昔に使った券が、たまたま出てきたんでしょうね、そういうのって、よくありますから……」
「ええ、ええ、ええ、ありがとうございます、ええ、ありがとう、ええ、じゃあねえ、笛吹くん、じゃあねえ――八代さん、行きましょ……」
 僕は彼女の背中を見送った。ざまあみろ。路上のゴミ掃除にご協力ありがとうってやつだ。この調子で会う度に拾わせてやってもいい。そのうち強迫観念症でも患ってくれれば良いのだけれど。路上の声が大きくなってきた。そろそろ本番なのだ。僕は壁際に戻った。
 笹崎夫人の子供は、僕のことを不審げな目つきで眺め回した。僕も、この子のことを不審げな目つきで眺め回してみた。ぺったりとした短い髪の毛。灰色のピーコート。色あせたブルージーンズ。ピンク色のスニーカー。ん? 女の子みたいだ。
 僕は内心ため息を吐いた。ちょっと偏食気味の諸兄には申し訳ないが、僕の好みじゃない。何より、こういう子供は、大概、日本語を理解しないで馬鹿みたいにきゃあきゃあぶちかましてうぜえことこの上ねえんだわな。僕は口の端をちょっと歪めて、愛想笑いに見えるような顔をした。
 女の子は、左足で自分のすねをかいて、それから、あのさ、と口を開いた。相変わらず、悲惨なしゃがれ声だ。老婆の声の吹き替えが出来るだろう。まるで、眩しい物を見すぎたみたいに、眉間にはシワが寄っている。
「何だい?」
「あんさ」
「だから、何だ?」
「あんた、変質者?」
「何つった?」
「あんたが変質者じゃないかって、あたし、思ってんの」
「どう見える?」
 彼女は僕のことをもう一度じっと見た。そして、僕から目線を一切そらさず、慎重に口を開いた。
「――マジもんの変質者」
「君の街には眼科がないことが分かった。貴重な情報をありがとう。死んでも住みたくない場所ができた」
 マジでな。