Neetel Inside 文芸新都
表紙

見開き   最大化      

 僕が彼女に会ったのは二〇一五年の事だった。二〇一五。いい数字の並びだ。
 外国人がたくさん来て、浅草とか、なんとか――知ったことか――ではスリケンが死ぬほど売れていた。実際、ケニア人と中国人が乱闘して何人か死んでいた。
 コンビニには外国人が詰めかけたが、さほど問題にはならなかった。店員の多くがインドやマレーシア人で、彼らはどういうわけか言葉の壁を一切持っていなかったからだ(少なくとも、ビビって裏のブースに引っ込んでいた僕にはそう見えた)。
 マイクロソフトのデータサーバーが東京湾に五、六個沈められて、人の運転する電気自動車が老人を轢きまくっていた。田舎では未だにパロマの湯沸し器が爆発し、渋谷では著作権法のよく分かっていない若者が何十人かまとめて吊るしあげられていた。多くの人が自分の塩基配列を自慢していた。世界のどこかの研究所が、世界中で百人くらいしかわからないだろう重大発見を連発していた。どっかの国で病気が流行って、飛行機がまるごと消毒されるという馬鹿げた事件が起きた。メディアには合計百人のスーパースターが入れ替わり立ち替わり出てきた。僕の故郷では、突然の洪水で、子供がどんどん河口に流されて、何人かは地層のレギュラーメンバーになった。
 二〇一五年とはだいたいそういう年だった。全く嫌になる年だった。その年に、僕は彼女と会った。新宿のピカデリーまで、リバイバル上映をしていた『ガタカ』を見に行った日の事だった。寒い一月の夜だった。くそみてえに寒かった。宇宙の外からヒートポンプでも使ったんじゃないかってくらい、どこに行っても寒い冬だった。
「ねえ、笛吹君じゃない?」
 彼女とは、小学校と中学校が同じだった。しかし一回も同じクラスになったことはなかった。その程度の間柄だった。
「ええっと――」
「忘れたの? 八代、八代仲子、小学校同じだったよ」
 彼女は異常に長い、赤いマフラーを巻いていた。他にもおそらく服は着ていただろうが(当然だ)、そのマフラーがひどく目を引いた。そういうのって分かるだろう? 女――髪が長い――マフラー――赤い。
「待っててくれたら、ひょっとすると思い出すかもしれない」
「どのくらい待てばいい?」
「最大の素数が見つかるまで」
 僕は口走ったが、正直言ってあんまりいい文句ではなかった。見ていた映画のセリフが突発的に思い出された。僕は押し売りにやってきた――残念ながら、人が集まるところに押し売りは必ず現れる。風呂場にカビが現れるみたいに――ホームレスに、およそ人間には掛けるべきではない言葉を五、六個浴びせた。ボケ、近寄んな、くずやろう、失せろ、猫のケツにファックしてろ、とかなんとか。仕方ないのさ。俺にどうしろっていうんだ? なあ、ちょっと寄り道しようや。お前が僕に何か言う資格でもあるのか? 君が僕の行動の一つ一つを精査しようって言うなら勝手にするがいいさ。しかし、僕はそんな独善的で無意味な行いに、一マイクロ秒でも捧げてやるもんか。
「――忘れてるってこと?」
 しばらく考えた後に、彼女はゆっくりと喋った。街灯の上にカラスが一羽とまって、げー、と化け物じみた声をあげた。きっと化け物なのだろう。僕は肩をすくめた。
「たぶん。今のところは思い出せそうにない。小学生の時、コンポストにへばりついたナメクジを二十匹かそこら黒板にぶちまけた女の子のことは思い出せるんだけど」
 彼女は呆れたように空を見て、大きく一つ舌打ちをしてから、「じゃあちょっとご飯でも食べようか」と言った。ついでに言っておくが、そのナメクジ少女とは彼女の事だった。久しぶり、チュー子、と僕は笑った。
「覚えてんじゃん!」
「今、思い出したんだよ。数学と論理を犠牲にしてね」
 僕はそういうふうにして彼女と再開した。彼女がいつ僕を見つけたのかは――知らない。知ったことかよ。
 サイゼリヤで『チキンとトマトのジェノベーゼのミラノなんとか』という料理を彼女は頼んだ。もしかしたら、あと二十個はカタカナの名詞が並んでいたかもしれない。僕はほうれん草のソテーとコーヒーを頼んだ。
「ねえ、笛吹くん、もしかしてだけどさ」
「多分言いたいことは分かるよ。僕はいま、ちょっとした有名人だ。ノートリアスにね」

       

表紙
Tweet

Neetsha