Neetel Inside 文芸新都
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 十一時半頃(思考に時間がかかる限り、正確な時間というものは存在しない)、部屋のドアが叩かれた。フロントか? ついにバレたのかもしれない。僕は頭のなかでテロップを思い浮かべた。
『昨夜未明、都内で行方不明となっていた女児が発見されました。誘拐した都内に住む二一歳の大学生は「自分がやった」と容疑を認めています。大学生は反ユダヤ過激派で、頭の足りない、くずやろうで、インポテンツ、死んだほうがマシな男です。警察は極刑の方向で、司法、立法、行政と連携を取りながら……』
 くだらない。僕はドアを開けた。笹崎が立っていた。バスタオルと鍵を握りしめている。何も言わずに部屋に入った。ドアを締めた。彼女は僕のつま先を見た。
「どうした?」
「お風呂使っていい?」
「はあ?」
「それって『はい』って意味?」
「頭おかしいのか?」
「なんで駄目なの?」
「なんで僕は二部屋取ったと思う?」
 咲はぎゅっと眉間にしわを寄せて、壁にもたれかかった。僕は籐椅子を引きずってきて、彼女の前に陣取った。
「いいか、普通な、その日あったばかりの男とビジネスホテルに泊まるもんじゃないし、ましてやそいつの部屋に入ってきて風呂を使うもんでもない。あとバスタブに死体が入っているから使ってほしくない」
「……それ、マジ?」
「『関心・意欲・態度』は丸。『思考・処理』が三角だな」
 彼女は半分くらいキレたように(一部の女の子はこれが凄くうまい)、「ホントさぁ」と壁をコツコツ叩いた。
「別に使ってもいい。ただし理由を教えろ。僕だって、自分の部屋に十三歳の裸があるって状況を、もうちょっと理性的に判断したいんだ」
 彼女はぼんやりと壁を見つめた。そして、言いにくそうに首を何度かかしげた。
「――その壁、さっき、赤ちゃんの顔が浮かび上がってきて面白かったぞ」
 突然、彼女がぎょっとしたように壁から飛び退いて、反対側の壁に張り付いた。
 ん? これってアレか? まじかよ。へ、へ、へ! 僕は何だか楽しくなってきた。思いだせよ、とびっきりのだ。マジになってきた。なめんなよ。一発やってやるぜ!
「ネットでも結構有名なんだよ。ここ。『いないはずの従業員がいるホテル』って」
「はあ!?」
 笹崎が食いつくように吠えた。薄い下唇が震えた。それを抑えこむように、彼女は唇をかんだ。
「マジで。お前に言ってなかったけど、ここってホントは九時になるとフロントの人って帰るんだよ」
「……え?」
「だからさ、ホントは、夜九時過ぎにチェックインなんてできっこないんだよ」
 間。
 僕はそのまま十秒待った。彼女の腕からバスタオルと鍵が落ちた。あとちょっとからかってやろう。
「さっきのフロントマン、ホントは、いないはずなんだよ。
 噂では、昔、ここに仕事熱心な従業員がいたらしいんだ。真冬でも、誰よりも早く出勤して、どんなに遅いチェックインでも受け入れてた。部屋で変なことがあれば必ず駆けつけて、解決した。でも、ある日、ホテルの部屋で起こったヤクザの抗争を止めようとしちまったんだ。馬鹿だよな。拳銃で撃たれて死んだんだってよ。脳天に三発。即死だったらしい。自分が死んだかも分かんないくらい。それで、出るらしいんだよ――」
 ここでちょっと切る。僕は無表情で彼女を見つめた。彼女は何かにつかまろうとしていたが、手は空を切った。
「――その男が。とびきり寒い夜になると、ホテルのフロントで働くんだよ。辺りがひっそりと静まり返って、自分の死体がどの部屋にあるか探せるようになるまでね……」
「う、嘘でしょ、馬鹿、嘘に決まってる……」
 僕は首を横に振った。そして――照明を確認――この薄暗さなら多少、無茶できるな――顔を伏せた。笹崎が「ねえ、ちょっと、あほ、ちょっと……」と囁いた。まあ見てろよ。
「嘘じゃないよ、だって……さっき……(僕は低く咳をして、わざと声を汚く涸らした)あったんだよ……バスタブに……」
 ひっ、と彼女が息を呑んだ。彼女の背中がドアにぶつかる小さな音。ヘイ・カモン! 伏線を回収するぜ!
「――僕の死体が!」
 さあどうだ! 僕の渾身の作だ!
 笹崎が小さく「きゃあ!」と叫んで、小さくうずくまった。顔を伏せて、両手で耳を覆っている。よし! やったぞ! 見たか! なめんじゃねえよ!
 二分くらい経った。小さく震えながら、彼女が臆病そうに顔を上げた。
 僕はにっこりと笑った。
「風呂使っていいよ、おばけは怖いもんな。僕の初めてビジホに泊まった時、ちょっと怖かった」

       

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