Neetel Inside 文芸新都
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  車に乗らない奴はETCカードを持っていない。僕は車に乗らない。よって、僕はETCカードを持っていない。
 三段論法。前提の真偽は問わない。形式的な綴り方だ。室町の禅宗のような論理。肉は食べません。規則は守ります。祝詞と私とばちと。みんな違って、みんな論理の奴隷なのだ。滝に打たれて、独創性を洗い流して。
 くだらない話はどうでもいい。僕はETCカードを持っていない。だから、有人のゲートウェイをくぐって高速に乗らなきゃいけなかった。笹崎は物珍しそうに見ている。勝手に見とけよ。
 バーの前で止まる。受付のブザーを押した。去年かそこらに、ブザーが付いたとニュースになった。新しいだけのニュースだった。シルバー人材センターから発送されてきた老人が、険しい目つきを僕に注いだ。こう言っている。てめえ、よくもこんなところに来やがったな。てめえのせいで俺は起きなきゃいけなかったんだぞ。すまんね。許してくれよ。あんただってちょっとはそのどえらい尻を浮かせろ。
「どうも。入ります」
 僕に返事をせず、彼は無愛想にチケットを差し出して――助手席に座った笹崎を見つけて――バーが閉まっていることを確認して――カレンダーを確認した。
「おたく、何歳?」
「二十二」
 何でマジな方の年齢を言っちまった!? 馬鹿か僕は? まあ馬鹿なんだな。でも何でこんなに知恵がないんだ?
 いや、しらねえ。車内には二人だけ。文殊には後一人足りない。高速に増殖させるには。救命用具のようなベストを来た老人は、より眉間の皺を深くした。
「何の用で?」
 彼の腕が机の下に伸びた。ブザーでもあんだろう。僕がブザーを押してこいつ呼び出して、こいつもブザーを押して警察を呼び出す。警察が精神科医を呼び出し、精神科医が心理学者を呼び出す。心理学者が哲学者を呼び出し、哲学者は話を聞いてねえ。そういうからくりになっている。そんな峠があったな。源義経の計略。赤い牛の角に松明をつけて崖から突き落とす。カフェインがたっぷり。翼もありますよ。
「山梨です」
 これは答えじゃないな。
 開けっ放しの窓から、冷たい風が吹き込んできた。僕はごまかすように両手をこすりあわせた。彼は、机の上に置いてあったらしいペンを取り上げて、コツコツと受付窓のガラスを叩いた。
「何の用で行くんだ?」
 間。僕はちょっと目をそらした。不味いな。何か考えなきゃいけねえ。馬鹿げた話なら死ぬほど出てきた。この女の子をレイプして殺した後、森に捨てに行くんです、とか、身代金をどこまで吊り上げられるか確かめに行くんです、とかだ。何よりもひどい選択は、間違いなく、『包帯でぐるぐる巻きにされた芋虫みたいな男を探しに行くんです』だった。とにかく、僕は口をつぐんだ。沈黙は金。最低でも金。
「ちょっと時間いいかな。一応さ、確認だけはしとけって言われてんだよ……」
 状況を整理。
 平日の十一時半。ETCの無い車。若い男。明らかに中学生と思われる女。どこか急いでいるように見える。受け答えがはっきりしない。目つきも怪しいし、男は性的不能――ビンゴ! どんな無能だって疑ってかかる。怪しさが爆発する。首に麻縄がソッコーで巻かれる。床板がガコン。遺恨と禍根。
 僕は「ご自由に」という顔をしたが、実際のところ、僕の社会的地位が――いくら不要なものとはいえ――多少攻められるのは間違いなかった。
 彼はブースから外に出て、僕たちの車を覗き込んだ。正確に言えば笹崎の方を覗き込んだ。彼女は紺色のニットを何だか不安定にかぶっていた。老人の顔をじっくりと眺めて、「あの」と出し抜けに切り出した。
「あたし、だいたい何言いたいか分かりますよ」
「は?」
 と老人。
「あたし、あなたの考えていることが分かるって言ったんです。聞きたいですか。聞きたいでしょ」
「いや、おれは、別に、聞きたくもねえし、あんたたちのことを疑っている――」
「うそ、聞きたいくせに。聞きたいんでしょ。うずうずでしょ」
「いや、うずうずというわけじゃ」
 彼女はニットを取って、人差し指に引っ掛けて、ふいんふいんと回した。それからにやっと笑って、フロントガラスに帽子を投げつけた。
「あたしたちのこと、と言うか、特にこのお兄ちゃんのこと、変態だと思ってるでしょ」
「はあ? いや、馬鹿なことを言わんほうが――」
「嘘つき。そう思ってるでしょ。あたしが、この人にさらわれて、誘拐されてると思ってるでしょ」
 老人は首を振ったが、何だか、ひどく硬いジャムの瓶の蓋が開いたり閉まったりするみたいな振り方だった。
「あたしだったら思うな。だって、いかにもじゃない。若い男。ちょっと根暗っぽくて、部屋にはヘンテコな絵がいっぱいかかってる、マジもんのヘンタイって感じじゃん。そう思ったでしょ。ねえ、おじさん、何想像したの。教えてよ。あたしたちのこと疑ったんでしょ」
 言いたい放題言いやがって。悪口のビュッフェだな(ひどい隠喩だ。ゼロ点)。僕は老人から顔を背けた。
「ねえ、どんな感じだと思う? すっごい関係って思ったんでしょ。マジもんの、ヤバい関係だって想像してんでしょ。今日それでするつもりでしょ。あたし知ってんだからね。ね、どうなのさ」
「そ、そんなことし、しっこないだろ、この――」
「じゃ、開けてよ。とっとと。早いとこ。そうじゃなきゃ、あたし、マジで思うから。あんた、ヘンタイだって」
 老人はしばらく怯えたように辺りをキョロキョロと見回していた。彼女は「ねえ!」と軽い叫び声を上げた。それをきっかけにして、彼は慌ててブースに引っ込むと、バーを上げた。取ってつけたような笑みを浮かべた。僕も愛想笑いを返した。
 十分加速してから、僕は一言「二度とすんな」と言った。
「結果オーライじゃん?」
「結果はな」
 僕は何だか悲しくなった。運転しながら彼女のことを考えた。県境の標識は誰かの手によって破壊されていた。

       

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