Neetel Inside 文芸新都
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 僕と彼女はどちらも醤油ラーメンを頼んだ。ラーメンと名前のつく料理が『醤油ラーメン』と『味噌ラーメン』しかなかったからだ(味噌ラーメンを頼むのはどう考えても人間のやることではない)。
 備え付けの割り箸を二膳、笹崎は勝手に割った。どちらもひどくアンバランスに割れた。彼女はひどく面白そうな顔をして僕の方を見てきた。
「短いの二本で食え」
「どういう意味?」
「子供用の箸」
 会話が終わった。僕と彼女はお互いのコップの中に箸を突っ込みあって遊んでいた。何が楽しいのかはよくわからなかった。ただ、楽しさを感じるためには、少なくとも何かする必要はあった。
 店内には一台だけテレビがあって、延々と、どこかのアホみたいな政治家を映していた。なんとかかんとかクンが席を立ち、エリートが用意した台本をなぞる。もう一方のうんぬんかんぬんクンが、また別のエリートが用意したセリフを音読する。よく出来ました。ポカポカ、んもう、ゆるさないんだからね。よしてくれよ。
 店内はかん水とメンマの匂いが充満していた。中華鍋とお玉がぶつかり合う音だけが、精神病を患った音楽家が叩くうろんなカウベルのように響いた。しばらくして、若者のところに何かを炒めあわせたものが運ばれた。彼は舌打ちを一つしてから食べ始めた。
 そのうち、僕と彼女のところにもラーメンがやってきた。奇妙に緑色の強いノリとぺらぺらのチャーシューが浮いていた。彼女は黙ってめんまを僕の丼に植樹した。
「ナスの時の前金だ」
「ナス嫌いなの?」
「ああ」
 麺はひどく柔らかかったし、スープは何だか色も味も薄かった。亡霊みたいなラーメンだった。僕たちはそれでも美味しそうにそれを食べたし、僕に限って言えば、美味しいとさえ思った。若者はさっさと代金を払って帰っていた。
 突然、後ろのテーブルに座っていた女性が、コップをコトンと倒した。水がテーブルにつーっと走って、ぱたぱたぱたとこぼれた。笹崎は後ろを振り返ろうとしたが、僕は小さく「やめとけ」と言った。笹崎はいつもよりさらに低い声で、「あっそ」と言った。
「どうかしまし――」
 化粧をしていないほうの女性が、バンダナの上からこめかみを掻きながら尋ねた。黒尽くめの女が途中で遮る。
「私、何頼んだかしら」
「ええと、味噌ラーメン……」
「はあ?」
「ですから、味噌……」
「の、何?」
 バンダナの女性は哀れになるくらいメモ帳をめくっていたが、回答はどこにも見つからなかった。
「コーンを抜いて欲しいって言ったのよ。私。何でコーンが入っているのかしら」
 コーンね! 僕は笑いそうになって、突然ひどく気分が悪くなってきた。黒い服の女はどう見たって愉しんでやっていた。何のために? 暇だから? 許されることなのか? 僕は何だか非常に嫌になってきた。帰りたくなってきた。
 笹崎は黙って僕の瞳を見た。見てんじゃねえよ! はあ? ふざけんなよ。
「それは、その、ごめ、すいません、すぐに、作り――」
「いいわ、別に。食べないから。別に作りなおさなくてもいいわ」
 店長は所在なさ気につったっている。僕はテーブルにおいてあった爪楊枝を一本取り出して、端からぽきぽきと折り始めた。
「申し訳ないです。お勘定はその」
「払うわ、払えっていうんでしょ。ええ。頼んだのは私ですから。払いますよ払います」
「いえ、別に、払わなくても……」
 黒の女が自分の財布を、テーブルに叩きつけた。ひどく大きい音が響いた。叩きつけるのに慣れすぎている。
「払うわよ、そんな目をして、お代を出さなかったら恨むくせに、払う払う払う! ああ、払いますよ!」
 彼女はこれみよがしに千円札を財布から引っ張りだして、忌々しげに押し付けた。
 笹崎が、僕の手の甲を箸でつついた。それから、「何とかしてよ」と低い声で言った。
「あたしさ、こういうの、マジで我慢できないんだ」
 僕は大急ぎで計画を練って、それから二秒でこう囁いた。
「うまいことカネを盗め」

       

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