Neetel Inside 文芸新都
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 あの白い家の裏手には小道が通っていた。両側には、左右の家の高い塀がそびえ立っていて、まるで、ブロック経済を敷いた二つの国の国境みたいだった。実際のところ、その小道は、家の間を流れる側溝に、コンクリートの蓋をかぶせただけのものだった。蓋の下にはいつも僅かながら水が流れていた。太陽が真上にくると、蓋の隙間から、水がなまなましくきらりと光った。
 その小道の上流には、側溝の蓋がはまっていないところがあり、小学校三年生の時、僕はそこから船を流して遊んでいた。家から少しだけ油をくすねて、反故になった漢字練習ノートを破いて、一人だけで船を作っては流していた。爪楊枝で旗をつけて。折り方を少しだけ変えて。もっとよく進むように改良して。
 しかし、いつも、僕の船は、その小道の下で――側溝に閉ざされた下層流で――消えてしまった。ただ消えてしまったのだ。何十隻と流した小舟は、草で作ったものも、紙で作ったものも、冗談半分でマヨネーズを塗って作ったものも、セロテープをめちゃに貼りまくったものも、全部そこで消え失せた。
 その時、バミューダ・トライアングルという言葉が流行していて、僕も、自分でその側溝のことを『バミューダ』と呼んでいた。その証拠はどこにもない。僕は何の日記も残さなかった。僕は学校の友達をそこに呼ばなかった。僕だけの『バミューダ』は僕だけの船を貪欲に吸い込んでいった。
 だけど、この喉は覚えている。僕は誰かに言ったことがある。この耳は覚えている。誰かが僕に問いかけたことがある。

 暑い夏の日だった。猫が日陰にじっとうずくまっていた。セミが鳴いていた。虫が道で死んでいた。照葉樹の葉っぱがきらきらと光っていた。水は夜のように冷たかった。藻はつるりと揺らめいていた。
 彼女が口を開いた。
「何しているの?」
「『バミューダ』を突っ切ろうとしてんだ」

 僕は『バミューダ』を突っ切ろうとしてんだ。僕は口には出さなかった。現実の世界に戻る時が来ている。全ての幻想が終わろうとしている。華やかな色を見せようとしている。花火が最後の最後に大きな光を発するように、幻想とは、真実に取って代わるときに、鮮やかな光を放つのだ。きっと、僕の目の前で。

       

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