この家は『ひどく貧乏な家』に住んでいた人間のものなのか?
 僕は階段の手すりを触った。築数十年はあるだろう。僕は何を言っていた? 僕はここに住んでいた。そしてそれは――それはいつからだ?
 僕は答えを知っている。
 ゆっくりと息を吐いた。心臓が痛い。拍動が強い。視界から形が失われる。そこには色も姿も合ったが、目を凝らしても、境界は見つからない。全てが脳のなかで滑り、形をなくし、それと共に僕を突き動かした。首筋と脇の下で血液がよどみ、流れた。
 強い吐き気を感じる。
 階段の壁には、家族の写真が貼ってあった。僕はそれを一つ一つ見ていった。階段を一段一段登りながら。

 幸せそうな僕。大学に通って、家の門の前で眩しそうに微笑む――僕はひどく貧乏だったのか?
 寂しそうな僕。高校の同級生が死んだ日――じゃあ僕はどこにいたんだ?
 無表情の僕。読書感想文の表彰式、隣にはその時の彼女――僕は何を知っている?
 不機嫌そうな僕。中学校の入学式。詰め襟の制服は嫌だった。隣には父親。小さな喧嘩の後。見かねたおばさんが撮ってくれたんだ――そのおばさんの名前は?
 興味なさげな僕。隣には小学生のチュー子がいて。別に、チュー子と一緒にいるのが恥ずかしいなんて無いよ。背景はどこかの空き地。曲がりくねった巨木――ここはどこなんだ?
 僕は七歳になった。
 シロツメクサの冠を被った僕。幸せそうに笑っている。背景にはあの巨木――なんでこれがあるんだ? これがありうるんだ? 母親のカメラには……フィルムが……。

 僕の手が勝手に伸びて、シロツメクサの冠を外した。はにかんだ笑顔だ。母親が撮ったんだ。現像されて。肺が硬くなった和紙のように引きつっている。あれは現実だったんだ。でも、だったら、一体、何が? 毎年一回の冠はどうやって作られていたんだ? それは何のための日だったんだ? 僕の母親は、朱色のセーターは、白い花の中で、幻想のなかで、カクテルの作り方は。
 写真をゆっくりと裏返して――。
 やめろ! 戻れなくなるぞ!
 やめるんだ!
 真珠のような裏面に――その左下に――僕はメモを見つけた。母親が書いたメモ。