Neetel Inside 文芸新都
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 手が震える。体が震えているのだ。肺が膨らんで、しぼむ。体が小さくなる。血液が全部冷えきった。世界の描像が崩れていく。それがつなぎ合わされる。手を握りこんだ。ポケットの中には車のキーが入っている。紺色の車は夜空の車だ。
 僕は写真を持ったまま、ゆっくりと階段を降りた。ステップを踏み外さないように注意しろ。つやつやの床の上を歩いて、湿った空気を吸い込んだ。
 そっとドアを開けた。曇り空が広がっている。真っ白い空だ。どこにも影は出来ない。
 鍵を回す。ひどく重かった。『平和』の中に鍵を入れた。道路を猫が横切った。三毛猫だった。雄だろう。僕にはそれが分かる。あれは雄の三毛猫なのだ。
 車の中には、笹崎が待っていた。彼女の顔に表情はなかった。
 彼女は僕の写真を眺めて、それから一言、口走った。
「言ったでしょ、あたしは、昔のほうが信じられるって」
 僕はエンジンを入れた。車を発進させた。誰とも、何の車とも会わずに進んだ。この世界には僕と笹崎と母親しかいないような気がする。そんなことはないのだ。何かが待っている。笹崎。僕も正しいのかもしれない。
 あの日々に潜んだ化物が出てくる時が来たのだ。僕を見つけて、僕を殺す時が来たのだ。母親と共に消え去った獣が現れる日が来たのだ。それはただ今まで眠っていた。幸福の中に体をうずめて。
「本当に行くんだね」
 もちろん。
 僕は『バミューダ』をこじ開けに行くんだ。
 閉じ込められた船たちが勢い良く飛び出して、あの薄暗い側溝の下から、息せき切って飛び出すのを待っている。解放。あるものは旗を揺らし、あるものは底に取り付けられたセロテープ製の竜骨キールを見せびらかして。乾いた風が吹き抜けて――吹いて――僕は――。
 僕はそこにたどり着いた。
 母親の待つ場所に。

       

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