ツァラトゥストラの食卓

本日の創作テーマ/モチーフ/お題は、


『無償の愛』『かく語りき』
#本日の創作テーマモチーフお題
shindanmaker.com/594972




『ツァラトゥストラの食卓』



  朝目覚めると隣に寝息が聞こえる。まだ慣れない天井を見つめて、視線を隣に移すと彼氏、いや旦那の寝顔が見える。特に鼾も歯軋りも寝言も言わずに小さな呼吸音だけが私の耳に届く。朝日がヘッドボード上の窓から注いでいて、眩しいのか大分私の元に彼の頭がもぐりこんできていた。寝ている最中の行動を咎める気はないが、ダブルベッドで彼は私に寄り添うようにこちら側に身体を寄せてきて、私は狭いスペースに追い込まれている。もっと広いベッドが良かったし、そもそも私は別々のベッドで寝たかった。そんな事は彼の一緒に寝たいの一言で砕かれ、いつか別々になるだろうという期待と共に私は自分の意見を押し殺した。新婚というものは、一緒にくっ付いて寝なければならないらしい。抱きあって睦みあって寄り添いあって寝る、というのが美しき新婚夫婦の床寝、だから私は大人しく我慢するのだ、彼を愛しているから。
 彼を起こさないように身体を床に滑り落とす形でベッドから抜けて、ストールを巻いてジェラードピケで買ったふわふわしたルームシューズを履く。彼が一緒に行った時に選んだニーハイタイプのロングソックスはショートパンツを履くことが大前提になっているもので、一晩二晩ならば我慢出来るけれど一緒に暮らし始めた今では防寒の面で意味を成さず箪笥の肥やしとなっている。真冬にトランクス一枚と靴下で居るようなものだ、布団の中ならまだしもルームウェアとしては難しい。付き合っていた時代は家の中で肌出しが基本だった装いの私が、今は完全防備がメインになっている。ストーブがタイマーに合わせて動いているのを確認すると、嗽をして寝起きの顔を洗い、オールインワンのクリームを塗りつけてキッチンに向かう。ひやりとした空気が少しずつ暖気に侵食されてくる、一人のこの時間は大好きだ。
 エプロンを着けてキッチンで朝食の支度をする。このエプロンは結婚祝いだと彼の友達が持ってきてくれたものだ。ワンピースのような可愛らしいデザインで最初はどうだろうと思ったが、案外使い勝手が良く、愛用させて貰っている。朝食を前はご飯とパンを聞いていたが、家の近くに美味しいパン屋さんを見つけて平日はパンにしようと話し合って決めた。テーブルの真ん中にパン篭を置いて、牛乳とブラックコーヒーのペットボトル、マグカップを用意する。お湯を沸かしてティーポットに紅茶淹れるのと同時に、横の片手鍋にコーンスープの缶を開けると温まってから少しずつ牛乳を入れる。私は朝は紅茶と豆乳を飲むけれど、彼は自分で配合したカフェオレとコーンスープを飲む。両方用意するのが特に苦でもないので、譲る気はなく、食卓にはそれぞれの飲み物が並ぶ。最初は手作りしようかと思っていたコーンスープもホテルの缶詰がとても濃厚で美味しいことを知り、それを利用している。昨日の夜のうちに洗って千切っておいたレタスに胡瓜とミニトマトを添えて、まとめて作ってあるポテトサラダとハムを置いていく。出来上がったコーンスープをスープカップに注いで、テーブルにそれらを並べて淹れた紅茶で一息つく。胃の中に温かいものが広がって、鼻をイングリッシュブレックファストの良い匂いが通り抜ける。その後、新聞を取りに行って、一面記事を確認しながらキッチンに戻って豆乳を電子レンジにセットする。新聞は二部取っていて、各紙の一面を読みながら紅茶と豆乳を飲み終えると、寝室に一度戻る。
「あなた、起きてください」
 目覚まし時計はただただ時刻を伝える機能しか使われておらず、私は夫を揺さぶりながら笑顔を作る。夫は重たげな目を微かに開きながら、おはよう、と言うと布団にもぐりこむ。布団ごと抱きつくように揺すると夫は完全に起きる。お寝坊さん、などと反吐が出そうな言葉と共に頬にキスをして身体を離すと、私は寝室の鏡台で軽くパウダーファンデをはたいて眉毛とアイラインを引くとキッチンに戻った。
 コーンスープのスープカップを電子レンジに入れて、新聞を綺麗に畳んで彼側に揃える。電子レンジの時間を間違えるとスープに薄膜が出来てしまうから、彼がこの食卓に現れた途端にセットする三十秒という時間が大事だ。冷蔵庫から無糖ヨーグルトの容器を取り出してガラス皿に盛り付け、予めブレンドしておいたブルーベリーとクランベリーミックスベリーの粒を載せて、蜂蜜を一滴だけ入れると、荒くかき混ぜる。それに小さなティースプーン添えてテーブルに出す。コンロに戻るとフライパンを弱火で温めて、その間にメレンゲ作って黄身と合わせる。温まったフライパンにバターを溶かすと卵を入れて、粉チーズを散らすと丁寧に形成する。皿に盛ると、今日も綺麗に出来た事に満足して落とさないように運ぶ。箸立てを出して、ナプキンを配置する。
「おはよう」
 ワイシャツとスラックス姿の彼が起きてきて、自分の席に着いたので、おはよう、と返事をしながら電子レンジのボタンを押した。彼はテレビの電源を入れてから食卓について、横にある新聞を開きながらマグカップに牛乳を注いでいる。パン温める?と聞くと、うん、と返事が来た。チン、と電子レンジが止まって、スープカップを取り出すとそれにパセリと胡椒を散らして彼の元に置いて、トースターに入れたパンの様子を見た。
「今日も遅いのかしら、夕飯はどうしたらいい?」
「うーん、わからないな。帰れたら早く帰ってくるよ」
「そう、美味しいもの作って待っているわね」
「そっか、頑張って帰ってくるよ!」
 無理しなくていいわよ、と笑顔で答えて焼けたパンを差し出すと目の前に座って、残っている紅茶をカップに注ぎいれた。本当に無理なんかしなくていい、そして出来るならば早めに帰って来れない連絡をして欲しい。少し温くなった紅茶を口に含む、香りが薄くなってしまっていてあまり美味しくない。今日の予定を適当に聞いて、自分の予定も伝える。今日はドラックストアのポイント倍サービスデイなのでそれに行くくらいしか予定は無い。あまり天気も良くないし、洗濯も出来そうにない、ただクリーニング配達が来るから長時間外に出れそうにもない。風呂の大掃除でもしようかしら、と考える。
 彼が無言でご飯を食べている前で笑顔を崩さないようにしながら朝食を口に運ぶ。彼の動向に目を光らせながら、クロワッサンをパン屑を零さないように気をつけて咀嚼する。
 テレビからは今朝のニュースが流れていて、お互いに酷いね、だとか、そうなんだ、だとか適当な感想を言い合う。たまに話し合うこともあるけれど、あまり喋り過ぎると議論のようになってしまうので、知らなかったーなんて言葉で濁している。褒めておけば男女関係は上手くいく、そうやってここまでやってきたのだ。
 
 彼と玄関でいってらっしゃいの挨拶をしながらも一緒にゴミを持って家を出て、当然私だけ一人帰ってくる。食卓に綺麗に重ねられたお皿を見て溜息をつく。運ぶのには有難い、有難いけれど、油を使っていないコップやヨーグルト、サラダの皿はお湯や水で洗って、オムレツとパンの皿は洗剤で洗いたいのだ。けれど、皿の大きさの問題で下からパン、サラダ、オムレツ、ヨーグルトの順で重なっていて全て洗剤洗い行きだ。そのままでいいよ、の私の言葉は本当にその通りなのに上手く伝わった事はない。結局私の皿も彼と一緒の時間にゴミ捨てに出るので放置したままには出来ず、重ねてしまわなければならない。ああ、上手くいかないものだ。
 それでも日中一人で好きな要領で家事を出来るのはとても気が楽だ。余計な横槍で仕事が中断するのが面倒だったので、専業主婦という仕事の凄く気楽な点だと思っている。朝食の皿を洗ってから、リネンを替えて、布団乾燥機をかけて、上から下にかけて軽く拭き掃除をする。さっと髪の毛を整えて化粧を直すとドラックストアに向かった。今朝チェックしたチラシに柔軟剤と生理用品が安くなると載っていた、いつも買うペットボトルや豆乳の紙パックも忘れずに、と考えながら車に乗る。買い物と彼の送迎ぐらいにしか使わない車は、未だにあまり慣れない。買い物を終えて家に帰ると、昼食、面倒臭いからご飯を盛って用意してある海苔やら梅干やら鮭フレークなんかでおしまいだ。食べたい時は食べる、食べたくない時は食べない、それが可能なのがお昼でとても楽だ。ゆっくりと食後のお茶を味わう。ぼんやりしていると、結婚とはなんだろうな、と考える。独身だった時仕事一筋で恋愛など二の次で後は趣味のライブに通う生活していて、終電で家に帰ってきてコンビニで買った弁当を部屋で食べて、パソコンで次行くライブを調べていた時、ふと、ずっと私は私のことばっかりで生きているな、と思った。自分のために仕事、趣味、孤独にワンルームでコンビニ弁当、自分のために生き、自分のために暮らし、自分のために消費している。もう、自分のためいいや、他人のために生きたい。そう深夜一時過ぎに悟ったのだ。そこから一気に婚活を始め、花嫁修業を始め、今の旦那を見つけ、自分の中のチェック項目をクリアした一番良い異性だったので尽くして結婚にこぎ付けた。そう、彼のため、彼のために生き、彼のために暮らしたいという希望はある意味叶っている。今現在、彼を無償に愛するというやりたい事を成し遂げているのだ。お茶が無くなったので、休憩を終えて立ち上がった。
 クリーニングに出すワイシャツの汚れやボタンをチェックする。以前そのまま出していたら染みがあったようで、染み抜きしておきました、と結構な値段取られたし、確認していない怠慢を責められたような気がして不快だった。だから今は毎回出すシャツを確認している。クリーニング配達を待ちながら風呂掃除をいつもより念入りにしていると、それに集中してしまったようで気付いたら玄関チャイムが鳴っていた。急いで手袋を脱いで、インターフォンで対応すると玄関に走る。玄関に既にワイシャツや背広入りの籠を置いてあるので、笑顔で迎え入れて籠の中身を確認してもらう。
「お待たせしちゃってすみません」
「いえいえ、結構寒くなってきましたよねー」
「そうですよね、私もさっき外出てびっくりしちゃいました。コート厚めでマフラーとか完全防備じゃないといけませんよね!」
「私も回っていて結構風冷たくてびっくりですよー」
「わかります。ストールとかもクリーニング出せますよね?」
「はい大丈夫ですよ」
 クリーニング配達は少しどきどきする。最近急に担当替えがあって、今来てくれている男の人は一週間前からなので、まだ人となりがよくわからず、赤の他人を部屋に入れる怖さが残っている。嘘っぽい笑顔が少し苦手で、今まで来てくれていた人が人の良さそうなお婆さんだったので余計に薄ら寒い。なので玄関も常に綺麗にして、鉢植えを置いて花を飾るようにしている。綺麗にしておかないと怖いのだ、何となく。
 配達業者の方を見送って、風呂掃除を終わらせて夕飯の買い物に出る。美味しそうで新鮮な食材を選んでいると、彼から連絡が入った。今日帰れそう、という通知だった。複雑な思いを抱きながら、急がなければと食材をさっさと選んで家に戻った。夕飯を作り、お風呂を沸かし、タオル等を用意して、彼をお出迎えして、ご飯を食べて、片付けて、手早く風呂を済ませて、手早くスキンケアをして、ずっと笑顔でずっと笑顔で。
 彼の横で床に就く時、何故か酷く疲れていた。抱き寄せられる腕も重たく、面倒臭く、でも恥ずかしそうに寄り添った。ああ、明日も五時起きだ……。

 朝目覚めると隣に彼は居なかった。驚いて跳ね起きて時計を見ると七時をさしていた。
「えっ!!!」
 ストールを羽織ることも忘れて食卓に急ぐとそこにはいつも私が行っている通りの朝食が並べられていた。コーヒーと牛乳パックとマグカップ、パン篭と温めたパン、スープカップ、サラダの皿は綺麗に盛られていて、ヨーグルトと厚めのオムレツ、箸立てにナプキン、私側には紅茶のカップが置いてある。彼は私に笑顔を向けて、おはようと言った。
 どうして笑えるのだ、どうして怒っていないのだ、私は私の役割を出来なかったのだ。
「ぐっすり寝てたから、たまには息抜きするといいよ」
「ごめん、ごめんなさい。あの……色々、ご飯、わかった?」
「ある程度は、でもオムレツが君ほどふわふわにならないんだ。てかそんなに急がなくて大丈夫、寝てていいよ、ゴミ出しもして会社行くよ。疲れが溜まってたんだよ、君はいつも完璧だから」
 それはだって、貴方を愛しているから、無償に愛しているから、完璧じゃないと無償に愛していることにならないから。それなのに貴方は何でも出来るんだ、私を必要としないんだ。
「あり……がとう。でも、ゴミ出しとか、するから」
「大丈夫大丈夫」
 笑う彼に何かが違う、と思って吐き気がした。違う、互いに協力し合って、お互い補い合って、そんなのは私が人のために生きていることにならない。貴方が稼いでくる分、人並み以上に家事をしなければ私が貴方のために生きていることにならないのだ。
 朝日が降り注ぐ窓から、今日はとても良い天気であることを知る。
sage