Neetel Inside ニートノベル
表紙

楽園のオタク
第一部

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 某月某日某所。

 日本の奥地には、オタクの理想郷があった。
 オタククリエイターとオタク消費者の街。
 少数の作家やイラストレーター、アニメイター、プログラマーなどのクリエイターは世界中のほとんどのオタクコンテンツを生み出し、大多数の住民はそのレビューをするだけで食っていた。
 あるいは、普通に生活に必要な飲食や小売を生業とする人たちもいた。
 しかしその中身はみなオタクコンテンツ消費者であった。

 そんな、周りから隔離された小さな町の話。

 街の中心部、高級住宅街に住む人たちは様々な人がいる。
 高坂綾香は、15歳までに海外で大学を飛び級で卒業し、日本に戻りなぜか声優を始めて、この街に移住してきた。売れっ子声優、その信者は多い。
 だがこの街においてそのようなアイドル的な立場にいる人間はかなり尊重されており、外の世界のようにストーカーの被害に遭うこともない。そんなことしたら村八分になってしまうからね。案外治安のいいところなのだ。
 
 しかし常に無問題とはいかない。今日は街の酒屋で一人酒を飲んでいたところを、尖った若者達に囲まれていた。所詮イキっただけのオタクである、たいした輩ではないが、ねちこく絡みつき、綾香を帰そうとしない。
 
 「俺は関係ないですから」と余所見を決め込む客達。あるいは、彼女が高坂綾香と知っておりオロオロ辺りを見回すもの。この街の警察機能は非常に脆弱である。誰もがいやらしい目で彼女に迫る不届きな輩を前に、一歩を踏み出せずにいた。
 そんな中、立ち上がった男が一人。
「おい。あんたら、やめなさいよ」
男は酒に酔っていた。別にイケメンとかマッチョではない。ただのオタクである、しかもその姿は筋骨隆々というわけでもない、ヒョロガリである。
掛かったな、とばかりに絡んでいた男達はニヤ付き始める。しかし若干挙動不審である。
「おうおう、俺たちに逆らうとはいい度胸じゃねーか」
勇気は(ここで立ち上がった男の名は奇遇にも勇気であった、今回は勇気というより酩酊による気まぐれだが)、一つ大きく息を吐き、今自分の相手にする男、多少でしゃばることを覚えただけの弱そうな男3人組をねめつけた。この街には単独行動を敷くオタク達が多い。ちょっと"友情"を覚えただけの特に武力のある男とも思えなかった。
 
 そして高坂綾香の目の前である。ちょっといいところを見せてカッコつけてやろうと思い、チラと目線を送ると、なんと、高坂綾香はスマホを見て髪をいじっているではないか。
 すわ、俺の判断は間違いだったか、調子に乗るんじゃなかった、と後悔した瞬間。
 三人組の一人の拳が勇気の左頬を掠めていた。勇気はバランスを崩し、よろける。
「チッ。避けるのだけは一人前か」
勇気は殴られることに気付きもしなかった。男のコントロールが悪いだけである。
 気のせいだろうと思いもう一度高坂のほうを盗み見る。
 相変わらずスマホを見ている。それどころかくすりと笑っている。
 高坂はたしかに、背が低くて茶髪のショートで、ギャルではないけれど、かなり派手な女の部類であった、しかし、何だろうこの感覚は。今一人の男が彼女を救うために身を挺しているというのに、何だろうあの無責任さは?俺に対してなんら感謝も、健闘を祈るような動作もないではないか。
 「マジかよ…」俺は小さく呟き、ここで手を出すのは無益であると判断し、すっと後ろを向いて「んだよ、逃げんのかよ!」となおも粋がる三人組を無視し、御代を払い、店を出て行った。
 俺だって人を殴ったことなど、ない。

 そして大通りを少し歩き、オタクショップならびにメイド喫茶ばかり並ぶ胡散臭い通りから一本はいり。少し坂を上ったところにある、自宅に帰り着く。
 小さなアパートの二階、角部屋。ドアを開けると、所狭しとタペストリーが貼ってある。
 洗面台で手と顔を洗い。ふと顔を上げると、鏡の中にはCV高坂綾音のピンク髪のキャラがこちらを見てはにかんでいた。
 「なんだかなあ」と俺は呟き、顔をタオルで拭き、部屋に入る。そして、ベッドにダイブ。
 今月のノルマのレビューは終わったから、もうするべき仕事はない。
 あとは来月になるまで、ただ好きなゲームなり漫画を読み、レビューを描けば、お小遣いが手に入る。
 信じられないくらいゆるい生活だ。これも海外の金持ちのオタク趣味のおかげである。
 噂ではアラブの石油王がオタク趣味にドハマリしてしまい、この街まるごと作ったという噂もある。
 あいつらは金銭感覚が可笑しいからな。見たこともあったこともないけれど。

 ドンドンドン、ドンドンドン。
 俺は長い昼寝から目を覚ました。日が暮れている。時計は午後7時を指している。
 誰だろう。ドアを開けると、いかつい男が二人並んでいた。
「また男か。今日はやたらと絡まれるな、だから街は嫌いなんだ」
「寝言は寝て言え」二人組みは俺の両手に手錠を掛け、頭に白い布を被せ、担架に俺を縛り付けた。
「!?」俺は声にならない声を上げた。体を動かし抵抗する。まともに動けないのは運動不足のせいではなかろう。きつく縛り上げられていた。
「ちょっと待ってくれ。これはどういうことだ」
「弁解は牢屋で聞こうか」
俺は車に詰まれ、車酔いで戻しそうかという所で下ろされ、担ぎ出され、顔を覆う布を外されるとそこは牢屋の中であった。
 男達は俺の質問には何も答えず、すがりつく俺を無言で蹴散らし、牢屋の鍵をかり、出て行った。
 外から虫の鳴き声がする。静かな秋の夜だ。

     


 俺は牢屋の中で目を覚ました。
 牢屋の中には筵と毛布が敷いてあって、望外に暖かい牢の中ではそれだけで充分に暖を取れた。
 そして朝である。ドタバタと階段を下りる音がして、一人の女性が俺の牢の前で立ち止まった。
「すみません。連絡が来るのが遅くて。今ご飯をお持ちしますので!」
女性は俺が話しかけるのも待たず、ドタバタと掛けていった。
 黒髪が綺麗な女性だった。俺より少し年上だろうか?
 ここは何なんだろうか。この街にはとくに刑務所も拘置所もないはずである。
 重大な犯罪を犯せば街の外に収容されるという噂はあるが、移動距離的に言って街の中にいる可能性が高い。そして先ほどの女性である。ここは誰か、この町のラスボス的な人物の私的拷問施設であると推察された。そして先ほどの女は、いや、わからない。彼女は何者だろうか。
 「お待たせしました」
裏返った声と共に現れた女性が手にしていたのは、パンとヨーグルト、ハムエッグと果物の載った粗末なプレート。
 昨日の酒場から一度も食事をしていなかった俺は無言で檻のスキマから出されたプレートを受け取り、手づかみでその朝食を一息に食べ終わり、その終始をニコニコと見つめていたお姉さんと目が合い、少し照れた。
「昨日の晩から食べてなかったんですか?」彼女は笑顔を崩さずに僕に問いかける。
「は、はい」実は昼からなんだけどな。
 僕は居住まいを正す。
「あの、それでここはどこなんですか?何のためにここに連れてこられたのですか?」
「貴女は綾香に酒場で手を出したということですが」
 ちょっと笑顔を曇らせて彼女が言い放った。
「えっ、そんな。俺はむしろ、綾香さんを守ろうとして前に出たのです」
「で、どうなりました?」
俺はあのときの事を思い出した。良く考えると俺は特に何もしていない、スマホをいじっている高坂を目にして急激に萎え、その状況を放置して店を出てきてしまったのだ。
「…確かに、僕は彼女を救い出せませんでした」
「救い出せなかった?貴方は何か宗教にでもハマっているの?」
「いや、違います。綾香さんは不良の端くれに絡まれていて、そこを助けようと思ったのですが、どうも綾香さんはそんな状況にはお構いなしという感じで、それで、僕は萎えてしまって、その場から逃げてきてしまったんです」
「なるほど。あなたは加害者ではないのですね」
「はい」
「そういえば、お名前を申しておりませんでしたね。私、綾香の姉で静香といいます」
「お姉さんだったんですね、このたびは失礼しました…」
俺は恐れ多く思い、深くお辞儀をした。
「いえいえ。顔を上げてください。それであなたは?」
「私は近藤勇気です」
「勇気さんね。いい名だわ」
「まあ勇気を出せなかったわけですが」
静香さんはくすりと笑った。
「では誤認逮捕というわけですね。妹を説得してきますので、少々待っていてください」
「かしこまりました。よろしくお願いします」
僕はまだ出れないのか、と落胆し、筵に寝転び、小汚い天井を見つめた。
今日は毎週読んでいる漫画雑誌の発売日である。
しかし今日中にはここを出て、読めるだろう。
一つあくびをかまし、俺はうたた寝を始めた。

     


 しかし僕は目を覚ましたのは夕方。日の暮れる頃、牢の中にも斜陽が差していた。
 これはおかしい。静香さんは綾香さんを説得に行き、俺は晴れてシャバに出れるはずだったのだ。
 何なら綾香さんから直接お詫びの品でも貰えるのではないか。そう思っていたが。
 そして小腹が空いた。昼も食べていないのである。
 
 俺は聞き耳を立てる。特に動きはない。
 ここはどこだろうか?檻のスキマから目を凝らし、窓のほうを向くが外は遠くの山と空しか見えない。
 俺は急に不安にかられる。静香さんはウソを付いていたのだろうか?それとも俺の事を忘れて今頃ディナーにでもふけっているのだろうか。
 胡坐をかいてすわり、俺は羊の数を数える。
 落ち着け。今の俺にはどうしようもないのだ…

 たっぷり日が暮れた夜。
 こつ、こつと音を響かせ、その女は現れた。
「ごきげんよう、こう言ったらあんたは喜ぶかしら?」
高坂綾香だ。俺は度肝を抜いた。
多分声を当てたキャラの真似をしているのだろうが。それよりも格好である。
ダサいデザインのTシャツに下はスウェット。そしてアイスを手にしている。
「何とか言ったらどうなの?」
俺は久しぶりの会話のせいか、状況に驚いていたせいか上手く声を出せず、辛うじて言った。
「ここから出してくれないか?誤解で捕まったという話は伝わってないのか」
「誤解じゃないわよ。アンタは酒屋で私を助けずに逃げていった腰抜けじゃない。あの後大変だったんだから」
「あー、それについては謝ります。すみません。けど」
「けどじゃないわよ。あんたが悪いの。だからここで暫く頭を冷やしていなさい」
言い放って綾香は立ち去ろうとする。
「ちょっと!」
俺は声を上げる。彼女が振り返る。
「なに」
「パソコンとスマホをくれないか。俺は飢え死んでしまう」
けらけらと彼女は笑った。
「渡すわけないじゃない。ここは牢獄なのよ?」
「いい加減にしてくれ。そもそもいつまで閉じ込める気なんだ」
「私の気が済むまでね」
「出て行ったら一生悪口をネットに書き込んでやる…」
「なら出さないわ」
俺は絶句した。
「そういう陰湿なところも直しなさいよ。あんたみたいな豚にはお似合いよ」

こうして俺の監禁生活は始まった。

     


 監禁されて数日目の朝を迎えた。
 ネットもパソコンもスマホも無しで僕は精神的にかなりダメージを受けていた。
 何よりも孤独がしんどい。毎朝食事を持ってきてくれる静香さんと会話するだけ。
 彼女も妹の暴走を止められないらしい。ここの鍵も持っていない。
 何より綾香の稼ぎで暮らしている身である。彼女の言うことは絶対なのである。
 こりゃ綾香の性格も歪むわけだ。

 夕方に綾香が来た。今日も胡散臭いローマ字Tシャツにスウェットである。
 少し汗をかいた痕がある。仕事帰りだろうか。

 僕の牢屋の前で立ち止まる。
「あらあら、まだこんなところにいたの?」
「ああ、誰かさんのおかげでね」
 彼女はケタケタと笑う。
「脱出しようともしてないくせに」
 僕はまさかと思い扉をガタガタと揺らす。当然空かない。
 窓にはめられた鉄格子を揺らす。ぴくりともしない。
 俺はため息をつく。
「何とか言ったらどうなの」
「いつになったら気が済む?ここで裸踊りでもやればいいのか?」
彼女は顔を赤くする。
「何よそれ。馬鹿にしてるの?」
ほう、と俺は意外に思った。こんな女にも恥らう感情は残っていたのだ。
「そんな下らない事を言ってるうちは出せないわね」
「仕事はどうだった?今放映中のあのアニメの声でも当ててきたのか?」
「そう。また先輩のOさんにセクハラまがいのことされたわ」
「あーあれ噂どおりだったのか。何で干されないのかな」
「まあ実力もそうだけど、親の政治的影響力とか何とか…」
「逆らえないわけだ」
「世の中は甘くないのよ。あんたが思ってるほどににはね」
「その上から目線何なんだ?確かに俺はニートだったけど。この街ではきちんと仕事をこなして報酬を貰ってる身なんだけど」
「ただの消費豚で余計に貰った小遣いはメイド喫茶に注ぎ込んでる癖に生意気ね」
「!?何でそれを知っている」
少し間がある。
「えっと、あなたを捕まえてから調べたのよ。素行調査ね」
「ふーん…」
「まだ反抗の色を見せるなんて、反省がないみたいね。今しばらくここで」
「なあ、腹減ったんだけど」
彼女はわざとらしくため息をつく。
「しょうがないわ。静香に今持ってこさせるから」
「あとお姉さんをそんな顎で使うのもよくないぞ」
「うるさい。あんたは私のオカンか?」
「そうだけど」
俺はキレ気味に言い放つ。
彼女はこれみよがしに舌打ちして出て行った。

     

 
 朝静香さんが来て。少しだけ話をした。
 外の世界は平和である。今日も色んなアニメが放映されて、雑誌が出て、漫画が出ていた。
 みんな俺がいなくてもきちんと生きている。誰か俺を気に掛けている人がいるだろうか?
 SNSのフォロワーは気にしているかもしれない。僕は何せ毎日千人近いフォロワーと交流していたからな…
 でもそれも今思えば虚しい話である。俺がいなくても、ほとんど何も影響がない。
 仕事がしたいなあ、と少しだけ思った。
 俺がいなければ回らなくて。俺の存在が渇望されるような職場。
 俺は誰にも必要とされていないのだ。取替え可能な部品。
 それでいいと思っていた。でももしかしたら違うのかもしれない。

 俺は胡坐を書いていたのをやめて、少しだけ正座をした。
 そしたらちょっとは脳みそがまともになる気がした。
 でもひざが痛くなってきて、すぐ横になった。

 夜。
 足音を殺して、綾香が近づいてきた。
 トレーに食事を持っている。味噌汁と鯵の干物とご飯と漬物。
 彼女はそれを持って、俺の牢屋の前で突っ立っている。
「やけに家庭的な食事だな」
俺は努めて冷静に言った。
「…怒ってないの?」
「…。そりゃあ怒ってるさ。でも君は怒ったってどうもしてくれないし」
「そう」
彼女はトレーを足元に置いた。
そして檻を挟んで反対側に座る。
「私のパパはね、すぐに怒ったの」
「怒った?」
「そう。いつでも私が失敗するのを待っていたかのようにね」
「でも飛び級で大学卒業だろう?特に恥じるような経歴でもないだろ」
「完璧じゃなければいけないの。それがパパの考え方だった。私ならもっと上手くやれるって」
「ふーん」
「随分気のない返事をするのね」

俺は黙った。彼女は何を求めているんだろう?何故こんなところで自分語りを始める?
「それで?今はこの街に来て、父親からも解放されて幸せになったのか?」
「幸せ?」
「少なくとも怒る人がいなくて気楽にはなったろ」
「気楽、そうかな…。今度は一人で決めなきゃいけなくて、それで大変」
「お姉さんは?」
「色々手伝ってくれるわ。でもあくまでもサポートしかしてくれない」
「声優になるのは自分で決めたのか?」
「そうね。アニメとかゲームが好きなのは自分の趣味だったから。何かやりたい仕事をやろうと思って。パパの反対を押し切って、それでこの街にきた」
「よかったじゃないか。何の問題もない」
「私はパパ無しじゃ生きていけないの」
「なぜ」
「貴方さっきから質問ばかりね」
「当たり前だろ。俺は君の事なんて何も知らないんだから」
彼女は寂しげに微笑んだ。
「たしかに」
「私はね、何でも言うとおりにこなすことしかできないの、だから声優の仕事も上手く行かないし」
「そうか?充分出来てるだろ」
「それは見た目だけの話よ。毎日現場では怒られて、マネージャーには圧力を掛けられて」
「ならやめりゃあいい」
「え?」
「俺みたいにただただオタクコンテンツを消費する豚になればいい。こんな豪邸売り払ってさ」
「それは素敵ね」
「素敵ね、じゃあないんだよ。やるんだよ」
「えっ…」
「手始めにこの牢屋を解放する」
「ふふ」
初めて彼女の笑顔を見た気がした。
「ほら、鍵。開けるよ」

俺は姿勢を正した。扉が開く。
「アアアアあああああ!!!!!!!!!!」
俺は大声を出した。綾香は度肝を抜いている。
「え?なに?なんなの?レイプするの?」
彼女は両手で肩を抱いて俺を見上げた。

フーッ、と俺は大きく息を吐いた。
「自由だ」

     


 その後。
 彼女は僕のアパートの隣の部屋を借り、毎日の様にアニメ視聴漬けで、毎度毎度レビューを書くたびに気に入らない声優をボロクソにこき下ろして生活している。彼女の的確すぎる毒舌と文章力は各方面で話題を呼び、一流の消費者になっていた。 
 そして彼女の抜けた穴を埋めるべく、地上波では今宵も新人声優が棒読み演技でメインヒロインを演じていた。
 僕たちはそれを、ポテチを食べながらゲラゲラ笑って見ていた。

       

表紙

496 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha