Neetel Inside 文芸新都
表紙

屈託のない人に用はない
思ってもみなかった混乱の入り口

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 退院後、私の頭はおかしくなった。
 でも先に言っておくべきだと思うのだけど、産後の母親がみんなそうなるわけではない。
 産んですぐに、赤ちゃんかわいくって幸せだよ、と微笑める人もいる。かわいくてかわいくて一日中抱っこしていても疲れない! という人もいる。私にも母性という未知のパワーが湧いてきてたぶんそうなるのだろうとぼんやり思っていた(というか当てにしていた)のだけれど、ならなかった。その辺は産後の体調やもともとの性格、周囲のサポートや赤ちゃんの様子(よく寝るか、どれくらい泣くか、とか)に影響されるのかもしれない。ホルモンバランスの乱れのせいだとも言われるが、数値化もできなければ個人差も大きくてよくわからない。たぶん私はそこそこひどい状態になった方だと思うのだけれど、とはいえ周囲のサポートもあり、娘だってそこそこ楽なタイプだったようだし、それなりに恵まれている産後だったはず……なのにばっちりおかしくなってしまったのは、元来の性格のせいでもあったのかもしれない。妊婦エッセイで「産後うつやノイローゼになると思う」と書いていたが、やっぱり実際になった。追い詰められておかしくなった。脳がぐちゃぐちゃになるかと思うくらい限界の日々だった。しかしひと月後、意外な出来事によってそんな生活が急にふと途切れることになる。
 とはいえ、とりあえずはおかしくなった過程について少し書いておこうと思う。

 まずぶつかったのは母乳の壁だった。
 退院後しばらく、私は混合授乳を続けていた。これは母乳とミルク両方を与えるということ。母乳だけで足りる場合は完全母乳育児、完母と呼ぶ。この単語は、産後の母乳量が十分でない母親たちにとって憧れの響きとなる。それどころか、ミルクという不純物を弱々しくこの上もなく純粋な存在である我が子に与えていることに後ろめたさと敗北感を覚える人もいる。私もそうなった。母乳だけで足りない自分がもどかしく情けなかった。いま思えば情けないと思ったってどうしようもないし、初産婦は特に母乳が安定するまで3ヶ月かかるとも言うし、ミルクでも赤ちゃんはすくすく育つし(もちろん)、なにひとつ焦ることなんてなかったのだが。
 けれど、真夜中に起きて30分くらい母乳を与えるのに格闘し、その後娘の様子をしばらく見守りながら足りなければ台所に行き哺乳瓶にミルクを作り、適温まで冷まし、授乳し、その後また哺乳瓶を洗ってレンジで消毒してから眠る……という作業を一晩に3回。それが辛くて、ミルクを作らずに済めばもっと眠れるのに、と果てしなく苛つきながら毎夜台所に立っていた。更に娘は哺乳瓶でミルクを飲むのがとにかく下手でむせたりこぼしたり、やっと飲み終わったと思ったら全部吐くこともしばしばで、吐き戻されると自分の授乳の仕方がよくなかったのではないか、やっぱりミルクだからこうなるんじゃないか、こんな生まれたての赤ちゃんに不要な苦しみを与えるなんて……と(いま思えば無意味に)落ち込んでしまうので、早く完母になりたかったのだ。
 その頃は本当に要領が悪くて、毎回洗って消毒までする必要があるのは哺乳瓶が1本しかないからだと友人に指摘されてその後3本揃えたり、娘に合うむせにくい哺乳瓶をなんとか見つけたりして、少しはミルクを取り巻く環境も楽になったのだけれど、それでも自分の母乳量が十分ではないという後ろめたさは消えなかった。
 母乳育児の世界というのはけっこう特殊で、「あなたが苦労すればするほど赤ちゃんのためになる、育児は我慢と根性だ、楽をしようとか夜にぐっすり眠ろうなんて考えてはいけない、真夜中こそ赤ちゃんが寝ていても起こしてでも授乳するべき、それはむしろ幸せなこと」という昔ながらの価値観を強烈に抱えたオピニオン・リーダーがそこかしこに存在しており、あるときはスパルタ式に「ミルクを与えるのは赤ちゃんを蔑ろにする自分本位な行為だ、あなたは間違っている!」と訴えてくるし、またあるときは聖母のような様子で「やっぱり赤ちゃんには母乳が一番、ちょっと眠くて大変でも、質のいい母乳を作るため自分の食べるものを制限してもそれは赤ちゃんのため、がんばりましょう」と口調は優しいのだが内容はスパルタ式と大差ないことを言ってくる。
 言ってくるというか大多数はネットの世界に存在しており、自分からアクセスしなければそんな意見を聞かずに済むのだが、なにせ初めての赤ちゃんを抱えてもっといい方法はないのか、やっぱりミルクをあげない方がいいのか……と悩む母親の情報源は極めて限られており、結局すがるように手近のスマホで検索してしまう。
 そして同じように完母にしたいともがく母親たちが「3ヶ月までは気合いでがんばります」と書いていたりして、それを読むと自分も頑張らなければ、この小さな赤ちゃんの人生の始まりに汚点があってはならない……と、わが子の全生涯を背負うかのような悲壮な覚悟をもって母乳育児に臨むことになる。
 思い返すと愚かしい。
 覚悟したところで母乳は充分には出ず、1時間おきに腹が減ったと泣く娘に乳をくわえさせる。テレビを見ながらの授乳は子供の心を殺します、とどこかで見た謎の意見を思い出しながら、宙をぼんやり見つめたり首の痛みをこらえて娘の顔を見下ろしながら30分。こうなってくると授乳は苦行でしかない。幸せな時間のはずなのにどんどん心が死んでいく。
 常に寝不足、その上自分の時間というものがまったくといっていいほど存在しない日々。とにかく娘が泣くたびに私がどうにかしなくては、赤ちゃんが泣いているのに自分が寝たり休んだりするなんてそれは母親としてというよりはもはや人間として失格なのだ、と思い込んでいた。もし私が眠っている間になにかあったら? と、わずかな時間眠りにつくたび後ろめたい。自分の楽しみに時間を使うこともためらわれて、ちょっとテレビを見ることさえできなくなった。誰にそう言われたわけでもないのに。だから家族が手伝ってくれている昼間も限界なほど眠いのに目をつぶっても寝付けないし、もし泣き声なんか聞こえようものなら動悸がして頭の中に警報が鳴り響き、赤ちゃんのそばに行かなければ、私がなんとかしなければと立ち上がる。毎日のシャワーさえ一刻を争うように浴びていた。そして泣き止まない娘を抱っこしながら、自分で産んだ娘なのに抱っこで安心してもらえない、きっと私が充分な母親ではないからこの子が泣き続けるのだ……とまた敗北感。
 次第に、夜が来るたびに泣きそうな焦燥感でイライラするようになっていった。今日はどのくらい眠れるんだろう。夜中は母乳だけで足りるだろうか。飲み終わったあとはすんなり寝てくれるだろうか。また1時間半泣き続けるのではないか。通しでやっと1、2時間眠れるかどうかの夜、これはいつまで続くんだろう。体力もまだまだ戻らない。昼に少し動くと夜になって恥骨が痛くなってくる。骨盤周りに負担がかかっているのだろう。腰も手首も痛いし、歩き出す時に足首に激痛が走る(この関節の痛みは産後4ヶ月まで続いた)。夕方の沐浴のたびに腰を抑えてうめく。今まで腰痛なんてなったことなかったのに。
 とある朝方、娘が泣いて起きる。1時間半くらい眠っただろうか。無理やり身体を起こしてどうにか母乳を与える。足りないようなのでミルクも作って飲ませる。うまく飲めないので何度もやり直して、どうにかげっぷをさせ、これで眠れる…とほっとした矢先、おむつからおしっこが漏れているのに気づく。服を脱がせてバケツにつけおきし、新しい肌着と洋服を着せる。うとうとしていた娘が覚醒してしまいまた泣き始めた。抱っこしてあやしてもおさまらないので、まだお腹が空いているのかなと更に少しミルクを作って飲ませる。もうふらふらだ。早く寝て……と痛切な思いでどうにか哺乳瓶を持っているくらいなのだが、飲み終わった瞬間に娘が全部を吐き戻す。鼻から口から大量のミルクが噴き出した。次は娘の洋服だけではなく私のパジャマ、シーツまで全部汚れた。ミルクじゃなかったんだ、無理に飲ませて苦しい思いをさせてしまった。消えてしまいたい気分で泣きそうになりながらまた着替えさせ、自分も着替え、シーツの上にとりあえずバスタオルを敷く。最初の授乳から1時間半が経っている。娘はようやく疲れ果てたように眠った。そろそろ朝食の時間だけれど力尽きて、私もぐったりと眠る。

 結局、退院後1週間もしないうちに私は追い詰められていった。娘をかわいいと思う瞬間がなかったわけじゃない。でも無表情な新生児と目があうたび、自分の至らなさを責められているような気がしてそわそわしてばかりいた。そんなはずないのに。
 思い返すと、私の生活は人が精神に異常を来たす構造そのものだった。眠れない、休息がとれない。義務感に捕らわれ、一つの物事に固執してそれが正しいと思い込む。外に出ず閉じこもる(これは産後やむを得ないことなのだけど)。そしてなにより、自分を責め続ける。
 世間はまだ連休で、夫も一緒に実家に泊まってくれていたので一日だけ夜中のミルクを代わってもらったけれど、同じ部屋に寝ているとどうしても夫が娘をあやしたりミルクをあげる気配で起きてしまい、やっぱり自分を情けなく申し訳なく思ったりしてぐっすりとは眠れなかった。(今思えば毎日夜中のミルクを任せたってよかったのだ……)
 夫はそんな私とは裏腹に、娘が寝ている日中はごろごろ昼寝をし、空いている時間は悠々とタブレットで漫画や本を読み休日を満喫していた。夜は娘の泣き声で起きてミルクをあげてくれることもあったけれど、大抵は起きなかった。それにイライラする時もあったけれど、自分と夫では立場が違うのだからゆっくりしていても当たり前なんだと何度も自分に言い聞かせていた。第一、里帰りが終われば全部1人でやらなくちゃいけないんだから。
 あるとき、腰と手首が痛くて立ち上がるのも辛く、寝転がっている夫に「そろそろおむつを換えてよ」と頼んだ。身体じゅうにぼろ雑巾のように疲労と倦怠感と苛立ちが浸み込んでいるのをどうにか押し隠しながら。夫からは「うん」と生返事。タブレットの画面を見つめて動く気配もない。
 2人の子どもなのに、私だけが生まれたときからほとんど休む間もない。24時間赤ちゃんのことばかり考えている。赤ちゃんになにか起これば全てが私の責任で、だからあらゆる可能性を考えて悩んでばかりなのに、夫はなんの責任もないから気楽に寝起きしてやりたいことだけやって悩むこともない、なにひとつ自分を犠牲にしていない。会陰も乳首も手足の関節も腰も恥骨も痛くないくせに。夜中に起きることがあっても毎回じゃない、それは私がやってくれるはずって思っているからで、でも私には後がない、私まで眠気に負けてしまったらこの子が不快で辛い思いをするかもしれない、飢えて死んでしまうかもしれない、私は母親だから絶対に逃げられない、産んだ以上はそれが当たり前なのはわかっている、でも私だけ、私ばっかりがずっとずっとずっと辛い。
 泣き喚いて全部をぶつけることもできず、手に持っていたおむつ(未使用)を投げつけた。柔らかく軽いおむつはぱふん、と夫の腹に乗っただけだったが。
「どうしたの」と起き上がる夫を、「私はどんなに身体が痛くても疲れててもやらなきゃいけないのに、なんですぐにやってくれないの?」となじった。夫はため息をついて、「やりたくないならやらなければいいじゃん。休めばいいんだよ。ちょっとおむつ換えが遅れたって死んだりしないよ」と言った。
 今なら、そうかもね、とは思う。たぶん夫は黙っていてもその後ちゃんとおむつを換えてくれただろうし。でもその時の私には、おむつ換えが遅れる=娘が不快感を抱く、というのが本当に苦痛だった。実際に娘がそれで泣いていなくても。自分の都合でおむつ換えを先延ばしにするのは、虐待とまではいかなくても、自分の休息のために娘を犠牲にしている最低の母親なのだ、と感じていた。夜中に起きずにいられないのも誰かに任せておけないからだ。とにかく全ての時間を、全ての体力を、全ての精神力を娘に注ぎ続けなくてはいけない、娘を少しでも苦痛や不幸が潜むものごとに晒すべきではない、本気でそう信じて実行しようとしていたのだ。
 それは生き物として、母親としての本能だったのかもしれない。私はありったけの全力で我が子を守ろうとしていた。その頃はそんな自覚もなくただただ必死だった。けれど問題は、私にその状態を維持するほどの体力も精神力もなかったということだ。眠れないのが辛い、身体が痛くて辛い。「さあおむつを換えようね」、優しく声をかけているつもりなのに気がつくと顔が笑っていない。娘を心底かわいいと思っていればこんな風にはならないはずなのに。育児を楽しむいい母親になりたいのに、休みたくて休みたくて堪らない。ここから逃げ出してしまいたい。産む前の、娘のいない世界が恋しい。そう思う自分が恐ろしくうしろめたく、それ以上にこんな母親を持ってしまった娘がかわいそうでならなかった。


 連休最終日、夫が東京へ戻る日、玄関で見送りながら心細くて私はぼろぼろ泣いた。夜の寝室で娘と2人きりになるのが怖くて堪らなかった。私が壊れたように泣くのを両親も夫も驚いていた。
 見かねた母が、一晩だけ夜のミルクを替わってくれることになった。でもそれも怖かった。普段の家事で精一杯な母に夜まで任せると、そのうち母の余裕もなくなり家中がめちゃくちゃになってしまうのではないか。私が不甲斐ないせいでみんなが迷惑を被ってしまう。
 結局その日、私は2階の自分の部屋で夜を過ごしたが、寝付くまで母乳のことばかり検索していた。母乳さえなんとかなればこの生活もどうにかたちゆくのではないかと思い込んでいたから。たぶん、この時点で既にほとんどノイローゼだったのだ。
 そして母乳量が増えることで、私はもっともっと追い詰められていくことになる。
 
 

       

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