Neetel Inside 文芸新都
表紙

屈託のない人に用はない
母乳で混沌

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 もともと、人より体力がない。理由ははっきりしないけど心身ともに弱い。だから結婚できるなんて思っていなかった。人並みに働けないし、自分で自分を支える能力のない人間に結婚は無理だと思った。なにより相手が気の毒だ。
 家を出ることさえできなかったけれど、とりあえず出来ることを増やさなくてはとひと通りの家事を身につけた。出来る範囲で一生懸命仕事をした。体質のせいでいろんな制約があったけれど、ひとつひとつ工夫したり努力しながら乗り越えてきた。人一倍制約の多い生活。それでも常に普通のことができない自分への後ろめたさは消えなかった。そのうちに、どうしたって立ち上がれないと思うくらいきついことがあってノイローゼになって、文字通り一日中泣き暮らす日々が半年続いた。仕事中にマスクの内側で泣き、トイレに行ってしくしく泣き、1人の帰り道でも歩きながら泣き、お風呂の中で泣き、夜はベッドの中で泣き、ほとんど眠れないまま早朝覚醒し、太陽が昇るとまた泣きながら起き上がる。肌は衰え髪はバサバサになりどれだけ手入れしても戻らず、よくわからないシミがお腹や太ももにできた。どんどんみっともない生き物になっていく。でもある日突然、それだけボロボロになっても結局生き残ってしまっている自分を、もういいかな、と思うようになった。どれだけ惨めで情けなくてもわたしはここに生きていて、たとえ誰からも認められなくてもそれなりの誇りをどうにか掲げて、なんとか生き延びていくしかないのだからと。
 そうやって誰にもつかまらずに泣きながら1人で立ち上がったとき、急に一緒にいたいという相手が現れた。青天の霹靂。そのうち結婚したいと言い出した。無謀すぎる。幸せにしてあげられないかもしれないと泣いたら、一緒にいてくれたら僕が勝手に幸せになるから大丈夫、とずいぶんこちらに都合のいいことを言う。でも、わたしだってそうだなと思った。一緒にいれば勝手に幸せになれる。
 そして始まった結婚生活は安全であたたかなものだった。気がついたら張り詰め続けていた呼吸が夫と知り合ってから楽になって、結婚してからはそれが当たり前になっていた。すごいことだ、他の人にはそもそも当たり前のものなのかも知れないけれど、わたしにとってはものすごいことだったのだ。身体も少し丈夫になった。ようやく人並みとはいえ、前とは比べ物にならないほど。そして妊娠して無事に子どもを産んだ。かつてを思えば信じられないくらい順風満帆。
 でもいざ子どもが産まれてみると、やっぱり人並みのこともまともにできないのだと思い知らされた。わたしにはまだ早かったのかもしれない。いや、これは時間が解決する種類のものではない。そもそも親になる資格がなかったのかもしれない。この壁を超えるだけの能力がないのだ。人として重要ななにかが欠落しているに違いない。なのに子どもを産んでしまった。間違えてしまった。逃げたくはない、でもこれから先もずっとずっと続いていくこの生活に耐えられる気がしない、母親失格のわたし、かわいそうな娘。かわいそうな夫。かわいそうな両親。
 
 
 
 努力のおかげか少しずつ母乳量が増えていたようで、母に娘の授乳を任せて眠ったその夜中、ふと目覚めると母乳が漏れていた。乳房が熱を持ち硬く腫れていて、授乳用の下着どころかパジャマまで胸元がぐっしょりと濡れている。涙を流すようにじわりじわりと乳首から母乳が溢れていた。胸全体に鈍い痛みがある。自分の意思とは関係なくこういうことが起こるのだ、私はほんとうに以前とは違う仕組みの生き物になったのだ。とりあえずタオルをあてがってまた眠る。6時間半ほど眠って目が覚めると、少し心が落ち着いていた。
 日中、もっと気楽に育児をしよう、と母と話をした。私なんていっつもテレビ見ながら適当にミルクあげてたわよ、と。そのくらいでもいいのかな、授乳をそんなに真剣にしなくてもいいのかな。とりあえずミルクに罪悪感を持つのをやめて、母乳が足りないときや疲れているときはミルクにしたっていいじゃないか。元気な時は母乳だけで頑張ればいい。とにかく持続可能にしていくこと。やっぱりなによりも母親が元気じゃないとね、と。
 産院での2週間検診があったり、助産師さんに来てもらって母乳マッサージをしてもらいながら話を聞いてもらったりして、少し落ち着いた。体重増加は問題なく、母乳量も充分というほどではないにせよ普通に出ているし、これからもっと出るようになるよと看護師さんや助産師さんに言われてほっとする。
 先に出産した友人たちからも励ましのメールが来て、そこでもたくさんアドバイスをもらった。産後の孤独感は半端ないよねと共感しあうだけでも心強かった。みんなが乗り越えてきた壁なのだ。
 けれど、また別の問題が立ち上がってくる。身体のことだ。
 母乳量が増えるにつれて、体調不良が目立ってきた。特に朝。血糖値が足りないのだ。夜通し母乳をあげることでエネルギーが不足するのか、どうにか夜間授乳を乗り切っても、朝の授乳を終えると起き上がれなくなってきた。眠いのではなく、エネルギーが枯渇して意識が遠のいてほとんど気絶してしまう。
 元々血糖値の調節が苦手な体質で、ちょっと気を緩めて無理をすると血糖値が下がりすぎて動けなくなってしまう。自分の体質に気付くまで時間がかかったし、食事や生活でコントロールできるようになるまでも大変だった。結婚してからはかなり落ち着いていたし、妊娠中も特に問題なかったので、そのリスクをすっかり忘れてしまっていた。授乳はやはり普通ではないくらいのエネルギーを使うらしく、わたしの身体はそれにうまく対応できなかったのだろう。
 そしてなにより、低血糖になると私の場合精神的にとびきりの不調がやってくる。
 朝、起きてきた母に娘を託すと意識が遠のいていく。しばらくして昏倒状態から覚めると手足が痺れて全身が重い。どうにか朝ごはんを食べてから回復するまでの2時間近くはゾンビのようにぐったりと寝そべっている。表情を作るのさえ難しいくらいにエネルギーが足りない。母乳、やめたいなぁ……でもがんばらなきゃ。こんな風に倒れている場合じゃないのに。悲しくなって気分が沈む。
 けれど、血糖値が回復してくるとそんな症状もすうっと消えていく。どうにかしようという気力が湧いてくる。食べて治るのならいくらでも食べればいいんだし、そのうちになんとかなるさ、と。
 けれどまた夕方ごろに同じことが起きる。いや、朝よりもっと悪くなる。身体中がざわざわと痺れて、頭がおかしくなりそうな焦燥感でいっぱいになる。突然異常な飢餓感に取り憑かれるものの、家にはすぐに食べられるものがない。この頃のわたしの体調だと白いご飯やパンなどの炭水化物でも低血糖になってしまうので(急激に血糖値を上げるのでインスリンが過剰分泌され、結果的にさらに血糖値の低下を招くことになる。甘いものなんてさらにご法度)、食べられるものが限られすぎているのだ。普段の家事と赤ちゃんの世話のサポートで精一杯の母にはそこまでフォローする余裕もなく、ネットで低糖質のおやつやナッツを注文して少しはマシになったのだが、それも半端ではない消費量だった。
 とにかく朝方の昏倒をどうにかしなければ。その焦りがものすごかった。もし私と赤ちゃんが2人きりのときに気を失ったら、娘がほんとうに死んでしまうかもしれないのだ。とにかく夜にも食べて、足りないエネルギーを補わないと。
 夜中に泣き声で目を覚まし、娘を抱き寄せて授乳する。それと同時に枕元に用意しておいたナッツを口に放り込む。お腹は空いてないが義務感でどうにか飲み下す。それでも朝はエネルギー切れ。いろんな種類の補食を試す。玄米ご飯のおにぎりやエネルギーバー。次第に、夜中にものを食べるのが辛くなってくる。食べてすぐ眠るので胃にもたれるのだ。そのせいで昼間の食欲がなくなってしまう、本末顛倒だ。とにかく血糖値をゆっくり上げてくれるたんぱく質で消化のよいもの、プロテインを飲むことにする。授乳の前に水に溶かしてゆっくり飲む。アスリートみたいだ。ここまでくると喜劇のようでちょっと笑える。ときどきエネルギー切れにならずに朝を迎えられて、ようやく……と安心しても、起きて朝ごはんを食べてから眠るとまた寝ている間に低血糖が起きてしまう。
 必死で手探りの中いろんなことを試すのに、体調はどんどん悪くなり、睡眠不足はますますひどくなり、毎朝のように昏倒し、夕方は発狂しそうな焦燥感に取り憑かれ、わたしがイライラしてばかりのせいで日中一緒にいる母までストレスが溜まってきて、何度か最悪の喧嘩をした。怒鳴りあう声を産まれたての娘に聞かせたくなくて、娘を抱えて家を飛び出して、庭で泣き崩れることさえあった。
 ぼろぼろと崩れていく階段を必死で昇っているような日々だった。昼はまだいい。自分の他に誰かいるから。毎日夜が来るのを怯えていた。真夜中の授乳に疲れ果て、泣きながら歯を食いしばって娘を抱いていた。この辺りで開き直って携帯の画面を見つめながら授乳していたけれど、調べることは「育児 楽しくない」「赤ちゃん 夜通し寝る いつから」「母乳 足りないとき」とかそんなことばかりで、これではいけないとツイッターを開いてはなるべく今の生活の楽しいこと、娘のかわいいところを呟こうと必死で探していた。育児を楽しむ自分を装いたかったわけではなくて、なにかポジティブなものを見出さないと自分がもたないと思ったのだ。
 ミルクにすればいいのに、と周囲は思うだろう。わたしだって今ならそう思う。でもその頃は、少しでも娘に不利益になることを避けたかった。栄養だって顎の使い方だって母乳とミルクでは違うという。母乳の方がより心身にいいはずだ。わたしの身体がまともじゃないせいで母乳を与えられないなんて、娘に申し訳ない。だからできる限界まで努力しなければ、してやりたい、と思っていた。
 真夜中、常夜灯だけの薄暗い部屋には、エネルギーを使い果たし母親としてなにひとつまともにできない自分と、お腹が空いたと泣く、目も合わず何を考えているのかもよくわからない、本来ならば愛しくてたまらないはずの我が子だけしか存在しなかった。追い詰められて脳がざわざわして物をまともに考えられないのにやたらと涙ばかりが出た。
 沐浴でそっとお湯にひたすと、うっとりするようにやわらかくなる赤ちゃん。この上もなく大切な存在だと思うのに、いなくなってしまえばこんな身体中の痛みに耐える眠れない日々も終わるんだ、と思う自分も確かに存在するのだ。その考えが恐ろしくて堪らない。こんなに小さくて無力な生き物にそんなことを思うなんてどう考えても間違っている。いなくなるべきなのはわたしの方なのではないか?
 そうかもしれない。だってわたし以外は、夫も両親も娘を心からかわいがっている。眠ってしまうとつまらないね、早く起きればいいのにと寝顔を見つめ、泣けばかわいいねと抱き寄せる。わたしは逆だ。眠ってくれたらほっとするし、泣いたら背筋がこわばってもう嫌だと思う。どう考えても間違っているのはわたしの方で、ここに必要ないのはわたしの方なんだ。娘を絶対に失いたくない、こんなに咎のない生き物はいない。じゃあいなくなるべきなのは、死ぬべきなのはわたしなのだ。
 その考えが間違っているのはさすがにわかっていた。夫も家族も悲しむに決まっているし、なにより娘の人生に始まりから不吉な影を焼き付けてしまうことになる。そのくらいのなけなしの理性はあった。でもこの頃からその考えが頭を離れなくなっていった。それは死にたいという欲求ではなかった。死ぬべきなのではないかという懐疑であり、そして救済のようなものだった。

 入院したい。
 わたしか赤ちゃんのどちらかがなにかの理由で入院すれば、わたしは赤ちゃんから離れてぐっすりと眠れる。なにも考えずにただひたすら眠りたい。世の中には産褥入院というものがあって、助産院で産後のお母さんと赤ちゃんの身の回りのお世話をしてもらえるのだけれど、それには産前からの予約が必要だったし、実家の近くには受け入れてくれる助産院もなく、そもそも20万円以上の莫大な費用がかかるから現実には難しい。
 それならどちらかが病気になるしかないのだけど、赤ちゃんが病気になるなんてあってはならないことだから、自分がおかしくなれば入院できる。急に身体が悪くなることはなくても頭がおかしくなるかもしれない。でもわたしは産後うつではない(と、この時はなぜか強く思っていた)。単に育児に疲れて甘えているだけの人間だから、入院させてもらえるわけがない。本当に病気で困っている人に失礼だ。
 入院したい。入院したい。入院したい。
 追い詰められながら、何度も泣きながらそう思った。泣きじゃくりながら頭をかきむしってつぶやき続けていることさえあった。今思ってもそれが予感だったのかどうかなんてわからない。けれど、ある朝突然入院することになった。
 わたしではなくて娘が。
 
 

       

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